- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106036286
作品紹介・あらすじ
禅僧から改宗、キリシタン全盛の時代にイエズス会の理論的主柱として活躍するも、晩年に棄教。世界に先駆けて東西の宗教を知性で解体した男は、宗教の敵か、味方か?その宗教性と現代スピリチュアリティとの共通点とは?はたしてハビアンは日本思想史上の重要人物か-。謎多き生涯と思想から、日本人の宗教心の原型を探る。現役僧侶による画期的論考。
感想・レビュー・書評
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ハビアン笑っている
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妙貞問答や破提宇子を読み解きつつ、ハビアンの人生を辿りつつ、ハビアンが見たものは何かを探ろうとする。
山本七平の言うような単純な日本教の元祖であるというよりも、現代のスピリチュアリズムにつながるような近代人だったという結論。両書を合わせてハビアンを世界初の本格的比較宗教論者とする。 -
発掘されるハビアン
『妙貞問答』が語るもの
ハビアンの比較宗教論
林羅山との対決、そして棄教
『破提宇子』の力
ハビアンと現代スピリチュアル・ムーブメント
ハビアンの見た地平
著者:釈徹宗(1961-、大阪府) -
戦国時代のキリシタンに興味があって、随分前に買ってあったのですがやっと読みました。面白かったです。
不干斎ハビアンという人は、元々仏僧だったのですが、キリスト教の伝来で転向し、熱心なキリスト教徒となり、「妙貞問答」という本を書きます。この本はキリスト教と仏教を比較して、どのようにキリスト教が素晴らしいのか一般の人に説明するための本でした。
キリスト教は日本人に教理を教えるため、様々なディペートのマニュアルを用意したそうですが、「妙貞問答」も2人の対話形式になっており、言ってみれば「キリスト教の疑問にお答えします!」みたいな内容になっています。
そして、驚くのはその後で、不干斎ハビアンはなんと数年後、キリスト教を棄ててしまいます。その理由は不明ですが、女性とともに駆け落ちしたそうです。そして徳川秀忠に面会し、幕府に協力するようになります。死の数年前には「破提宇子」というキリスト教を批判する内容の本を書き、キリスト教徒から「悪魔の書」と忌み嫌われる内容だったそうです。
その人生もものすごく興味深い人物ですが、そんなハビアンを浄土真宗の僧侶としても、多くの本を著作している執筆家としても有名な釈徹宗が、ハビアンの残した正反対の2つの本をそれぞれ解説して、日本人の宗教観、ひいては日本人の根本に流れる思想のようなものを解き明かします。
元々、キリスト教どころか仏教もぼんやりとしかわからないので、著者の用語がわからないところもあり、全部理解できたとはいえないのですが、なんとなく日本人って、こういうところあるよな…と思える部分、例えば先祖を大事にするとか、なんでも自分流に日本的に変えてしまうところとか、キリスト教を信じている西洋諸国との根本的な考え方の違いとか、そんなもやもやとした部分を、なるほど、と言葉で理解できたといいますか、そんな感じがしました。
宗教にあまり興味のない方でも、参考になる本だと思います。 -
13/07/27
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えー、不干斎、ハビアン。
変な男で、桶狭間の戦いのちょっと後に生まれたらしい。で、臨済宗の坊主になって、キリシタンになる。イエズス会の思想的主柱となって「妙貞問答」なる布教用のテキストをこしらえたと思ったら女連れて棄教、晩年に「破提宇子」(提宇子・でうすを破す、の意)を著してこの世を去る。そういうハビアンの仕事を浄土宗のぼんさんがまとめた本。と書くとまぁだいたいあってる。
ハビアンの仕事のすごいところは、当時において神道に仏教、儒教に道教をみんな並べて宗教比較して、そのあとで「キリスト教がいかに違うか」ということを説明したこと、で、死ぬ前にそのキリスト教さえも、結局は駄目ぢゃんということで棄てたあたり。つまりはそのなんだ、「根っから信仰する」というスタンスではけっきょく考えられなかったわけで、方々の宗教体系から自分に都合のいい部分だけをつまみ食いする「個人的宗教」のスタンスは現代人の個人的なスピリチュアル体験を先取りしたものであったろう、ということで。
これを「現代人の特徴」というのかネ。いやむしろ、いろいろの宗教を俯瞰できたからこそ、実感のレベルで身にあう部分だけを抽出しえたんじゃないかと思うのです。日本人における宗教の「儀式性」とは逆の方向で、いろいろなパーツから精神的な安定を構築できればよかったんぢゃねえのかなぁとか、そんなことを思うのでした。
宗教関連についてはまったくの無知蒙昧でありんすので滅多なことは書けないけれども、結局宗教の目的って、まぁ日常に苦がなくて生きていけるように自分が納得すればいいんじゃねぇか、というところに達せたのがハビアンだったのではないかしらん、と思うのでした。
非常に痛快な人物のにおいはするのだけれども、まだそこまで、ハビアンの人となりのレベルまでは資料が無いらしいのでわかりません。
もっと人物像が見えてくると、文芸的興味として面白いだろうなぁ、という一冊。書き手のぼんさんもがんばって軽くしようとしていて、ナイスです。 -
芥川龍之介の「るしへる」を一読して元になった人間がいることを知りこの本を手に取る。
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死は無に帰すると説く禅仏教、生き抜き死にきるとする浄土仏教、現世のみの教え(倫理)を論ずる儒教、通常の生活を語るのみの神道、そして絶対の創造主に救済を求める一神教キリスト教。400年も前に仏教にもキリスト教にも通暁し、知性で類型化した日本人がいたとは驚き。神も仏も棄てた宗教者。その存在すら知らなかった。多分、大きすぎる知の巨人で、時代のタブーだったのだろうなと思う。それにしても、当時の知識人とされた林羅山らの卑小なことよ。そして、現代でもその存在を意図的に小さくみる知識人はいる。その時代の知の権威は、時代をひっくり返すような知性に本能的に警戒し攻撃をしかけるものらしい。
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キリシタン研究や比較宗教論の入り口にもよいかも。なかなか面白い人がいたもんだねぇ。