- Amazon.co.jp ・本 (173ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106037047
作品紹介・あらすじ
人は必ず死ぬ。にもかかわらず、現代社会はそれが不浄なものであるかの如く死を忌み嫌う。長生きこそ善とばかりに、いつしか「老病」に怯えながら、安寧の少ない晩年を生きるようになってしまった。死を見つめながら生きるとはどういうことか?死を覚悟した時に輝く生とは?鴎外、漱石、子規、茂吉、賢治、西行、芭蕉ら、先人たちの末期を読み、涅槃を想う。
感想・レビュー・書評
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死ぬということについて。良寛や芭蕉から鴎外、漱石、子規、茂吉、賢治まで、先人たちの末期を読み、自らの結末を考える。
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願はくば花の下にて
死に支度の時
失われた鎮魂のこころ
それでも山河あり
ローソクの火が消えていくように
漱石、最後の願望
宮沢賢治の末期の声
鴨長明 方丈記 風 涅槃願望
インドの乾いた無常観 日本の湿った無常観
グスコーブドリの伝記
「暗い科学」と「疲れた宗教」の対置
「冷たい近代化学」と「誤解から生じた信仰」の対比
科学に命を吹きこみ、宗教に血を通わそうとする心の軌道(願い) -
髑髏となってもかまわない。凄まじい覚悟?
死とどう向き合えばいいのか、先人たちの事例を丹念に追った著作。
序章 願わくは花の下にて で始まり、正岡子規、茂吉、松本清張、森鴎外、夏目漱石、宮沢賢治における最期が描かれている。
最後、ツイッターがわりに書かれている言葉がいい。
いつなんどき、髑髏になってもかまわない。
別に死と慣れあおうとしているわけではないのであるが、それはそれでかならずしも悪い気分ではないのである。
80歳となった山折哲夫氏の気分であるが、62歳である自分にはまだ、時が熟していないような気がいたします(笑)。