輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)

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著者 : 佐藤卓己
  • 新潮社 (2008年9月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (350ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106036170

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輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)の感想・レビュー・書評

  • 輿論(よろん)と世論(せろん)について。いまでは輿論という概念はほぼ失われてしまっている。輿論という言葉が使われないばかりか、「世論」をそもそも「よろん」と読むことも多い。例えば、「世論調査」はほぼ「よろんちょうさ」と読まれるだろう。だがこの二つは異なる概念であり、輿論という言葉が失われ、その読みが世論に取って代わられているのは単なる言葉の問題ではない。そこには概念上の問題がある。本書はこの二つの区別と、世論が輿論に取って代わっていく過程を様々な場面で追っていく。そして、世論に抗して輿論の立ち位置を確保することの重要性を訴える。

    輿論と世論という言葉は戦前まで区別されていた。その言葉は明治時代の幕開けにその意味を宿している。つまり、まず輿論とは論を興すという意味であり、これは「五箇条の御誓文」(1868年)の第一条「広く会議を興し万機公論に決すべし」から来ている。それは公開討議された意見を意味している。一方の世論とは「軍人勅諭」(1882年)に見られる「世論に惑はず」から来る。輿論とは対比される、私論のことである(p.23-30)。輿論は理性的・客観的な意見であり、世論は国民感情に基づく。したがって、意見(輿論)によって感情(世論)を制御することが民主主義の原則と見なされる(p.35)。英訳すれば、輿論public opinionと世論popular sentimentsである。

    もともとこの輿論と世論という概念は混同される傾向にある。戦前は区別されていたとしたが、戦前に混同されている例も多く挙げられているし、それが増えていく。輿論と世論の区別は1925年の普通選挙法成立に至る「政治の大衆化」の中で曖昧になっていき、まともな輿論が許されなくなった軍国主義ファシズムのなかで一体化していくことになる(p.30-35)。

    戦後になって、輿論という概念が消失するのに大きな役割を果たしたのは、漢字の使用制限である。1946年11月16日に内閣が告示した当用漢字表において、「輿」の使用が制限されてしまった。この当用漢字表に対して、新聞社は「輿論」という漢字の代わりに「世論」を用いることにした。これにより、輿論という概念は世論によって塗り替えられてしまった(p.82-90)。

    ここから著者は戦後の「輿論」と「世論」を様々な場面で追っていく。まずは戦後の世論調査である。戦時中には戦時プロパガンダの形で、国民の輿論を形成するための輿論指導が行われていた。戦後、GHQは日本国民にアメリカ流民主主義の考えを普及させるべく、この戦時中に輿論指導を行っていた人物たちを採用する。ここではプロパガンダと民衆へのマス・コミュニケーションが連続しているのである(p.59)。戦時中にプロパガンダに関わっていた人たちは転向などしておらず、まったく同じ手法で戦後も活躍した。変わったのはメッセージの内容だけである。これらは国民の間に同質性と均質性をもたらそうとする点で何も変わらない。
    「小山栄三や米山桂三が行った戦時宣伝研究は、戦後民主主義の世論調査研究として開花した。それは単なる歴史の皮肉ではない。総力戦は民衆の支持と自発的な参加を何よりも必要とするが、世論調査は一人一票の平等性の擬制であり、戦時宣伝も世論調査も国民全体の同質性・均質性を理想にしている。つまり、戦時宣伝と世論調査はともに「戦争国家=福祉国家」の学知なのである。」(p.99)

    それから、8月15日を終戦記念日と設定される流れが、戦争犯罪への責任追及に関する輿論ではなく、むしろそうした忌まわしい記憶を忘却して単なるお盆という伝統行事の中に包み隠す忘却の世論に基づいていることを論じている(p.124-126)。

    他には1960年安保闘争において、6月15日にデモの中で死去した樺美智子... 続きを読む

  • 友人のおすすめで読了しましたが、「普段あまり意識しないで使っている言葉や概念を問いなおす」というコメントはまさにそのとおりで、興味深く読むことができました。

    よろん、せろん、世論。
    あれ、全部同じ意味なんじゃないっけ?せろんなんて読み方あったっけ?と、あやふやな気持ちになってしまいましたが、本著を読み進めるとなるほどそんな経緯があったのか、と思うほどなんとも面倒な(しょーもない?)事情があったのです。
    ちゃんとした定義は以下の通りなのですが、漢字の「輿」の字が常用漢字から外れてしまって、「世」で代用されることになったのだとか。。ただ、輿論と世論では全然意味が違うもの。
     輿論(よろん):公的意見、public opinion
     世論(せろん):大衆感情、雰囲気、popular sentiments
    今までテレビで良く聞き流していた「『よろん』の声にしっかりと耳を傾けて…」なんてフレーズも、これからは「ん、それってどっちのこと?」となることうけあいです。

    本著では、日本で民意がどのように形成されてきたのか
    が扱われていて、メディアによる「誘導」の歴史なども触れられています。
    最終章では、労力をかけてでも、自らの責任で「輿論」を考え抜いて作り上げ、発信していくことの重要性が述べられています。
    インターネットの普及で誰でも発信できるようになった時代だからこそ、「肉うまい」系のツイートも大好きではあるのですが、テーマに真摯に向き合って述べる「輿論」を考え、時には発信していくクセをつけていきたいなぁと感じた次第です。

  •  政軍関係と言われる領域を少し深耕りする為に読む。ナチスの抬頭にせよ、日中戦争にせよ、軍部が企図したものであっても、それを世に知らしめ、”世論”の形成を輔けたのは当時の新聞・ラジオなどのマスメディアである。

     しかし、日本においては明治以来("1946年"まで)のそれは”輿論(public opinion)”という共通認識のものに彼我(発信元と報道する側)は了解しており、かつそれは”世論(popular sentiment)”とは別のものとして認知されていた、と本書は解題する。

     手元にあるウォルター・リップマンの「世論 上・下(岩波文庫版・掛川訳)」は、かつて(改訳前まで)は「輿論」として訳されていた。

     それは"1946年"の「当用漢字表」による漢字の制限によって「輿」が当用漢字から外れ、「輿論」が「世論」と”混用”されたことに、今の日本における”世論の定義”の混乱が始まったと本書は説き、その影響を「東京オリンピック」、「全共闘運動」、「戦後政治」等の実例を交えて丁寧に解題していく、非常に興味深く、かつ普遍性を帯びた一冊である。

     悲しいかな、この”混用”による影響は大きく、様々な場面において"opinion(多数意見)"と"sentiment(全体の気分)"の相違を峻別することなく意思決定を行ったことによる弊害の反省を、我々は戦後数多く繰り返してきた。個人的には民主党への政権交代(2009.7)と、その崩壊(2012.12)が、その最も大きなイヴェントであったように思う。

     今の”自民党一強”の要因の一つには、(民進党のだらしなさもあるが)こういう”輿論”と”世論”の”都合の良い混用”による”曖昧な意思決定”にも一因があるように思える。

     それは、政権の安定にも寄与するが、(政権が)流動化した際には、その安定化を阻害する要因にしか働かないことに留意すべきだと個人的には思うところである。

  • 【版元の情報】
    「世論」はいま、ヨロンともセロンとも読むが、戦前は「輿論=公的意見」「世論=大衆感情」と区別していた。日本戦後史は“輿論の世論化”に他ならない。終戦記念日、安保、東京オリンピック、全共闘、角栄と日中関係、天皇制、小泉劇場など、エポックとなる出来事の報道や世論調査を精査し、権力者とメディアの大衆操作を喝破する。
    http://www.shinchosha.co.jp/book/603617/



    【目次】
    目次 [003-009]
    凡例 [010]

    第一章 輿論は世論にあらず 013
    日本的「世論」への不信 013
    万機公論に決すべし 023
    世論に惑わず 030
    市民的公共性とファシスト的公共性 035

    第二章 戦後世論の一九四〇年体制 040
    「あいまいな言葉」の深層 040
    プロパガンダの代用語「マス・コミュニケーション」 043
    輿論指導の戦時科学 050
    「戦争民主主義」の科学 060

    第三章 輿論指導消えて、世論調査栄える 074
    情報局とGHQ民間情報教育局 074
    当用漢字表による「文化の民主化」? 082
    輿論調査協議会から国立世論調査所へ 090
    公共的意識管理システムの成立 096

    第四章 終戦記念日をめぐる世論調査 100
    八月十五日の世論と九月二日の輿論 100
    国民の世論と国会の輿論 109
    「祝祭日に関する世論調査」 112
    「平和の日」消滅と「終戦記念日」成立 124

    第五章 憲法世論調査とポリズム批判 127
    空気(せろん)の変化と議論(よろん)の停滞 127
    一九五〇年代の再軍備世論 134
    マルクス主義者のポリズム批判 139
    世論調査の自己成就 147

    第六章 「声なき声」の街頭公共性 152
    近代日本史上最大の大衆運動? 152
    五・一九運動と「声なき声」 157
    父の輿論と娘の世論 166
    安保闘争のパラドクス 174

    第七章 東京オリンピック――世論の第二次聖戦 178
    聖火と聖戦と 178
    新聞輿論と低い参加意識 185
    テレビンピックの視聴率 189
    高度化への国民的ドラマ 195

    第八章 全共闘的世論のゆくえ 199
    大学全入時代の落とし穴 199
    インテリの輿論と全共闘の世論 202
    「東大紛争」をめぐる輿論と世論 208
    安田砦決戦前の緊急世論調査 217

    第九章 戦後政治のホンネとタテマエ 229
    田中角栄人気の構造 229
    メディア権力としての田中派 235
    戦略性を欠いた日中外交 239
    「日本社会の影(シャドー)」としての田中=中国 245

    第十章 テレビ世論のテンポとリズム 249
    教育問題という議題設定 249
    中曽根支持率の特異性 254
    「神の声」を伝える巫女 260
    世論を製造する私的諮問機関 266

    第十一章 世論天皇制と「私の心」 271
    過ぎ去らぬ記憶 271
    シンボル天皇制の世論調査 278
    自粛現象とXデイ報道 284
    「沈黙の螺旋」と歴史認識 290

    第十二章 空気の読み書き能力 294
    小泉劇場の歴史的教訓 294
    「よろん」に関する世論調査 301
    メディア操作という神話 308
    一人からはじまる輿論 314

    あとがき――よみがえれ、輿論!(二〇〇八年初夏 佐藤卓己) [317-322]
    註 [323-350]

  • 輿論とは、Public Opinion であり、世論とは、Popular Opinionである。

    著者の提言、「民主主義とポピュリズムの境界に目を凝らすためには、輿論=公論と、世論=私情を意識的に使い分けよ」。また、「1. ある発言を前に、それが輿論か世論かを見分けるリテラシーを磨く。 2. 世論に流されず、自分も担おうと思える輿論を起こすリテラシーを磨く(公共的意見を担う覚悟をもち、発信する)」に共感。

  • 敗戦以降今日までを安保闘争やオリンピック、日中国交回復といった折々の世論調査と識者のコメントで振り返り、国民感情や空気としての世論と、責任ある公論である輿論のあり方を探る。
    それにしても最期まで著者の言う「輿論」のイメージがつかめないままであった。輿論が空気のような多数派の感情を理性により善導するものであるならば、世論調査の数字と、実際になされた議論や決定とが食い違っている状況は特に批判されるべきではないという気がするが、本書の論旨は必ずしもそうではない。(たとえば終戦記念日を8月15日としたことは国民世論と一致しておらず、お盆と重ねただけのご都合主義だと批判している)
    結局「世論」と「輿論」が違うものだということ、あるいは現代史として定着している「史実」と当時の「世論」との間に意外な相違が見られるということ以外に著者が何を言いたかったのか、よくわからないままであった。

  • 「世論」は「せろん」と読んでも「よろん」と読んでもよいとされている。今日では「よろん」と読むことが多いだろう。そういうものかと思っていたが、その裏には何とも皮肉な歴史があった。
    戦前は「輿論」と「世論」という語があり、前者は人の理性的な声public opinion、後者は人々の感情的な声popular sentimentsといった区別がなされていた。それが戦後、「文化の民主化」の名のもとに常用漢字が設定された際、「輿」は含まれず「世」をもって置き換えられることになった。そこから輿論と世論の混乱が始まり、今に至っているというわけだ。
    本書は、そうした経緯を踏まえつつ、60年安保、東京オリンピック、全共闘、田中角栄政権、中曽根政権など時々の「世論調査」から時代の空気を読みつつ、輿論と世論が一体にされてしまった弊害を説いている。落ち着いた筆致のもと、様々な手で論証されていくので、非常に読みやすく説得力がある良書。
    今日では「国民感情を考慮して……」などとしたり顔で言われるが、感情とは「世論」だろう。それによって政治的な決断や、将来を左右するような決定がなされているのだと考えると恐ろしい。

  • P39 図
    「はげしいデモをやってくれ、そのほうがわれわれは今後アメリカに対して強腰に出られるから」
    戦後民主主義の中で、おまえは何をやったかといわれたら、大衆民主主義時代にふさわしい政治手法を、一生懸命努力して開発した。
    行革
    世論の喚起 臨調が最後まで結束していくこと、 最小限実行すべきもの、ベターなものを出す。
    p321322参考文献

  • 戦前の近代日本では輿論は公的意見、世論は大衆感情としっかりわけられていた。しかし今現在、輿論(よろん)と世論(せろん)が一体化してしまっている。
    本書はそれを指摘し、そうなってしまった経緯を時代的背景から論じる。
    「輿論をもって民主主義の政治を。」民主主義とは国や地域を構成する一人一人が考え、意見を持つことでなりたつ。このことを再認識いたした。

  • 京都大学大学院教育学研究科の佐藤卓己准教授(現代メディア論)による民主政治への問題提起。

    【構成】
    第一章 輿論(よろん)は世論(せろん)にあらず
    第二章 戦後世論の一九四〇年体制
    第三章 輿論指導消えて、世論調査栄える
    第四章 終戦記念日をめぐる世論調査
    第五章 憲法世論調査とポリズム批判
    第六章 「声なき声」の街頭公共性
    第七章 東京オリンピック―世論の第二次聖戦
    第八章 全共闘的世論のゆくえ
    第九章 戦後政治のホンネとタテマエ
    第十章 テレビ世論のテンポとリズム
    第十一章 世論天皇制と「私の心」
    第十二章 空気の読み書き能力


     そのタイトルに表れているように本書の中心的な概念は「輿論(よろん)」と「世論(せろん)」という2つの異なる<声>である。

     端的に言えば「輿論」とは公儀輿論であり、有識者によって形成されたPublic Opinionである。それに対して「世論」とはかの「軍人勅諭」でも「世論に惑わず」と記された軽佻浮薄な大衆の雰囲気であり、Popular Sentimentsである。

     明治以来、全く異なる概念として峻別されていた「輿論」と「世論」が、現在に至るとほとんど区別されることなく「よろん」となっている。
     本書は、その原因を辿り、現在に至るまでの「よろん」の変遷を点描する。

     戦後の1946年になって定められた当用漢字において、「輿」という文字が一般に使用できなくなっったことを受け、「よろん」と「せろん」が「世論」という一つの単語で表されるようになった。
     しかし、これは単に文字上の問題だけではなく、それ以前の総力戦体制下の1940年以降、ジャーナリズムが「世論」の喚起を行うような自主規制を含む言論統制を行いだしたことが、「輿論の世論化」の源流となっている著者は指摘する。

     戦後、「よろんちょうさ」とルビが振られる「世論調査」によって、議会政治を左右する国民感情が新聞紙上で大々的に報じられるようになった。新聞は「輿論」の形成という職務を離れてしまったのである。

     特に面白かったのは、第6章の1960年安保闘争のくだりである。
     元来、岸内閣が行おうとした施策は、旧安保から日本の独立性をもとめ日米の双務的関係を構築するという積極的な内容であったはずであり、そこに大きな国民の反感が巻き起こることもなかった。
     しかし、社会党がしかけた警職法改正反対のキャンペーンに端を発した「国会」≒「輿論」を無視した「院外」活動によって、徐々に感情論に傾く。そして、当初はそのような院外活動に冷ややかな視線を送っていた国民も、国会突入時の女学生の死亡というショッキングな事件によって、新安保の内容そのものよりも「反・官憲」「反・岸内閣」という世論が形成されてしまったのである。その不可思議な変化を、女学生の父にして中央大学法学部教授であった樺俊雄の言葉を借りて、鮮やかに描いている。

     民主政治の根幹を形成すると疑ってやまなかった「よろん」が実は単なる「世論」に過ぎないということを知る上で非常に有意義な書であると思う。

  • 「輿論」と書いて「よろん」と読む。この言葉の消失が理性的な思考の枠組みを消し去ってしまった。どうして「世論」を「よろん」と読むことが当たり前になってしまったのか、そしてそのことが現在にどのような問題として影を落としているのか。著者は史実と文献・データからその経緯を丹念に描き出していきます。そして著者は一貫して「輿論の復興」を訴えます。そのメッセージは読み手に力強く伝わってきます。最終章の最終節「一人からはじまる輿論」だけでも一読の価値ありです。

    明治以降、「輿論(よろん)」=公的な意見(public opinion)は「世論(せろん)」=世間の雰囲気・空気(popular sentiments)とは区別して使われてきた。それが終戦後の当用漢字表から「輿」の字が削除され、代わりに「世」の字が当てられたことから「輿論」は「世論化」していき、理性的で公の意見が論じられる足場が失われ、世間の空気のみがとりだたされるようになったという流れが、史実とデータから丹念に検証され、描かれている。

    そして著者は「輿論」の復興を論じる。

    「民主主義とポピュリズムの境界に目を凝らすためには、「輿論=公論」と「世論=私情」を意識的に使い分け、「輿論の世論化」に抗することがまず必要なのではないか。P314」、に私は全面的に同意したい。

    まずは「世論」を「よろん」と読まないこと、そして著者の言う「感情の言語化」を意識して自分の中で「輿論」を積み上げてみたいと思う。世の中に氾濫する感情的「世論」に棹を挿して考え続けたい。

    良書です。

  • [ 内容 ]
    「世論の従って政治をすると間違う場合もある」(小泉純一郎)…この“世論”はセロンか、ヨロンか?
    “公的意見=輿論”と“世間の空間=世論”、両者を改めて弁別し、戦後を検証したい。
    終戦記念日、安保闘争、東京オリンピック、全共闘、角栄と日中関係、天皇制、小泉劇場などエポックとなる出来事の報道を分析し、メディアの世論操作を喝破する。
    甦れ、輿論。

    [ 目次 ]
    輿論は世論にあらず
    戦後世論の一九四〇年体制
    輿論指導消えて、世論調査栄える
    終戦記念日をめぐる世論調査
    憲法世論調査とポリズム批判
    「声なき声」の街頭公共性
    東京オリンピック―世論の第二次聖戦
    全共闘的世論のゆくえ
    戦後政治のホンネとタテマエ
    テレビ世論のテンポとリズム
    世論天皇制と「私の心」
    空気の読み書き能力

    [ POP ]


    [ おすすめ度 ]

    ☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
    ☆☆☆☆☆☆☆ 文章
    ☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
    ☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
    ☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
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    共感度(空振り三振・一部・参った!)
    読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 目 次

    第1章 輿論は世論にあらず
     日本的「世論」への不信
     万機公論に決すべし
     世論に惑わず
     市民的公共性とファシスト的公共性

    第2章 戦後世論の一九四〇年体制
     「あいまいな言葉」の深層
     プロパガンダの代用語「マス・コミュニケーション」
     輿論指導の戦時科学
     「戦争民主主義」の科学

    第3章 輿論指導消えて、世論調査栄える
     情報局とGHQ民間情報教育局
     当用漢字表による「文化の民主化」?
     輿論調査協議会から国立世論調査調査所へ
     公共的意識管理システムの成立

    第4章 終戦記念日をめぐる世論調査
     八月十五日の世論と九月二日の輿論
     国民の世論と国会の輿論
     「祝祭日に関する世論調査」
     「平和の日」消滅と「終戦記念日」成立

    第5章 憲法世論調査とポリズム批判
     空気の変化と議論の停滞
     一九五〇年代の再軍備世論
     マルクス主義者のポリズム批判
     世論調査の自己成就

    第6章「声なき声」の街頭公共性
     近代日本史上最大の大衆運動?
     五・一九運動と「声なき声」
     父の輿論と娘の世論
     安保闘争のパラドクス

    第7章 東京オリンピック―世論の第二次聖戦
     聖火と聖戦と
     新聞輿論と低い参加意識
     テレビンピックの視聴率
     高度化への国民的ドラマ
     
    第8章 全共闘的世論のゆくえ
     大学全入時代の落とし穴
     インテリの輿論と全共闘の世論
     「東大紛争」をめぐる輿論と世論
     安田砦決戦前の緊急世論調査

    第9章 戦後政治のホンネとタテマエ
     田中角栄人気の構造
     メディア権力としての田中派
     戦略性を欠いた日中外交
     「日本社会の影」としての田中=中国

    第10章 テレビ世論のテンポとリズム
     教育問題という議題設定
     中曽根支持率の特異性
     「神の声」を伝える巫女
     世論を製造する私的諮問機関

    第11章 世論天皇制と「私の心」
     過ぎ去らぬ記憶
     シンボル天皇制の世論調査
     自粛現象とXディ報道
     「沈黙の螺旋」と歴史認識
     
    第12章 空気の読み書き能力
     小泉劇場の歴史的教訓
     「よろん」に関する世論調査
     メディア操作という神話
     一人からはじまる輿論

    あとがき  よみがえれ、輿論!

  • 「世論」
    これを今ではほとんど「よろん」と読んでいる人が多いと思うが、実は「せろん」である。
    自分が責任を持って表明する意見が「輿論」、ただの感情が「世論」であった。

    というのが大まかな流れ。
    自分の「世論」に対する見方が変わった本。

    自分がよく思っている「もっとみんな考えろよ!」と思っているわけがわかった。
    よくある「世論」は「せろん」であって「輿論」でなかったからだ。
    輿論は「public opinion」、世論は「popular sentiments」という。

    これからは「世論調査結果」というのに気をつけよう。
    それは「世論」であって「輿論」ではないから。

    なんかgdってうまく言いたいことが言えないなあ。

    結局のところ責任ある「輿論」が復興しない限り
    日本の政治が欧米みたいに大人にはならないよ。

    まずは自分から、「輿論」と「世論」の使い分けをしていこうと思う。

    自分の考えに影響を与えただろう1冊。

  • 「全体主義は国民を政治空間から排除したわけではない。ヒトラーもスターリンも「黙れ」と言ったのではなく、むしろ「叫べ」と言ったのである。つまり、指導者への熱烈な支持を定期的に叫ばせることで、国民全員が政治過程に参加する機会を提供したのである」(p296)

    という部分が、やっぱそうだよなと思わせてくれた。

    ただ「公的意見」=「輿論」を担える個人の育成を求める本書の主張には違和感がないではない。というのも、その「個人」は、いかなる「他者」との関係を取り結ぶべきかという視点が無いからである。そのあたりはどう考えたらいいのか、ちょっと考え込んでしまった。

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輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)の作品紹介

「世論の従って政治をすると間違う場合もある」(小泉純一郎)…この"世論"はセロンか、ヨロンか?"公的意見=輿論"と"世間の空間=世論"、両者を改めて弁別し、戦後を検証したい。終戦記念日、安保闘争、東京オリンピック、全共闘、角栄と日中関係、天皇制、小泉劇場などエポックとなる出来事の報道を分析し、メディアの世論操作を喝破する。甦れ、輿論。

輿論と世論―日本的民意の系譜学 (新潮選書)はこんな本です

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