モディリアーニの恋人 (とんぼの本)

  • 29人登録
  • 3.17評価
    • (1)
    • (5)
    • (3)
    • (1)
    • (2)
  • 6レビュー
  • 新潮社 (2008年3月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (111ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106021688

モディリアーニの恋人 (とんぼの本)の感想・レビュー・書評

並び替え:

表示形式:

表示件数:

  • 今日、なんとなく立ち寄った図書館の山のような本の中から、なんとなく手にとってしまった。この画家の絵は見知っていたが…とにかく、シビれる人生が書かれていて、ドキドキしながらその場で読んでしまった。もう、とにかく素敵。是非購入して、みじかにおいておきたいです。

  • ルノワールは尻がキライだということが分かった。

    ●以下引用●
    [オーギュスト・ルノワール]
    1919年、南仏にいたモディリアーニが表敬訪問。「女のお尻はなでるように描くのじゃ」などとのたまう巨匠に、「尻は嫌いだ!」と部屋を飛び出る。

  • モディリアーニの絵がたくさん載っているので、それだけでも見ていて飽きません。
    ジャンヌ・エビュテルヌは想像していたよりずっと美人で、意思が強そうでした。
    絵と一緒にエピソードが載っているので楽しいです。

  •  実に久方ぶりに新幹線の車内でレビューを書いている。3月に出張三度笠の生活におさらばして以来のことだ。
     100冊近い本のレビューを書いてきたが、振り返ると、「長年抱えてきた疑念、謎がその1冊との出会いで氷解した」という本についてが多かった。この『モディリアーニの恋人』も正にそういう1冊だ。

     自慢じゃないが私はモディリアーニの作品は昔から良く知っている(つもりだった)。瓜実顔のモデルや長い首、オレンジがかった赤い色調といった素人でも解り易い特徴以外に、「彼の絵には、瞳をくっきり描いた比較的初期の作品と、瞳を描かずに眼全体を空色に染めただけの絵と二通りあるんだよね」と訳知り顔で幾人もの知人に吹聴したりしてた。彼の作品展は何度も観ていたし、どこでだったかは失念したが、彼の恋人ジャンヌ・エビュテルヌにスポットを当てた企画展もつい最近観た。
     その会場で、10代の彼女の写真に射すくめられた。モディリアーニが描いたのと同じに斜めからだと歪んで見えてしまう長い鼻筋をした少女が、やはり長い黒髪を垂らして挑むようにこちらを見つめていた。
     35歳で夭折した天才画家の後を追い、翌日21歳で投身自殺した彼女。彼女のエピソードも彼の作品も知り尽くしたかのような思い上がりの一方で、「彼女の射るような瞳の真実は」、「瞳のくっきり描かれた作品と、空色にぼんやり描かれた作品とはどう違うのか、なぜ違うのか」、それらは深い謎のまま私の中に何年もの間沈殿していた。

     今朝の週刊ブックレビューで本書の紹介と出会い、旅先の本屋で10時の開店ももだしく飛び込んで買い求めた。
     『ジャンヌの瞳』と題して執筆者の一人橋本治が書いている。
     橋本氏は、二十数年前、ある番組の脚本でジャンヌを描いた。天才画家につき従う恋人であり、彼に強く影響された画学生であり、彼との愛に殉じて自死した女として。それが当時の橋本氏の彼女に対する認識であり、私を含め世間の者の間での通り相場でもあった。私を「射すくめた」あの彼女の写真は当時はまだ「発見」されてはいなかった。
     橋本氏はその後あの彼女の「瞳」と出会い、私と同様に射すくめられたのに違いない。それは凡人の私となんら変わりない。だが、有名な「止めてくれるなおっかさん、背中で銀杏がないている」というコピーで一世を風靡して世に出た天才である。自らのかつての認識が浅いものであったこと、真の彼女の姿は、モディリアーニと彼女との関係は、実はこうだったのだよと、次々と喝破してくれる。
     彼は3枚の絵を示す。3枚とも同一の人物、表現主義派の画家シャイム・スーチンを描いた肖像である。1枚はモディリアーニが、もう1枚はスーチン自身が描いた自画像、そしてジャンヌの描いたものである。彼女の描いた1枚は、背景もポーズも色彩もすべてがスーチンというこの人物のパーソナリティを過剰なまでに表現していて、見事というほかない。ビジュアルムックという本の形態の真骨頂であろうか、こうして並べて見せられてしまえば、天才画家の作が平凡で、著名な表現主義派の画家の作が表現不足であり、そしてなによりもジャンヌがいかに才能とオリジナリティーにあふれたひとかどの女流画家であったかということが一目瞭然である。それはけっしってなにものかの「影」でもなく、なにものかに「従」うだけの存在でもありえない。
     そして、橋本氏はあくまで仮説・珍説として次のような自説を展開する。
     「モディリアーニの描くジャンヌ像には、くっきりと強い瞳を持つジャンヌ像と、まるで同一人物とは思えない『瞳を曖昧にされたジャンヌ』の二種類がある。ジャンヌが、強い瞳の持主であることは確かだから、ここで勝手なことを考えることもできる―たとえば、『ジャンヌの強い瞳に見透かされることを怖れたモディリアーニは、その瞳を消してしまった』である」

     橋本氏の「仮説」は、氏と同一の疑念を抱き続けてきた私にとってはもはや「確信」であり、衝撃のようにストンと腑に落ちてしまった。自分よりも何段階も上等な洞察力をあたかも自らのものであるかのようにして長年の謎が解けた。唸るほどの読書の醍醐味である。

     エラそうだが、私にはひとつの信念がある。「ひとの人生に添えものとしての人生などない。人生においては誰しもが主役である」と。
     ジャンヌはジャンヌとして彼女の人生と自らの愛を貫いたのに違いない。 そして最後にこうも思う、後を追われるほどにまで愛されてしまうことの素晴らしさと、そして同時に怖ろしさとを。
     
     橋本氏と私を射抜いたのは、モディアーニが時には真正面から愛し、そして時には正視することができぬ程に怖れたのは、その彼女の「瞳」であったのに違いない。

  • 途中

  • とんぼの本のシリーズでは『作家の犬』や『作家の猫』などを読んだことがある。

    さて、問題のモディリアーニの恋人ジャンヌは夫の死の2日後、あとを追う。新たに発見された眼光の鋭い彼女の写真からもそうした激しさが感じられる。
    漱石作品にくりかえし描かれる「強い女」のイメージと重なりあうものを感じた。

    ジャンヌの遺品が公開されたことと、共著であることによって、内容的にも深い1冊に仕上がっている。

全6件中 1 - 6件を表示

橋本治の作品

モディリアーニの恋人 (とんぼの本)はこんな本です

ツイートする