円山応挙 (新潮日本美術文庫)

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著者 : 星野鈴
  • 新潮社 (1996年11月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (93ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106015335

円山応挙 (新潮日本美術文庫)の感想・レビュー・書評

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  • 『円山応挙』新潮社,1996年:O君の曾祖父翠石翁が写した円山応挙だが、どんな人か分からないので、ちょっと読んでみた。円山応挙(1733-1795)は京都の人で絵かきである。呉服屋の小僧や、玩弄物商で人形の絵付けをやり、狩野派からでた石田幽汀に入門、貴紳や寺院のために制作を行い、27歳ころから「眼鏡絵」を手がけ、34歳から応挙を名のる。このころから、円満院門主祐常(出家した皇族)の知遇をえて、『平安人物志』の第二位にあげられ、三井家からも仕事をもらっていた。学者の皆川淇園とも交流があり、遠眼鏡で遠望を楽しんだりした。晩年、眼病にかかったが、最後まで絵を描いて死んだ。18世紀に生きた画家だが、曽我蕭白などは「画を求めるなら我にたのめ、図を求めるなら応挙のところへいけ」といったそうで、応挙のリアリズムは認められてはいたが、一段ひくいものとされていた。東洋美術の世界ではリアルに描くことは「殻を描くにすぎない」とされるから当然だった。応挙のパトロンは京都の貴族や僧だったので、これらの人々がこのむ古典的な題材を扱ったが、その技法はリアリズムであった。淡墨に筆をひたしてから濃い墨をつけ、筆をねかせて、濃淡を一気に描く「付立て」を立体表現に用いたり、輪郭線をいれない没骨(もっこつ)なども技法を使っていた。蝶や昆虫、草花も写生帖に日付入りで描いて、のこしている。蜂などは様々なアングルで描いていて、顔なども観察している。20代にやっていた「眼鏡絵」も面白い。当時、線画をレンズを通して見て立体感を楽しむ「眼鏡絵」という娯楽があり、江戸では司馬江漢が日本初の銅販画を「眼鏡絵」として描いていた。応挙の描いた『三十三間堂通し矢図』もみごとな遠近法でかかれている。応挙は宋末元初の画家、銭舜挙の花鳥画に傾倒し、「舜挙に応じる」の意で「応挙」を自らの号とした。また、氷を主題として描いた屏風絵があり、なんだか抽象絵画のようでもある。雲龍図もみごと。ヘビを写生して、龍という仮想の生物をリアルにかいている。「写形純熟の後、気韻生ず」という言葉をのこしたそうだ。ただし、人を描くのはやや劣るらしい。人間は見られるだけでなく、見つめ返してくるからだそうだ。解説は星野鈴氏。

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