団地の時代 (新潮選書)

著者 :
  • 新潮社
3.52
  • (5)
  • (21)
  • (17)
  • (4)
  • (1)
本棚登録 : 181
感想 : 26
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (263ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106036576

作品紹介・あらすじ

高度成長期に先進的な住まいとして憧れの的だった「団地」。その輝かしい歴史と老朽化した現在、ニュータウンやマンションとの比較、団地文化が花開いた西武沿線と一戸建て中心の東急沿線…さまざまな対照から浮かび上がるのは、戦後日本の姿と、少子化・高齢化社会の未来だった。「住まい」や「沿線」を見つめ続ける政治学者と作家による熱い思いに満ちた対話。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 政治学者と作家による団地をテーマにした対談本。自身の体験に始まり、地理や政治、そして文化など、様々な観点から団地の歴史を語っていく。

    この手の対談本のいいところは、話題の種類が豊富ということである。団地の好きな二人が語り合うため、話があっちこちに飛び、団地そのものだけでなく周囲の文化にも話が及ぶ。おかげで団地がもてはやされた時代の雰囲気が少し分かる気がする。

    一方で体系的にまとめようとして話しているわけではないから、団地と直接は関係のない話が続くことも多いし、特定の地域の話に終始することもある。団地情報の密度という点では薄い本だと言える。

  • 両対談者は私の11コ上にあたる。私は彼らが体験したような団地の全盛期とはずれているが、ここに取り上げられた話を読むと、私も団地の時代の末流だと感じる。いくばくかの共同体志向があり、団地左翼でもあり、バスで駅まで通い、移動販売も来たり、芝生や植樹の緑を当たり前に享受して、丹沢の眺めを見て育った。小中では一戸建ての子も多かった点は、ニュータウンに比べて捻りも入っていたろう。

    育った団地の今後は気になるなぁ。

  • 1950~1970年代の日本の団地、あるいは団地文化は唯一無二で今後二度と出現しないだろう。
    同じコンクリート製の集合住宅であっても、今のマンションとはちょっと違う。
    いわゆる街づくりなのだ。それまでの歴史から独立した自由で便利なニュータウンが団地だった。しかも、ほとんどが小さな子どもがいる同年代で、収入もほとんど同じ画一的な家族が入居している。
    団地の構造・構成は、その頃強い影響力を持っていたソ連の社会主義の影響を受けており、民間でなく、公営の住環境の提供という、最も成功した社会主義国と言われる日本の面目躍如たる側面だろう。資本主義であるがゆえに、社会主義勢力の批判を意識したと考えられる。
    筆者らは、団地の住人が革新勢力として東京の美濃部革新都政を支えた、画一的な思考が形成された等の考察を行っている。確かにあるかもしれない。総中流社会の形成にも一役買っていた可能性もある。

    当初の団地は、水洗トイレの完備や最新電気製品の生活への憧れから、最先端の住環境であり、新婚の皇太子夫妻や現役の佐藤栄作首相が見学に訪れるほどであったことは、驚きだった。外国の要人にも自慢して見せていたらしいが、そのときに「日本人の住居はウサギ小屋のようだ」という名言?が出たらしい。

    今となっては、間取りの狭さや当時のように旺盛な住宅需要はないことから、高齢化が進む一方であるが、家賃の安さ等から外国人が多く入居する状況もあるようだ。
    団地を作っているときには、建て替えずに何年持つか、とか高齢化が進んだらどうなるかとかは、全く考えていなかったろう。
    ある意味、日本全体が「今」が永遠に続くであろうという「夢」を見ることができた時代だったのかもしれない。あるいは、「終戦」の最悪の状況から抜け出す努力でそれどころでなく、一段落して目先の満足に飛びつくことに忙しかった時代かもしれない。

    最近、日本のデベロパーが東南アジア(マレーシアやベトナム、カンボジア)でニュータウンづくりをしているが、同じ「夢の住居」であっても、当時の日本の団地よりも商売の性格の強いマンションに近い気がする。香港の住宅政策は官主導の団地の匂いがするが、高層住宅群の風景は、画一的な公園や緑のある日本の団地の風景とはちょっと違う。当時の日本の団地とは微妙に違うのだ。

  • 本書は、いわゆる団地について、その来し方行く末を団地にゆかりのある識者の2人が対談形式で論じていくもの。団地がどのような背景で作られ、現在どのような課題があり、将来的にはどうなっていくのかが語られる構成がまずもっておもしろいと思いました。しかし、両者は団地を主として現在のURが建設したものと捉えている点が非常に気になるところであり、公営住宅団地も戦後の住宅不足に貢献してきた歴史があろうと思われるのに、公営住宅にはほとんど触れられていないのは残念でした。

  • 東京郊外で育った政治学者と、西日本から上京した作家が団地を語る。

    かつて団地は憧れであり、天皇陛下がひばりが丘団地の視察もした、というのが印象的。今だと団地はあまりイメージが良くないですが、イメージというのは変わるものですね。今はやりのタマワンのイメージも、きっと数十年たったら変わるのでしょうね。50-60年代、団地は憧れの存在で、その要因の1つは水洗トイレだそうです。

  • 合併だってある面、街の建て替えみたいなものじゃないですか 阪急は何に一番力を入れたかっていうと、エスカレーターやエレベーター、スロープの設置などのバリアフリー化と、自動改札やラガールカードの導入などの自動化カード化なわけですね コミュニケーションに支えられているまなざしは「見守り」になるけど、機械に任せると「見張り」になると思うんですよね

  • 150801 中央図書館
    結局のところ、鉄ちゃん同士の少年時代の思い出談義の会話がメインになっているかな。沿線別の特色なぞ、いわれずともわかる。団地の原風景を懐かしむにはよかろうが。

  • <目次>
    まえがき
    対話の前に 重松清はなぜ『滝山コミューン一九七四』に嫉妬したのか
    対話Ⅰ   東京の団地っ子と「非・東京」の社宅の子
    対話Ⅱ   団地の西武、一戸建ての東急
    対話Ⅲ   左翼と団地妻
    対話Ⅳ   団地と西武が甦る時
    あとがき

    <内容>
    近代政治史の原武史が同年代の作家の重松清との対談。1970年代の団地をキーワードに(原は東京都東久留米にあった「滝山団地」で小学校時代を過ごした)、現代の社会を語っていく。
    面白かったのは、団地のコミュニティの問題と鉄道による思想の違い〈西武と東急という形で紹介されている)。さらに「団地」と民間「マンション」の違い。そこにはコミュニティがあるかないか、プライバシーの濃淡、などの違いが見えること。さらに70年代までに開発された「団地」と80年代以降総合的に開発された「ニュータウン」の比較。バス利用か車かの違いが、町の形成に大きな違いを生んだなど、面白い見解が次々と出てくる。また、団地の再生に話しでも、建て替えるよりも悪いところだけを直していくスタイルの方がいいとか、古い分家賃が安くなると若者が入居して、新しい風が吹いてくることか、団地の従来のコミュニティは「孤独死」を防げるのではないか、なども参考になるのでは…。発刊から5年もたっているので、参考にする人はとっくに参考にしていると思いますが。
    それにしても、自分も小学校低学年で経験していた「団地」も歴史や社会学の研究ジャンルになることに驚いた。

  • 少年時代の思い出を大人に成長してからの視点で検証する。

  • 原武史『レッドアローとスターハウス』『団地の空間政治学』からそんなに変わらない印象で、図書館で借りるので済ませて良かったとは思うものの、対談を通すことで割と瑣末なことだったり、読者として踏み込みたかったことだったりが載っていたのはよい収穫だった。

  • 基本的には原の団地観を重松が聞くという形だが、重松が提出する、地方出身者の団地観、団地暮らしの性生活、マンションとの対比などの視点が対談を豊かなものにしている。

    原『団地の政治空間学』も併せて読むと、原の団地観が一層理解できるだろう。

  • 戦後の高度経済成長、バブル経済、バブル経済崩壊、そして少子高齢社会の進展する現在へと、社会・経済、家族構成などもめまぐるしく変わっていった日本。その時代時代に応じて変わってきた「住まい」、とりわけ都会およびのその郊外における「住まい」そして「沿線」の住宅に注目し、「団地」の果たしてきた役割と盛衰、「団地」と「一戸建て」の分布・推移などについて論じられており、非常に興味深い1冊。

    ただ、具体的な東京近郊の団地名・沿線名を聞いても、地方在住者には、いまひとつピンとこない部分があるのは否めない。

  • 感想未記入

  • 原武史「滝山コミューン1974」の副読本としても読める対談集。基本的には西武線沿線vs東武線沿線という東京西部の鉄道対決に帰着しがちな原氏の主張を、東京外の視点を示してより汎用性ある枠組みに開いていく重松氏のアプローチが見事。巻末に年表あり。

  • これは同世代人として必読だね。

    名古屋の交通はいま思えばハイカラだったかも。名駅や栄のバスターミナル、パノラマカーなどなど。幼児の頃神宮前の踏切で汽車をみたり堀田通りを走る花電車や花バスをみたりしたことが懐かしい。高辻には市電の車庫があった。

    いまはどの電車に乗っても冷房がきいている。弱冷房車もある。冷房車が登場した頃わざわざ冷房車に合わせて駅に行ったこともある。1時間に数本しかない名鉄瀬戸線でそんなことをしていたのだから時間の流れはゆったりとしていたのだろう。

    原武史さんが四谷大塚の日曜テストの当時の様子を書いている。僕は名古屋の公立小学校から公立中学へ進学したので中学受験を経験していない。小学生の頃なんて、ろくに勉強なんてしていない。でも母親に言われて何度か模試を受けた。学習塾なんて遠い世界だったから模試は新鮮だった。この時点で東京の子とは既に違ったんだなぁ。

    重松清さんが、曾野綾子さん原作の「太郎物語」がNHKのドラマで放映されたことに触れている。これに出てくる「北川大学」とはまさに我が母校であり、ドラマの放映時期と僕の在学時期が部分的に重なっている。東京から名古屋の大学に来ると、それは「都落ち」であったのは紛れもない事実である。


    この本、いい本だけど校正が荒い。もったいないなぁ。
    「子ども」と「子供」を使い分けているならいいがそうでもなさそう。混在していては読みにくいし、重松さんが「子供」を使うとは思えないが…。

  • 面白かったです。(*^_^*)日本政治思想史を専門とする学者の原武史さんと、ご存じ、小説家の重松清さんの「団地」をめぐる対談なんだけど、住まいに反映される戦後の日本人の動向が、なるほどねぇ〜〜と、とても興味深く読めました。そもそも、地方出身の私には「団地」というものに対する具体的な思いがなくて、それが、イコール文化的な生活であったとか、ニュータウンとはどう違うのか、とか、今の「団地」の姿とか(それは、地域によってかなり違う状態になっていてそれも面白い)。鉄道会社が人為的に町を作っていく、という発想も、また、その作り方が会社によって違う、というのも、そっか、そうなのか〜〜と。そして、団地の均一性から派生して、「みんな」と「私」の対比、あるいは、多数決の論理の胡散臭さ、まで持って行ってしまうのは、重松清だなぁ〜〜〜とも。

  • 東京に住んでないとよくわからん・・・

  • 岡山で生まれ、山口、大阪、名古屋など各地で生活し成長して、大学進学で東京へきた作家重松清氏。東京近郊西武線沿線で生まれ、ひばりが丘、久米川、滝山の各団地で暮らし、中学進学で東急線沿線のへと引っ越して育った原武史教授。同学年のふたりによる、団地やマンション、一戸建てによる「住まい」、西武・東急、他線による「沿線」、各々に関する文化や意識の違いなどを、いろいろな角度から語った対談集。衝撃だったのは、1960年、ひばりが丘団地に当時の皇太子ご夫妻(現、明仁天皇、美智子皇后)が視察に訪れていた時の写真。隣や下の階には、真っ白な洗濯物がはためき、そんな中、ロイヤルスマイルで団地のベランダに佇む皇太子ご夫妻の姿には驚きました。当時団地は時代の最先端であったという証なのか・・・(そういえば、私の子供時代には近所の女子大に美智子妃殿下がよくいらしてて、その度に母と一緒にベランダから一生懸命手を振ったなぁ〜)廃れゆく団地、盛り返しつつある団地。いまも、これから先も生活の場として存在し続ける、そんな姿が浮かび上がってきました。

  • 「滝山コミューン1974」の著者原武史さんと重松清さんは62年生まれと63年生まれで生年は違うけれど重松さんは早生まれなので学校では同学年。幼少年時代を西武線沿線の団地で育ち、慶応中学進学と共に東急線沿線の青葉台団地に引越し、その後も横浜市青葉区に住む事になった原さんと、転勤族で大阪、名古屋、米子、山口等を転々とし、早稲田大学進学と共に上京して多摩ニュータウンで塾講師のバイトをしていた重松さんとの【団地】を巡る対談。団地とニュータウン、民間マンション、一戸建て住宅の住まい方、近隣との関係性から西武文化と東急文化についてまで話題は多岐にわたっていてとても面白い。私は仕事柄もあってか団地もニュータウンも民間マンションも間取りや仕上に多少の違いはあってもどれもみな「集合住宅」「共同住宅」で変わりはないという認識だったのですが、この対談では「集合住宅」と「共同住宅」は区別してました。目ウロコ。団地はどこも少子高齢化して限界集落に近づいているのかと思ったらそうではない団地もあるらしく、対談の最終段では団地の明るい未来が展望されてました。原さんは学者らしく広範な資料を取り揃えて随分研究している様なのですが、あくまでも視点はエンドユーザーからの視点なので都市計画家とか建築評論家とかの鼎談でも面白かったかもと思うのですが、それじゃ話が拡散しちゃうかな。

  • 同じ世代の歴史学者と小説家が、主に西武線沿線の団地と多摩ニュータウンを通して語り合う「団地の時代」。原武史氏の「鉄分」は、この対談集でも十分に味わえます。ということで、次に読んだのは、文庫になったばかりの「滝山コミューン一九七四」。

  • 「団地」と「ニュータウン」の違いについては、これまであまり意識していなかったけれど、団地の方がよりヒューマンスケールに近いということだろうか?<br /><br />少なくとも、著者の二人は団地に愛着を持っていることが感じ取れた。それは単純にマニアであるとかノスタルジーを感じるというのとも異なる、「団地」に古くて新しい価値を見出そうとしているかのようであった。<br /><br />さて、私が「団地」というものを意識したのは、本書にも書かれているように、ウルトラセブンのある回の物語で取り上げらていたからである。<br /><br />記憶によれば、一人のサラリーマンが酔っ払って家に帰り着いたところ、自宅と間違えて他人の家の呼び鈴を鳴らしたというものだった。そして、その団地が宇宙人の秘密基地になっているというものだったと思う。<br /><br />団地という無機質な「箱」が並んでいる様子をアイロニカルに表現したエピソードだったわけだが、子どもながらに強く印象に残った。<br /><br />もちろん、当時子どもであった自分がそこまで深く思い至ったわけではないが、この物語を面白いなと感じたことが懐かしく思い出される。

  • 100530 読了。戦後の日本において「民主主義の実験場」として機能してきた団地とニュータウンについて,生まれも育ちも団地で『滝山コミューン一九七四』の著者である原武史と,大学時代に上京し,多摩ニュータウンで塾講師をしていた重松清が語り尽くした本。

    お互いに自らの実体験をベースにしながらも,学者として当時の時代背景や政治状況などを語る原と,原に素朴な疑問を投げかけつつ,団地の均質性が子どもにもたらした影響など,よりソフトな面を指摘する重松。

    最後の章では,これからは団地が持っているコミュニティが必要とされていくのではないか,という意見で一致している。

  • ■重松清さんの全作品を感想文にしてブログで挑戦中です。
    重松清ファン必見!
    http://wwjdkan01.blog68.fc2.com/

全26件中 1 - 26件を表示

著者プロフィール

1962年生まれ。早稻田大学政治経済学部卒業,東京大学大学院博士課程中退。放送大学教授,明治学院大学名誉教授。専攻は日本政治思想史。98年『「民都」大阪対「帝都」東京──思想としての関西私鉄』(講談社選書メチエ)でサントリー学芸賞、2001年『大正天皇』(朝日選書)で毎日出版文化賞、08年『滝山コミューン一九七四』(講談社)で講談社ノンフィクション賞、『昭和天皇』(岩波新書)で司馬遼太郎賞を受賞。他の著書に『皇后考』(講談社学術文庫)、『平成の終焉』(岩波新書)などがある。

「2023年 『地形の思想史』 で使われていた紹介文から引用しています。」

原武史の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×