- Amazon.co.jp ・本 (125ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106022258
感想・レビュー・書評
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法然上人。日本の仏教会に革命を興した人物。最澄の中国からもたらした教えを発展させ専修念仏思想を確立した浄土宗の開祖。
法然が南無阿弥陀仏を只管唱えることを教えとしたのに対して弟子である親鸞は、ただ一度でも唱えれば悪人も浄土に行けるとし浄土真宗を興した。親鸞は法然を超えたと観る向きもあるが、二人の悟りを得た時代背景の違いが大きいようだ。
平安時代から鎌倉時代にかけて仏教者の中に多くの僧が仏教の真髄を求めて只管修行に励んだ。そして自分の世界を築いた。それが各宗派に分かれたもの。したがって、どの宗教が正しいなどと言うべきではない。どれも正しい。自ら信じる教えに従うべきだろう。
そこは、死とか冥土とか、お寺とか檀家、墓をどうするかなどの現世の狭い考えに煩わされている自分がちっぽけな存在に思える。
世の常としてお寺を選場ざるを得ないのだが、その場合、宗派よりその寺の僧侶のが何を求めているか、何を語るかを尺度にしたい。今の世に法然のような僧が必要と思う。
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著者である町田宗鳳は、14歳で出家し、20年間大徳寺で修業の後、34歳になって寺を離れて、ハーバード大学で神学を学んだという経歴の持ち主。法然も15歳で比叡山に入り、18歳で西塔黒谷に入り、43歳になって黒谷を出て専修念仏を始めて浄土宗を開いている。経歴が似通っていることが、著者を法然に引き寄せたのかもしれない。もう一人の著者である梅原猛も、浄土宗鎮西派が設立した東海中学の出身であり、校長の講話を聴いて法然の思想に惹かれるようになったという。
我が家は浄土真宗で、父は朝晩「正信偈」を欠かさず、祖父も晩年は暇さえあれば「歎異抄」の分厚い解説書を開いており、祖母も事ある毎に「ナムアミダブツ」を称える妙好人であった。私も吉本隆明の『最後の親鸞』に出会って初めて親鸞の思想の深さに気付かされたものの、親鸞の師である法然に目を向けることはなかった。
ところが、親鸞は『歎異抄』の中で「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりともさらに後悔すべからずさふらふ」とまで述べている。親鸞の思想の原点は法然にあるのではないかと思い至り、法然についても読み始める。
読めば読むほど、「念仏」により民衆を救済しようとした革命的思想家としての法然が浮き彫りになってくる。法然は「念仏ができないならば妻帯してよい」と柔軟に教えており、「悪人正機説」も実は法然が唱えている(『醍醐本』)。親鸞は師である法然からこれらの考えを受け継いだことがわかる。
仏教思想の大きな転換を図ったのは、内乱と天災による混迷の時代を生きた法然であった。町田宗鳳が指摘するように、法然の<鷹揚さ>に対して、親鸞の<厳格さ>を対置してみると、法然は懐が深く庶民に愛されたのに対し、親鸞は自分を厳しく見つめ追いつめて知識人に高く評価されてきたことも納得できる。法然と女性とのやりとりを記した『一百四十五箇条問答』も面白い。法然が如何に器の大きい人であったかが窺われる。「他者に優しい法然」と、「自分に厳しい親鸞」が見えてくる。