人間にとって科学とは何か (新潮選書)

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著者 : 村上陽一郎
  • 新潮社 (2010年6月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106036620

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人間にとって科学とは何か (新潮選書)の感想・レビュー・書評

  • 図書館でみつけて、即座に借りました。なにしろ、村上陽一郎さんには、進路に悩んでいた若い頃に「科学者とは何か」でずいぶんと助けていただきましたので。

    結論は常識的で、「科学イコール役に立つ、という軸だけで科学を考えるのはやめよう。もっと根源的な意味がある筈だから。そしてみんなで科学リテラシーを身につけよう」というものでした。

    この本で感心したのは、第3章「医療における新たな制度」のところです。
    村上さんは、医師-患者関係について、「患者」が「医者」と対等になるような関係を理想としているようですが、その論拠が秀逸なのです。

    まず、「社会においては文明の進捗具合によって疾病構造が変化する」という考え方を紹介します。

    それは、「文明の第一段階」では主たる死因は「消化器系の感染症」、「第二段階」では「呼吸器系感染症」、「第三段階」では「生活習慣病」、そして最終段階で「社会的不適合」になる、というものです。

    これは説得力があります。
    未開な社会ではコレラとか腸チフスとかで亡くなる人が多くって、少し進むと肺炎とか結核とかになって、さらに進むとメタボ系=動脈硬化系(脳卒中、心筋梗塞)とがんになって、その先にはおそらく「自殺」がくる。

    第一、第二段階の「感染症」が主体で会った頃の医療関係は、医療の力が非常に強かったから、関係も医療者側が強かった。しかし、第三段階になってくると、「患者」の力がないと、たとえば糖尿病を落ち着けるのには本人の努力による運動とダイエットが不可欠であるように、病気をコントロールすることができない。

    こういう時代では、「患者学」というのも必要だ。

    という訳です。

    生活習慣病を見る医者と、感染症をみる医者とでは、医者のできることに差があるという着眼点に感心しました。

    ただ、村上さんは「がん」も「生活習慣病」と同列に論じようとしていたけど、「がん」はどっちかというと「感染症」に近いんじゃないかな、とは思いました。だから「がん」の治療方法についての自己学習を推奨する考え方については、ちょっと違うと思いました。

    あと、最後の方にでてくる「現場荒らし」の科学者(自分に都合の良い研究結果がでるまで「現場」にいて、結果がでたらオサラバしてしまう研究者)の問題提起にもフックしました。研究者を「ビジター型」と「レジデント型」に分けて考えようという向きもあるそうです。

    この考え方って、そのまま医者の世界にあてはまりますよね。開業医や、その病院に長く勤める勤務医は「レジデント型」、数年でどんどん移っていく医者たち(研修医や、ローテーションが決まっている大学系の医者とか)が「ビジター型」。

    自分が、「レジデント型」から「ビジター型」になってしまうことに関して、屈託があるってこともすごく自覚しました。まあ、どっちがいいということではなくて、それぞれに得意分野を開拓していこうよということになるんだと(アタマでは)思うんだけど、僕の「中の人」は結構頑固で、なかなかその考えを「うん」と言ってくれず苦労しました。

    長くなってしまいましたが、結論は、「村上さんは今回も僕を助けてくれた」ということでした。

  • 語りかけるような形式で、科学とはなにか、社会とどう関わってきたか、そしてこれからの社会との関わり方はどのようにあるべきかといったことをわかりやすく説いている。いまの科学あり方を考えるときにはやっぱり成立から現在に至るまでの歴史を追うのは大事なんだなぁと再認識した。技術との違いとかね。たいへん読みやすいので科学論、科学技術社会論的な領域への入り口としてはよいと思う。もうちょいヘビーなのを読んでいい段階かなと思えた。

  • 2017.05.19読了

     科学は自然界の真理を発見するためにあるのか、それとも、人間の役に立つためにあるのか。
     科学哲学の根本的なテーマである。専門的で高度な内容であったが、よく理解できた。

     生命倫理との関係では、「遺伝子操作ができるようになって、同性カップルが自分たちの遺伝子を組み合わせた【子供】をほしがるようになった話」が印象に残った。なるほど、科学が発達することで、「ありえない」欲望や欲求も出てきてしまう。「発展させればいい」という性質のものでもなさそうだ。

    リスクと科学の話では、「制御できないものはリスクと呼ばない」話。小惑星が地球に衝突する(これは天災)のは、場所を予測して疎開するくらいしか方法がなかったが、科学が発達してその小惑星の軌道を変えることができるようになるととたんにリスクと認識されるようになる。

    「パブリックとは何か」とか、「科学者として法廷に立つ」とか、社会科学に関係のあることも書かれていた。法廷は傭兵をやとって勝ち負けを競う場であり、真理発見の場ではない。真理を探究する科学者が辟易するのはその通りだ。
     様々な方向性から「科学」の本質を明らかにする本書は、科学の世界においてこそ、倫理的・哲学的な考え方が大事であることを再確認させてくれる。

     プロの科学者が読むと、たぶん「それは違う」と思うことも多々あるのだろうけれど。

  • 無意識にたくさん読んでいた村上陽一郎先生の本。
    この本は2010年発行、すなわち震災以前の本ですが、今の科学が抱える問題を満遍なく書いた本だと思います。

  • ひとが何を「安全」と思い、「安心」と感じるのかということは、必ずしも合理的な基準があるわけではなく、相対的なものです。(p.114)

    「衆愚」にならないたえに、意思決定に参加する人に、そしてそうでない生活者の方々にも、科学技術に対するリテラシーをもっと理解してほしいと思います。理解とは専門知識ではありません。物理学の難しい方程式などは知らなくてもいいけれど、自然探求の面白さを知り、それを土台に科学・技術を理解し、考え、責任を分担できるように「成熟」していくことなのです。(p.156)

    科学の側から科学者のすべきこと、科学者がこうあるべきだ、と考えるのはある意味、単純なのですが、それが「私」対「公共」となると、何をすべきか、何ができるのか。私はほんとうに、日本にパブリックを確立できたら、と考えているのです。(p.160-161)

  • リテラシーの大切さと、文化上意識しなければならない科学の在り方についての初心者本。
    リスクについての、解説が分かりやすい。
    良書ではあるが、好みは分かれると思う。

  • 科学技術社会論STSで有名な著者に依る本。いまの日本の社会でこの人の考えを検討することは非常に有益だろう。この本は書き下ろし、というよりも語り下ろしの本で、口述筆記に近いもののようだ。そのため、通常の本と比べれば論点が多岐に渡り、議論もシャープではない。だが口述にしてはかなりまとまっている。

    話題は科学技術社会論のメインテーマである科学者と社会の全般的な関わりを始めとして、医療、生命科学、法廷における科学者、リスクと安全学、「公共public」という概念についてと続き、科研費と事業仕分けにまでと様々だ。

    著者が言うよう、科学者scientistという区分けが確立したのはそう古い話ではない。それは1834年、イギリスの科学史家ヒューエルによるものとされている(p.15)。科学と社会との関わりについて言えば、科学者とはそれ自体としての科学的知識を探求するものであって、その結果が社会にどう関わるかはほとんど関心の外だった。例えば科学的成果について産業界、企業が注目したのは20世紀に入ってから。1935年のデュポン社におけるナイロンの開発が注目すべき始まりのようだ(p.21)。科学はそれまで、医学などと違い相手・クライアントを持たなかった。それ以降、科学は国家という本格的なクライアントを核兵器開発において持つことになる(p.39)。

    こうして科学と社会の関わりが深まっていく中で、科学研究はいかにあるべきかを巡り科学者の態度もまちまちだった(パグウォッシュ会議など)。この中、著者が大いに注目しているのが1975年のアシロマ会議だ。これは生命科学の研究者が遺伝子組み換えなどの研究をどう進めるかを話し合ったもので、ここから「生物学的封じ込め」という手法や、研究機関内にIRB(倫理委員会)を設置するという重要な動向が生まれた。

    「アシロマ会議に拠ってもたらされた改革は、科学者が自発的に自らの研究の自由を束縛してでも、社会的責任を果たそうと留保をつけたという特異な例であるばかりでなく、近代科学が成立して以来の科学者共同体を開こうとしたという、科学史上における大事件だったのです。」(p.50)

    科学によって実現できる事柄が広がっていくうちに、科学者だけには負えない様々な問題が生み出されてきた。著者はこうした問題について、科学的合理性ではなく社会的合理性を求めるべきだと述べる(p.106f)。つまり、「もう科学者だけの手には負えないので考えあう、という以外の道はありえません。科学者も含めた人間の知恵を寄せ合うしかありません」(p.100)。確かに、社会はそうした方向に向かっていると思う。科学者のみに任せることはできないだろうが、専門家と非専門家のバランスをどう取るのか、決定や責任の所在はどうするのかなどについては難しい問題が多数あろう。

    科学の研究は当初、知識の追求それのみを目的とするものだった。技術や社会との関わりが重要視されるのは最近の展開だ。現在でもこうした知識の追求それ自体の価値を置く傾向があって、著者はこれをフィランソロピー(人間愛)と呼ぶ。だが日本はもともと、富国強兵、殖産興業のために技術面を重視して導入された。工学部がここまで強いのは日本の特徴だ。社会的に役に立たない研究など意味が無い、という意見は日本に根強いが、著者はむしろ科学研究は芸術が娯楽に比すべき側面があると語る。ただ、諸手を上げて賛成、とはいかない気持ちが何か残る。簡単に言うと金だけ出して好きにやらせろ、というものだから。責任感や感謝が必要、そのためのルールを作れ、と著者は言うものの。

    「研究者の自由な発想に基づいて追究し発展させていく純粋研究こそ、プロトタイプの科学であり、社会的な貢献度が計量化できないから、すなわち無価値であるということはできま... 続きを読む

  • 【新着図書ピックアップ!】著者の村上陽一郎氏は本学名誉教授であり、科学史・科学哲学の第一人者である。グローバル社会を生き抜くために「科学」を知ろう!
    [New Book!] Dr. Youichiro Murakami is a professor emeritus at ICU and leader person in the field of History & Philosophy of Science. Science is an indispensable element for the survival in the era of globalization.

  • つい先日、小飼弾氏が「科学的とはどういう意味か」という本の書評をしていた。

    小飼弾氏による科学の定義とはたったの一行。
    「科学とは、知をもって信をおきかえること」
    つまりは、純粋な真理の探究としての科学研究について語っている。

    しかし本書は、"人間にとって"科学とは何かというタイトルであり
    社会の中における科学のあり方をテーマとしている。

    今日の体系だった科学というものの歴史は、意外にもそれほど古いものではなく
    始まってからまだ200年程度しか経っていない。
    だが、科学から生まれた力は
    良くも悪くも社会を大幅に変革するようになってしまった。

    地球温暖化、クローン羊、ES細胞、核爆弾 etc

    もはや科学は、純粋な真理の探究だけでは済まされない。
    人間社会の基本的な価値観についての、多角的な議論が必要であろうと。


    テーマは壮大で、いろいろ面白い話はあるのだが
    いかんせん哲学的な問いなので、特に明確な結論があるわけではない。

    一つ明確な主張があるとすれば
    「多角的な議論のために、人類の皆がもっと科学リテラシーを身につけることが必要」ということだろうか。


    余談だが、読んでいて全体的にまとまりのない文章だなと感じていたのだが
    あとがきで理由が判明した。

    著者は原稿を自分の手で1文字も書いておらず、語り下ろしを編集者が纏めてくれたとのこと。
    どんなに頑張っても、他人の口述や考えを文章にまとめるのは限界がある。
    自分の考えは自分の手で書かないと、文章をまとめるのは難しい。

  • 「科学の現在を問う」と話がかぶってる部分が多いような気がする.

  • 「生命経済学」のテキスト。社会の中の科学の位置づけについて述べている。後半は要点がつかみづらかった。

  • 科学者がその研究内容に説明責任や成果を求められる時代になった。短期的な成果を求めるだけではなく、もう少しゆっくりと研究する、そんな余裕があっていい。

  • 冒頭で1999年「世界科学会議」で宣言された「科学と科学的知識の使用」について、以下の主旨が紹介されている。
    1知識の進歩のための科学
    2平和実現のための科学
    3持続的発展のための科学
    4社会のための、そして社会の中の科学

    本書の後半では、特に4つ目の科学が中心の話題となっている。梅棹・湯川の『人間にとって科学とはなにか』では、1つ目の科学を中心に対する考察といえる。4この二人が対談してから約30年間を経て、これら4つの類型が整理されたことになる。

    社会の中の科学を取り巻く課題は、多くそれとても深い。万人のコンセンサスを得ることは極めて難しいと予想される。それでもES細胞、脳死臓器移植問題、生殖医療といった分野の周辺の生命倫理上の課題と向き合わなければならない。わたしたちが。

    個人的には、社会と科学の一つの接点として、「市民参加型技術評価」の可能性を注視していきたい。現状の政策等へのパブリックコメントの手法が成熟することを期待している。そのためには、筆者のいう「科学技術リテラシー」を身につけた人材育成が必要で、16年間の学校教育で「教養教育」を実施することが肝要となる。衆禺にならないような科学教育だ。

    オマケ
    先日見た映画『はやぶさ 遥かなる帰還』を見ても感じたが、日本特有の科学技術の発達のかたちとしては、まず「技術」とそれを支える「工学」が大切にされていたことが特徴とされているそうだ。他の近代国家の理学先行型とはだいぶ趣がことなることがよくわかった。

  • 博士課程の方に村上先生の本を紹介頂いたが、
    非常に勉強になったと感じていますし、他の方にも
    お勧めしたいです。

    村上先生の他の書籍も読んでみたいと思います。

  • 今現在、「科学者」「科学」の置かれている立場を、もう一度、考えるのに、非常に重要な本。
    10年6月刊行。

    巷では、寺田寅彦が持ち上げられているようであるが、『沈黙の春』を挙げるまでもなく、科学を告発する者の多くは、れっきとした科学者である。

    科学技術に裏付けられた物質文明の享受は、再考の余地が十分あると僕自身、考えるが、科学を全否定するような輩は、例えどこかの偉い学者先生であっても、全く与しない。

    読書案内、参考図書がないのが非常に残念。

  • 科学と社会との関係、特に人間にとって科学とは何なのかについて書いた本である。
    「知識のための知識」という財産を増やすことも人間にとって必要であるというのは、むしろいままでずっと暗黙の了解事項(学者コミュニティ内だけかもしれないが)であったと思うのだが。

    だから何が言いたかったのかというのが感想である。

  • ・知識の進歩のための科学
    ・平和実現のための科学
    ・持続的発展のための科学
    ・社会のための、そして社会の中の科学

    人間の歴史を調べていくと、われわれがだんだん広がっていることは確か。
    ユダヤ人自身もかつて、ユダヤ人だけがわれわれで、あとはみんな異邦人だと断じた。それをキリストが、よきサマリア人の挿話で、ユダヤ人だぇが神から選ばれた民族だと思っているのは間違いだよ、と説いたわけだ。そして皮肉にもアーリア人たちに、他者扱いされてしまう。

    新しい教養教育は現代に即した現実的テーマを、分野横断的に取り扱う必要がある。これからの時代、理系でも法律や倫理の知識は欠かせませんし、同じように文系でも科学や技術の影響を理解し、判断し、意志決定する能力が読み書き能力と同様に大切なものです。

  • 久々に、「読んで良かった」と思った1冊。初めて村上さんの考えに触れたのは、大学受験のときの現代文の問題。そのあと、いろいろなところで発表される文章を読んできました。
    今回の本には、そもそも「科学」「技術」とは、何か、という根本論から、「事業仕分け」を受けて「もっと最先端科学と一般社会をつなぐことができる人が必要」という提言まで。個人的には「科学が、科学だけで成立していた時代から、科学が実社会で”成果”を生むようになったことで、いまの不具合が発生しているのでは」と思いました。村上さんも指摘されている「科学者が、専門研究について、一般社会の人々は知る必要がない、ただ支援してくれればいいという姿勢で臨むことは現在では許されない一面もある。特に税金を使っている場合は納税者への説明責任がうまれる」というのはもっともだと思いました。
    科学や技術の成果が身の回りにあふれる今、読めば刺激になる1冊です。

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人間にとって科学とは何か (新潮選書)の作品紹介

純粋な知的探究から発して二百余年、近代科学は社会を根底から変え、科学もまた権力や利潤の原理に歪められた。人類史の転換点に立つ私たちのとるべき道とは?地球環境、エネルギー問題、生命倫理-専門家だけに委ねず、「生活者」の立場で参加し、考え、意志決定することが必要だ。科学と社会の新たな関係が拓く可能性を示す。

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