べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

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制作 : Jhumpa Lahiri  中嶋 浩郎 
  • 新潮社 (2015年9月30日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (136ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901202

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べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)の感想・レビュー・書評

  • イタリア語に魅せられ、イタリアに移住したジュンパ・ラヒリがイタリア語で書いたエッセイ、というので、勝手に、もっと日常的な軽いエッセイを想像していたのだけれど、そういう部分もないわけではないけど、やはりジュンパ・ラヒリなので、軽く読むような感じではなく、一語一語丁寧に読むべき本、といった感じだった。わたしは丁寧に読めなかったな、と自覚があるのでいつか再読したい。。。

    ラヒリが、両親が話すベンガル語と幼少時に習得して今では完璧に身につけた英語と、大人になってから学んだイタリア語のあいだでの苦しみみたいなものが伝わってきた。出自と、欧米人に見えない容姿のせいで、英語もイタリア語も、完璧だとしてもそうは思われず、育ちのせいでベンガル語も完璧とは思われないという。。。

    あんなふうになにかひとつの言語に魅せられるっていうのはどういう感じなのかなあと思う。わたしなんかが英語をマスターできたらいいなとか思うのとはまた違うような気がする。

  • ベンガル語、英語、そしてイタリア語… イタリア語への情熱が印象的。「変身」がよかった。あまりほかに類を見ない、実験的なエッセイ。気まぐれでもあり、自分のアイデンティティを求める旅でもある。書くことや読むことと生きることが不可分な、作家の性というか業というか。とても印象的な本。

  • どうしてイタリア語の習得にそんなに熱心になるのか、最初は理解できずに読みすすめた。(途中で説明してくれたので、そこでわかった)そんな感じで、共感はあまりできないのに、文章には、自然にひきこまれてしまった。そこはラヒリの筆力のなせるわざだろう。
    ことばのはしばしから、ラヒリの謙虚さ、率直さ、ひたむきさが伝わってきて、素敵な方なのだろうなあと思う。
    そして、エッセイとともに収められている短編2編がこれまた秀逸で、うなった。エッセイのテーマとも重なる異国や旅や不在などを描きながら、あらがえない自分の変化と変わらなさを伝えていて、こちらは、すごくよくわかる感覚。エッセイでは、個人的な体験・感覚をひたすら掘り下げているのに、小説(創作)では、それを普遍的なものにしてしまう。やっぱり作家ってすごいよなあ、と感嘆せざるをえませんでした。

  • 『停電の夜に』で、衝撃的なデビューを果たした後も、『その名にちなんで』、『見知らぬ場所』と確実にヒットを飛ばし、つい最近は『低地』で、その成長ぶりを見せつけていたジュンパ・ラヒリ。その彼女がアメリカを捨て、ローマに居を構えていたことを、この本を読んではじめて知った。単に引っ越したというだけではない。英語で書くのもやめてしまい、今はイタリア語で書いているという。ずいぶんと思い切ったことをしたものだ。もちろんこの本もイタリア語で書かれている。もっとも読んでいるのは当然のことながら日本語に訳されたものであるわけなのだが。

    コルカタ生まれの作家の両親はアメリカに来てからも家ではベンガル語を話しつづけた。ロンドン生まれで幼い頃アメリカに渡ったラヒリは、小さいころは両親の使うベンガル語をつかっていたが、幼稚園ではまわりの子とまじって英語を話すことを強制された。ずいぶん居心地の悪い思いをしたことだろう。その当時の気持ちは、ここに所収の言語習得に関する自伝的エッセイにくわしい。しかし、成長するにつれ、英語で話したり書いたりすることがあたりまえになると、今度は両親と話すときにだけつかうベンガル語が疎遠になったと感じるようになる。そのへんの喩えを、メタファーの名手であるラヒリは、実母と継母の喩えを用いて説明している。無論、英語が継母である。

    しかし、この実母と継母は仲が悪かった。コルカタに帰れば、周りはベンガル語を話す人ばかりで、今や英語で書く作家になったラヒリにとって、そこは父母の祖国ではあっても自分の祖国という気にはなれない。では、アメリカが祖国かといえば、それもちがう。そのあたりのことを作家はこう書いている。

    「ある特定の場所に属していない者は、実はどこにも帰ることができない。亡命と帰還という概念は、当然その原点となる祖国を必要とする。祖国も真の母国語も持たないわたしは、世界を、そして机の上をさまよっている。最後に気づくのは、ほんとうの亡命とはまったく違うものだということだ。わたしは亡命という定義からも遠ざけられている。」

    そう感じる作家には、「べつの言葉」が必要だった。しかし、イタリア語との出会いはそんなふうに理詰めに進んだわけではない。その美しい出会いについては、本文中に、時系列に沿って、水泳や雷の一撃といった的確かつ美的なメタファーを使用しながら詳しく書かれている。すごい美人ではあるが、どうみてもオリエンタルな印象を与える彼女の外貌のせいで、買い物をした店でイタリア語の発音の流暢さを、スペイン語訛りのイタリア語を話す夫に負けてしまう悔しさなど、笑ってはいけないのだが、つい笑ってしまうようなエピソードもまじえながら。

    いくら好きでもラヒリがイタリア人でないのはその外見だけではない。歴史や土地との結びつきそのものがネイティブとは決定的にちがうのだ。パヴェーゼが『ホメロス』の訳について書いている書簡の内容に触れて、その深さ、広さに到底追いつくことのできない限界を感じながら、それでも言葉を覚えはじめたばかりの少女のように、目を輝かせて、新しい世界に飛び込んでゆくことの感動を語るジュンパ・ラヒリにまぶしいほどの感動を覚えずにはいられない。それと同時に、人間というものと言葉との結びつきの深さにも今一度再考させられた。

    「小さいころからわたしは、自分の不完全さを忘れるため、人生の背景に身を隠すために書いている。ある意味では、書くことは不完全さへの長期にわたるオマージュなのだ。一冊の本は一人の人間と同様、その創造中はずっと不完全で未完成なものだ。人は妊娠期間の末に生まれ、それから成長する。しかし、わたしは本が生きているのはそれを書いている間だけだと考える。そのあと、少なくともわたしにとっては、死んでしまう」

    このような深い省... 続きを読む

  • インド系アメリカ人の著者がイタリア語を学ぶこと通じ、マイノリティーの人生を語るエッセイ。

    額縁の中の空白をうめるのが彼女の創作の源泉か。

  • ベンガル人の両親のもとロンドンで生まれ幼い頃に渡米しているジュンパ・ラヒリの中には、両親から受け継がれたベンガル語と、完璧に話すことができる英語という二つの言語が流れています。

    とりわけ彼女にとっての英語は作家としての成功へと導いてくれた言語でもありますが、彼女の物語の中で、他の国のルーツを持つ人の内面、かすかで繊細なやりとりなどが空気感を含めて描写されていることからもわかるように、この二つの言語は、彼女自身が内外に感じる所在なさ、存在としての不安を強く意識させるものでもあったようです。

    『べつの言葉で』は、そんな思いを抱えていた彼女が初めてフィレンツェを訪れて以来恋い慕い、20年間学び続けたイタリア語で紡いだエッセイであり、アメリカを去ってイタリアで出会った人や風景、何より自ら「泳ぐこと」を選んだイタリア語への、湿度さえ感じられるような慕情で埋め尽くされています。

    単調な紀行文に染まらず、短い文章ながらも(新しい言語でものを語ることの難しさは、本書にも丁寧に綴られています)落ち着いた速度で読み進められたのは、自身にとっての新しい海であるイタリア語でベースにある二つの言語への思いを並べ、その工程で生じる「(自分で感じてきた)不完全」が彼女にもたらすそれぞれの違いを素直で平明な言葉で表現する、という、まるで建物の断面を思わせるような構成のせいだと感じます。

    彼女の初めての長編『低地』は、読書に夢中になる気持ちを思い出させてくれた作品でした。

    このエッセイや今までの作品はもとより、インタビューを読んでも強く余韻を残すのは、彼女の人生に対する静かな視線と、誠実さです。
    彼女はイタリアのことを「居心地がいい」と表現していますが、彼女の筆致は、私にも同じ言葉を連想させてくれます。

  • 「停電の夜」などの作品を書いた著者が、英語を捨てアメリカからイタリア・ローマへ移住。完ぺきではないイタリア語で日常生活も仕事にも臨んでいく日々をイタリア語でつづる。もちろん日本語に訳してありますが。
    同じアメリカ人でありながら、スペイン語に堪能なご主人のイタリア語は、勉強には不熱心なのにインド系のアメリカ人である著者よりうまくネイティブのように聞こえるらしい。

    著者の決断の深いところは、よくわからなかったけどすごい決断だなあ。

  • 両親の話す言葉・ベンガル語、幼少期以降に長年生活したアメリカの母国語である英語、そして自発的に選んだイタリア語。
    言語の中で揺れながら自己を探し見つめ、表現への道を模索しつづけた著者によるエッセイ。

    外国語を身のうちに取り込む歓び、楽しさ、難しさ、もどかしさ、切なさが詰まっている作品だった。
    イタリア語→日本語の翻訳文からも伝わる、メタファーや文章の秀逸さ美しさ、様々な言語体験による思考の多様さ。
    言葉に向き合い続けた人の文章はこんなにも美しい。

    言語と自分の思考やアイデンティティーは切り離せないもの。
    外国語を知ることで自国語をより理解し、手放したものとして客観的にみることができるのだなあと改めて感じた。
    ある意味外国語の習得は一つの客観性の習得でもあるのだ。

    図書館で手にしたけど「イタリアの小説」に分類されていた。
    自発的に選び取った言語・イタリア語でこの作品を描いた著者のラリヒさん。どの言語にも安息を見出だせなかったラリヒさん。この分類についてはどう感じるのだろう。聞いてみたい。

  • 新しい言語によって、母国語からも継母の言葉からも自由になる、というのが興味深かった。私が外国語を学び続けているのも、もしかしたら、母国語、親からの束縛を離れ自分自身を自由に獲得したい、という気持ちの現れなのかもしれない。

  • ずっと評判を聞きながら、読まずにきてしまったラヒリの最初の1冊がこれ。順序を間違ったかもしれないけど、内的な衝動とそれを持続させる自問自答がすごいと思った。丹念にノートをとり、単語を復習し、練習問題をこなし、自分で書いてはそれを先生に直してもらい……。こんなにもていねいに外国語と向き合ったことがあるかな(いや、ない)と思わず我が身を振り返ってしまった。
    日本人は、「(そこそこ)読めるし(英作文も)書けるけど、話せない」というふうに、「会話」を外国語修得の頂点に置きがちだけど、じつは「ネイティブのように書く」のが一番難しいんじゃないかと最近うすうす思っていた。そうしたらラヒリがイタリア語でが物語を書くにいたったことを記すなかにこんな一節が。
    「もうかなり上手にイタリア語がしゃべれるようになってはいるが、話し言葉は助けにならない。会話は一種の共同作業を伴うもので、多くの場合、そこには許しの行為が含まれる。話すとき、わたしはまちがえるかもしれないが、何とか相手に自分の考えを伝えることができる。ページの上ではわたしは一人ぼっちだ。より厳格で、とらえることが難しい独自の論理を持つ書き言葉に比べれば、話し言葉は控えの間のようなものだ」(p.43)
    厳密な意味での母国語ではない英語を逃れ、新しい自分を見いだすため、難行に挑もうとしているラヒリは、すごいなあ。やっぱりこれまでの作品を読まないとね。

  • 著者は、自分の不確かな源を探しながら、新しい言語であるイタリア語を学ぶ。そして驚くべくことに、それで本を書いてしまう。読み進めるうちに、だんだんと文章が上達しているのが感じられる。
    エッセイということだったので、イタリアでの生活を紹介してあるのかと思っていたけど、作家としての言葉の、書くことの重要性や創造への情熱が語られ、胸が熱くなった。

  • 西加奈子か誰かが勧めていて。前半ピンとこなかったけど後半グイグイきた。幼稚園時代を思い出した。

  • 自分が探していた何かが見つかった。今まで自分でそれを探していたことにすら気がつかなかったけれど、見つけて初めて、こんがらかっていたホースがピンとなった。今、その中を水が通っている感じがする。素敵だ。

  • ベンガル語,英語,イタリア語の三角形の中で言語活動を継続しているラヒリ.凄い! イタリア語にのめりこんでいく過程が面白い.イタリア語をかなり使える自信を持っているのに,イタリア人に受け入れてもらえない葛藤を描いた「壁」が良かった.May I help you? にがっくり来る.分かるな,その感じ.

  • 表題は「別の言語で」の意味。
    小川高義訳でないのにピンと来るべきだったかな。
    ベケットやナボコフやコンラッドに謙遜してみせても謙遜になってない気がするが、普通の白人の外見を持つ夫(南部の出身か?スペイン語バリバリ)が、チャラっと学んだだけのイタリア語で褒められるのに、インド人の外見を持つ自分は、20年イタリア語を学んだ実績があっても"May I help you?"と話しかけられる、とイラつくところはグッと可愛い。また、近過去と半過去に混乱するのは、イタリア語をかじった身には大いに共感できるところ。
    ま、余り軽やかさは感じられない芸風のラヒリがなんで敢えてイタリア語?と思わんではないが、惚れちゃったらしいです。

  • 私には日本語という確固とした母国語があり、日本人で日本に生まれ育っているので、彼女とは環境も背景も全く異なるのだけれど、大人になってからフランスでフランス語を学び、更に英語を学んだ経験があるので、共感できるところもあり、興味深く読んだ。これまで彼女の小説が好きでずっと読んできたけれど、今回のエッセイでは小説から伝わってきたもの以上に彼女の抱えるものが直接的に伝わってきた。

  • 外国語を勉強している時に感じる情熱や疎外感を思い出した。使いたい時に逃げてしまい、わたしの記憶に逆らう頑固な単語。それでいて説明がつかないほどの親近感を覚え、わたしの奥深くを揺さぶる。著者の第一言語であり、それに依存し、それによって作家となった英語から離れ、イタリア語に専念しようとする衝動はどこから来たか? それは不完全さや不自由さにあるという。自分と一体化できる言語を欠くという不完全さが刺激をもたらし、創造性に手がかりを与え、かえって自由を感じさせる。新たなアプローチは、それほど驚きに満ちた経験だった。

    翻訳で読む限り、著者のこの新たなアプローチは感じ取れないかと思っていたが、そんなことはなかった。掌編を読む限り、まるで別人のような、新たな作家に生まれ変わったかのようだ。もちろんイタリア語で読めば、本書はもっと別の顔を見せるはずだ。エッセイでは状況説明を豊富にするため、メタファーが多用される。小さな湖を泳いで渡るというメタファー、鏡としての言葉のメタファー、母親のメタファーなどである。

  • とことん深く「読んだ」文章を、言葉を選び、ふるいにかけて「べつの言葉」に置き換える、それが「翻訳」するということ。
    著者は「翻訳することは何かを読む最も深く内面的な方法」だと言う。
    拙かったり、ちょっとした間違いもあるイタリア語の文章。そのニュアンスを美しく簡潔、作者らしい日本語の言葉に校正、翻訳する。
    気が遠くなるような仕事のおかげで、この作者の内面に日本語で触れることができる。

    幸せな読書体験でした。

  • 母語であるベンガル語でも、これまで自由に使いこなしてきた英語でもなく、自らの意志で習い覚えたイタリア語で書いたエッセイと短編2編。英語でさえ習得できなかった私にはよく分からないけれど、家庭では親がベンガル語で話し、外では皆と違うと思われないよう英語を完璧にマスターするラヒリが、どちらも本当の自分の言葉と思えない心境は少し想像できる。押し付けられたものでなく、自ら選んだというところが大事なのかな。夫よりも上手にイタリア語を話せるのに、外見のせいで夫の方がイタリア人に見られるごとに憤慨するラヒリが切ない。

  •  ベンガル人の両親をもつアメリカ育ちの成功した作家が、アメリカからイタリアに移住して、イタリア語、つまり「べつの言葉で」作品を書く――興味深くはあるものの、なぜそんなことをするのだろう?

     それはどうやら、イタリア語への愛情に加えて、変化への希求が関係しているらしい。ジュンパ・ラヒリは変わりつづけることにこだわっており、人間としても作家としても自分を変えたい、との思いが原動力のひとつになったようだ。とかく変化を嫌ったという母親とは対照的だ。
     アメリカからイタリアに移住するのは、イタリア語を身につけるためであり、生きかたを変えるためでもある。考えようによっては、両親の移民としての人生をたどる形にもなっていて、そこがまたおもしろい。
     「べつの言葉」への傾倒は、著者のなかで長くつづいてきた、ベンガル語と英語の対立ともかかわっている。両親の言語で「母」たるベンガル語。生まれ育った土地の言語で「継母」たる英語。どちらからも離れて、新たな言語を自分の意志で学ぶのは、要するに自立の道なのだ。

     書くこと、なかでも書いたものを徹底的に推敲することは、内省的な行為だ。曖昧だったことが明瞭になり、知ったつもりになっていたことを、どれほど知らなかったのか知るきっかけになる。
     新しい言語の勉強にうちこみ、その言葉で表現することもまた、内省的な行為だろう。第一言語以外では、修辞による際限のない粉飾も難しくなる。堪能でないがゆえにより直截な物言いしかできず、それが結果的に身も蓋もない明快さにつながり、自分がじっさいに何を主張しているのか明々白々になるはずだ。自らのレトリックにほかでもない自分自身がごまかされる、なんてこともなくなるだろう。あるいは第一言語ではないからこそ、率直に言えることだってあるかもしれない。

     表現しようと苦心すること、とりわけ新たな言語でそうすることは、自身のなかのさまざまなことをあきらかにする。これまでは見えなかった一面、新しい自分が顔を出すといってもいい。その意味で「べつの言葉」の習得とは、一種の変身なのだろう。

  • 子供時代から、家では両親の話すベンガル語、外では英語を使ってきた彼女が20年間イタリア語を勉強してきてついにはローマに移住し、初めてイタリア語で書いたというエッセイ。

    おもしろかった。「三角形」と「変身」のあたりがとくに。

    最近英語を勉強し始めたわたしにとって、「べつの言葉」を学ぶという内容はなかなかタイムリーでした。
    ベンガル語にも英語にもアイデンティファイすることができず、イタリア語という縁もゆかりもない第三の言語の習得によりその空白を埋めようとするというのは日本人にはなかなか理解しがたいけど、わたしは何となくわかるような気がした。
    ルーツは大分県で、三重県の四日市と横浜で育ったけど、どちらにもアイデンティファイすることができない感じ。規模はぜんぜん違うけど、根っこを求めるところはわかるような気がする。
    こういうテーマに弱いというか興味があるなあ。

    去年「流」で直木賞を受賞した東山彰良さんも、ルーツを求めていたけれど、結局今の家族が根っこということなんじゃないか、みたいなことを言っているのを新聞か何かで読んで、すっと腑に落ちたのでした。
    わたしも今の家族が自分の居場所なんだ、って。それでいいんだって。


    以下は引用。

    「三角形」より(p96)
    「わたしは二つの言語のどちらとも一体になれなかった。一つはいつももう一つのうしろに隠れていたが、完全に隠れることは決してなかった。満月がほとんど一晩中厚い雲のうしろに隠れていて、突然まぶしい姿を現すことがあるように。家族とはベンガル語しか話さなかったが、路上や本のページの中など、あたりにはいつでも英語があった。別の言い方をすれば、毎日教室で何時間も英語で話したあと、英語のない場所である家に帰るのだった。どちらの言語もとても上手に話さなければいけないことはよく承知していた。一つは両親を満足させるため、もう一つはアメリカで生き残るために。わたしはこの二つの言語の間で迷い、苦悩していた。二つの言語を行ったり来たりすることで混乱していた。自分では解決できない矛盾のように思われた。」

    「わたしの家族にとって、英語は染まりたくない他国文化を象徴していた。ベンガル語はわたしの中の両親に属している部分、アメリカに属していない部分の象徴だった。学校の先生も友だちも、誰一人わたしがほかの言語を話すことに関心を示さなかった。そのことを誰も評価してくれなかったし、わたしに何もたずねなかった。そんなわたしの部分、そんな能力などまるで存在しないかのように、興味がなかったのだ。両親にとっての英語と同じように、わたしが小さいころから知っているアメリカ人にとっては、ベンガル語は遠方の、えたいの知れない怪しげな文化の象徴だった。いや、実は彼らにとっては何の象徴でもなかったのだろう。英語をよく知っていた両親とは違い、アメリカ人はわたしたちが家で話している言語についてまったく無知だった。彼らにとって、ベンガル語はあっさり無視できるものだったのだ。」

    なるほど、これはなかなかに辛い状況だろうと容易に推察できる。
    この二つの言語は仲が悪い。どちらかと仲良くすれば、どちらかが嫌な顔をする。
    しかし英語ともベンガル語とも仲良くしなくてはならない。自分自身が二つに裂かれるような苦しい状況。
    そこに現れたのが第三の言語、イタリア語というわけだ。

    (p99)
    イタリア語を勉強するのは、わたしの人生における英語とベンガル語の長い対立から逃れることだと思う。母も継母も拒否すること。自立した道だ。


    「変身」より
    (p103)
    「このエッセイを書きはじめる少し前、ローマの友人で作家のドメニコ・スタルノーネから一通のメールを受け取った。(略)「新しい言語は新しい人生のようなもので、文法とシンタックスがあなたを作り変えてくれます。別の論理、別の... 続きを読む

  • 書店で手にした時、翻訳者が変わっていて「あれ!?」と思ったら、著者はアメリカからローマへ移住して、イタリア語でこの本を書いたと知って驚きました。
    エッセイでは、そんな著者の心情が語られています。
    同時収録されている短編2作では、現在の著者の心情を写しつつ、やはり著者らしく、でも今までとはどこか違った味わいの作品でした。

  • ラヒリこう来たか、と驚く一冊。インド系米国作家枠からの逸脱は、前作の「低地」でその片鱗を見せていたが、今やイタリアに移り住みイタリア語で書いている。本書には、イタリア語(=べつの言葉)で書くこと自体についての断想が収められている。新たな言語に恋し、夢中で取組み、違和感に立ち向かう、イタリア語に対してのラブレターかつ決意表明のようだ。
    ラヒリの言語感覚は、一般の日本人とはずいぶん異なっているようだ。最初に身に着いたのは両親の喋るベンガル語で英語は後付けで最初は違和感が大きかったが、米国社会で成長するに伴い、英語が主要言語になっていく。ベンガル語は読み書きが完全にはできない。英語は自在に操れるが、完全に母語とはいえない。その二つの言葉は相性が悪いと感じる。イタリア語は、そんなラヒリが自ら選んで学んだ言葉だ。英語がイタリア語の学習を助け、ベンガル語が発音を助ける。作家は、3つの言葉のトライアングルにおいて、ようやく居心地が良く解放されたと感じている。
    作家として、第三の言語で書くとは大きな決断だ。ラヒリのヴォイスは失われないだろうが、次にはまったく異なる「イタリア語小説」を読ませてくれるのだろう。

  • 考えようによってはジュンパ・ラヒリの新作はこれまでと趣が全く異なるとも言えるし、これまで通りだとも言える。異なるのは何より書かれた言語の違いだけではなく、小説という様式ではなくエッセイという語りかけの方法を選んだこと。同じなのは、ジュンパ・ラヒリがこれまで書いてきた主題である二つの異なる文化の隙間に落ち込んで自己同一性の確信を持てないことに対する思い。誰かが悪いという訳ではないことは理性では解っていても、拳を振り上げたくなる感情は否定できない。よしんば降り下ろす先が無いことが分かっていたとしても。

    ジュンパ・ラヒリがイタリアに移住し執筆をしているということは「低地」のあとがきで知らされていたし、次回作は異なる趣となると予告されてもいたので、遂にジュンパ・ラヒリも彼女自身の内に抱え込んでいた二つの故郷の間を往き来する振り子のテーマについては大部の「低地」で書き切り、異なるテーマを採用するのかと、実は本の少しだけ勝手に残念に思っていた。その勝手な思い込みはよい意味で裏切られた。ジュンパ・ラヒリは、書きたいことを虚構を通して投影するという間接的なやり方ではなく、直接自身の言葉で語る道を選んだのだ。しかしややこしいのは、自身の言葉で、といいながら、今度は自然に操れる言語ではない、第三の言葉でそれを表現していること。虚構というベールではないけれど、内に抱え込んだ葛藤は、やはり一枚薄皮を被ってしかさらけ出せないことの証明であるようにも思う。但し、別の言葉で書くと言いたいことをより直接的に表現し勝ちだと作家が述べているところに、何故、に対する答えはあるのかも知れないとも思うけれど。

    一方で、より表層的なことではあるものの、ジュンパ・ラヒリが扱う言葉を変えて書くことによって産み出される違いは、英語と伊語の両方に堪能でなければ本当には味わえないのだろうと思うと、追いかけても決して辿り着かない虹のふもとを自分は追い求めているという絶望的な思いも湧く。せめてもの救いは、翻訳者に付随する日本語の表現の差異を日本語を理解するモノとしては辛うじて感じられること。そのことによって、同じ主題を聴きながら異なる音楽の響きを耳にしたような擬似的な体験を追従することができる。小川さんの翻訳なくしてジュンパ・ラヒリの小説に耽ることは叶わないように、イタリア語の響きのするジュンパ・ラヒリは、今後中嶋さんなしにはあり得なくなるのかという予感に捉われる。

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べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)の作品紹介

「わたしにとってイタリア語は救いだった」ローマでの暮らしをイタリア語で綴るエッセイ。子供時代から、家では両親の話すベンガル語、外では英語と、相容れない二つのことばを使い分けて育ったラヒリ。第三の言語、イタリア語と出会ってから二十余年。ついにラヒリは家族を伴いローマに移住する。初めての異国暮らしを、イタリア語と格闘しながら綴ったひたむきなエッセイ。イタリア語で書かれた掌篇二篇も付す。

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