- Amazon.co.jp ・本 (349ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105901080
感想・レビュー・書評
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「私」は気づけばもう「私」でなく、日常は彼方に遁走する―
(クレスト・ブックスの帯のキャッチ)
エヴンソンが繰り出す世界は、読んでいると脳みその後ろから襲ってくる。
妄想なのか現実なのか、寝ているのか目が覚めているのか、生きているのか死んでいるのか、あなたなのかわたしなのか……。
いったいなんだ、これは!
あまりに理解困難で、読み始めてから100ページほどで読めなくなった。
決して「つまらない」訳ではない。
向き合う覚悟が途切れてしまった。
すこし他の本に浮気したあと再び向き合うと、とたんにその世界に引き込まれていく。
読後に振り返ってみると、独特で比較できるものがなく面白いのかどうかすらわからない。
訳者柴田元幸氏のあとがきによると、エドガー・アラン・ポーやスティーヴ・エリクソンなどを挙げて傾向を解説している。
まだ短編であったから、ぶつ切りでも読み切ることができたけど、長編だったら「途中で放り投げる」か「没入して帰って来れない」ことになったかも。
とにかく不思議な読書体験でした。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
前妻と前々妻に追われる元夫。見えない箱に眠りを奪われる女。勝手に喋る舌を止められない老教授。ニセの救世主。「私」は気づけばもう「私」でなく、日常は彼方に遁走する―。奇想天外なのにどこまでも醒め、滑稽でいながら切実な恐怖に満ちた、19の物語。幻想と覚醒が織りなす、驚異の短篇集。
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19編の短編集。「世界がどんどん速く目の前を過ぎてゆき、靄のようなものに私は一瞬一瞬包まれていたのです」。自分が自分だと知覚しているのはなぜなのか。他者は本当に他者なのか。そんな当たり前のことを問い直すような不思議な短編が集められてる。読み手を選ぶ。酒飲んで読む本ではない。
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短編集19編
現実との距離感が問題で、妄想であったり微妙な齟齬であったり様々なパターンで切り取られた物語。でも本当だったらとしみじみ怖い。『テントのなかの姉妹』『九十に九十』『第三の要素』『アルフォンス・カイラーズ』『遁走状態』が良かった。 -
短編集。アンソロジーや文芸誌を除けば初めての邦訳本らしい。どれもこれもありていに言えば主人公は病んでいる。ただ、暗さはなく、なんとか彼らが信じている通常の世界に帰ろうと足掻いている。遁走、というのは解離性遁走という医学用語にもみられるように、突然いなくなってしまあうような状態のことなのだろう。
「私」の視点で語られているのにその「私」を見失う。
圧倒的に好きだったのは「見えない箱」。パントマイム師との不気味なセックスの後遺症。これ、パントマイム師とセックスしなくても実際何かのきっかけで起こりそうな気がしないでもない。
あと「供述書」「助けになる」「遁走状態」が良かった。
「遁走状態」の遁走っぷりはやはり群を抜いている。
あとがきによると小説の暴力描写が問題になって教授職を解かれたというスキャンダルがあったらしいエブンソン氏。今作品集では目立った暴力描写は見られなかったけれど(でも「遁走状態」で周りが見えていないのに頭を金槌で殴り続ける描写はすごかった)、是非そういう作品も読んでみたい。 -
妙な味わいの短編集。長編にはなりえない、奇抜な設定ばかり。人が狂っていく過程を一人称で(あるいは一人称的に)描いてあり、時折背筋が冷たくなった。でも、「恐怖」というほどの感情は喚起されない。というのも本書では、狂気はスケッチされる程度で、しかも、語り手の興味はふいに、狂っていく人々から離れていって終わる。それがかえって、狂気というのはそこここに偏在するもので、ありふれたものであるという印象を抱かせる。
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主人公達は時に名前も無く、また状況の説明も無く、いきなりストーリーが始まっていく。妻や親、兄弟、上司などごく狭い人間関係と範囲で、まるでハンディカメラで撮ったドキュメンタリーのように感じた。やがて日常がゆらぎ、対峙し、追いかけ、逃げ、格闘する。ぼろぼろに転げ回りながら、悪夢のような中で、何かを求める主人公達。「第三の要素」を読んでいる時、あやふやな設定がいつしか読んでいる私の日常に入り込んできた。私の家は本当に私の家だろうか…?と。「チロルのバウワー」と姉妹物が好き。
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柴田元幸さん訳のスティーヴ・エリクソン作品が好きな人にはオススメ。幻視者が描く世界、わたしとは何者か。世界がぐるりと反転。読んでるとなにか混乱するようなものもあるけど著者はディックもきっと好きだろう。
見つめ方の角度、暴力性や世界への懐疑を持っている。