分類という思想 (新潮選書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (228ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106004292

作品紹介・あらすじ

多くの人々に受け入れられた分類体系は、ある時代と地域の思想・文化をうつし出したもの。確立されたと思われている、生物の分類とてその例外ではない。分類するとはどういうことか、いったいその根拠はどこにあるのか。様々な事例を示しながら、その素朴な疑問を解き明かす。構造主義生物学の俊英による分類学事始め。

感想・レビュー・書評

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  • すべての分類は本来的に恣意的なものであることを主張する。

    「第2章 何をどう分類するのか」において、渡辺慧が証明した「みにくいアヒルの子の定理(the theorem of the ugly duckling)」(形質を同等に評価した場合には、類似性にもとづく分類がありえず、客観的な分類もありえないことを示す定理)が、平易に紹介されている。

  • 分類関係の本はとりあえず読んでおきたくて. 分類は人間の認識によって決まる, といったような唯識的な内容で初めの方は興味深かった. 途中は完全に生物学分類の良し悪しについて.

  • 「地名の政治学」というテーマで最近いろいろ読みあさっている。先ほどの読書日記でも地名が持つ「空間的内包的階層関係」ということを書いたが,要は,下位のものを集めて上位の実態に名前をつけるという事態は,植物分類が典型的なものだといえる。しかも,適当な分類体系ですまされるものとは違い,生物学において分類学はその下位分野に位置づけられる。
    以前から関心はあったので,今回2冊ほど一般向けに書かれた本を購入。こちらは新潮選書の一冊。著者の名前はどこかで聞いたことがありましたが,調べてみたら,現在でも独自の活動をなされている人だそう。本書でも「構造主義生物学の俊英」と書かれていますが,かなり面白い人物のようです。

    第一章 名付けることと分類
    第二章 何をどう分類するのか
    第三章 進化論が分類学に与えた衝撃
    第四章 新しい分類学を求めて
    第五章 まとめ

    本書の後半は生物学の基礎から専門的な話までが中心になってきてかなり読みにくい部分があるが,導入としての前半部はかなり大胆な議論。フーコーの『言葉と物』も出てきますが,「なまえ」の話から,「コトバ」に関する議論まで,言葉への比重がかなり高い議論ではありますが,面白い。名前に関する議論はついには資本主義と社会主義にも及ぶ。1991年の湾岸戦争が本書が執筆された当時の最新の大規模な戦争だが,それを受け,「ハイテク兵器による軍事的勝利は,問題の解決ではなく,実は泥沼化のはじまりなのだ」(p.41)とまでいってのける。まさにテロへの戦争を予告しているかのように。
    本書の出版時点では,クリプキの『名指しと必然性』は日本語訳が出版されていたが本書での言及はない。しかし,固有名の議論で著者は固有名と一般名の区別はそれほど明確ではないと主張する。ただし,その決定的な違いは時間の非可逆性だという。
    分類学というのは生物学に限定されず,基本的には複数の対象に対し,両者の類似性を比較するというもの。ある対象に対して似ているか違っているかというのはいろんな場面で直面する問題ですが,著者が「みにくいアヒルの子の定理」として紹介している議論は面白かった。真偽のほどは判断できないが,それによれば,類似性の尺度というのは基本的に得られないということらしい。
    第二章からは本格的な生物分類に話が移りますが,アリストテレスから始まります。そしてもちろんリンネの話があり,第三章で進化論が登場します。進化論の登場で分類学は(1)表形学(数量分類学),(2)進化分類学(総合分類学),(3)分岐分類学と3つの学派に分れているという。そして,後者2者をあわせて「系統分類学」ともいうらしい。そういえば,私が大学時代に受けていたのは系統分類学でした。ともかく,これまで生物種間の際を分類するという行為は,神による創造をベースにしていたわけですが,進化論以降は元一緒だったものが,進化の過程で分れたと考え,分類はその過程の歴史を再現することによって精確に行えるということのようです。
    そして,とりあえず著者はどの立場も,特に最後の分岐分類学の立場を批判していきます。私がもう一冊買ったのは三中信宏『分類思考の世界』という本ですが,本書のなかで著者はこの「若い分岐分類学者」をこき下ろしています。進化論に基づく分類というのは理念としては非常にもっともらしいのですが,人間が観察できるのはあくまでも化石と現在生きている生物にすぎない。長い時間をかけて進化を遂げ,別の種になったその歴史を人間は直接観察することはできず,あくまでも観察できるものから推測することしかできず,またその年代も推測の域を超えない。
    ともかく,著者によると,分類という行為において,分類されるべき対象が自然にその状態であり,それを発見するかのように振る舞うことが誤りだという。考えるべきは分類すべき人間の側であり,それを認識すべきだという。本書の最後には「構造主義分類学の提唱」とあるが,かといって従来の分類学とは全く違う画期的な方法を著者が用意しているとはいえない。この辺りはある意味では堅実だといえる。
    生物学者ではない私は基本的に著者の言い分に賛成する。しかし,最後に疑問として残るのは,生物学の話をするときの基本単位は「種」だと思うのだが,前半になされている固有名論との関係から,著者は種につけられた学名を固有名だとみなしているのか,ということだ。といっても,著者は固有名と一般名はそれほど違いないと主張し,一般名に非可逆性はないといっているので,おそらく種名は一般名なのだろう。
    その辺りの議論,すなわち生物個体と種の関係についてはもう少し議論が欲しかった。ともかく,期待した以上の収穫のあった本でした。

  • おもしろかった!
    ”よい”分類なんて文脈依存で変わりますという大前提をふまえつつ、「分け方」の議論に関して言えば取り立てて新しいものはない。いい女がいい女である理由はみんながそういうから、そういう名前を付けただけであって本質とはあんまり関係ありません、とのこと。

    唯名論/構造主義はなにかしらいつもほっとさせてくれるし、自分の偏見を打ち砕いて自由を与えてくれる気がする。

    数学的にそこだけやっている人はどこにいるんや。

  • 難しい。再読しないと。

    分類とは人為的営為であり、思想である。
    科学的な分類とは。

  • 早稲田大学国際教養学部教授の筆者は構造主義生物学者だそうです。

    したがって、本書の初めの方は、構造主義の本を読んでいるようです。たとえば冒頭の一節。

     なんであれ、何かを分けるためには、何かになまえをつける必要がある。モノになまえをつけなくともモノは分けられると言うかも知れないが、でたらめに分けるのでない限り、少なくとも分ける基準がいる。基準は名とは限らないが、他人に伝えようとすると、それはただちに名になる。

    筆者は、「モノに名前をつけることは最も初源的な分類である」といいます。

    そして、固有名と一般名(普通名)に分けてコトバと概念の関係をあきらかにしています。この辺は、哲学書を読んでいるようで面白いです。

    ★★★

    実用的な側面としては、何かをAと非Aに分けて非AにBという名前を付けることの問題点の指摘は大切と思いました。

    例えば、脊椎がある生物と脊椎が無い生物とに分類することは、一見何の問題もないように思えるのだけれど、この2つのグループは「必然的に等価ではない」というのです。

     なぜならば、脊椎があるという基準は人間が感覚によって重要であるとみなして採用した基準であるが、脊椎がないという基準は、脊椎があるのをピックアップした単なる残りだからである。言い換えれば、脊椎がないという基準は、我々の感覚が何らかの同一性をもつとみなして採用した基準では決してない。だから脊椎がない動物の中には、外骨格をもつもの、骨片をもつもの、ただグニャグニャしているもの、など雑多なものがいっしょくたに放り込まれているのである。

    つまり、我々がよくやってしまう「その他」という分類は分類にはなっていないのですね(その他がいけないのではなく、分類できていないものがあるという認識を持つことが重要と思います)。

    ★★★

    そしてつきつめて考えれば、分類するということは書名にあるとおり分類した者の「思想」の反映というか、思想そのものであることも重要な指摘と思いました。

    層別、KJ法、テストでいえばNGT等々はみな、分類し、時に分類したものに名前を付けることを行っています。これらすべての分類は人為的な分類であり、
    従って、すべての分類は本来的に恣意的なものである。

    わけです。

    認識するしないにかかわらず分類がアプリオリに存在するという立場をとった学者(例えばワイリー)もいますが、筆者はそれを明確に否定しています。

  • 構造主義生物論から科学的分類法を論じた著作である。著者は基本的に名付けや分類は自然の中に根拠があるのではなく、簡単に言えば人間の感覚によって恣意的につくられたものにすぎないとする。異星人がやれば他の分類をするからである。したがって、名付けや分類は多くの人に受け入れられることが条件であり、人間が用いる自然言語と齟齬をきたすような分類は、よい分類とはなりえないとする。一方で、人間が認知できるのは、時間につれて変転をやめない現象だけだが、ここから時間を差し引いた同一性を抽出して科学という営みを行っている。つまり、「ポチ」を調べるのは科学ではないが、「イヌ」を調べるのは科学である。この同一性は自然言語と対応しなければいけない。ところで、進化論の発展にともない、DNAの差異によって分類を行う分類法や、形態的特長をすべて同列に扱い、コンピュータにかけてグルーピングを行う分類法があるが、これらは自然言語で分類する際に用いる安定的な形態とは関係がない。つまり、これらの手法は何が分類するに足る指標(原型)かということを軽視しているので、科学的とはいえないとする。著者の観点としては、アリストテレスなどの古典的分類額を擁護しながら、リンネによる形態の一対一対応を退け、生物は構造付加と構造変換により、重層的に非連続的な変化をこうむるとされる。そして、高次分類群(綱とか目)なども実体であるとする。ここから、生殖可能な「種」だけを実体とする分岐学派を批判しており、ヘッケルや三中信宏らを批判している。つまり、系統樹をつくる際に用いる「最節約原理」(枝分かれを最小にする計算)だけでは、分類の基準はでてこないとするのである。別の言葉でいえば、「歴史を分類するには歴史以外の要素によって分割するしかない」ので、歴史だけを分類の根拠にはできないのである。ミトコンドリアDNAの分析から、20万年まえのアフリカの「イブ」が人類の共通祖先だという説について、「イブはほんとうに人類だったのか?」と反駁している。また、人間とチンパンジーのDNAが99%同じだからといって、同じ割合で人間とチンパンジーが似ていると考えることはできないともいう。構造主義生物学の好例としては、日本の6種のモグラの研究(今泉吉典)を引用している。恒温動物の体の大きさには「ベルクマンの法則」が成り立ち、気温が低い所に住む動物ほど、寒いのでたくさん熱を作らねばならず、体が大きくなるという法則である(例:マレー熊と白熊)。これをモグラに当てはめた結果、従来亜種とされてきた6種が、平均気温と頭蓋骨長の変化がのる一次式の傾きが異なることから、コウベモグラ(静岡以西)とアズマモグラ(関東以北)に代表される別種に分かれることが指摘された。つまりこの二種のモグラは体温の作り方がちがうのだ。こうした分類するに足る固い特長(原型)を地道に探し出すことこそが重要なのだと著者は指摘している。第1章は言語や社会体制の分類をしており、とにかく何かを分類をしようとする人は読むべき本であろう。分類とは思考の表現なのである。

  • 2011 11/22パワー・ブラウジング。筑波大学図書館情報学図書館で借りた。
    ちょいと必要があって分類の歴史について調べていたときに、『本を分類する』という本の中で肯定的に紹介されていたので手に取った本。
    生物分類の視点が主となる、分類についての本。
    本当にざっとしか読んでないが、系統分類に批判的?な感じ。そういう例をひいてきたいときには読み返す必要があるかも。

  • 生物の分類を論じた本は、多数ある。そのなかで、この本の大きな特徴は、「名づけること」から説き起こすことである。きわめて日常的で、基礎的なところから話が始まるから、専門的な分類の話ではなく、一般に読める本になっている。
    著者は構造主義生物学を旗印とする。それがどういうものかについて、すでにいくつかの著書も書いている。時間とともに変化する事象を、普遍の構造によってコードするのが科学だ。それが著者の主張である。だから、「構造」主義だという。
    そうした考え方からすれば、分類学はもちろん重要な科学である。ただし、分類とは、手続きの定まった単なる「作業」ではない。それは、思想を構築することである。そう著者は言う。

    池田清彦は生物学の論客である。こんどの本もそうだが、池田が義理を立てているのは自分の思想であって、それ以外ではない。それが、理科系出身の著者による議論としては、きわめてすっきりした印象を与える。池田に悪口が多いのは、義理立てすべき相手が自分以外にべつにないからである。

    ところで具体的に分類をどうするか。そこで池田は、一種の古典主義に戻る。常識といってもいい。ただその常識を自分の「構造主義生物学」で包み込もうと意図するのである。

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著者プロフィール

池田清彦(いけだ・きよひこ) 1947年生まれ。生物学者。

「2020年 『ポストコロナ期を生きるきみたちへ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

池田清彦の作品

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