- Amazon.co.jp ・本 (263ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106036576
感想・レビュー・書評
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これは同世代人として必読だね。
名古屋の交通はいま思えばハイカラだったかも。名駅や栄のバスターミナル、パノラマカーなどなど。幼児の頃神宮前の踏切で汽車をみたり堀田通りを走る花電車や花バスをみたりしたことが懐かしい。高辻には市電の車庫があった。
いまはどの電車に乗っても冷房がきいている。弱冷房車もある。冷房車が登場した頃わざわざ冷房車に合わせて駅に行ったこともある。1時間に数本しかない名鉄瀬戸線でそんなことをしていたのだから時間の流れはゆったりとしていたのだろう。
原武史さんが四谷大塚の日曜テストの当時の様子を書いている。僕は名古屋の公立小学校から公立中学へ進学したので中学受験を経験していない。小学生の頃なんて、ろくに勉強なんてしていない。でも母親に言われて何度か模試を受けた。学習塾なんて遠い世界だったから模試は新鮮だった。この時点で東京の子とは既に違ったんだなぁ。
重松清さんが、曾野綾子さん原作の「太郎物語」がNHKのドラマで放映されたことに触れている。これに出てくる「北川大学」とはまさに我が母校であり、ドラマの放映時期と僕の在学時期が部分的に重なっている。東京から名古屋の大学に来ると、それは「都落ち」であったのは紛れもない事実である。
この本、いい本だけど校正が荒い。もったいないなぁ。
「子ども」と「子供」を使い分けているならいいがそうでもなさそう。混在していては読みにくいし、重松さんが「子供」を使うとは思えないが…。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
100530 読了。戦後の日本において「民主主義の実験場」として機能してきた団地とニュータウンについて,生まれも育ちも団地で『滝山コミューン一九七四』の著者である原武史と,大学時代に上京し,多摩ニュータウンで塾講師をしていた重松清が語り尽くした本。
お互いに自らの実体験をベースにしながらも,学者として当時の時代背景や政治状況などを語る原と,原に素朴な疑問を投げかけつつ,団地の均質性が子どもにもたらした影響など,よりソフトな面を指摘する重松。
最後の章では,これからは団地が持っているコミュニティが必要とされていくのではないか,という意見で一致している。