被差別の食卓 (新潮新書 123)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (204ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106101236

作品紹介・あらすじ

大阪のある被差別部落では、そこでしか食べられない料理がある。あぶらかす、さいぼし…。一般地区の人々が見向きもしない余り物を食べやすいように工夫した独自の食文化である。その"むら"で生まれ育った著者は、やがて世界各地にある被差別の民が作り上げた食を味わうための旅に出た。フライドチキン、フェジョアーダ、ハリネズミ料理-。単に「おいしい」だけではすまされない"魂の料理"がそこにあった。

感想・レビュー・書評

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  • 個人的に上原善広いブームが訪れたかもしれません。ジャーナリストとしては無責任な行動や、クズな言動に辟易しながらも、他の人の文章では見る事の出来ない生々しさが惹きつける要素ではないかと思います。
    被差別部落出身であることを隠さず、それを強みとして入り込みにくい部分までぐいぐい入り込んでいく力技で、今回は被差別者達のソウルフードを追いかけて行きます。
    各国で長年差別されてきた人々が、命をつなぐために食べて来た食べ物。それは大多数の人々が捨てたものを工夫して美味しく生まれ変わらせた、魂の籠った食事。まさに「ソウルフード」です。
    やはり食肉に関わる事が多いからか、臓物料理がとても多いですね。日本の屠畜への蔑視も強いものが有りますが、その割に皆最近はホルモンよく食べますよね。忌避される食材ではなくなっているので、材料の高騰が大分前から言われています。皆大好きなお肉なのに、それを製造する過程を忌み嫌うというのはとても矛盾しているし、馬鹿馬鹿しいことだと思います。
    さて、この本に出てくる料理たちはどれもこれも単独で語れない料理ばかりです。綿々と続いて来た、そして今だ続いている差別を抜きには正確な姿は見えてこないと思います。

  • 被差別部落の問題については、知らない方が差別意識を持たないで済むのではないかという考えがあったし、この本を読み終わった今でもまだ思う。あそこの地域は同和地区らしいとか、この人は被差別部落の出身らしいとか、そういうことは頭に入れたくないからだ。
    ただ、この本で取材された世界各国での差別の歴史、現状は知っておくべきことだと思う。
    ロマ、サルキなど、読んでいて辛くなるところもあったが、読んで良かったと思う。

  • あぶらかす・フェジョアーダ・ガンボ、そしてフライドチキン。今では一般的な市民権を得たものも多い各地の「ソウルフード」は、かつて差別と貧困に苦しめられた人々が知恵と工夫で編み出した食べ物だった。
    関西の被差別部落地域、アメリカ南部、ブラジル、ネパール……と世界各国を旅しながら食べ歩いたソウルフードにはいくつかの共通点があり
    ・加工調理に手間がかかる
    ・味に癖がある/食べづらい
    ・そのため本来は加工の途中で廃棄されていた
    ・(おもに宗教観に基づき)「穢れ」と見なされている
    材料だということ。それに手間暇をかけ、あるいは味付けや香辛料で工夫を施して出来上がった料理だということが挙げられる。
    そして彼らはそれを「ソウルフード」として愛着や誇り、または複雑な感情を内包しつつ愛しているということ。
    中には、もともと貧しいアメリカ南部黒人奴隷の食べ物であったフライドチキンのように、ファストフードとして世界中で愛されているもの、マストな名物料理としてガイドブックに掲載され、知られているものも少なくない。

    筆者自身も被差別部落の出身であり、各地で問題意識を忘れずに被差別の歴史や現状のルポを行っているが、それ以上に「本場本物のソウルフードを味わいたい」という食欲を忘れていないため、重すぎない内容になっていてバランスが保たれている。
    その中にあってやはりネパールやロマの話は重く、考えさせられることは多い。

  • 世界各地のソウルフード巡り。筆者自身の体験が色濃く反映された構成。

  • 「被差別部落」は透明になればなる程よいと思っていた。特に日本の差別問題の場合は、黒人問題と違って、見た目でも名字でも分からないわけだから。(名字で分かるという方もいるかもしれないけれど、本書で書かれているパキスタンの名字ほどではない。)

    でも、そこにはそこ特有の文化があって、それをなかったことにしてしまうのはちょっと違うのかもしれない、と考えを改めた。差別がなくなるというのは、「私は部落出身なの」という主張が「私は東京出身なの」というのと同じ受け止められ方になること、なんだなと。

  • いやー面白かった。

    テーマは、扱い方によっては重たくもなるものを、軽くさらっと書いている。フライドチキンが被差別のものだったとは、寡聞にして初めて知りました。

    全体的に面白いし、あんまり重たい話もないんだけど、中東のロマのところは気持ち悪くなりました。だって私、現代日本人だもん。衛生面が悪いのはダメだよ。食事中に読まない方がいいです。

    しかし、これ読みながら、差別に関してはいろいろ考えたり思い出したりしました。
    それこそ現代日本で「普通」の家庭に生まれた人って、当たり前のように、自分は絶対差別されないって自信を持って、無神経なことを言うことあるよね。とかね。

    何ていうか、「被差別部落の人を差別するのは悪いことだ」という知識は持っているから、いい年になると言わないけど、「女子高生なんてみんなエンコーしてるよね」的発言は平気でするとかね。
    ひとくくりにするなよ、と言っても「だって私が見えるところ(って要するにテレビだよね?)だとそうなんだもん」って、それ、すごい差別発言だよね。ってびっくりして、うまく指摘できなかったことが、今でも忸怩たる気分として残っているので、こういうのを読むと思い出すのです。

    中に出てくる食事は、美味しそうなのあり、「申し訳ないけど私だったら食べたくないな」というのあり、いろいろです。

    イラクのロマ(ジプシー)の話で、「フセインが政権を持っていた頃は保護してくれたけど、フセインがいなくなってから、定住していた土地を追い出されて、仕事もなくなって、大変なことになった」という話は、いろいろ考えさせられます。
    やっぱアメリカが悪いんじゃん!
    (湾岸戦争が起こった頃、実家の友達に電話して「アメリカええ加減にせえよ」と言ったら、「こっちの友達はみんな『フセインが悪い』って言うのに、あんたは逆やね」と言われたのです。だってあれ、アメリカの内政干渉じゃん!)

    あ、でも、「世界各地の被差別民のところに行って、そこに特有の食事を食べさせてもらおう」という発想は、うまく言えないけど、現代的だと思う。
    (もちろん相応のお礼はしてます)

    日本の部落問題が『極東カースト問題』と言われていると、初めて知りました。確かにカーストだよね。
    というか、「あの人は私たちとは違う」ってヘーキで発言する人いるよね。
    自分で自分のカーストを設定して、勝手に私のこともそこに組み込んで、それ前提で話されると、正直つらいです。
    ダンナがIT関係、と言ったら、「人種が違う」と言いやがったヤツもいたな。人種は一緒だよ! むかー!
    (と友達に愚痴ったら、「今どき、本当に人種が違っても、『人種が違う』って言わないよね」と驚いてくれたので、まぁ、そんな人ばっかりじゃないと思おう)

  • 食の切口からみた、差別と貧困の文化。世界各地の被差別民の食卓には、共通する思想、長く差別され続けることからしか生まれえなかった思想が流れている、と教えてくれる。
    テーマは厚いけど、旅行記のような体をとっていてさらりと面白い。

    私の問題は、ネパール、インドの牛料理もアメリカのフライドチキンもブラジルのフェジョアーダも差別から生まれた食べ物だと知りながら食べたことがあったのに、
    日本のさいぼしやあぶらかすについては聞いたことさえなかったという、外を向いた知識の偏りなんだろう。
    「極東カースト問題」…ね。

    前に著書を読んだことがある八木澤さんが出てきて驚いた。

  • さいぼしを食べてみたい

  • 食べ物と人と文化は切り離すことはできないと思う。被差別の食卓とはなかなか衝撃的な題名だったが、各国の食べ物や人々のルーツを学べた。

  • 被差別部落生まれの著者が、被差別部落でしか食べられていない食べ物があると知ったことで、同様に世界でも差別を受けてきた人々に特有のソウル・フードがあるのではないかと考え、取材した記録。アメリカ、ブラジル、ブルガリア、イラク、ネパールで取材が行われた。

    アメリカの南部の黒人のソウルフードについての記述があるときいていたので、それを調べるために読んだ。差別を受け、貧困にあえぐ人々の食卓にあがるものは多くが、ほかの人々が食べないものを食べるために工夫されたものであった。
    アメリカの部分は食べ物に注目して気楽に読めるが、イラク、ネパールなどは差別と貧困についてが厳しすぎて、つらい現実を知った。ブラジルで、奴隷になるよりもと逃げた人々の楽園というキロンボ。飢えも差別もない、居心地のよいアフリカのような場所を自分たちで作り出したわけだが、それだけそれ以外の場所での差別のひどさを感じた。

  • フライドチキンは黒人奴隷料理の代表。
    白人が食べずに捨てた手羽、足先、首の部分を、骨も気にせず食べられるようにディープフライしたのがルーツ。

    おでんそば。おでんに中華そば。すごい。効率性と満足を求めた結果の料理。昔の母親の朝ごはんで、バンバーグそば出てきたけど全く同じではないか。

    最後の締め文がいい。
    "料理は、味が決め手である。しかし同時にその国、民族、地方、個人を表す文化でもある。だから他人にはどうということのない味でも、その人にとっては懐かしい味であったりする。"
    思い出で飯を食う。背景を知ったうえで料理を楽しむ。

  • 「ソウルフード」とは魂の食事とか郷土料理という意味ではなく、アメリカを発祥とする黒人文化の料理。もっと言えば「奴隷料理」のことで、その背景には差別や貧困という悲しい歴史が潜んでいる。フライドチキンがアメリカのソウルフードの代表と呼ばれる理由は、かつて白人の農場主が残して捨てていた鶏の手羽先などを、黒人の使用人たちが油で揚げて食べていた事から。ブラジルのフェイジョアーダ(豚の内臓と豆の煮込み)、ブルガリアの「焼きハリネズミ」、牛肉を禁じるヒンドゥー教の国・ネパールの不可触民と食べた「スキヤキ」など、世界各地に根ざした「被差別料理」とそれらを食べる人々をレポートする。日本においても、牛や豚の屠畜場で働く人たちが作った内臓の揚げ物など、筆者自身が幼少の時から親しんだ「むらのソウルフード」が生々しく描かれており、被差別の民の歴史に深くえぐり込んだ一冊と言える。

  • 俗説で言われるところのホオルもん、ホルモンは実は被差別側からの巧妙な印象付けにより、その美味を隠しつつ独占して来たのでは。といううがった見方はないのだろうか。それほどホルモンは旨いし、今や正肉に比べても高級食材ともいえる。
    フライドチキンしかり、差別の歴史はその歴史に反して余儀なくされたにしてはあまりにも美味な着地をしている。
    多少動物臭が臭かったり、痛みかけとしても、絶妙なグルメ点があったといえる。
    本来美味とはそういったものではないか。

    辺見庸の「もの食う人びと」までの体の張り方がないのと、結果こちら先達のほうが美味そうだったわけだが。

  • 書店で古本で売っていたので購入。数年前京都にいた時ちらっと読んだことがあります。この本であぶらかすの存在を知って無性に食べたくなって近所を探し回ったのはいい思い出。

    久々に読んでみましたが、なかなかいい旅行記&食レポでした。
    被差別部落出身というアイデンティティも大切にしつつ、等身大のひとりの人間として、目の前の人に、そして料理に接しようとする気持ち、通じ合おうとする意志は、何となく伝わってきました。
    文章から、食の向こう側にある生活なんかも、想像されてきます。
    そして何より、食を通して差別について考えさせられることもあって、そういう意味でも単なる旅行記、単なる食レポに終わっていないように思います。


  • 社会

  • 世界の各地域でいわゆるソウルフードと呼ばれる被差別階級の食卓を見つめることで筆者が自己のアイデンティティを確立していく。大阪・更池部落のさいぼし・あぶらかす・こうごり。アメリカ黒人社会のフライドチキン・BBQポーク・なまずフライ。果てはブルガリアのロマの食卓やネパールの牛食文化にまでスポットが当てられ、人間社会の隅で生きるものたちの生活がありありと浮かび上がる。良書。

  • 「ソウルフード」は差別と根っこのところでつながっている。アメリカのフライドチキンやなまずフライ、ブラジルのフェジョアーダやムケカ、ロマのハリネズミ料理など、実際にその地を訪ねて差別されている人たちに入り込んで食べさせてもらう。ネパールの不可触民・サルキが食べる牛肉のエピソードはすごい迫力。原点には、著者自身の体験からくるあぶらかすの料理がある。いままでにない視点からのディープな民族料理レポートだ。

  • 正直な感想を言えば、読んでいると食欲がなくなる。
    しかし、ブルガリアのロマの章などは「うっ」と思ってしまうけれど、実際その過程は私達が牛や豚を食べたりするのと同じことなのだった。
    どんなに眉を顰めてしまうような食事風景だとしても、彼らにとってはどれもこれも単に生きるために他ならない。
    何を食べるから良い、悪い、などと、私達に批判できる権利など一切ないのだ。
    本当に食というのは命そのものだ。

  •  被差別の「むら」、部落、奈良育ちには馴染みが深い。当時は気づくこともなかったが全国的に見ても奈良はこの手の同和問題に対する教育は熱心だったようだ(本書にも、”部落解放同盟の前身である水平社は、奈良県の部落から誕生した”とあり、奈良が総本山だったのかぁと今さらながら驚いている)。

     大阪の被差別部落”更池”の出身である著者が、自宅で食べていた「あぶらかす」が、「むら」独特のメニューであることに気づいたことから、世界各国の被差別民族の食卓に伝わる、その民族独自のメニューを訪ねるルポルタージュだ。とっかかりは”料理”であるが(その食べ物を食べさせて、とアプローチしていく)、「むら」の人たちとの接触を通じて、その被差別民族の歴史や現状が語られており、予想以上になかなか歯応えのある内容だった

     アメリカの南部を訪れ、黒人料理を食べ歩きながら、「サウザン・ホスピタリティ」呼ばれる過剰な笑顔の裏に「見えない差別」を読み取り、ポリティカリー・コレクト(PC=政治的公正)と称して差別そのものが見えにくくなっている現状に疑問を呈するなど、こう言ってはなんだが、自身が被差別部落出身故に、そうした差別する側の意識、感情を皮膚感覚として感じ取ることができるのかなと読んでいて漠然と思う。

     ブルガリアではロマ(ジプシー)の「むら」を訪ねハリネズミ料理を食べながらインドから続くロマの歴史を俯瞰し、ネパールでは露店で被差別民が砂糖を買う何気ない動作からカースト解放令(1990年)後も残る見えにくくなった差別を鋭く感じ取る(「わたしは”不可触民”という言葉を、戦慄をもって思い出していた」と)。

     その国、地方のソウルフードを口にすることで、いっきにそのコミュニティに溶け込めることは自分も体験的によく理解できることだ。それは食前酒代わりで、メインディッシュは被差別の現状への踏み込みだったという切り口が本書の白眉だろう。 面白かった。

  • アメリカ、ブラジル、ブルガリア・イラク、ネパール、そして日本という世界各地の被差別民の生活とその共通性を”ソウルフード”(食事)という観点から描いたノンフィクション。

    普段何気なく食べている食事にこそ、文化が表象されるというのは当たり前のこととして、内臓料理の割合が多いことや、香辛料等で煮込むその調理法、など、その共通性が面白い。

    これを読んで無性にかすうどんが食べたくなった。東京ではあまり見ないが幾つか店もあるようなので、近いうちに必ず。

  • 新書文庫

  • 自分の好みにタイプのタイトルなのでジャケ買い。文体も違和感がないし、内容も非常に興味深く面白い。
    作者のフィールドワークの細かさが正確に伝わってくる。そこにあるものを食べるだけでなく、可能な限り人の話を聞いているし、その土地のことも詳細に書いてある。
    おそらくもともと被差別の話は文字で残っているものが少ないんだろうな思った。口承や経験から辿る話が多く、誰かが研究として残さないと、おそらくなくなっていってしまうものであるかとも感じた。当然背景には被差別であったことを自ら残したくないんだろうという予想が容易につく。
    『食っていうのは、命そのものでしょう』『料理にとっての精神性とは、多くの場合雰囲気だけではない。雰囲気というのは心理であり、精神性の一つでしかないからだ。料理の精神性とは、その料理の生まれ、歴史、場所から生じる。』

  • ふつーに面白く読んだ。
    なんか色々美味しそう‼︎
    あぶらかすも気になるがカロリー凄そう…
    あまり身近で被差別部落を感じたことないけど、
    世界のいろんな民族との比較も
    興味深かった。
    ちょっと母の味のくだりはしつこかった。
    自分で再現しなさいな‼︎

  • 面白かった!

  • テーマは良いのだが、何だかブログを書籍化したようで物足りない。ところどころ引っ掛かる表現もあるし、要は自分と相性が悪いのだろう。

  • アメリカ、ブラジル、ブルガリア、イラク、ネパール、そして日本。
    各国の被差別民とされる人たちが暮らす地域を訪ね、その食をレポートした本。
    今も差別が色濃く残るところ、水面下に潜んで見えなくなってしまったところ。
    どんな差別を受けたのかといったことは、(かなりソフトに書かれているのではと思うが)やはり衝撃的。
    冒頭で紹介された、有色人種だからとあからさまに無視されるといったことでも私などはショックだったが…。
    ネパールなどでの身体的な暴力まで伴う差別の状況を読むと、心がえぐられる感じがする。

    アメリカのソウル・フードは、なんとなく想像がつく食べ物が多かったが…
    ブラジルのフェジョアーダやムケカ、ロマのハリネズミ料理となってくると、だんだんどんな料理だか、想像もできなくなってくる。
    食に関してとても保守的な自分を再発見してしまった。

  • フライドチキンが被差別料理というのは意外だった。
    昔は一般の人が食べていなかったホルモンも今ではメジャーな食材になっているし、被差別料理の垣根はどんどん低くなってきているのかも。そのうち「あぶらかす」もスーパーで売られるようになったりして。
    被差別部落出身というバックグラウンドを活かして、外国でもするっと特殊なコミュニティで話を聞いている。被害者ぶらず、淡々と自分の知らない世界を紹介してくれるので読みやすい。

  • 上原~頑張れ
    でも
    これはおもんない

  • 著者の考え方が凝り固まっている感じで、つまらなかったです。

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著者プロフィール

1978年、大阪府生まれ。大阪体育大学卒業後、ノンフィクションの取材・執筆を始める。2010年、『日本の路地を歩く』(文藝春秋)で第41回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。2012年、「『最も危険な政治家』橋本徹研究」(「新潮45」)の記事で第18回編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞大賞受賞。著書に『被差別のグルメ』、『被差別の食卓』(以上新潮新書)、『異邦人一世界の辺境を旅する』(文春文庫)、『私家版 差別語辞典』(新潮選書)など多数。

「2017年 『シリーズ紙礫6 路地』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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