死の壁 (新潮新書)

著者 :
  • 新潮社
3.43
  • (161)
  • (289)
  • (699)
  • (62)
  • (14)
本棚登録 : 3315
感想 : 291
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106100611

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • http://teppamon.seesaa.net/article/419012261.html

    人生において正解はないが、ただ一つ確実なことは「死ぬこと」

    人を殺してはいけない理由
    殺すことは簡単。作ることは不可能。
    →取り返しがつかないから

    人間は変化するもの。情報は変わらないもの。(e.g.テープレコーダー)
    →現代は逆にとらえている

    生きながら自らを死者と規定する人間(e.g. 宅間守)
    →法律や世間の常識が通用しない

    生とは?
    →同じ状態を保っているが、構成要素はたえず入れ替わっている

    死体には3種類。
    一人称の死体「ない死体」
    自分の死体は観察の主体が無いためありえない
    二人称の死体「死体でない死体」
    親しい人の死体は死体に見えない。悲しみなどの感情を伴って見つめる死。
    三人称の死体「死体である死体」
    アカの他人の死体。

    死体は人間じゃない。仲間じゃない。(e.g.清めの塩、戒名)

    この世はメンバーズクラブ。死=退会。入会時に間引き

    死について共同体のルール。
    中国は死んでも別人にならない→靖国問題

    原理主義=一元論
    →絶対の真実があると思いこみ、絶対の正義を振りかざす。
    自分が絶対だと思っていても、それとは別の考え方もあるだろうくらいの留保を持ったほうがよい。

    反権力を声高に言っている者
    →自分に権力をよこせと言っているにすぎない。

    安楽死について
    死にたいって言うんなら死なせてやれば良いという意見は、死なせる側の医師の立場を考えていない。

    自分が死んだらどうなるかなんて口はどこにあるのかみたいなこと。→一人称の死の答えは見つかりっこない
    それよりも周囲の死について考えた方が良い。

    何かに本気になって集中しているときは、生きがいなんて何かなんて考えない。
    悩むのも才能のうち。悩めない人間もいる。

    自殺がいけない理由
    ①殺人の一種→取り返しがきかない。
    ②二人称の死→周囲の人に影響を与えてしまう

    人生のあらゆる行為は取り返しがつかない。
    毎日が取り返しのつかない日である。
    →死ほど歴然と示しているものはない。

  • 人間は死と向かい合うのを拒む。 それは、一種の現実逃避だ。 しかし、止む得ない事情も存在する。 それはこの世界での栄光や財産を向こう側に持っていけないからである。

  • 口と死が似ているって。本当だと思う。猫好きは深いと思う。

  • なぜ殺してはいけないか、に対して、殺された生物というシステムを再構築できないから、という回答は解剖学者ならではの考え方だなぁと思った。そんな事は思いつかない。
    死というのが、日本では世間というグループからの離脱というのも面白い考えだなと思った。
    著者の考えが正しいわけではないし、戦争とか外交に関する箇所など暴論だと思うところもあったが、ようは生死や戦争など世間一般で唱えられている考え方から一歩離れて、自分なりに経験などをもとに考察することが大切だと気付かされた。

  • バカの壁の続編であり、死に焦点を当てて書かれている。
    生と死の区別、境目が科学的には極めて曖昧であるという点は非常に興味深かった。
    またなぜ人を殺してはいけないのか、という問いに対して、「殺したら元には戻らないから」という、単純明快な答えを返している点も印象深い。

    また死の人称という考え方も面白く、中でも一人称の死、は存在しないから考えたり悩む必要はない、というところは心に残った。一人称の死を考えるより二人称の死をどう受け止め、死を不幸としない、考え方、生き方をすることが大切。

  • 社会の在り方や問題点について、「死」を視点に述べられていて、面白かった。「死」はどこから「死」なのか、なぜ死んだら名前(戒名)が変わるのか、死体は「モノではなくヒト」、日本では死んだらメンバーズクラブ(共同体)から脱会させられる、など、死の概念的な思索、死と社会の関係性について、漠然とだけど、理解出来た。

    他にも現代社会は「死体」が身近では無くなった、人間が情報化(不変の存在と思われるようになった)してしまった、都市化やエリートの消滅により安楽死の問題において、医者側の負担や責任を考えなくなったり、その他の人々もエリートにそういう仕事を押し付けているという、後ろめたさが無くなった、という考えが印象に残った。

    あと「死」という概念的なものを、「一人称の死」、「二人称の死」、「三人称の死」、と文字化して、「死」を細分化していた所が凄いなと思った。

    自分は「死」について深く考えたことがなかったし、「死」を視点に物事や社会を見ていなかったから、これを機に考えていけたらなと思った。

  • いつの間にか凝り固まっていた死生観を緩めてくれるような本

  • 「生きがいとは何かというような問いは極端に言えば暇の産物なのだ。」
    都市化、意識化が死を遠ざけている。

  • NDC分類 490.1

    「私たちは死を遠ざけ過ぎてはいないだろうか。
    見えないふりをしてはいないだろうか。
    死を考えれば、世の中が見えてくる。
    自分が見えてくる。

    私の人生の記憶は父親の死から始まっています。人生は物心つく頃から始まるとすると、私の場合には人生が最初から死に接していたことになります。それで死という主題をよく扱うのかもしれません。解剖学を専攻した理由の一つも、そこにあるのかもしれない。そう思うこともあります。いまでは多くの人が、死を考えたくないと思っているようです。でもたまにそういうことを考えておくと、あんがい安心して生きられるかもしれません。ともかく私は安心して生きていますからね。(あとがきより)」

  • ズバリって感じで答えを提示するのではなく、こちらに考えることを促してくるというのか…
    死についていろんな観点から論じているけど、私みたいなアホでも理解できるように、かなり優しい言葉を用いて書いてある本だと思いました。

    自殺はやっぱり駄目。

    自分が自殺した後、周囲にどんな影響を与えるのか考えてみなさいってことは、養老先生でも同じことを言うのだなと…
    安楽死についても、「殺す側の気持ちが理解できてない」と言っていた?

    内容が全部理解できたかと言うと多分できてない。

    死とは何か→証明書が出たら。

    ボケることを怖がらなくていい、困るのは自分ではないのだから。

    死体は仲間外れって言葉もなんだか新鮮に響いた気がします。

    大して生きてもないくせに、人生の意味なんか聞くんじゃない。

    どのお言葉も胸に刺さるような、それでいてやさしい本。

全291件中 41 - 50件を表示

著者プロフィール

養老 孟司(ようろう・たけし):1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士(解剖学)。『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。『バカの壁』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。同書は450万部を超えるベストセラー。対談、共著、講演録を含め、著書は200冊近い。近著に『養老先生、病院へ行く』『養老先生、再び病院へ行く』(中川恵一共著、エクスナレッジ)『〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁』(毎日新聞出版)、『ものがわかるということ』(祥伝社)など。

「2023年 『ヒトの幸福とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

養老孟司の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
奥田 英朗
東野 圭吾
中野 独人
綿矢 りさ
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×