医療の限界 (新潮新書 218)

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  • Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106102189

感想・レビュー・書評

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  • 医療とは医師が限られた時間と情報において想定される最善のものを選択することである。
    つまり、医療事故の結果だけを見て、事後に莫大な時間をかけ、いろいろな情報から他に最善の方法を選択すべき、という考え自体が無意味なことであるのがよくわかった
    しかし、だからと言ってそうした前提条件に立ってなお許されないようなことすら見逃してほしいといった論調には「甘え」も見える
    そもそも「人事を尽くして天命を待つもだめでした」であればまだしも「人事はいい加減で天命もだめでした」では納得できない

    確かに、医療が不確実なものである以上、医療事故を業務上過失致死罪等で立件することの理不尽さというものはあるのだろう
    であれば、医師や病院は、患者やその家族からきちんと理解を得ておくべきではないか
    4回連続で輸血に失敗するということは確率論的に考えられないことだし、大学病院・医局などの各種問題は自助努力してもらわなければ困るし、危険性があるのであればできる限りの必要な対策を取っていなければならないのは当然のことであり、それをないがしろにしては患者等の理解は得られないだろう。

    【なるほどな点】
    ・現代では、(中略)死にゆく家族の世話を病院に委ねてしまうのが普通になりました。しかも、日本人の少なからざる部分が、生命は何より尊いものであり、死や障害はあってはならないことだと信じています。(中略)そのため、死や障害が不可避なものであっても、自分で引き受けられず、誰かのせいにしたがる。(P19)
    ・「医者はみなやぶ医者である。なぜなら、いくら医師が努力をしても、かならず失敗して、人間は必ずいずれ死ぬから」(P20)
    ・医師の医療上の予想はあくまで過去の統計に基づくもので、確率で表現されます。(中略)個々の人間について、将来の生命を予想することは不可能です。(P25)
    ・死亡した患者の遺族が、お金を必要としない死人に代わって莫大な賠償金を受け取る制度は、モラルハザードを引き起こしかねません。(P61)
    ・医師は妥当と思われる範囲で、選択決定しながら診療を進めています。(P77)
    ・(「インシデント」の発生時には、とにかく)何が原因でそうなったのかを分析させ、危険を未然に防ぐこと、安全を意識させる。(P106)
    ・多くの診療行為は、身体に対する侵襲を伴います。通常、診療行為に利益が侵襲の不利益を上回ります。しかし、医療は本質的に不確実です。(P113)
    ・100%の安全を求めると現場に無茶な責任を追わせることになります。(P219)

  • 最近の医療過誤のニュースに対しての考えが変わりました。病院側に責任の多くがあると考えていましたがそうではないのかもしれません。
    また,医療は間違える可能性をもっていると言うことは当たり前だと思っていましたが多くの国民にはそうとらえられていないと知りました。

  • めざましい医療技術の進展により死は我々にとって遥かに遠い存在となった。死は意識の彼方に追いやられ死生観は喪失。死を静かに眺めることができない甘えの蔓延は、際限のない社会の安心安全要求に形を変え、今、医療現場を崩壊の危機に陥れている。医療とは本来不確実なものであり、治療は常にリスクを伴うにもかかわらず、昨今、医療に過誤はありえないとばかりに医療への理不尽な攻撃が頻発している。メディアや司法はときに十分な責任を果たしている医師までも攻撃する。医療は万能ではない。限界がある。とりわけ救急医療の現場では完璧な準備などありえない。このままの事態が進めば、結果的に困るのは医療を必要とする我々自身である。肝に銘じなければならない。

  •  ちょっと重たい内容でした。私たちの死生観に対するの問題です。医療が進歩して、患者とその家族が、死を受け入れられなくなっている…と。何かあれば、すぐ裁判になるのであれば、リスクの高い医療を引き受ける医師がどんどんいなくなる。医療崩壊を進行させないために、医療を受ける側がどうあるべきか、真剣に考えてしましました!

  • 虎ノ門病院の部長である著者が、現在の日本医療の危機的状況とそれを助長させている環境(生死観、マスコミ報道、医療への幻想、医療訴訟の内実)をまとめた内容となっている。
    医療従事者以外の一般の人が是非読んでおくべき一冊と考える。
    患者、患者の家族が死生観、医療の実情を知り、結果責任だけを問うことをやめるべき、補償のあり方を変えるべき、裁判が感情的ではなく科学に基づいて行われるべきという意見には賛同する。

    ただ、慈恵医大青戸病院事件に関しては、著者の見解と異なる感想を持った。
    結果責任ではなく、故意の事例に対してだけ責任を問えば良いとはいうが、慈恵医大青戸病院事件に関しては未必の故意と言えるのではないかと感じる。
    この辺の線引きは難しい。

  • [ 内容 ]
    日本人は死生観を失った。
    リスクのない治療はない。
    患者は消費者ではない―。
    医療の現場を崩壊させる、際限のない社会の「安心・安全」要求、科学を理解しない刑事司法のレトリック、コストとクオリティを無視した建前ばかりの行政制度など、さまざまな要因を、具体例とともに思想的見地まで掘り下げて論及する。
    いったい医療は誰のものか?
    日本の医療が直面する重大な選択肢を鋭く問う。

    [ 目次 ]
    第1章 死生観と医療の不確実性
    第2章 無謬からの脱却
    第3章 医療と司法
    第4章 医療の現場で―虎の門病院での取り組み
    第5章 医療における教育、評価、人事
    第6章 公共財と通常財
    第7章 医療崩壊を防げるか

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  • 購入


    「正しい市場とは、競争原理が機能し、情報へのアクセスが平等でふんだんにあると言う前提で、消費者が自ら参加するゲームである。医療では誰もが平等に情報を得て、しかも、それを正しく理解できるなどということはかつてなかったし、未来永劫ありえない。医療はゲームではない。医療は社会的善であり、公平でなければならない。患者は消費者ではなく、純粋に、ただ単に患者なのである」『ランセット05年5月』

    医者の気持ちや訴えがよくわかる。
    ただ一方で、ミスが起きればそれは誰の責任であっても「患者は死にさらされる」のである。
    もしかしたら日本の医療事故はもっと減らすことが出来るのではないかな?
    医者に負担をかけるのではなく、プロセスイノベーションやプロダクトイノベーションの段階で。

  • よい!

  • 「医療崩壊〜立ち去り型サボタージュとは何か」の著者である小松秀樹医師の著書。

    正直、前作より書き散らした感は否めない。でも死生観とか思想とかについて半分近く著述しているのを読むに、どんなに現実に即した制度設計をしても最後は人一人ひとりの考え方が変わっていかないといけないんだなぁと感じた。

    新自由主義やらに関する彼の主張には、政治思想なんかをやっている人たちからすると「何を素人が!」と思うようなところもあるのかもしれない。少なくとも僕自身は彼には語ることのできる能力はあると思っているし、現実の本当に第一線にいる人が思想を語ったり思想を学んだりするということは、とても大事なことだと思う。

著者プロフィール

医師。NPOソシノフ運営会員。1974年、東京大学医学部卒業。山梨医科大学泌尿器科学教室助教授、虎の門病院泌尿器科部長などを経て、2010年5月より2015年9月まで亀田総合病院副院長。
著書に『慈恵医大青戸病院事件 医療の構造と実践的倫理』、『医療崩壊 立ち去り型サボタージュとは何か』、『医療の限界』など。

「2018年 『地域包括ケア 看取り方と看取られ方』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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