- Amazon.co.jp ・本 (376ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106001260
感想・レビュー・書評
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江藤淳の漱石論は明治という時代抜きには語れないところがある。そういう意味でも彼の名著。
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資料ID:W0119536
配架場所:1F電動書架C -
図書館で借りてきていっきに読んでしまった。5部まであるみたいだから、あと、4部ある。楽しみだ。マンガの「先生と僕」を最近読んで、久々に漱石が読みたくなって、さらに、評論も読んでみたくなって、図書館に行って選んだのがこの本。
本書は、漱石と江戸時代の終焉、明治時代の幕開けが書かれている。漱石の生家である江戸の名主という地位が明治維新で失われていく中、不安定な大人たちのなかで、育った漱石の不安が、その後の彼の人生と作品にいかに影響をもたらしたのかが、丁寧に記されている。
この本は、漱石の物語であると同時に、戦後の日本人の物語に読める。明治維新後の価値観、地位が敗戦によって瓦解した不安感。今までの家や親、職業といったつながりが奪われていく世界。明治という時代の始まりに仮託しながら、戦後われわれはどのように生きていったらよいのかを、漱石の言葉から探っていこうとしているかのようのだ。
そうだとすると、戦後の日本には漱石はいたのだろうか。そして、震災という崩壊後のわれわれに、漱石はいるのだろうか。 -
江藤淳は最後の漱石門弟だと思った。夏目漱石は日本の自我そのものだということを思った。自我を知った者の担う虚無感。そういったものがページを捲る毎に色濃くなってゆく。いったいこのまま漱石はどこへ行くのか。日本はどこへ行くのか(漱石のいた時代に限らず、現在を含めての日本)。だから本書が「未完」に終わっていることに私はホッとする。そして、江藤淳の選んだ最後に、私は日本の自我などほって置いて、身近にいる大切な人を、愛そうと思う。