すべての見えない光 (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (526ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901295

作品紹介・あらすじ

ラジオから聞こえる懐かしい声が、若いドイツ兵と盲目の少女の心をつなぐ。ピュリツァー賞受賞作。孤児院で幼い日を過ごし、ナチスドイツの技術兵となった少年。パリの博物館に勤める父のもとで育った、目の見えない少女。戦時下のフランス、サン・マロでの、二人の短い邂逅。そして彼らの運命を動かす伝説のダイヤモンド――。時代に翻弄される人々の苦闘を、彼らを包む自然の荘厳さとともに、温かな筆致で繊細に描く感動巨篇。

感想・レビュー・書評

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  • ナチスドイツの技術兵となった少年と、パリの博物館に勤める父のもとで育った目の見えない少女をラジオがつなぐ。戦時下のフランス、サン・マロで交差する二人、つかの間の邂逅。

    マネック夫人の気骨。エティエンヌの愛情。ヴェルナーの迷いと決断に至るまで。ユッタに襲いかかる暴力。父親を待ち続けるマリー。
    ずっと気になりつつ、なんとなく、読めずにいたのだが、、読んでよかったとおもう。

    アメリカ人である作者がなぜという疑問があったのだが、訳者あとがきに、この物語を書くことになった経緯が書かれている。

    フレデリックが、キセキレイを見て、ヴェルナーに話す場面が印象に残っている。
    ”たいした鳥に見えないだろ。せいぜい五十グラムちょっとの、羽毛と骨の塊だ。でも、あの鳥はアフリカまで飛んで戻ってくる。虫と、ミミズと、欲望に動かされて。”
    “千年前。あの鳥は何百万羽もここを通っていった。この場所が庭だったとき、端から端まで果てしないひとつの庭園だったとき”

  • Twitterなどで流れてくる本書の感想に、ときどき「読み終わるのが惜しい」という言葉を見たが、たしかに読み終えるのが惜しい、けれど読み進められずにはいられない本だった。
    「物語の力」という言葉はよく聞くけれど、これこそがその力なのだろう。
     父親や周囲の大人たちに深く愛され、盲目ながら世の中というものを信頼しているフランス人の少女。両親に先立たたれ貧しい孤児院に身を寄せながら、同じく院の先生と妹からの愛をよりどころに、厳しい軍事訓練を耐えて前線に出るドイツの少年。
     彼らにはどうしようもないところで誰かが始めた戦争が、じりじりとそれぞれの生活を侵食していく。
     接点などないはずの二人が、いつどうやって出会うことになるのか、そこまでの道のりを、私たちは時に息をのみ、小さな喜びにほほえみ、そして涙しながら一緒にたどる。
     ページをめくるだけの私の指先にも、盲目のマリー・ロールが感知するにおいを、感触を、空気の動きを察知させるその文章の見事さよ。
     彼女を疎開先で受け入れるマダムが素敵だ。物資の少ない戦時下で手に入るもので美味しい何かをこしらえては、近所の弱った人たちに配り歩く。不安に震えるマリー・ロールの顔を温かな両手ではさみこむ。想像の中で、昔むかし私が下宿していたリスボンの大家さんが彼女の姿に重なる。
     戦場ゆえのつらくむごい場面も容赦ない描写で私たちに見せるし、決して大団円のストーリーでもない。それでも温かなものが胸に深く残るのは、人の善意のうつくしさと尊さをゆるぎなく伝えているからに違いない。

  • 「エティエンヌ、知っていますかね」マネック夫人は台所の反対側から言う。
    「沸いているお湯にカエルを入れたらどうなるか」
    「答えを教えてもらえるわけだな」
    「カエルは飛びでてくるんですよ。だけど、冷たい水の鍋にカエルを入れて、ゆっくりと沸かしていったらどうなるか知っていますか?そのときどうなるか?」
    マリー=ロールは待つ。ジャガイモから湯気が出る。
    マネック夫人は言う。「カエルは煮えるんですよ」

  • 先に読んだ短篇集『記憶に残っていること』で初めてアンソニー・ドーアという作家の存在を知った。記憶に誤りがなければ、自然に対する畏敬のようなものを感じさせる作品を書く作家との印象を持ったが、それから間もなく彼が書いた本書のレビューの評価が高いことを知り読み始めた。

    盲目の少女が戦時下をどのようにして生き抜くのか、最初の数ページでは不安で重苦しいストーリー展開を想像したが、全くの杞憂。周囲の大人達の愛情溢れる暖かい支えに、五感を使って前向きで好奇心旺盛な少女へと成長していく過程は、少女の将来を思い描かさせてくれる。

    対称的にドイツの少年兵は、戦争が大義名分のため人間を変えていく世界を生きる。選民思想の危うさや、人間が潜在的に持っているだろう自己保身のための弱い者いじめなど、人間の負の本質をついているゾットする表現もあり、後に少年兵の妹ユッタが当時のドイツの人々の感情を代表して描かれたところも興味深かった。

    ただ私自身、第二次世界大戦下のフィクションである本作に、作者は何処まで事実に基づいて表現しているのか、という点を気にしながら読み続けてしまった。読み終えた直後、向井和美氏著『読書会という幸福』のあとがきだったか、『テヘランでロリータを読む』の一節を引用する形で「どんなことがあっても、フィクションを現実の複製と見なすようなまねをしてフィクションを貶めてはならない。私たちがフィクションの中に求めるのは現実ではなくむしろ真実があらわになる瞬間である」そう、これこそが文学の力だ。… というくだりにハッとした。今後も肝に銘じ読書しなければと痛感した。

    ともあれ、著者の詩情豊かで印象派の作品を想い起こさせるような文章や、ラジオを通して少女と少年兵が一瞬邂逅する演出のための巧みな構成、涙が出るほど美しい光の世界を感じさせる表現に、深く心揺さぶられた。第二次世界大戦下という悲惨な時代背景の物語だが、絶望的なものにしない。 本書はあらゆる人にお勧めしたい本です。

  • 戦争ものってなんでもお決まりの「悲惨さ」に集約される気がして正直あまり好きではないんだけど、これはすごく良かった。細かい章分けがなされ、目の見えないフランスの少女と、数学や工学に熱中するドイツの孤児の少年の話が同時に進んでいく。連合軍の激しい攻撃を受ける町へ二人が(別々に)いる、という未来が最初に提示されてから、そこに至るまでの二人の運命、砲撃や空爆を受ける町で二人が懸命に生きようとする様子が交互に、切れ切れに進んでいくのだ。二人の運命を手繰るのは、「見えない光」であるラジオで受信する電波信号だ。少女の父親の作る精巧な細工付きの家と町の模型が作中には出てくるが、まさにそのように時系列も場所もバラバラな文章の断片が巧みに組み合わされていて、続きが気になって読むのがやめられずにほとんど一気に読み切ってしまった。このような構成でストレスなく読めるのもすごい。登場人物たち一人ひとりの仕草がリアルに浮かんでくるような重い存在感が、物語を支える。
    何より好きなのは、たんたんとして抑制された文章でありながら、自然科学への憧憬と知識に裏付けされた静かな美しさが小説に満ちていることだ。盲目の少女の世界は、におい、触覚、様々な音でいっぱいだ。本で読んだ海の世界を夢見て、危険を冒して毎日、大好きな巻貝がたくさんいる小さな洞窟へ通う。少年の興味は、科学的な光、機械、数学へと向かっている。全くの暗闇にいる脳が、光に満ちた世界を作り出す。数学的には、光はすべて目に見えない。ラジオで聞いた美しく印象的な言葉たちが、少年をやがては戦場へと導く。
    「目を開けて、その目が永遠に閉じてしまう前に、できるかぎりのものを見ておくんだ」
    このフレーズが何度も作中でリフレインする。そう、できるかぎりのものを見たいし知りたい、と私も思う。そうして鳥の観察にふけっていた少年の親友には悲惨な末路が待ってはいたが。自然であろうと化学であろうと、美しいものはいつでも目の前にあふれているのだし、その見えない光を捕まえるのは私たちの目であり、耳であり、心なのだ。ハッピーエンドというわけではないが、あの作中の宝石が心に沈んでちらちらとその炎を燃やし続けているような、いい読後感のある小説だった。

  • 様々な場面の重なり方が本当に美しい。重く苦しい場面が多いけど、静かで澄んだ文章に引き込まれるようにページを捲り、特に後半は一気に読み切ってしまった。読み応えがある本。
    少年と少女の邂逅はほんの一瞬で、でもそれは雲の切れ間から一瞬差し込む光のような美しさ。

  • 短編小説が積み重なったように綴られる、静かな物語である。
    物語の主な舞台は第二次大戦下のフランスの港町、サン・マロ。
    戦火で壊滅状態になった街にわずかに残った建物の屋根裏で、盲目の少女が息を潜めている。パリから逃れてきた彼女は、今、ひとりぼっちだった。階下に侵入者がやってくる音がする。見つかったら命はない。
    一方、別の建物、<蜂のホテル>の地下室には、生き埋めになった若いドイツ軍兵士がいた。年若いが利発な彼は、機械を扱う能力を買われ、国家政治教育学校から軍に送られていた。孤児としては異例の「出世」だった。爆撃のために仲間と閉じ込められ、出口は見つからない。このまま飢え死にするのを待つしかないのか。
    およそ異なる境遇の2人の間に、無線の音声が行き交う。その発信器は、奇しくも、遥か以前から、少女と兵士をつないでいたものだった。

    物語をつなぐもう1つのものは、「炎の海」と呼ばれるダイヤモンドである。海のように鮮やかな青だが、中心がわずかに赤味を帯び、しずくに炎を宿したように見える。その宝石には不思議な伝説があった。宝石を手にする者は永遠に生きるが、それを持っている限り、持ち主の身近な人々の身には禍が訪れる。博物館に静かに眠る貴石は、戦禍を逃れることが出来るのか。

    少女と兵士の過去・現在と物語は行きつ戻りつし、あるいはパリに、あるいはドイツの炭坑地に、あるいはまたサン・マロにと飛ぶ。ときには彼女の、ときには彼の小さなエピソードは、それ自体が短編小説のようでもあり、詩のようでもある。
    優しい父、生真面目な妹、博物館の職員、孤児院の先生、先の大戦で心を病んだ大叔父、癌に体を蝕まれ宝石を追う将校、レジスタンス活動に身を捧げる市民、鳥を愛する心優しい少年、脂ぎった香料商、ラジオから流れる謎の「先生」の声。
    少女と兵士に関わるさまざまな登場人物が物語を紡いでいく。
    大半が現在形で書かれた物語は、戦争の破壊をさえ静謐に描き、深い郷愁を誘い、悲しみを湛える。

    少女と兵士はサン・マロで出会うことができるのか。

    すべてが過ぎ去り、記憶を持つ者もいずれ消える。
    けれどどこかに、その気配は残る。
    美しい、静かな強い物語である。

  • 第二次世界大戦末期のお話。ドイツ少年兵のヴェルナーとフランスの少女マリーが戦争に翻弄され家族と離れても必死に生きていく話。物語終盤で、生き残った人達の邂逅も描かれています。
    本も分厚かったけど、その厚さにふさわしい大河ドラマでした。戦争は何というか、戦争しようと思った人だけが人に迷惑をかけない場所と規模で勝手にやるべきで、その他の未来ある若者や一般市民を巻き込むべきでないと痛切に思いました。
    読後感が切なすぎて、この本を手元に置いておくかどうか迷う。でも何年かしたらまた読みたくなるかもしれません。

  • ナチスによる侵略が始まり、パリを離れ、父親と共にサン・マロの叔父エティエンヌの家に逃げてきた盲目の少女マリー=ロール。
    父親は、勤めていた博物館から、『炎の海』という伝説の石を隠し持たされていた。それが本物であるのか、ダミーであるのかも知らされていない。

    ドイツ、ツォルフェアイン。妹と共に孤児院で育った少年ヴェルナーは、父親を炭鉱の事故で亡くしている。
    この町にいる限り貧しい家の男の子はみな、大人になったら炭鉱ではたらくことになるだろう。
    でも、ヴェルナーには才能があった。

    フランスとドイツ、彼らを繋いだのはラジオ。

    物語は、1944年の夏と
    彼らがまだ子どもだった1934年、ヴェルナーが国歌政治教育学校に入り、マリー=ロールがパリを逃れた1940年、それらの年代を行き来しながら進んでいく。

    悲しい描写を避けるとして、私が心打たれたのはサン・マロの叔父エティエンヌの存在。彼は先の戦争の後精神を病み、家から1歩も出られない。街の人からは狂人扱いされている。
    でも、一番まともな神経を持ち合わせ、マリーを愛を持って迎え入れた人だった。マリーに音楽や本を与え、父親がパリへ発った後も彼女の保護者として守ってくれた。

    そのエティエンヌの世話をする家政婦マネック夫人も素晴らしい人!
    彼女と街の女たちの行動力には本当に励まされ、夢を見させてもらいました。「奴ら(ドイツ人ども)の世界を動かしているのは私らだよ」といって、女たちで何かしようと企む。そしてそれは本当に小さなことから危険なラジオの暗号放送まで、《老婦人レジスタンス団》により、実行に移されたのです。
    その最初の1歩が、本当に洒落ていた。5フラン紙幣に〈今こそ自由フランスを〉と書く。それを使うことで、ささやかなメッセージが、ブルターニュ中に広がると。

    不思議な石の力のせいなのか、運命は引き寄せられていきます。

    暗い影も。ドイツ人上級曹長フォン・ルンペルは、『炎の海』を探している。

    ヴェルナーの妹の正義、マリーを励ましたたジュール・ヴェルヌの本、『海底二万里』盲目の娘への父の愛。鍵。
    どれも詩のようでした。

    ヴェルナーの忘れられないことば、
    「もう何年も生きていない。でも、今日は違う。今日はそうした(自分の人生を生きた)かもしれない」

    作者のアンソニー・ドーアはアメリカ人。サン・マロを訪れたときに、この町がアメリカ軍の爆撃で破壊されたことを知り、この町を舞台に小説を書くことになったようです。
    アメリカの目を通して描かれたことがこの物語を公平にしている、つまり、ドイツ人もフランス人もユダヤ人も同じ心を持った人間だということを描いているけれど…
    ロシア人の描き方だけは否定的だったように私には写りました。皮肉なことです。

    今この小説をよむのはかなりつらかったですが、私もヴェルヌを読みたくなりましたし、
    サン・マロのおばちゃんたちみたいに、私にも何かできることないかしらと、考えました。

    日本版の装幀が素敵ですが、戦争写真家のロバート・キャパの写真だというのは、もちろん偶然ではないですよね…。

  • ストーリーとしてはありふれた域を出ていない気がするし、果たして宝石は必要だったのかと思わないでもない。
    ではあるが、科学に深い興味を抱くドイツの孤児の少年ヴェルナーとフランスの盲目の少女マリー=ロールが、戦争の苛酷な潮流に翻弄される境遇を断片を積み重ねるかのような手法で追い、やがてドイツ占領下のフランス、サン・マロの町でのほんの束の間の交感に収斂させる展開には脱帽。
    対象と距離を置いた叙述は気安い共感や同情を抑制させるが、それでもヴェルナーとユッタの兄妹には視界が滲んだし、静かに胸に打ち寄せてくる。
    細部への行き届いた描写、鳥や貝、小さな生き物達への眼差し、草花、風や光、海辺の町やドイツの寒々しい鉱山町、その空気感が素晴らしい。
    何というか、映像的、映画的な小説に感じられた。

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