かつてビートルズが過ごした場所の写真と、現在のリリー・フランキーさんの旅情を感じる文章。
不信感と喪失感を持って生きているリリー・フランキーさんにとって、ジョン・レノンがオノ・ヨーコと出会って変わっていく姿は、憧れだったそうだ。
リリー・フランキーさんだって大きな愛に囲まれているひとのように見えるけどなあ。
(写真に添えられたリリーさんの手書きの文章は気取ってる感じがして、読みながらすこし照れ臭かった)
愚直に愛を信じることは恥ずかしい。なぜかといえば、自信がないからだと思う。自分を信じることができないから、他者に不信感を持って、勝手に喪失感を味わっている。自分のことだ。
ビートルズのベストアルバムを近所の中古CD屋で買ったころのことを思い出す。当時、バスケ部の地区選抜に選ばれた自分は、選抜チームの練習にビビっていた。
母親の車で練習会場まで連れて行ってもらうとき、ビートルズを録音したテープを流した。ハイポジと書かれたテープだった。
車のスピーカーから流れてくるビートルズは、自分の部屋のステレオから流れるときとまったく変わらずにシーラブズユーイエ―イエーイエー!と歌っていた。
2時間くらいの練習を終えて、迎えに来てくれた母親の車のなかでも同じようにジョンとポールは歌っていた。
いま、ワイヤレスヘッドホンで聴いてもビートルズはビートルズだ。あの頃の母親はどんな気分だったんだろう。中学生だったころの自分より、当時の母親のほうがいまの自分の年齢に近いことに気づく。
母親も中学生くらいでビートルズに出会ったのかな。