横井小楠: 維新の青写真を描いた男 (新潮新書 101)

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  • Amazon.co.jp ・本 (205ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106101014

感想・レビュー・書評

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  • <作品紹介>
    勝海舟曰く「おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。横井小楠と西郷南洲だ」。日本史の教科書でもろくに取り上げられず、幕末もののドラマで登場することもほとんどない。しかし小楠こそ、坂本龍馬や西郷隆盛をはじめ、幕末維新の英傑たちに絶大な影響を与えた「陰の指南役」であった。早くから現実的開国論を説き、東洋の哲学と西洋の科学文明の融合を唱え、近代日本の歩むべき道を構想した鬼才。その生涯を追う。

    <感想>
    小説というより史実史。ただ、いろんなところでチョクチョク登場する「横井小楠」を知るには十分な作品。小松帯刀、小栗忠順といい、まだまだ知らない英傑が多いことを知らされた逸品。

  • 武士として残念だったために、評価が低い横井小楠。
    地元民の私も、ほとんど知らなかった。

    今の世なら「ヒキコモリで酒乱なんだけど、ネットでいろいろ調べて、政治を語らせたら途轍もなくスゴイ人」という感じ?
    こんなすごい人物だったとは。読んでよかった。

  • 堯瞬孔子を手本に、実学を重んじる考え方は、十分今に通じる。西洋の技術をどんどん取り入れ、東洋の倫理観や考え方で使い、国を富むというところをこの時代に提唱している点が非常に関心する。勝海舟、坂本龍馬、高杉晋作、西郷隆盛など、明治維新の蒼々たる面々を導いている店からもすごいと思う。ただ、熊本藩を脱藩し、坂本龍馬のように生きることはできなかったようで、それが不遇と言わしめるところだろう。

  • 幕末~明治初期にかけて活躍した熊本藩の思想家、横井小楠について描かれた本。

    小楠は卓越した思想・ビジョンを持っていながら周囲の状況に阻まれ活躍の機会に恵まれず、そのために幕末ファンにとっても認知度はかなり低い。

    しかし、高杉晋作・吉田松陰・西郷隆盛・勝海舟といった一流の人物と親しい交わりがあったり、彼の一貫して唱えた開国・富国強兵の思想はまさに明治政府によって実現されたものであることからも彼の人物ぶりが窺われる。

    今後彼により一層スポットライトが当たることに期待。

  • 初めのうちは面白く読み始めたのですが、途中から、やや著者の思い入れが強すぎて、横井小楠を持ち上げすぎな感があります。あそこまで評価するには、もう少し例証、傍証がないと、著者自身の気持ちの域を出ないと思います。

  • (2010.06.10読了)(2010.05.29購入)
    「龍馬伝」の中に横井小楠(よこいしょうなん)が出てきました。「こなん」だと思っていたのですが「しょうなん」でした。名前は聞いたことがあるのですが、いつの時代で何をした人なのか知りませんでした。ちょうど本屋で見つけたので購入してきました。
    1809年8月13日に熊本城下に生まれ、1869年1月5日に京都において、暗殺されています。暗殺の動機は、小楠がキリスト教を国内に広めようとしたので天誅を加えた、というのですが、・・・。(明治が始まってすぐのころです。)

    ●同時代の人たちの評価(8頁)
    ・勝海舟
    「おれは、いままでに天下で恐ろしいものを二人見た。それは、横井小楠と西郷南洲とだ」「横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだと心配していたに、果たして西郷は出てきたわい」(本文81頁)
    ・西郷南洲
    「小楠が諸国遊歴した際、人材であると言った人で、その後、名を挙げなかった者はいなかった」
    ・坂本龍馬
    「西郷や大久保たちがする芝居を見物されるとよいでしょう。大久保たちが行き詰まったら、その時、ちょいと指図してやって下さい」(本文193頁)
    ・吉田松陰
    「先生の東遊の節は、ぜひ萩に立寄って藩の君臣を指導してほしい」
    ・高杉晋作
    「小楠を長州藩の学頭兼兵制相談役に招きたい」
    ●維新の青写真を描いた(8頁)
    龍馬が作成した有名な「船中八策」と「新政府綱領八策」は、小楠が幕府に提出した「国是七条」と福井藩に提出した「国是十二条」をそれぞれ下敷きにしているし、また、由利公正が起草した「五か条の御誓文」にも、小楠の「国是十二条」の影響が色濃い。
    ●小楠の主張(10頁)
    「今の徳川幕府の政治は、徳川家ご一家の便利私営のための政治であるから、これを止めさせ、まず公武合体を実現して、さらに諸大名、諸藩士の有能な人物を登用し、これを朝廷で統治する。政治は朝廷から出て日本国中共和一致の平和な国家にしなければならない」
    「西洋文明はあくまで技術として優れているのであって、そこには徳はない。日本は東洋の徳ある文明をもとに、そこに西洋の科学文明を取り入れるべきだ」
    「和とか戦いとかいっても結局偏した意見であって、時に応じ勢いに従って、そのよろしきを得るのが真の道理である。信義を持って応接し、我が国に義があれば、万国を敵に回すようなことはない」(本文52頁)
    ●小楠は酒乱(20頁)
    小楠は10歳前後に藩校「時習館」に入学し、勉学に励んだ。29歳のとき塾長に抜擢されている。小楠は、酒癖が悪く酒乱の気があり、退寮者が続出した。ほとぼりを冷ますため、31歳のとき江戸遊学に出された。江戸では、林大学頭に入門している。藤田東湖、佐藤一斎、松崎慊堂、川路聖謨、等、と交友している。忘年会の酒で問題を起こし、翌年熊本に帰された。これ以後、小楠は熊本藩で、用いられることはなかった。
    小楠は、35歳の時、私塾「小楠堂」を開いた。50歳のとき、福井藩に招かれ、人材育成に当たった。熊本藩は、問題のある人なのでと、出したがらなかったが、松平春嶽は、小楠の癖は承知しているからと了承してもらった。
    (2010年6月12日・記)

  • 内容(「BOOK」データベースより)

    勝海舟曰く「おれは今までに天下で恐ろしいものを二人見た。横井小楠と西郷南洲だ」。日本史の教科書でもろくに取り上げられず、幕末もののドラマで登場することもほとんどない。しかし小楠こそ、坂本龍馬や西郷隆盛をはじめ、幕末維新の英傑たちに絶大な影響を与えた「陰の指南役」であった。早くから現実的開国論を説き、東洋の哲学と西洋の科学文明の融合を唱え、近代日本の歩むべき道を構想した鬼才。その生涯を追う。
    目次
    第1章 いかにして開国論者になりしか
    第2章 福井藩の賓師に招かれる
    第3章 幕政改革の切り札として
    第4章 秘策「挙藩上洛計画」
    第5章 日本を道義国家に
    第6章 新政府の参与に就く
    第7章 小楠の魂は死なず

  • bought @ book1st, 10/6/2009

  • 幕末のフィクサーのひとりとしての横井小楠が明快にまとめられていてよい。

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