- Amazon.co.jp ・本 (206ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106036620
感想・レビュー・書評
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科学技術社会論STSで有名な著者に依る本。いまの日本の社会でこの人の考えを検討することは非常に有益だろう。この本は書き下ろし、というよりも語り下ろしの本で、口述筆記に近いもののようだ。そのため、通常の本と比べれば論点が多岐に渡り、議論もシャープではない。だが口述にしてはかなりまとまっている。
話題は科学技術社会論のメインテーマである科学者と社会の全般的な関わりを始めとして、医療、生命科学、法廷における科学者、リスクと安全学、「公共public」という概念についてと続き、科研費と事業仕分けにまでと様々だ。
著者が言うよう、科学者scientistという区分けが確立したのはそう古い話ではない。それは1834年、イギリスの科学史家ヒューエルによるものとされている(p.15)。科学と社会との関わりについて言えば、科学者とはそれ自体としての科学的知識を探求するものであって、その結果が社会にどう関わるかはほとんど関心の外だった。例えば科学的成果について産業界、企業が注目したのは20世紀に入ってから。1935年のデュポン社におけるナイロンの開発が注目すべき始まりのようだ(p.21)。科学はそれまで、医学などと違い相手・クライアントを持たなかった。それ以降、科学は国家という本格的なクライアントを核兵器開発において持つことになる(p.39)。
こうして科学と社会の関わりが深まっていく中で、科学研究はいかにあるべきかを巡り科学者の態度もまちまちだった(パグウォッシュ会議など)。この中、著者が大いに注目しているのが1975年のアシロマ会議だ。これは生命科学の研究者が遺伝子組み換えなどの研究をどう進めるかを話し合ったもので、ここから「生物学的封じ込め」という手法や、研究機関内にIRB(倫理委員会)を設置するという重要な動向が生まれた。
「アシロマ会議に拠ってもたらされた改革は、科学者が自発的に自らの研究の自由を束縛してでも、社会的責任を果たそうと留保をつけたという特異な例であるばかりでなく、近代科学が成立して以来の科学者共同体を開こうとしたという、科学史上における大事件だったのです。」(p.50)
科学によって実現できる事柄が広がっていくうちに、科学者だけには負えない様々な問題が生み出されてきた。著者はこうした問題について、科学的合理性ではなく社会的合理性を求めるべきだと述べる(p.106f)。つまり、「もう科学者だけの手には負えないので考えあう、という以外の道はありえません。科学者も含めた人間の知恵を寄せ合うしかありません」(p.100)。確かに、社会はそうした方向に向かっていると思う。科学者のみに任せることはできないだろうが、専門家と非専門家のバランスをどう取るのか、決定や責任の所在はどうするのかなどについては難しい問題が多数あろう。
科学の研究は当初、知識の追求それのみを目的とするものだった。技術や社会との関わりが重要視されるのは最近の展開だ。現在でもこうした知識の追求それ自体の価値を置く傾向があって、著者はこれをフィランソロピー(人間愛)と呼ぶ。だが日本はもともと、富国強兵、殖産興業のために技術面を重視して導入された。工学部がここまで強いのは日本の特徴だ。社会的に役に立たない研究など意味が無い、という意見は日本に根強いが、著者はむしろ科学研究は芸術が娯楽に比すべき側面があると語る。ただ、諸手を上げて賛成、とはいかない気持ちが何か残る。簡単に言うと金だけ出して好きにやらせろ、というものだから。責任感や感謝が必要、そのためのルールを作れ、と著者は言うものの。
「研究者の自由な発想に基づいて追究し発展させていく純粋研究こそ、プロトタイプの科学であり、社会的な貢献度が計量化できないから、すなわち無価値であるということはできません。
そんなことに国や社会が資金を出す必要があるのかということについては、くりかえしますが、私はそれはフィランスロピーであり、必要があると思っています。短い時間の中で、社会の利益という点から見ればあまり効果がないように見えることにも価値を見出し、自分の生涯をかけることが人間にはあります。それも人間の社会的活動のひとつであり、共通の宝であると理解すれば、社会はその理解に見合うだけのものは払ってもいい、という前提を、私たち人間はある種の分野については容認してきました。それがなくては、科学はここまで発展することはけっしてありませんでした。ほかの学問、芸術、娯楽もそうです。科学はその容認されたものの中に含まれていると思うので、プロトタイプの科学の研究者のやっていることに対して、これは社会的リターンがないから無駄だ、やめるべきだ、という論理は取るべきではないと思います。」(p.172f)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
科学と社会との関係、特に人間にとって科学とは何なのかについて書いた本である。
「知識のための知識」という財産を増やすことも人間にとって必要であるというのは、むしろいままでずっと暗黙の了解事項(学者コミュニティ内だけかもしれないが)であったと思うのだが。
だから何が言いたかったのかというのが感想である。