あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

  • 588人登録
  • 4.15評価
    • (57)
    • (48)
    • (22)
    • (6)
    • (1)
  • 60レビュー
制作 : Miranda July  岸本 佐知子 
  • 新潮社 (2015年8月27日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (245ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901196

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三浦 しをん
西川 美和
ジョン・ウィリア...
又吉 直樹
カレン・ラッセル
ミシェル ウエル...
リチャード パワ...
松田 青子
村上 春樹
リチャード ブロ...
有効な右矢印 無効な右矢印

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)の感想・レビュー・書評

  • 『世界の端っこをめくって中をのぞきこみ、その下にある何かを現行犯でつかまえようとしつているーーその、"何か"は神ではなく(「神」という言葉は問いであると同時に答えでもあって、だから想像をふくらませる余地がない)、それに似た何かべつのものだ』ー『 アンドルー 』

    岸本佐知子フォロワーでいることとは、一風変わった作家と付き合うということ。ニコルソン・ベイカーしかり、ジュディ・バドニッツしかり。ポール・オースターは柴田元幸翻訳であるべきだと思うけれど、少し薄暗いところのある作家を柴田さんが翻訳するとスマートに柔らかくなり過ぎる。例えばミランダ・ジュライのような。

    ミランダ・ジュライは翻訳が待ち切れずに苦労しながら原文で読み始めてしまいたくなる作家。もちろん読解力に問題はあり、ニュアンスを掴み損ねてしまうことは承知の上で。「It choose you」も一応読み通したし、それなりに楽しめた筈と信じたい。けれどやはり掴み損ねているものは大きくて、例えばタイトルのニュアンスだって、原文では少し宗教的なニュアンスを感じていたのだけれど「あなたを選んでくるるもの」と訳出されるとミランダ・ジュライ的存在論の響きがきちんと伝わる。岸本さんの訳はホントにいいね。

    『なぜならドミンゴは今まで会った誰よりも貧乏だったから。もっと不幸だったりもっと悲惨だったりする人は他にもいたけれど、いっしょにいて、彼ほどいやらしい優越感をかき立てる人はいなかった。わたしたちはわたしのプリウスに乗って帰った』ー『マチルダとドミンゴ』

    ミランダ・ジュライのどこがそんなにいいのか、他人に伝わるように説明するのは難しい。何故ならば、読みながら自分自身が混乱してしまうから。そしてその混乱した感じが楽しいから。でもそれは単なる混沌ではなくて、自分が知らない何かを納得しようとするためのじたばたとした足掻き。自分自身の中にはそれを説明出来る言葉を持たないのに、何とか自分の知っている概念を組み合わせてそいつを一つ処に納めようとする努力。足掻いている内にはっきりと答えが出る訳ではないけれど、何となく今までとは違う理解が急に湧いてくる。そのことにとても共感できるから楽しいのだと思う。もちろん本書はドキュメンタリーなので、映画「君とボクの虹色の世界」のように直接的にミランダ・ジュライの精神性が見え易く、そういうじたばたした有り様は直接的に言葉に置き換えられているけれど、彼女の短篇集「no one belongs here more than you」はフィクションだけれど、やはり同じような感慨は湧いてくる。例えばそれは保坂和志の面白さや、柴崎友香を読む楽しさと通じるところがあると自分は思う。但し、繰り返しになるけれど他の人が同じように面白がるのかどうか、自分には分からない。

    その頭がぐるぐるする感じは原文で読んでも同じように感じるのだけれども、その後に付いてくる自分自身の悩みに落ち込むスパイラルは、岸本佐知子の翻訳を読むと一層深くなる。日本語だと読む行為と考える行為がある程度同時平行的に進むので、目線だけか先へ先へと進んでしまって頭が置き去りにされ何度も戻って読み直すということになる。それは自分にとって最も楽しい読書の在り方なのだ。早く「My first bad man」も訳して下さい!

  • 『ザ・フューチャー』と同時期に読みたかった!
    2013年の公開時に観たきりなので、ディティールを忘れてしまっている。ところどころ印象に残った場面を自分の都合のいいように勝手に解釈して、「好きな映画」としてカテゴライズし、しまい込んでいた。「生みの苦しみ」のようなものを強く感じたことを覚えている。作品発表の翌年、2012年にミランダが出産していたことを知って、意味もなく(これまた勝手に)納得したことも覚えている。

    ミランダ・ジュライの長編第2作目となる映画『ザ・フューチャー』。脚本があともう一歩でできあがるという段階になって「ぐずぐず」に陥ってしまったミランダは、ふと誰に課されたわけでもなく、好奇心に押されて自らに「ミッション」を与える。本書はそれを追ったフォト・ドキュメンタリーなのだ。その「ミッション」とは、『ペニーセイバー』というポピュラーなフリーペーパーに「売ります」広告を出している人たちに片っ端から電話をかけ、インタヴューを依頼するというものだった。怪しさ全開!な依頼だけど、OKしてくれる人がいるんですね。それで、彼らに会いに行くんだけども、この人たちがまたとても濃ゆい。

    「わたしがこの映画に手こずっているあいだに、好景気は塵と消えてしまった。一年前には大乗り気でわたしと会ってくれていたスポンサーが、どこも急に、ナタリー・ポートマンが主役でなければ金は出せないと言いだしていた。それがわたしの中のライオット・ガール魂に火をつけた。わたしはビバリーヒルズでのお行儀のいい話し合いを終えて会議室を出ながら考えた ーー素っ裸で、お腹に黒マジックで完璧なメッセージを書いて、もう一度ここに戻ってきてやろうじゃないの。でも彼らの理路整然とした、隙のない冷たさに対抗できる完璧なメッセージとはいったい何だろう。わからなかった。だからわたしは服を脱ぐのを思いとどまり、彼らとはちがってわたしの申し出を無条件でOKしてくれた人の家に車を走らせた。インドの衣装を一つ五ドルで売り出している女の人の家に。」(p28)

    普通に暮らしていたら、きっと交わることのない人たち。パソコンを持たずインターネットをしない。彼らの共通項は、@のついたもう一つの名前を持っていない、ということ。「自分の名前をググって、わたしがいかにウザいかについて書かれたブログの中に暗号化されて埋め込まれているかもしれない答えを探しつづけ」ている、ネットの世界にどっぷり浸かった著者とは、まったく異なる世界に暮らす人たちなのだ。自意識過剰なネット住民であるミランダ(と、自分で明かしているところがまた愛らしいというか、面白いんだけど)とは対称的に、彼らはみなどこか無防備で、あけすけだ。

    ネットというフィクションの世界を出て、「巨大で不可解な本物の現実世界」にガッツリ向き合っていくミランダ。映画とは一見何の関連もない、それどころかむしろ「映画からの逃避」でしかなかったインタヴューが、結果的に様々なひらめきをもたらし、エピソードを生む。ミランダは脚本を完成させ、スポンサーを見つけ、撮影に入る。


    私はといえば、インタヴューを読みながら、彼らの物語の中に引きずり込まれそうになる。写真の使い方がまた効果的で、彼らがより「リアル」に迫ってくるのだ。彼らはみんな、なんだかせつなくて、哀しくて、小さな存在で、そして時に目を背けたくなるほどの「生の過剰さ」を露呈させる。私も同じだよ。彼らと一緒に濁流にのみ込まれて、「自」も「他」もない混沌の中へと押し流されそうになる。「行ってはだめ」という本能の声に引き戻され、かろうじて踏みとどまるも、疲労感と安心感、そしてなんだか自己嫌悪。だって「私」と「彼ら」は「同じ」ではないという分別をつけることで、小さな自分を守っているのだもの。自分以外愛せない、... 続きを読む

  • まず、作品の内容はともかく、題名が素敵だ。
    原題「It chooses you」も訳題の「あなたを選んでくれるもの」も、じんわりと心に入って来て、こころの襞を優しく引っ張る。
    作品自体の話や作者については、実際に読むかネットで調べて下さい。評を書ける程理解も出来ていないし、詳しくも無いので。
    ただ、読んでいる途中はすごく居心地が悪くて、作者のやり方が嫌らしく感じてた。
    でも、最後まで読み通して分かった事、感じた事がある。私の人生は、何かや誰かに選ばれた訳じゃない。「あなたを選んでくれるもの」は結局のところ、あなた自身なのだろう。
    私達は、この限りある時間の中で、生きてゆくしかない。
    私達は人生の一瞬、一瞬を選び取っていく。それは、決していつも輝かしいものと言う訳でもないし、誇れるものでも無いのだ。
    でも、私が私自身の生き方を選んだ限り、輝かしくも、誇らしくも無いこの人生を、時間をムダ遣いしながら、それでもささやかに、堂々と生きていくしか無いのだ。

  • 読み終わってからもういちど「The Future」観たくなった!
    はじめはキワモノな人を集めた話なのかな?と思って、でも人の暮らしの気配の濃厚さに押されつつ読んでいたけど、ラストのジョーとの出会いのあたりから一気に泣きそうになった。
    ペニーセイバーに「これ売ります」の広告を出している彼らのほとんどはインターネットをしていない。検索では彼らと会うことはできない。自分で電話して赴かなければ知ることができないのだ。脚本が進まず煮詰まる著者が、彼らのことを取材することで、逆にさらに自分の書く話がつまらなくなっていく、偽物に感じてしまう、というのもわかる。生身の人間は濃すぎるのだ。

    著者は結婚して数か月。35歳という出産までの肉体的なリミットが視界に入る年齢。これまでの時間とこれからの時間。ビオトープを作っている高校生の取材のあとに「40過ぎたら残りの人生は小銭だ。ほんとうにほしいものを手に入れるには足りない」と悲観したりしていたが最後にまるごと肯定されたように時間の経過を受け入れる様は胸がいっぱいになる思い。登場する人物がだれも感動的な人生を送っているわけではなく(訳あり人生だらけだけど)、ただ生きてるだけで、私たちをこんなにも心震わせる。

    世界には無数の物語が同時進行で存在しているが、会える人は無限ではないこと。だから愛情を注ぐ相手を選び物語を作っていく。自分もそのひとかけらになっていること。
    なんかよくわからなくなってしまったけど、胸がじーんとして、流れ続けるいくつもの時間とそれぞれの物語を想像してめまいがした。

  • 胡散臭い自己啓発本みたいなタイトルだけど、中身はインタビュー集に近い内容。

    自身の人生設計に悩みはじめた35歳の女性ライターが、状況を打破する答えを探すために見ず知らずの人たちにインタビューを行い続けるというもの。

    著者は映画監督マイク・ミルズの嫁。インタビュー相手を冷静に観察し、そこから得たものを元に、自分自身にフィードバックしていく様子は正直で人間臭くて良かった。

    執筆時の筆者と年齢も境遇も重なるところがあるので、このタイミングで読めて良かった。人生において残された時間が少なくなるなかで、自分は何を指標にし、どこに進んでいくべきなのか。中年を目前にして焦ることもある。そんな気持ちを少し冷静にしてくれる一冊だった。

    これらのインタビューを経て完成した映画『ザ・フューチャー』も観てみたい。

  • 以前、「ザ・フューチャー」という不思議感のある
    映画を観た。その監督が作家と知りこの本を読んでみた。
    内容は一言でいえばフリーペーパーに売買広告を出している人へのインタビュー集となるけれど、
    どの人物にも濃い時間が流れていて圧倒される。
    読み終わってタイトルの次のページにある
    「ジョー・パターリックと奥さんのキャロリンに」
    という言葉が胸にしみて、記憶が新しいうちに、
    もう一度映画を観ておきたいと思うので
    数日中にTSUTAYAに行きます!

  • 人に歴史あり、という言葉は良い意味で使われるけど、ここに出てくる人たちの歴史は暗くて重くて過剰で、それなのに悲惨なほど地味で、読んでいるうちだんだんと胸が苦しくなってくる。何よりも、自分の人生がまた誰かから見ればそうなのだという事実が迫ってくる。
    それでも全員が自分の過ごした時間を信じている。それが惨めで切なくて、この世界の多くの人の真実。

    突飛なインタビューをやり遂げた著者の行動力と観察力がすごい。パソコンの前から立ち上がり、身をもって体験することでしか得られないもの。「ググればわかる」という危うい思い込みを粉砕する「生身」の底力。

  • 映画の脚本づくりにいきづまった著者が、その現実から逃れるかのように始めた、無料雑誌に売り広告を出している一般の人々へのインタビュー。
    インタビューを続ける中で、あまりの「生身の人間」臭に衝撃を受けたり、作品への昇華を見出せたと思ったらやっぱりムリだったり。そして「これが最後」と決めて会った老人との奇跡とも言えそうな出会い。その後映画製作へとつながる経緯……。
    その様子と心の機微の変化を写真とともに綴ったフォトエッセイ。

    とにかく、岸本佐知子さんの訳が秀逸。人柄・人となりがよく現れた、かつ実に滑らかな訳が素晴らしい。

    「もしかしたら残りの人生は小銭なんかじゃないのかもしれない。あるいは最初から最後まで全部が小銭だったのかもしれない。数えきれないくらいたくさんの小さな瞬間の寄せ集め ーー 一つひとつの祝日も、バレンタインも、新年も、うんざりするほど同じことの繰り返しで、なのにどれ一つとして同じものはない。それで何かを買うことはできないし、もっと意味のあるものや、もっとまとまったものと引き替えることもできない。すべてはただ何ということのない日々で、それが一人の人間の ーー 運がよければ二人の ーー 不確かな記憶力で一つにつなぎとめられている。だからこそ、そこに固有の意味も価値もないからこそ、それは奇跡のように美しい」

    「きっと、だから人は結婚するのだろう ーー 物語るに足るフィクションを作るために。登場人物を誰もかれも入れることができないのは、なにも映画にかぎったことではない。他ならぬわたしたちがそうなのだ。人はみんな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。そしてそれは美しい、素敵なことなのだ」

    「人間は、時間を敵に回してもけっして勝てないのだ」(訳者あとがき)

  •  人に歴史あり。人生は語ることに満ちている。

      "わたしが記者でも何者でもないのを知っていながら、まるでこのインタビューがとても大きな意味をもつかのように、自分について語りはじめるのだ。でも、とわたしは気づいた。誰でも自分の物語は、その人にとってはとても大きな意味をもっているのだ。"(p.36)

     あらすじは、私物売買の案内広告などを掲載する無料情報誌『ペニーセイバー』を見たミランダ・ジュライが、広告を載せた売り手に電話をかけてインタビューを申しこみ、相手の許可が出れば自宅を訪問して話を聞いていく、というもの。
     著者がインタビューするのは、概して社会の主流ではない人たちだ。ネットに均されずに環境や習慣に強化された、強烈な個性の持ち主でもある(とはいえ自覚がないだけで、われわれ一人ひとりにもきっとそういう側面があるのだろう)。そんな生(なま)の生(せい)の生々しさに、引きつつも惹きつけられ、惹きつけられつつも引きながら、話は進んでいく。

     作中では「エア家族」なるものが登場する。

      "ティーンエイジャーのダイナは、雑誌の黒人女性の写真をスクラップブックに貼りつけていた。それはみんな彼女の空想上のお姉さんなのだった。わたしが会う人会う人、なぜだかみんな紙の上のエア家族を持っているようだった。"(p.174)

     そこでふと、ある言葉を思いだしたりもした。

      "人には誰か相手が必要だ。自分のまわりに誰もいないのなら、誰かをでっちあげて、あたかも実在する人物のようにしてしまえばいい。それはまやかしでもなければ、ごまかしでもない。むしろその反対のほうが、まやかしでごまかしだ。彼のような男が身近にいることもなく、人生を生きていくことのほうが。"(チャールズ・ブコウスキー『くそったれ! 少年時代』p.191、訳:中川五郎)

     読みすすめながら貧しさや孤独に同情したりするけれど、そうは言っても遠方に住む赤の他人であり、じっさいに助けようとするわけでもなければ助けられるわけでもない。この同情も結局は一時の感傷にすぎず、そう考えると何やら悪趣味な気もしてくる。
     著者は言う。

      "何かの埋め合わせのように、わたしはふだんより多めの金額を彼に払ってしまった。なぜならドミンゴは今まで会った誰よりも貧乏だったから。もっと不幸だったりもっと悲惨だったりする人は他にもいたけれど、いっしょにいて、彼ほどいやらしい優越感をかき立てる人はいなかった。わたしたちはわたしのプリウスに乗って帰った。もし自分と似たような人たちとだけ交流すれば、このいやらしさも消えて、また元どおりの気分になれるのだろう。でもそれも何かちがう気がした。結局わたしは、いやらしくたって仕方がないしそれでいいんだ、と思うことに決めた。だってわたしは本当にちょっといやらしいんだから。ただしそう感じるだけではぜんぜん足りないという気もした。他に気づくべきことは山のようにある。"(p.161)

     相手との断絶や非対称な関係、自分のいやらしさを認めつつ、それでも「自分と似たような人たちとだけ交流す」ることに安住するのをよしとはしない。
     むろんそれも自己正当化的ではある。しかしそれだけでもないのだ。

     インタビューをするたびに、こうしたさまざまなことが次第しだいに浮き彫りになっていく。表出するのはむしろ著者自身のことだ。他人と向き合うことで自分と向き合うという構図である以上、必然的にそうなるのだろう。それを読んで考えをめぐらすうちに、読者も自分自身と向き合うことになる。

     私はといえば、「わかる」と思いながら読んでいたものの、一方で「簡単にわかった気になってはいけない」とも感じていた。人類はわかりやすいとしても、個人はあまりにはかりがたいからだ。
     そもそもコミュニケーションは、どこまでい... 続きを読む

  • The Futureを観終わった後、どうしても晴れなかった曇り空のような気分に、ようやく収まりどころが見つかった。もがいてもがいてもがいて、ただ自分の信念だけを信じて次の日には自信を失くして、なんとか手がかりを手繰り寄せてまた信じて、ミランダがようやく手に入れた小さな光は、びっくりするほど暖かいものだった。

    喪失の先に何があるんだろうといつも思っていた。最愛の人を亡くしたその後の人生を生きていくことができるんだろうかと、いつも恐ろしかった。それでも、誰かを信じて愛したという記憶は、なくなることはないんだと、何よりもリアルなストーリーで教えてくれたミランダとそのインタビュイーに、心から感謝を込めて本を閉じた。

  • ただのインタビュー集なんかじゃ、全然なかった。日々のこと、悩むこと、生きること。あなたはわたしではないけれど、わたしでもある。

  • 脚本のヒントになれば、と思いついて始めたインタビュー。ペニー・セイバーに私物を出品した人達。今の時代にPCを使わず、昔ながらのやり方で紙の媒体に広告を出す。共通点はそれだけなのに、ひとりひとりなんと訳ありで興味深いことか。写真から伝わるその場の雰囲気。相手の声まで聞こえてきそう。翻訳は名エッセイ「ねにもつタイプ」の岸本佐知子さん。

  • 35歳のミランダ・ジュライに「失敗したり、訳もわからず何かをしたりする時間は、今のわたしにはもうないのだ」とか、彼女の脚本の中の人物に「50を過ぎたら、あとはもう小銭だ」「本当に欲しいものを手に入れるには足りないってことだよ」などと言われると、まさにその小銭の年代の私はドキッとする。グサリと刺されて、何を言う〜というイヤな汁が出る。
    しかしその彼女の映画のキーマン…救い主と言ってもいいかもね…になったのが81歳のおじいさん、というところが、なんというか、先の読めない人生という脚本にぴったりの、面白い皮肉だ。

  • 色々な面白い人生を抱えた人たちとの、どこかズレているやりとりが絶妙。
    著者の他人や自分自身を見つめる視点が好き。

  • 思いのほか、ものすごく良かった。
    作者を存じ上げなくて、ほとんど偶然のようにして手に取り、読んだのだけれど、今このときに読めた幸福を噛み締めている。
    小説と映画を物した作者が、まだ映画の脚本に頭を悩ませていた頃。
    ペニーセイバーというフリーペーパーで物を売ろうと広告?を出している方にインタビューを依頼するようになる。
    そのインタビューを受けてくれた人びとは、圧倒的な生々しい個性を持って作者の、そしてわれわれ読者の目の前に現れる。
    特にジョーはやっぱり印象的。
    映画、観たくなりました。

  • 物を持ってる人、それを手放そうとしている人の、その物と自分との関係性、馴れ初めなどの話を、本人から聞いたインタビュー&写真集。それぞれの人の世界、宇宙がそこにはある。人には大した問題でもなく、というかそもそも関係ないわけだが、あるべくしてそこにあるように思えてくる。身の回りを見回して、自分が大切にしてきた物を見やって、こいつとはどんな関係があったのか思ってみるのも面白いかも。物があなたを選ぶ、という視点の転換も鮮やか。

  • すごく感銘をうけた。
    著者の方の生きて行き方に、共感と、一種の憧憬を感じて。
    ドキュメンタリーが、フィクションも追いつかないくらいの意外性をもってふくらんでいく。
    その時、著者の感じた、率直な意見(結局聞きたいのは自分に正直なひとの意見)で、起こった出来事がストーリーになっていく。
    うまく言えないけどここに書かれてあることを大切にしたい、しなくちゃと思った。

  • まず表紙に惹かれた。表紙を開くと一人称で語られる物語に引き込まれた。これはまるでミランダ・ジュライの日記だ。"いつだって、他の人がどんなふうに人生をやり過ごしているのかという、そのことだけを知りたいと思ってきた"という彼女は、中古品を売りに出している見ず知らずの人々に電話し、インタビューを申し込む。そして実際に会い、彼らから多くの物語を引き出す。最後の人物との出会いと別れは感動的。
    前作を読んだ時も感じたが、ミランダ・ジュライは人と異なる感覚、少なくともわたしは持っていない感覚を持っている作家だ。そういう感覚が原文だとどう表現されているか知りたいと思った。

    p78
    何度でも生きなおせるくらい、時間はふんだんにあった。まだどんなことでも起こる可能性があったから、どんな決断も大きなまちがいではなかった。

    p161
    わたしはいつだって、他の人がどんなふうに人生をやり過ごしているのかという、そのことだけを知りたいと思ってきたーみんなが過ぎゆく時間のなかでどこに肉体を置き、その内側でどうしているのか。

    p164
    目には見えない、でもすぐ近くにあるはずのものを見ようとする行為に、わたしは昔から強く惹かれてきた。

    p165
    「もし映画を一本撮れるとしたら、あなたはどんな映画を撮りますか?」

    もしかしたらわたしは、自分の感覚や想像力のおよぶ範囲が、世界の中のもう一つの世界、つまりインターネットによって知らず知らず狭められていくのを恐れていたのかもしれない。ネットの外にある物事は自分から遠くなり、かわりにネットの中のものすべてが痛いくらいに存在感を放っていた。

    p167
    人間の営みの大半はネットの外にあって、それはたぶんこれからも変わらない。食べる、痛む、眠る、愛する。みんな体の中で起こることだ。

    p206
    たぶんこの人は八十一年間ずっと自分の〈やることリスト〉を追いかけて、でもいつも追いつかなくて、だから何もかもが切実に輝いているのだ。今でさえ。今だからこそよけいに。誰かが去ろうとしている間際にその人と初めて出会うことの、なんという不思議さ。

    p210
    数えきれないくらいたくさんの小さな瞬間の寄せ集めー一つひとつの祝日も、バレンタインも、新年も、うんざりするほど同じことの繰り返しで、なのにどれ一つとして同じものはない。それで何かを買うことはできないし、もっと意味のあるものや、もっとまとまったものと引き替えることもできない。すべてはただ何ということのない日々で、それが一人の人間のー運がよければ二人のー不確かな記憶力で一つにつなぎとめられている。だからこそ、そこに固有の意味もないからこそ、それは奇跡のように美しい。それは精緻でラディカルなアートそのものだった。まさにわたしがずっとやろうとしてきたようなーあえて無意味であることを選び、ゆえにその人の生のすべてが反映されるような、そんなアート。

    p222
    「君らはまだ始まりの途中なんだよ」

    「君らの始まりはまだ終わっていないんだ」それは元の台詞よりもずっと明確で素敵なイメージだったー始まりの中にも始まりがあり、真ん中があり、終わりがある。


    p229
    登場人物を誰もかれも入れることができないのは、なにも映画にかぎったことではない。他ならぬわたしたちがそうなのだ。人はみんな自分の人生をふるいにかけて、愛情と優しさを注ぐ先を定める。そしてそれは美しい、素敵なことなのだ。でも独りだろうと二人だろうと、わたしたちが残酷なまでに多種多様な、回りつづける万華鏡に嵌めこまれたピースであることに変わりはなく、それは最後の最後の瞬間までずっと続いていく。きっとわたしは一時間のうちに何度でもそのことを忘れ、思い出し、また忘れ、また思い出すだろう。思い出すたびにそれは一つの小さな奇跡で、忘れることもまた同じくらい重要... 続きを読む

  • 「君とボクの虹色の世界」のミランダ・ジュライが、インターネットの網目からこぼれ落ちたオフビートな人たちと出逢い、話す。初めから相当な「引き」の強さを発揮するけれど、最後にたぐり寄せたミラクルには本当に鳥肌が立った。これ大好きだ。

  • 映画の脚本に行き詰まり、現実との接点を見失いかけていた
    ミランダ・ジュライが、「ペニーセイバー」(売ります買いますというやつね)に広告を載せてる人たちに電話をかけては取材に行くという、まあいちおう、ノンフィクションの部類でしょうか。
    彼女が出会う人々は、トランス中のMTFだったり、足首にGPSをつけてるヤクの売人だったり、写真の切り抜きで想像の家族を作っている引きこもりの青年だった李、とんでもなくぶっとんだキャンピングカーの住人だったりと、驚くべき人たちなのだが、どこか小説の登場人物たちのような感じがするのは、ややロマンチックなトーンで撮影された写真のせいだけどもなく、おそらくは、他人と話しているときでも実はつねに自分とだけ会話しているようなミランダの文章のせいなのでしょう。
    現実の世界に触れたいんだといいつつ、実は自分の中から一歩も外に出て行かない感じが、言葉は悪いけど自意識過剰な中二病っぽく、それでいて最初からカメラマンと助手を連れていって取材費も払うあたりも、ちゃっかりしてる感じもあって、まあ結局いつものミランダ・ジュライだよね。
    と思っていたら、最後に思いがけない展開に。たしかにこのジョーという人物はほんとに魅力的。そして彼が亡くなったあとに登場する彼の奥さんが話してくれるエピソードがまた、いい。
    これでミランダが現実世界と向き合うようになったというわけではなく、たぶんちょっぴり触れ合い方が変わったんだろう。まあこういうぶっちゃけかたも彼女の描きだす世界の中にあるといえばそうなのだけど。それにしてもここに書かれた人たち、怒らなかったかしらねえ。

  • 感動系?と思いきや、著者が取材相手に容赦ないとこ(すぐ帰りたがったり、もらいたての手作りスイーツをいくらも離れてないガソリンスタンドのごみ箱にぶっこんだり…)がダイスキすぎる。著者が監督した映画もみたい。

  • 『断片的なものの社会学』岸政彦を読んだ後に購入した1冊。一つ一つは何てことない個々人のインタビューの集まりなんだけれど、ぜひ最後まで読んで欲しい。 その全てが愛おしくなる。

  • ペニー・セイバーというフリーペーパーに掲載された広告から、広告掲載主へ取材を申し込み、実際に掲載物やなぜ売ろうと思ったのか、などインタビューをしていくというお話。ネットだけの世界からは出会うことは決してなかっただろう人々の生活、抱えてる問題、夢など、人が好きな著者だからこそできた企画だっただろう。自分が見えている世界だけが世界ではないという当たり前のことを改めて感じさせてくれた本だった。

  • ある映画のメイキング物として設定されたフィクションではないか、という疑念が最後まで抜けず。最後のエピソードもよくある話にしか思えなかった。

  • 映画監督による一般人へのインタビュー集
    フリーペーパーで売られているものが多彩であり
    そしてそれらを売っている人も多彩でした

    映画に出てもらうことになったジョーの良さ、
    著者がとても心を動かされたというところが
    最初はあまり伝わってこなかったのが残念
    ジョーがいなくなってからは彼の良さが伝わってきました

    インタビュー部分よりも著者の独白部分が面白かったかも

全60件中 1 - 25件を表示

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)に関連する談話室の質問

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)を本棚に「積読」で登録しているひと

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)の作品紹介

アメリカの片隅で同じ時代を生きる、ひとりひとりの、忘れがたい輝き。映画の脚本執筆に行き詰まった著者は、フリーペーパーに売買広告を出す人々を訪ね、話を聞いてみた。革ジャン。オタマジャクシ。手製のアート作品。見知らぬ人の家族写真。それぞれの「もの」が、ひとりひとりの生活が、訴えかけてきたこととは。カラー写真満載、『いちばんここに似合う人』の著者による胸を打つインタビュー集。

ツイートする