- Amazon.co.jp ・本 (254ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106036613
作品紹介・あらすじ
「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」。幕末、訪日した欧米人は公衆浴場が混浴なのに驚いた。当時の裸体観がいまと異なっていたのだ。しかし、次第に日本人は裸を人目に晒すことを不道徳と考えるようになり、私的な空間以外では肉体を隠すようになった。その間、日本人の心の中で性的関心がどのように変化していったかを明らかにする。
感想・レビュー・書評
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裸体が自然物として存在する限りにおいては恥かしさは生じない。隠そうとするから恥かしさも生まれるという話。西欧近代の裸へのまなざしの複眼性(要するに「けしからん」けど「のぞきたい」)に注意を促す。
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西洋人がやってくるまでは恥ずかしくなかった裸。街中でも風呂でもあちこちで普通に存在していた裸。
日本人にとって裸=性行為ではなかった。
それが西洋人が来たことによって瞬時に変わってしまった。
意識はヒトの目が作る。 -
羞恥心や性的刺激は後天的に獲得されるものだという事が改めて分かった。時代や文化により、そして「見るなの座敷」的な好奇心を扇状する事により、性的関心のラインは変化し、同時に羞恥心も湧き上がる。自然に男女混浴していた日本人が、やがて履いていなかったパンツまで性的関心の対象になった。
隠そうとすればする程、日常見られぬ事からその対象に特別性が生まれ、それが刺激対象となる、という事は、経験的に分かる気がする。読みながら、人間の脳がそのように塑性変形して刷り込まれていく事は、被服の割合に関わらず、様々な事に言えるのだろうなと思った。著者は養老孟司の言で、脳化社会と呼んだが、寧ろ、逆である。脳が社会を作るのではなく、社会に脳が変化させられる。ならば、起点は何なのか。混浴の終わりは外国人による好奇の目や、欧米化を目指した法制度による。現代社会には、テレビやインターネットもあるから、CMなんかを多量に流し、文化範囲における脳を同質化させる事が比較的容易。今や、場違いな喫煙者は異常性と嫌悪感を持って扱われるだろう。この嫌悪感も、羞恥心同様、脳が後付けで変化した故だ。
バイアスを生み出す、脳自体が塑性変形させられている可能性を見抜かねば、スリードがB層として馬鹿にした無知な大衆層となり、数のみが社会的価値とされる存在に成り下がる。恥ずかしいのではない、恥ずかしいと思い込むように、インプットされたのだ。 -
2022.02.11 図書館
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●150年前、公衆浴場。男女混浴。本当か?
●ペリーもびっくり。
●日本全国混浴だったのか?
●基本は男女別だったが、混雑すると混浴になる。
●当時は西洋の裸体観とはギャップがあった。
●幕末にヌード写真が出回る。写真技術。
●明治政府による混浴の禁止!外国人に対して失礼。猥褻物も。
●関東大震災。女性の和服が逃げる時に不便。洋装化へ。
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64ページまで読んだ
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いまから、150年ほど前までは、"はだか"は顔の一部だった。プライバシーなどない。それがふつーだった。勿論、時と場合によって様々だが銭湯が混浴であったり、家の外で行水もふつーだった。暑ければ服を脱ぐ、それが日本人の姿だった。しかし、幕末欧米人が日本に入ってきた。彼らはいまの僕らと同じ感覚で当時の日本人を見ていた。日本人同士ではさほど気にしないが、外国人の目を気にするようになり、羞恥心が生まれた。それ以来、次第にはだかを徹底的に隠すようになり現代に至る。これが良いか悪いかは賛否あると思うけど徹底的に隠すとそれはそれで問題が起こるのも事実だと思う。
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黒船来航までは裸は恥ずかしくなく、若いお嬢さんも道端で行水してるが当たり前だったそうで。明治維新で西洋人を意識して混浴や裸体を政府が禁止したところ、隠すほどセクシーに感じて、日本人の意識が変わったそうです。肌を隠すのは日本人の伝統的なたしなみと思っていたんだけど、意外と近代の流行なんですね。