東大法学部 (新潮新書)

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著者 : 水木楊
  • 新潮社 (2005年12月15日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106101465

東大法学部 (新潮新書)の感想・レビュー・書評

  • 以前「天皇と東大」(立花隆)を読んだが、東京大学の成立と戦前の歴史についてはその方が詳しかった。
    本書は戦後について詳しく書かれているのと、政治との距離をも書き込んでいるのが目につくが、書体は週刊誌的にも感じられ深みがない。
    新書であるからこの程度で充分なのかもしれないが、知ることができるのが概略のみというのにはやや不満が残った。

    2017年8月読了。

  • よくある東大批判。官僚のこぼれ話は興味深かった。

  • 東大=官僚養成の大学

    エリート育成(途上国であった日本にとってキャッチアップは至上命題

    現状・・・日本の国益を侵害
    *すべて民営化すべきとの意見です。

  •  うーん。著者のスタンスがわからなかった。
     官僚を育てるべくして設立された東大法学部、けれども官僚が力を失い腐敗するに従って東大法学部の意味もなくなってきた……というような書かれ方をしているけれど、その当時、著者は記者クラブで官僚たちを見てきたのでは? なぜそこできちんと糾弾しなかったのだろう。なぜ今更言うのだろう? と不思議でならない。

     こういう目で見られたら、東大って名乗りたくない気持ちもわからなくは無いな、と思いました。

  • ブックオフをぶらぶらしてて、タイトル見て即買っちゃった本。東大法学部の歴史でも書かれてるのかな、それなら知ってても悪くないかな、と思った。

    最初は東大法学部の歴史が書いてあった。日本を成長させる官僚を養成する学校だったんだって。

    それがだんだんそうじゃなくなってきた・・・。官僚たちの夏みたいな時代じゃなくなってきて、官僚の魅力が薄れてきて、学生の質も落ちてきて・・・・。といった流れ。途中からはかなーり厳しいことかかれています。ちょっとへこむ。

    でも昔の学生の様子とか知れるしいいと思った。途中多くのOBも登場するからOB訪問している気分になるし。昔はゼミに入れる人は3人に1人だったらしい。昭和までは2類が一番多かったらしい。

    自分たちが無批判に受け入れている体制を批判的な視点から書かれた本を読むことでまた違った感じで見ることが出来る。自分が批判されているような気がして身が引き締まった。

    そして、大学だけじゃなく、官僚制にまで突っ込んでいくところはすごい。当然なのかもしれないけれど。

    とにかく、東大法学部の人には読んでほしいな、すぐ読み終わるし。貸します。

  • 東大法学部を憂う内容になっています。
    否、東大法学部のみならず、
    日本の教育自体を憂いているといった方がいいかもしれません。

    一側面の捉え方としては、著者の言っていることは正しいのだと思いますが、
    一方的すぎるのではないかと思うところもありました。
    しかし、著者の言っているように、
    このままの日本の教育制度のままでは、
    完全に世界においていかれるのは間違いないと感じています

  •  東大法学部は、近代国家を形成する上でとても重要な役割を果たした。明治時代、日本は西欧列強に伍していくため、法律が整備された法治国家を早急に構築する必要があった。その法律を作る人材を供給する機関として東大法学部は創設された。いまでも霞が関において、東大法学部卒の人間が大きな力を持っているルーツはここにある。
     しっかりとした制度がまだない真っ白な状態で、制度を作っていくことが必要だった時代は、そういう能力を持った官僚がすさまじい権力を握っていた。しかし、ある程度制度が完成し、先進国の仲間入りを達成した頃には、当初作られた制度は時代に合わなくなってきており、新しく制度を作り直さなければならなかった。しかし官僚は、一度作った制度を消すことはできない。なぜなら、既存の制度によって既得権を得ている集団があるからである。そこで制度を作り直すことができる政治家に、徐々に権力が移っていった。
     現在の東大法学部において、もはや官僚は人気の進路ではなくなっている。東大法学部生たちは人材としての「代替不可能性」を求めて、弁護士になったり、外資系企業に就職したりする道を選んでいる。このような進路を選ぶ学生たちに、国立大学に国費を投入するというかたちで援助する必要があるのだろうか。もはやその必要性は薄く、私立大学と区別なく補助金を使うか、学生個人に補助金を出すべきだろう。
     真のエリートには、「公共の精神」「総合的な知力」「問題解決力」などが求められる。そのようなエリートを育成するためには、現在のような東大を頂点とするピラミッド型ではなく、多様性を持つ構造にしなければならない。
     この本は簡単にいってしまえば「東大法学部批判」の本である。かなり前に購入して読み始めたが、当時は全く興味がわかず放置した本であり、最近部屋の整理をしていたらたまたま見つけたので、読んでみるとすらすら読み終えてしまった。この3年間ほどで少しは成長したのかもしれない。

  • 本書をどう読むか、人によって大きく異なるだろう。
    エリート官僚養成機関の実績が、時代の変化とともに様相が変わり、それを取材を通じて紹介している。
    では、その変化があって悪いところばかりなのだろうか。私はそうは思わない。これだけあらゆる価値観が多様化した今日において、学生の進路選択に幅がでるのはある意味当然だと思う。ごく一例を取り上げて東大全体を批判する、「金ぴかエリートの敗北、東大を見放す高校生」といった見出しは事実と状況の表現がフィットしていないと感じた。

    戦時中に大卒者が海軍に主計官の将校として任官される「短期現役」があったそうだ。主に経理・兵站・文書管理・秘書を担当したという。
    昭和55年の中曽根内閣はこの短現出身者の大臣が多かった。法律と予算を扱う際に、海軍の合理性が精神として必要で、独特の文化が一定期間できたそうだ。

    ちなみに、著者の卒業した学校は、自由学園最高学部は各種学校。法令上は大学ではない。あとがきの185頁に「自由学園という大学」と書いてある。この表記はいいのかなぁ。

  • 高校時代に読んだからか、退屈な内容ではあった
    よく言われている、真のエリートたちの官僚離れとかいろいろ。

    でもまぁ、東大で官僚がどうとか本人はそこまで気にしてないっていうね。

  •  東大法学部の歴史と、それに関係する政財官界の人脈、さらに彼らの業績(所業というべきものもあるが)などの基本データが充実していて、日本における東京大学の位置づけがとてもわかりやすい。

     その反面、著者独自の主張となると、やや物足りない。

     主な論点は、国家中枢への人材供給源としての東大法学部の終焉と、それに伴う法学部の学生の劣化である。この論自体は、今となっては(多分、この本が出版された2005年当時でも)めずらしい話ではないように思う。

     東大法学部出の官僚の堕落、市場主義者的な東大生への違和感、予備校化した東大のありようなど、東大を取り巻く現状に対して、さまざまな疑問が提示されているが、要は
    「公共に尽くす考えのない東大生(含む教授)のために、実質的に国立大学である東大に、多額な国民の税金をつぎこむのはおかしいいだろ!」
    ということなのだろう。

     そんな東大生は「エリート」ではない、ということで、じゃあ真の「エリート」とはどんなものかというと「ノブレス・オブリージュ」のお話で何となくお茶をにごされた感があり、また、エリートの育成法についても、具体的には奨学金の充実というくらい。

     旧制一高について書かれたあたりを読む限りでは、著者に「エリート教育」について熱い思いがあるように感じたので、拍子抜けな感は否めない。 
     これからの日本には、誰が何といおうとエリート層が必要だと思っている自分としては、そのあり方と育成方法について非常に興味があったのだが……。

     実際問題、いわゆる優秀な高校生の進学先が東大以外の海外の大学にも広がっているとはいえ、人数的にも制度的にも、とても、それらがメジャーになっているとは言える状況ではない。なんだかんだいっても、優秀な日本人の子供は、どうしても東大を目指してしまうのだ。ならば、ここは腰をすえて、東大を真のエリート養成機関として再構築する方が近道なのではないだろうか。
     著者も、とうの昔に賞味期限切れとなった、現在の東大(および、それを頂点とするシステム)に対しては厳しい姿勢をとっているものの、「東大」的なものを否定しているわけではない。
     今度はぜひ、東大のリストラクチュアリングについて論じてほしいと思う。

  •  官僚の士気が下がるのは権限をとられちゃったからだとある。

     「裁量権をせばめられた官僚たちのやる気は、徐々に減退し、朽ちてゆく。モラール(士気)の低下である。腐敗官僚の増加は(中略)最大の原因は使命感と緊張感の喪失にあったというべきであろう」(p.92)

     まあ、生涯一プレーヤーの身としては、それでも問題を求めて荒野を行かなければならないと思っています。だって解決能力を発揮したいわけですよ。職業倫理みたいなものですね。

     「真の教養とは(中略)問題を発見する力を備えているということだ」(p.176)そうなんだよなあ。ここが問題だ、と。で、解決への筋道も持っているともっといいですよね。

     それにしても…
     QCのもとが原価計算だったとは初めて知った。「昭和十三年制定の『国家総動員法』にもとづき、『軍需品工場事業場検査令』なるものが公布され、軍需物資を生産する民間の事業主に(1)原価計算をさせ、(2)その結果を報告させ、(3)担当官を派遣して監査する−ことになったからであった」(p.80)「戦後、米国から『品質管理』の手法が導入され、日本企業の成長を内側から支えるシステムとなったが、その前にこの原価計算の土台があったからこそ、見事な花を咲かせたと言っていい」(p.81)

     そうであったのか。本題よりもこの話が俄然光彩を放っている。

  • 東大法学部の歴史と存在意義を批判的に描いています。東大法学部はそもそも、日本の法律を整え、近代化させていく上で必要不可欠だった法律職行政官を大量に生産する目的で国が設置したものだった。それが現在では東大法学部の学生はその多くが裁判官や弁護士、外資系企業をはじめとする民間企業を流れ、その役割は変容しつつある。と著者は分析します。「東大法学部のブランドはかつてに比べるまでもなく色あせ、大貯水池からは民間に直接流れるものや、官界に入っても失望して民間に転進する者が増えていった。」「エリート輩出構造は、東大法学部を頂点とする富士山型から、あちこちに峰のある八ヶ岳型に変わっていくだろう。あるいはいくつものピークのある万里の長城型と言ってもいいかもしれない。なぜか、それは多様性がこれからの社会の青写真を描くうえでのキーワードとなるからである。」大前研一氏と同じことを言っているので驚きました。本書は東大のことばかりでなく、東大法学部と切っても切れない関係にある霞ヶ関のことも詳しく描写しており、とても勉強になりました。新潟の農家出身で学歴のない田中角栄と、ピカピカの東大法卒の福田赳夫の「角福戦争」の引用は印象的でした。でもやっぱり東大は憧れますね。そもそもこの本を手にとったのも東大コンプレックスの現れかも。。。

  • 1つ1つの題の長さが短く、非常によみやすかったです。
    東京大学法学部の歴史などを詳しく知る事ができ楽しめました。

  • 東大行きたい。いや東大生ってやぱりすごいよ!

  • ■駄作。すべてが中途半端に終わっており、結論らしきものへの道筋が論理的根拠もなく提示されている。

  • こうもまぁ、世間の偏見に迎合、助長するような著作は見上げたものだ。
    官僚離れ、外資志向の増加という指摘はまっとうだろう。
    しかし、エリート排出機関としての東大の機能低下、存在意義に対する懸念はどうかと思う。
    勿論昔に比べて様々な点で卓越性、優位性が失われているかもしれないが、だからといってそのほかの大学が成長しているとも思わない。
    25番の教室構成等、嘘の記述も存在するのでこの本自体の信憑性が疑わしくなる。森田朗が怒るのもむりからぬ。
    内部にいる人間にとっては、あんまり耳障りのいい話ではないですね。

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東大法学部 (新潮新書)の作品紹介

明治政府の国策として、創立以来、官僚機構はもちろん政財界にも幹部候補生を供給してきた東大法学部。それは、そもそもが国家公務員試験および司法試験にむけた「予備校」であり、巨大な公共投資であった。維新から高度経済成長期へと続くその栄光の歴史、そして霞ヶ関の落日以降に訪れた変化とは-。現代社会における「真のエリート教育」についても考察。

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