ディズニーの魔法 (新潮新書 44)

著者 :
  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (221ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106100444

作品紹介・あらすじ

「シンデレラはガラスの靴を履いていない」「ピノキオを飲み込んだのは体長一キロのサメだった」「眠れる森の美女は実年齢一一六歳の老婆」…。今や原作よりも身近なディズニー・クラシックスの数々。いかにして残酷で猟奇的な原作は夢と感動の物語に作りかえられたのか。「アメリカの民話」を作るために使われた魔法とは何か。ディズニー・ファンもアンチ派も驚愕すること間違いなし。魔法の裏側が明かされる。

感想・レビュー・書評

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  • 元来おどろおどろしく残酷な一面を持っていたおとぎ話の数々を、ディズニーがどのようにして夢と魔法とディズニー哲学に満ちたアニメーション長編に造り替えていったのかを辿る。

    大して調べもせずに書いてしまえば、おそらく「本当は恐ろしいグリム童話」が流行った頃に便乗した本の一つではないかという気がする。
    ディズニーの成功の軌跡を丁寧に辿ってみたり原作とディズニー映画の違いも比較的ちゃんと考察しているので、他の有象無象の便乗本と一緒にすると失礼かもしれないけれど、原作に対する解釈や補足に作者のこじつけや暴走が多かったので、「その手の本」という印象がぬぐいきれなかった。

    冒頭の白雪姫をどうやってホラー映画に仕立て得るかなんて、完全に著者の好みが暴走してるし、白雪姫の王子を「死体愛好者」と言い切るのは違和感。男性が動かぬ女性に心惹かれた結果、その愛情がヒロインに生を与えるという筋書きはギリシア神話の「ピグマリオン」にも見られる典型的な物語であり、白雪姫の王子が死体愛好者であるというサブコンテクストは言い過ぎだと思う。
    同じように、ヒロインがライバルである姉妹よりも倹しいプレゼントしか欲しがらないのはおとぎ話のお約束であり、それを「さぞかし父親を失望させたに違いない」とか言っちゃうのは…。

    とはいえ、近年のディズニー映画におけるヒロインとヒーローの関係(特に「美女と野獣」などに見られるように、実は物語を通じて成長し変わったのはヒーローの方であり、ヒロインは最初から「自分らしく」いただけ)という指摘は私も常々思っていたので膝を打ちたくなる思いだった。

  • 読みやすく、わかりやすい、ディズニー好きはぜひ読んでおきたい新書。決してマニア向け書籍ではなく、ディズニーの長編アニメを見たことがある人にさっと読んでもらいたい。

    昔ながらの「童話」をアニメにしてきたディズニー。そのもともとの「童話」と「ディズニーアニメーション」の違いを見直すことで、ディズニーがどんな魔法を童話にかけ、何に重きをおき、何を伝えようとしたのかが見えてくるという趣旨です。

    出てくるアニメションは「シンデレラ」「ピノキオ」「白雪姫」「眠れる森の美女」「リトルマーメイド」「美女と野獣」。

    「死体を気に入ったネクロフィリア気味の王子様」の話をどうやってラブロマンスに変えたのか。当時のアメリカ人がどう感じながらディズニーアニメーションを受け入れたのか。文章がとてもわかりやすい本で、すいすい読めました。
    まぁ、姫達の「ヤンキー娘」(笑)ぶりときたら、これぞアメリカ、これぞディズニー。「一番の魔法は愛と夢」であり「願いは強く思えば叶う」というこの哲学がどのように浸透し、そしてウォルト亡き後も引き継がれてきたのかがよくわかります。本当におすすめです。

  • ふむ

  • ディズニーの実際の映画を見てから読めばよかった。
    多分少数派だと思うけど。映画を見てからこの本読んでもう1回見ると見方も変わって楽しいはず。
    映画化するにあたって原作の一部を変更することはよくあることだけど、ここまで大きく変わっているとは知らなかった。コンテンツのひとつとして今まで残り続けているのは当たり前でなく凄いことなんだと思った。

  • ↓貸出状況確認はこちら↓
    https://opac2.lib.nara-wu.ac.jp/webopac/BB00236149

  • 帯文:”「ピノキオを呑んだのはサメだった!」「シンデレラはガラスの靴をはいていない」「白雪姫のこびとは顔が怖い」 魔法の秘密が今明かされる” 

    目次:序章 ディズニー・マジックを知るには、第1章 白雪姫と七人のこびと、第2章 ピノキオ、第3章 シンデレラ、第4章 眠れる森の美女、第5章 リトル・マーメイド、第6章 美女と野獣、終章 魔法が生んだアメリカの民話

  • 『白雪姫』の意義は興行成績だけにはとどまらない。この映画によって長篇アニメーションという映画芸術の新しいジャンルが生まれた。そして、6分ほどの子供向けの娯楽であって、映画ではないとされていたアニメーションは、れっきとした映画として認知された。批評家の多くは、アニメーションが新しい形態の芸術だということすらいい始めた。(p.43)

     ウォルトは背景係に次のように命じている。「山は実際に登れそうに見えなければならない。家は玄関ドアから入っていけて、台所のストーブで何かを料理しているとわかるように見えなければならない。鯨の場面では、海は本当に濡れそうで冷たく深く、塩っぽく見えなければならない。背景は、これまでないほどに観客を揺さぶるものでなければならない」
    加えて『ピノキオ』の映像は、立体感だけでなく、光源によるリアリティーにも優れている。室内の映像、室外の映像、夜の映像、すべては光源がどこにあり、どのように光が当たっているのかを計算して描かれている。まるでアニメーションのレンブラントだ。それまで付け足しに過ぎなかった「背景」は『ピノキオ』以後、まったく別の重要性と意味を持つようになった。(p.75)

    戦争中の厳しい生活をたくましく生き抜いてきた女性たちには、自分は夫の付属品ではないという自覚と、自分の知方だけでも立派にやっていけるという自信とが生まれた。男に頼り、男次第の人生という考え方に代わって、自ら人生を切り開き、欲しいものは自分で手に入れるという考え方が芽生えていった。もちろん女性がみなこのような考え方を持ち、実際に主張したかは、また別の話だ。(p.110『シンデレラ』)

    観客は『眠れる森の美女』を見にいかなかったというよりも、映画そのものを見にいかなくなっていた。このようなときに、600万ドルも制作費をかけるべきではなかった。『眠れる森の美女』は、余りにも長くたなざらしにあい、眠り過ぎた。この作品がようやく目覚めたとき、時代はすでに映画の時代からテレビの時代に移っていた。『眠れる森の美女』は、浦島太郎になっていたのだ。(p.137)

    19世紀に生きていたアンデルセンにとっては、人魚姫のしたことは、秩序と道徳に反することで、おおっぴらに肯定することはできないものだ。その一方で、近代的自我の肥大が始まっていた当時では、彼女の願望を完全に否定し去ることもできない。だからアンデルセンは、このような条件付きのハッピーエンドにしたのだろう。(p.152)

  • ディズニーが、原作をどうディズニーらしく変えてきたのか

  • ディズニー映画の原作との違いがこんなにあるとは知らず、なかなか興味深かった。そして、各ヒロインの性格の違いや時代背景など、それぞれの作品を比較していてわかりやすい。どの原作もなかなか恐ろしい終わり方がほとんどで、ディズニー映画とのかなりの違いがあることに驚いた。
    ただ、本の中で出てきたディズニー映画を改めて観たい、という気分にはならなかった。また機会があれば…

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著者プロフィール

有馬哲夫(ありまてつお)
1953(昭和28)年生まれ。早稲田大学社会科学部・大学院社会科学研究科教授(公文書研究)。早稲田大学第一文学部卒業。東北大学大学院文学研究科博士課程単位取得。2016年オックスフォード大学客員教授。著書に『歴史問題の正解』『原爆 私たちは何も知らなかった』『こうして歴史問題は捏造される』『日本人はなぜ自虐的になったのか』(全て新潮新書)、『NHK解体新書』(ワック新書)など。

「2021年 『一次資料で正す現代史のフェイク』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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