マリアが語り遺したこと (新潮クレスト・ブックス)

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制作 : Colm T´oib´in  栩木 伸明 
  • 新潮社 (2014年11月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (139ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901134

マリアが語り遺したこと (新潮クレスト・ブックス)の感想・レビュー・書評

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  • 老いたマリアの口から語られる、息子イエスの生涯。しかし作中でイエスという名前は一切登場しない。彼は「わたしの息子」でしかない。

    マリアは夫と息子を愛するごく普通の女性だった。大人になった息子の周りに人々が集まり、彼が神の言葉を語り始めると、彼女は不安を抱き息子を自分の元に取り戻そうとする。やがて捕縛、そして磔刑。
    彼女の息子の話を聞きに、老いたマリアを弟子たちが日々訪れる。しかし彼女の語ることに彼らは満足しない。彼女は記憶の中の真実と幻想とを行き来しながら、自分のしたことが正しかったのか今も問い続ける。

    聖書を題材とした小説としてそこまで斬新な切り口というほどではない。素顔の母マリアの人物造型も想像の範囲内。ただ、十字架降架を見届けずマリアが逃亡するに到り、不思議な切実感が生じる。彼女は行動を共にするマグダラのマリアと一緒に息子の復活の夢を見る。その夢こそ彼の弟子たちが彼女に要求するものだった。真実が夢に飲み込まれていくのを感じ、彼女は手遅れになる前にそれを残したいと願う。そのための語りである。

    わたしはクリスチャンではないしキリスト教の知識も乏しい。昔オーバーアーマガウのキリスト受難劇を見た時、ドイツ語で「お父さん!」と悲しそうに叫ぶイエスの姿に胸を打たれたけれど、人間としてのイエスやマリアは文化を異にする者にも力強く迫ってくる。本書の感銘はあの劇ほどではなかったものの、このマリア像にも一片の真実を感じた。

  • このような小説ができた背景が「訳者あとがき」に記されているが,非常に参考になった,「聖母被昇天」と「キリスト磔刑」を見たことがきっかけだった由.カナの婚礼で甕の水がワインになった話,ラザロの復活,十字架での死について息子の行動を母の視点からとらえた点は興味深かった.復活したラザロについては確か聖書には詳しく書いてなかったと記憶しているが,本書ではラザロのその後が分かって面白かった.

  • 母マリアの立場から、キリストの磔刑と復活を中心に、神の子キリストの生涯を回顧する体で書かれた小説。

    新興宗教(当時)カリスマ教祖様となった息子をもつ母としてのマリアを描くことに挑む。聖書を知らず、キリスト教を信仰しておらず、知識もない俺なので、特に大きな感銘を受けることもなかったのだけど、これ敬虔な信者が読んだら怒るんだろうなぁ、とは思った。
    信仰の対象となっている聖なる存在を人間目線で描くことは勇気のいることである。俺には到底できない、論評すら難しい。だからレビューもここまで。

  • 老い先短いマリアから見たイエスを語る視点で描かれた作品。
    今まで確かにマリア視点で息子イエスを描いた作品を読んだことがないし、聞いた覚えもない。
    長らくキリスト教に触れていないため、思い出しながらの読了ではあったが、処刑シーンに関しては胸に迫るものがあった。
    そして、マリアの後日談的な要素も含まれており、聖書にはない部分を存分に堪能できた。

  • 一人の母として息子イエスのことを語るマリア。老後に息子の死に対する悔いと怒りを抱き、訪ねてくるヨハネとパウロが福音書で過去を曲げようとするのを疎ましく思い、その率直さがイエスを神格化しようとする彼らにも疎まれる、そんな「聖母」。作家の着想源がティントレットのキリスト磔刑だそうだが、カナの婚礼、ラザロの蘇り、十字架降下もが新たに語り直され、絵画好きとしても刺激的だ。「あのシーン」が書き換えられる。そう、受胎告知でさえ、あからさまには言わないまでも、このマリアは自身の処女性を否定し夫の存在を明言している。
    人間イエスを描く試みは、様々な分野で行われてきたと思う。しかし、欧米では、私が面白がるのとは別の次元で信者から強烈な反応があるのだろう。大胆で勇気のある小説だ。

  • イエスの母、マリアが語るマリアとイエスの思い出。
    そうだよね、マリアも母なんだよね。
    キリスト教徒の書く母としてのマリアの思い出、もっとキリスト教の知識があれば、深く読めるのかも。

  • 年老いたマリアが語る息子の事。古くから清らかで慈愛あふれ若々しく静かに微笑む永遠の女性として語られる彼女。物語化を避け現実を自らに厳しくみつめた時見えた事実とは?設定からもっと派手な話にもできたと思うけれどとても地に足のついた真摯な小説であった。カトリックの根本的な部分を批判している。弱者にもっと光を。

  • 原題は“The Testament of Mary”。「マリアによる聖書」とでも訳せばいいのだろうか。マリアは頭に「マグダラの」とつかない方のマリアである。ブッカー賞の候補に挙がったそうだが、冒涜的だという批判の声が上がり、候補にとどまった。作者コルム・トビーンはアイルランド人。カトリックの国でこういう本を書くのは勇気がいることだろう。特に宗教批判をする意識はなかったようだ。もし、扱われているのが、「あの方」の母親でさえなければ、一人息子を亡くした母親が、息子の死んだ日のことを何度も聞きに来る二人の男を煩わしく思う気持ちに何の不思議があろう。たとえ、その二人がヨハネであり、パウロであったとしても、だ。

    知っての通り、キリスト教という宗教が世界宗教になったのは、キリストの死後のことである。自分が腹を痛めて産んだ子が周りに群れ集う輩に「神の子」と呼ばれ、崇め奉られる契機となった磔刑を目にした母の様子は聖書にも詳らかでない。福音書を書いた四人の弟子がすべて男だったからかもしれない。

    年老いて死を前にしたマリアが、あの日々を追憶する。気持ちのいい若者だった息子が、エルサレムに行ってからというもの、少しずつ物言いが変化し、人の出入りがふえるにつれ、話が講話じみて身ぶりが大げさになってゆく様子に、母はなじめなかった。その言動が不穏視される息子のことを心配してくれる人がいて、呼び戻すために訪れたカナンの婚礼の席で、息子は知らない人を見るようにマリアを見、葡萄酒が足りないという声を耳にすると、壷に水を入れて持ってくるように命じた。

    聖書が語る奇跡がその場にいた平凡な一人の母の目から見るとどう見えるか。作者は大仰な書き方を避け、穏当な筆遣いで淡々と起きたであろう事実を記す。一度書かれてしまい、多くの人々によって承認されたものは規範となり、批判を受けつけない正典となる。世俗の歴史書然り、聖書また然り。キリストと呼ばれる前の男はマリアにとってはただの息子であったが、使徒たちにとっては師でありカリスマである。彼の死後その言動は福音書の記述となって世界中に広がっていく。

    仮令そこに悪意はなくとも、正典となったものは人を縛る。世の中は絶えず動き続け、かつては弱者であったり、少数者であったりした人々がそうではなくなる日が来る。女性がそうであり、同性愛者を含む性的な意味での少数者がそうだ。ところが、時代の移り変わりに抗して変わらないものがある。宗教もその一つである。預言者が男性であるからか、男性優位の教義を持つ宗教が圧倒的に多い。この作品におけるマリアは、イエスの母でありながら、福音書記者からは明らかに冷遇されている。それだけでなくつまらぬ発言などせぬよう隠微な監視を受けてもいる。

    この作品におけるマリアは、一人の母であるとともに一人の女でもある。神の子の母と見られることを忌避しこそすれ、聖母などと呼ばれたいとはつゆほども思っていない。人並みに恐怖心もあれば、後先考えずに走りもする。後の福音書でどう書かれようが、そんなことは知っちゃいない。だいたいすべてはあの男たちが考え出したことではないか。一説ではマリアはキリスト降架後エフェソに移り、晩年を過ごしたとささやかれる。本書でもマリアはエフェソで暮らしアルテミス女神を信仰するなど、反パウロ的色彩が強い。

    歴史はことが起きた後に力を得たものに都合のいいように記される。神話がそうであり、経典もまた同じである。神の名によって人を縛るものが、実は神ではなく権力を持った人であり、正義の名において人に命じるのが時の権力者であることは少なくない。多くの人に信じられた「正義」や「大義」の名によって、死地に赴くわが子を見送らねばならない母にとって、聖書に書かれたマリアの姿は果たして満足のゆくものなのか。

    ことはキリスト教やジハードを奉じるイスラム教に限らない。多くの日本人のように信仰を持たない者にとっても「正義」や「大義」は存在する。意義深いと考えられることに我が身を投じる息子を、誇らしい、と語ってみせる必要は必ずしもないだろう。世間がどう思おうが、「あなた」は母である前に女であり、その前にひとりの人間である。何も女性に限らない。多数者や声高に語る人々がよくは思わない人々が、ありのままに生きることを許さない、不可視の大きな「力」に、このマリアは抗しているのである。冒涜の声が上がることは作者も想定内であったろう。それでも書く。発表する。刊行する。世界の国がそれを翻訳する。私が読む。あなたが読む。それでいい。

  • 『ブルックリン』を読んで、この作家に惚れたので、読んだ。
    キリスト教徒ならもっと衝撃を受けたのかもしれないけど、正直言ってよく分かったとは言えない。ラザロの復活や、数々の奇跡、ヨハネやパウロなど、一通りの知識はあっても、それがどういう意味なのか深く考えた事がないし、キリスト教徒であれば幼い頃から毎日触れる中で形作られる人物像というものもないからだと思う。
    ここで語るマリアが普通の母親かというと、そうでもない気がするし。普通の母親なら、息子が奇跡を行ったらもっとびっくりするし、処刑されれば狂乱すると思うが、このマリアは達観している感じ。
    この作品はキリスト教徒か、かなり聖書に詳しくなければ、面白いとは言えないのではないかと。
    それでもトビーンはやっぱり読むに値する作家だと思う。

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