被差別の食卓 (新潮新書)

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著者 : 上原善広
  • 新潮社 (2005年6月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106101236

被差別の食卓 (新潮新書)の感想・レビュー・書評

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  • あぶらかす・フェジョアーダ・ガンボ、そしてフライドチキン。今では一般的な市民権を得たものも多い各地の「ソウルフード」は、かつて差別と貧困に苦しめられた人々が知恵と工夫で編み出した食べ物だった。
    関西の被差別部落地域、アメリカ南部、ブラジル、ネパール……と世界各国を旅しながら食べ歩いたソウルフードにはいくつかの共通点があり
    ・加工調理に手間がかかる
    ・味に癖がある/食べづらい
    ・そのため本来は加工の途中で廃棄されていた
    ・(おもに宗教観に基づき)「穢れ」と見なされている
    材料だということ。それに手間暇をかけ、あるいは味付けや香辛料で工夫を施して出来上がった料理だということが挙げられる。
    そして彼らはそれを「ソウルフード」として愛着や誇り、または複雑な感情を内包しつつ愛しているということ。
    中には、もともと貧しいアメリカ南部黒人奴隷の食べ物であったフライドチキンのように、ファストフードとして世界中で愛されているもの、マストな名物料理としてガイドブックに掲載され、知られているものも少なくない。

    筆者自身も被差別部落の出身であり、各地で問題意識を忘れずに被差別の歴史や現状のルポを行っているが、それ以上に「本場本物のソウルフードを味わいたい」という食欲を忘れていないため、重すぎない内容になっていてバランスが保たれている。
    その中にあってやはりネパールやロマの話は重く、考えさせられることは多い。

  • 世界各地のソウルフード巡り。筆者自身の体験が色濃く反映された構成。

  • 「被差別部落」は透明になればなる程よいと思っていた。特に日本の差別問題の場合は、黒人問題と違って、見た目でも名字でも分からないわけだから。(名字で分かるという方もいるかもしれないけれど、本書で書かれているパキスタンの名字ほどではない。)

    でも、そこにはそこ特有の文化があって、それをなかったことにしてしまうのはちょっと違うのかもしれない、と考えを改めた。差別がなくなるというのは、「私は部落出身なの」という主張が「私は東京出身なの」というのと同じ受け止められ方になること、なんだなと。

  • いやー面白かった。

    テーマは、扱い方によっては重たくもなるものを、軽くさらっと書いている。フライドチキンが被差別のものだったとは、寡聞にして初めて知りました。

    全体的に面白いし、あんまり重たい話もないんだけど、中東のロマのところは気持ち悪くなりました。だって私、現代日本人だもん。衛生面が悪いのはダメだよ。食事中に読まない方がいいです。

    しかし、これ読みながら、差別に関してはいろいろ考えたり思い出したりしました。
    それこそ現代日本で「普通」の家庭に生まれた人って、当たり前のように、自分は絶対差別されないって自信を持って、無神経なことを言うことあるよね。とかね。

    何ていうか、「被差別部落の人を差別するのは悪いことだ」という知識は持っているから、いい年になると言わないけど、「女子高生なんてみんなエンコーしてるよね」的発言は平気でするとかね。
    ひとくくりにするなよ、と言っても「だって私が見えるところ(って要するにテレビだよね?)だとそうなんだもん」って、それ、すごい差別発言だよね。ってびっくりして、うまく指摘できなかったことが、今でも忸怩たる気分として残っているので、こういうのを読むと思い出すのです。

    中に出てくる食事は、美味しそうなのあり、「申し訳ないけど私だったら食べたくないな」というのあり、いろいろです。

    イラクのロマ(ジプシー)の話で、「フセインが政権を持っていた頃は保護してくれたけど、フセインがいなくなってから、定住していた土地を追い出されて、仕事もなくなって、大変なことになった」という話は、いろいろ考えさせられます。
    やっぱアメリカが悪いんじゃん!
    (湾岸戦争が起こった頃、実家の友達に電話して「アメリカええ加減にせえよ」と言ったら、「こっちの友達はみんな『フセインが悪い』って言うのに、あんたは逆やね」と言われたのです。だってあれ、アメリカの内政干渉じゃん!)

    あ、でも、「世界各地の被差別民のところに行って、そこに特有の食事を食べさせてもらおう」という発想は、うまく言えないけど、現代的だと思う。
    (もちろん相応のお礼はしてます)

    日本の部落問題が『極東カースト問題』と言われていると、初めて知りました。確かにカーストだよね。
    というか、「あの人は私たちとは違う」ってヘーキで発言する人いるよね。
    自分で自分のカーストを設定して、勝手に私のこともそこに組み込んで、それ前提で話されると、正直つらいです。
    ダンナがIT関係、と言ったら、「人種が違う」と言いやがったヤツもいたな。人種は一緒だよ! むかー!
    (と友達に愚痴ったら、「今どき、本当に人種が違っても、『人種が違う』って言わないよね」と驚いてくれたので、まぁ、そんな人ばっかりじゃないと思おう)

  • 食の切口からみた、差別と貧困の文化。世界各地の被差別民の食卓には、共通する思想、長く差別され続けることからしか生まれえなかった思想が流れている、と教えてくれる。
    テーマは厚いけど、旅行記のような体をとっていてさらりと面白い。

    私の問題は、ネパール、インドの牛料理もアメリカのフライドチキンもブラジルのフェジョアーダも差別から生まれた食べ物だと知りながら食べたことがあったのに、
    日本のさいぼしやあぶらかすについては聞いたことさえなかったという、外を向いた知識の偏りなんだろう。
    「極東カースト問題」…ね。

    前に著書を読んだことがある八木澤さんが出てきて驚いた。

  •  被差別の「むら」、部落、奈良育ちには馴染みが深い。当時は気づくこともなかったが全国的に見ても奈良はこの手の同和問題に対する教育は熱心だったようだ(本書にも、”部落解放同盟の前身である水平社は、奈良県の部落から誕生した”とあり、奈良が総本山だったのかぁと今さらながら驚いている)。

     大阪の被差別部落”更池”の出身である著者が、自宅で食べていた「あぶらかす」が、「むら」独特のメニューであることに気づいたことから、世界各国の被差別民族の食卓に伝わる、その民族独自のメニューを訪ねるルポルタージュだ。とっかかりは”料理”であるが(その食べ物を食べさせて、とアプローチしていく)、「むら」の人たちとの接触を通じて、その被差別民族の歴史や現状が語られており、予想以上になかなか歯応えのある内容だった

     アメリカの南部を訪れ、黒人料理を食べ歩きながら、「サウザン・ホスピタリティ」呼ばれる過剰な笑顔の裏に「見えない差別」を読み取り、ポリティカリー・コレクト(PC=政治的公正)と称して差別そのものが見えにくくなっている現状に疑問を呈するなど、こう言ってはなんだが、自身が被差別部落出身故に、そうした差別する側の意識、感情を皮膚感覚として感じ取ることができるのかなと読んでいて漠然と思う。

     ブルガリアではロマ(ジプシー)の「むら」を訪ねハリネズミ料理を食べながらインドから続くロマの歴史を俯瞰し、ネパールでは露店で被差別民が砂糖を買う何気ない動作からカースト解放令(1990年)後も残る見えにくくなった差別を鋭く感じ取る(「わたしは”不可触民”という言葉を、戦慄をもって思い出していた」と)。

     その国、地方のソウルフードを口にすることで、いっきにそのコミュニティに溶け込めることは自分も体験的によく理解できることだ。それは食前酒代わりで、メインディッシュは被差別の現状への踏み込みだったという切り口が本書の白眉だろう。 面白かった。

  • アメリカ、ブラジル、ブルガリア・イラク、ネパール、そして日本という世界各地の被差別民の生活とその共通性を”ソウルフード”(食事)という観点から描いたノンフィクション。

    普段何気なく食べている食事にこそ、文化が表象されるというのは当たり前のこととして、内臓料理の割合が多いことや、香辛料等で煮込むその調理法、など、その共通性が面白い。

    これを読んで無性にかすうどんが食べたくなった。東京ではあまり見ないが幾つか店もあるようなので、近いうちに必ず。

  • 新書文庫

  • 自分の好みにタイプのタイトルなのでジャケ買い。文体も違和感がないし、内容も非常に興味深く面白い。
    作者のフィールドワークの細かさが正確に伝わってくる。そこにあるものを食べるだけでなく、可能な限り人の話を聞いているし、その土地のことも詳細に書いてある。
    おそらくもともと被差別の話は文字で残っているものが少ないんだろうな思った。口承や経験から辿る話が多く、誰かが研究として残さないと、おそらくなくなっていってしまうものであるかとも感じた。当然背景には被差別であったことを自ら残したくないんだろうという予想が容易につく。
    『食っていうのは、命そのものでしょう』『料理にとっての精神性とは、多くの場合雰囲気だけではない。雰囲気というのは心理であり、精神性の一つでしかないからだ。料理の精神性とは、その料理の生まれ、歴史、場所から生じる。』

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被差別の食卓 (新潮新書)の作品紹介

大阪のある被差別部落では、そこでしか食べられない料理がある。あぶらかす、さいぼし…。一般地区の人々が見向きもしない余り物を食べやすいように工夫した独自の食文化である。その"むら"で生まれ育った著者は、やがて世界各地にある被差別の民が作り上げた食を味わうための旅に出た。フライドチキン、フェジョアーダ、ハリネズミ料理-。単に「おいしい」だけではすまされない"魂の料理"がそこにあった。

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