ジュリエット (Shinchosha CREST BOOKS)

  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (445ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105901318

作品紹介・あらすじ

海で死んだ夫。突然姿を消した二十歳の娘。届かない互いの思いを描く連作短篇を巨匠アルモドバル監督が映画化! ジュリエットという一人の女を主人公に、行きずりの出会い、妊娠と結婚、夫の死、そして母娘の愛と確執を描く連作三篇を中心に、人生の不可解をそのまま投げだすような、ビターでサスペンスフルなマンロー円熟期の短篇集。傑作揃いのマンロー作品のなかでも特筆すべき連作を、長年の愛読者であるアルモドバルがついに映画化。

感想・レビュー・書評

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  • 再読
    やっぱりアリス・マンローの短篇集のなかで一番好きだな。人生の岐路。予想外の展開と着地点。普通の人々、だが、その人生の不可思議さ。

    「チャンス」「すぐに」「沈黙」
    マンロー版、女の一生ともいえるジュリエット三部作。同じ人物とは思えないような。人生は真っ直ぐではないんだなと思わせる。

    予想外の展開、再読してもラストの解釈に答えが出ない「家出」、人生を変えるきっかけとなった出来事を回想する「情熱」、陳腐な設定、ともいえるが、ラストの心情の描写にぐっときた「トリック」このあたりが特によかった。
    「罪」は、この中では唯一、読後感が悪かった。「パワー」は初読時とは感じ方が変わっていて、登場人物を違った角度で見ることができる物語なのかなとおもった。また数年後に読みたい。

  • 女性として産まれてきて「ありのまま」でいるのは不可能なことだと思う。色々取り繕ったり周囲を気にし、自分のことは二の次になったり。それが当然であり楽な道なのである。この作品の女性達は結構自分の欲望に対して誠実であり、真摯に追い求め、脇腹甘くなってる所を作者にパシャリとスクープされてしまっている。穿った見方だが「皆さん、これが馬鹿な女の行く末ですよ」。それでは自分を圧し殺して人形のように生きるのが賢いのか。男性からしたら「めんどくせ」だろう。実際女側としてもめんどくせったらありゃしないんだ。

  • 「分別のある人間が分不相応な幸運や自然寛解、そんな類のものを願うときのように願っている。」

    おなじようなモチーフの場面がつぎつぎと過ぎる。自動車事故。沼地に撒かれた灰。目を覚まさない赤ちゃん。素っ気ない療養施設。まるで、パラレルワールドがひとつになってゆくみたい。そしてここにくると、かなり映画的な情景と展開になってきた。
    ちょっとだけ恥ずかしがっていたような、媚びているような謙虚さが姿を消しはじめ、大胆な強さがあらわになってくる。子ども目線から、女と妻、そして親の立場へと(たぶんそしてときにそれは自虐的)。重ねていった年月を想う。わかっていたつもりになっていたことが、実際はぜんぜんわかってなんていなかったんじゃないかと気がついてきてしまった(あるいはそう信じることの重要性)、そんな年齢に。曖昧さ を尊ぶということ。無関心ということではなくて。
    人生の途上におけるすこしの期待と不安は、ゴール間近においての諦念や皮肉へとぬらぬらとうつりゆく、残酷さと可笑しみ。アルモドバル監督がマンローの作品に惚れこんだのもとてもよくわかる(とくにこの後期の作品集は)。

    That's the way it is。そう、わかっていながらも人生を穏やかに歩むのは、かんたんそうにみえるけれどむずかしい。なぜ? を投げかけずにはいられないことも。自らを終わりにしてしまうひとがいるってことも。きれいごとに腹を立てながらも、結局はそれを欲してしまっている、矛盾のような夢のなかに、ときには身を横たえることをじぶんにゆるすのだ。

    「Runaway」が素晴らしすぎた。ああ。言葉にならない。幸福だ とかを、かんたんに語ることもできないのだし。
    「Passion」は果てしもなくさびしくて、どうしようもなさすぎて、だから、とてもありがたい。
    アルモドバル監督の「ジュリエッタ」もひさびさに観たい。



    「いまではあれは性欲だったのだとカーラは思っていた。たぶんただの性欲だったのだ。」

    「自分の人生に責任を持つ。誰かに睨みつけられることもなく、誰かの不機嫌に惨めな思いをすることもなく。」

    「だが、これまでの人生の大半で、こちらの注意を、時間を、心を吸い取ろうとしたがっている人たちに囲まれているという感覚も経験してきた。そしてたいていは、そうさせておいた。」

    「謝罪と無礼な言動。謝罪は彼の習慣だ。そして無礼な言動は、孤独で飢えている自分の殻を打ち破りたいという彼のいくばかくかの希望あるいは決意だ。」

    「輝かしい宝物だったもの。その宝物のことを考えなくなる。一時は、失うことなど夢想だにできなかったのに、いまではほとんど思い出さなくなっている。」

    「宝物を持っている人はごくわずか、ごくわずかしかいない。そしてもし持っているなら、それにしがみついていなくてはならない。」

    「捏造した、うろたえてしまうような自分の過去の声が保存されているのを見つけたら、誰だってたじろぐ。記憶にある痛みと対照をなす快活を装った様子を、彼女は訝しんだ。」

    「エリックの考えでは、うわべの礼節はよい雰囲気を復活させるし、本来の愛が再び見出されるまでは、愛に似たものでじゅうぶんやっていける、というのだった。そしてもしも似たもの以上のものが現れなかったら── ならばそれでやっていかなかてはならない。エリックはそれでもやっていけた。」

    「あのね、わたしたちはいつも、こういう理由がある、ああいう理由があるって考えるでしょ、そして理由を探しつづける。わたしはあなたに、自分がどんな間違ったことをしてしまったか、ずらずら並べてみせられる。だけど、理由なんて、そんな簡単には見つけ出せないものなのかもしれない。」

    「彼女が見たのは終極だった。まるで、どこまでも広がる暗く平らな水面の端にいるかのようだった。冷たく、平らな水面。そんな暗く冷たく平らな水面を眺めながら、そこにあるのはそれだけだとわかったのだ。」

    「二人のあいだで、会話はどんどん合意の上でのごまかしみたいに、陳腐な映画のような、つねに先の展開の予想がお決まりの必然的なものとなってくるように思えた。」

  • 最後の2作品(「トリック」と「パワー」)がおもしろ過ぎて震えた。
    その二つに行くまでは、正直、「今回はビミョーだな」と思っていたのだけど。

    表題作含め、いつもより辛辣だなー、という印象だった。いつもちょっとだけ、意地悪、というか、「ピリっと痛い」んだけど、この本はそのピリリ度合いがいつもより強めだった。

    あとがきに「ジュリエット」三部作は、アルモドバル監督が映画化した、と書いてあって、「あ~…」とビミョーな声が出てしまった。私の中ではヘンタイ・キモ監督のイメージ。世間では評価高いのだけどね~!
    いかにもこういう設定が好きそうだわ。でもきっと変態っぽい作品になっているに違いない。(決めつけ)

    しかし、ジュリエットよりも何よりも私は最後に収録されていた「パワー」に激しく心かき乱された。
    まるで少女小説のような甘酸っぱさと、「アンの青春」のような古き良き時代へのノスタルジーで始まる小説なのに、途中でくるくると作品の表情は変わって、結末はもちろん、途中の成り行きすべてに、とても驚かされた。

    読み始めて、最初はウィルフとジェニーとナンシーの三角関係が物語の中心なのかと思った。もしくは、ウィルフとオリーとナンシーの三角関係かと。

    でも、全く違った。オリーとナンシーの、二人の間の物語だった。
    オリーみたいな男の子に恋してしまった気持ちを、私は知っている、と思った。それを認めない気持ちも、それに尻込みする気持ちも。
    「彼には影響力がある、でもそれに気づいていないんじゃなくて、その責任をきちんと取らないの」という言い方をアリス・マンローはしていたが、なんとうまい表現か、と思う。
    「何かが起こると、あのことをオリーに話せたらなぁ、と思う」という言葉。「自分が恋しがっているのが何なのかさっぱり分からないまま」にそう思う気持ち。
    そうか、老年という歳になってもそういう思いは消えないんだ、と思った。変なところに納得した。

    しかしこの結末。かなり痛い。
    「辛辣だな、ナンシー」とオリーが思わず言うシーンがあったけれど、私も思わずつぶやいたわ~。
    辛辣だなぁ、アリス・マンロー・・・

    その一つ前の作品、「トリック」も良かった。
    これは逆に控えめな甘さにあふれていて、全然アリス・マンローらしくなかった。
    でも、短い作品なのに登場人物たちの生き方、ものの見方が染み入るように頭に入ってくるところはやはりいつも通りかとも思う。

  • 時間はあっという間で過去はどんどん深くなる。それを覗き込むには冷静さと覚悟がいる。

    何がどうなろうと過去は変わらない。しかし不意に区切りがつく瞬間が訪れることもある。そうなるにもまた、生き続けるしかないのだと思った。

  • よかった〜特に「トリック」が好きだった

  • この作者の作品は初読。カナダの女性短編作家で、彼の国初のノーベル文学賞受賞者だそう。

    この本は短編と言いつつ、8作品で450ページに迫るボリューム、うち3編は連作。

    訳者あとがきだと、この作者にしては「サスペンスフル」なんだそうだが、いずれの作品も女性を基軸にじっくりとその人生(又は内面)を、地方的な因習と絡めながら描くような感じ。普通なら割と大仰に取り上げることができるストーリー中の(特異な)イベントも、この作者だと山場ではなく、あくまで人生に起こり得る一場面のように、落ち着いた筆致になっている。

    特に前半の作品(「家出」、ジュリエット三部作)と最後の作品(「パワー」)では、登場人物の行動の「動機」や「背景」、伏線あるいは真実、結末が必ずしもすべて明らかにされるわけではなく、何とも不思議な感覚(ゆえに、理解しようと思うと十分に気持ちが入り込めない)があり、角田光代の帯文「読むというより「触れる」に近い。」が言い得て妙。

    一方、「罪」「トリック」(この作品が一番好き)はカチッとした整合感のある構成で、筆力の確かさが証明されていると思う。

  • 2021/3/29購入
    2021/4/30読了

  • のどかな風景に溶け込む、どこか悲しい通奏低音

  • 人間の生をとんでもなく巧みに描いていてすばらしい。

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著者プロフィール

Alice Munro
1931 年生まれ。カナダの作家。「短編の名手」と評され、カナダ総督文学賞(3 回)、
ブッカー賞など数々の文学賞を受賞。2013 年はノーベル文学賞受賞。邦訳書に
『ディア・ライフ (新潮クレスト・ブックス) 』(小竹 由美子訳、新潮社、2013年)、
『小説のように (新潮クレスト・ブックス)』(小竹 由美子訳、新潮社、2010年)、
『 林檎の木の下で (新潮クレスト・ブックス)』(小竹 由美子訳、新潮社、2007年)、
『イラクサ (新潮クレスト・ブックス)』(小竹 由美子訳、新潮社、2006年)、
『木星の月』(横山 和子訳、中央公論社、1997年)などがある。

「2014年 『愛の深まり』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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