いじめの構造 (新潮新書)

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著者 : 森口朗
  • 新潮社 (2007年6月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106102196

いじめの構造 (新潮新書)の感想・レビュー・書評

  • 「誰が犯罪を「いじめ」にしてるのか?それは国家権力(警察)を憎むカビの生えた日教組思想と、教師はあらゆる困難を乗り越えていじめ被害者を守り、いじめ加害者を更生させるべきだと考えるコケの生えた教師聖職者論者、それに少しくらいヤンチャな方が立派な大人になるといった牧歌的な青春イメージです。(本文より)
    P174~数学なら頭の良し悪しが正しい答えを決めるが、社会問題は話し合いと多数決で解決するのが民主主義(デモクラシー)社会のルールです。だからこそ、具体的な利益で考えるべきなのです。
    P175~学校は「出席停止の期間において、当該児童生徒が学校や学級へ円滑に復帰できるよう、規範意識や社会性、目的意識等を培うこと、学校や学級の一員としての自覚を持たせること、学習面において、基礎・基本を補充すること、悩みや葛藤を受け止めて情緒の安定を図ることなどを旨として指導や援助に努める」ことが文科省の通知「出席停止制度の運用の在り方について」)で明確にされています。被害者が毎日学校で殴られ、安全な状態で今日いうを受ける権利をはく奪されることに対して、加害者が失う利益はクラスのみんなと一緒に授業を受ける権利だけです。暴力系のいじめをした生徒に対して出席停止をちゅうちょする理由がない。「人権」対「人権」という構図になった途端話が判らなくなる。
    P178~被害者が被害を訴えた時、精神科医やスクールカウンセラーの意見を尊重し、学校がいじめを確認できなくても転校を許可することで最も弱い被害者を守る。
    ・価値観の押し付けはいじめ防止には抱えない。何を卑怯と感じるかは価値観そのものであり、いじめ予防には価値観の押し付けは不可欠。むしろ、価値観を押し付けないから、子供は『チクリ行為は卑怯』「いじめられたからって休むなんて卑怯」という自分たち独自の価値観を肥大化させていくのです。弱い者いじめは卑怯である。人をいじめるのは卑しい行為だ。そして卑怯者や賤しいやつは他人から軽蔑されて当然である、このような規範は武士道に繋がる。
    ・学校のいじめ問題を解決する手段として「人権フィクション」だけで対応するのと「武士道フィクション」も付け加えるのとではどちらが効果的でしょうか。
    ・自分の人格や能力相応に大人がハラスメントと付き合って生きているように子供もいじめとリアルに付き合いながら生きています。どんな対策も現実を知らなければ始まらない。

  • 人の善性に信頼を寄せるあまり、物事が見えなくなることは往々にしてあると思う。
    そんな軟弱な理想じゃ、酷薄な現実をすくい取れない。
    そこでこの先生は感情論とか理想論とかを妄言と言い放ち、理論というナイフで切った貼ったの大立ち回り。
    いじめとなるとナイーブになりがちな論者とは対極的でおもしろかった。

  • いじめについての本によくあるような「きれいごと」がなく、
    冷静に分析されていて、とても良かった。
    だから、うなずけるところも多かった。

    「(スクール)カースト」とか実際に高校生の頃、友達との間で使っていましたからね。

    でも、最後の方に行くにつれて、「ん?」と思うところがあった。
    もっと勉強したらまた読んで、考えてみたいと思う。

  •  もっと早く読めば良かった! と思わされた一冊。本書を読めば、巷間言われているいじめ議論というのが、いかに浅薄で印象論の域を出ないかが思い知らされます。

     本書はタイトル通り、いじめという現象を構造的に説明しています。
     第二章では、いじめという現象にについて、藤田英典さんの4分類を参考に、スクールカーストという概念を持ち込んで整理し直した「修正藤田モデル」によって、いじめという現象が整理されています。
     続く第三章では、いじめが発生するメカニズムについても、内藤朝雄さんのモデルを元に説明されています。
     いじめ問題の議論を聞いていて空疎に感じるのは、一因として、特定の事例だけを元に全体を語ろうとしていることが挙げられます。が、それがいじめ議論を印象論の域に留めてしまう原因となっているわけです。いじめについて語るときには、せめて本書の内容くらいは前提にして欲しいと思うところです。

     第四章では、学校がいじめ問題を隠蔽する構造について説明されています。本章を読めば、いじめが発生した現場責任者である学校が、疚しさから隠蔽しているというのがいかに素朴な見方であるかを知ることができます。学校を取り巻く環境が構造的にいじめ問題を隠蔽する方向に誘導するものだとしたら、敢えてそれを超えていじめ問題を報告させるのは、現場の高いモラリティに頼るしか無くなります。
     しかし、戦前日本の戦争を引くまでも無く、このように構造的に負荷をかけておいて精神性だけに頼った解決を志向することが、いかにナンセンスかは言うまでも無いでしょう。わかりやすい現場叩きで何かを批判した気になるのは、それこそ感情論の域を出ないものです。

     本書で一番同意したのは、いじめ問題についてのアプローチです。
     従来「いじめ問題」として括られてきたものの中には、(1)特定の人間を無視したり仲間はずれにしたりするものと、(2)暴行・強要(窃盗の教唆など)・恐喝など立派な刑法犯とがごっちゃにされてきました。私は、(2)を「いじめ」として学校内で処理し、非犯罪化することに強い疑問を抱いていたのですが、本書でもそのことが述べられていました。
     そもそも、学校に刑事事件を処理する権能はありません。その点、(2)を「校内犯罪」と呼び、警察が処理すべき問題とするのを原則とする(その上で、加害者生徒に改悛の情が見られる場合などには例外的に内々で処理することを認める)という本書の主張に賛成です。

     最後に、最近のいじめは昔のいじめと顕著に違うと思っている人には、映画「少年時代」を是非見て欲しいと思います。最近の子供達が理解不能なモンスターになっているわけでないことがよくわかるはずです。
     いつの時代でも、子供の社会には子供の社会なりの秩序と機微があり、そこには大人社会と変わらぬ理不尽と繊細さがあるのです。大人の中には、大人になったときにそういった過去をキレイに忘れて子供社会を何か純粋な理想社会みたいに見ている人がいます。が、彼らとて、潤滑な人間関係を送れるコミュニケーション力や人の心の機微、社会的なポジショニングを把握し、場の空気を読む力、それらは自分の子供の頃の「子供社会」で身につけたのです。

     いじめ問題を安っぽい道徳論や思いやり論に回収してしまわないためにも、本書の知識は前提として欲しいところです。

  • 色んな人間を一か所にムギュと集めて「ハイ仲良くしてね」
    な仕組みに問題があるという点に納得感があった。

    凄惨ないじめの内容や、
    いじめる側の心理の描写を読むと
    だんだん絶望的な気分になってくるが、
    それが教育制度というシステムからの
    アプローチによって改善できる、とあるので少しほっとした。

    いじめを完全になくすことは不可能だと私は考えるが、
    「最悪の事態」を避けるための努力は惜しむべきではないと思う。

    それにしても、いわゆる上からお仕着せの「道徳教育」が
    いかに意味がないか分かった気がする。

  •  “いじめ”って曖昧な表現でぼやかすのはやめて、犯罪であると法的拘束力をもって言えたらいいのに、と思う。

  • 言ってることはまっとうだけど、
    論証が少なくほんとにそう?と疑ってしまう。

  • 「危機対処能力」とは、①誠実に見える②言質をとられない

    ルールなどなくても他人をいじめないようになること(人をいじめてはならないという規範を内面化させること。「規範の内面化」という。)は、いじめに対する明確かつ厳格なルールの設定と適用をする手法でいじめを押さえつける以上に大切。
    規範の内面化といじめ免疫の獲得こそが社会に出て自分も周りの人間も幸せに暮らすのに必要

  • いじめについて、客観的に書かれた珍しい本。
    いじめそのものではなく、対処の方法が問題である、というスタンスで書かれている。
    読んでみて、なるほどと思った。マスコミで報道されたり、評論家が喋る内容は何かぼんやりとしていると感じた。

  •  主にスクールカーストの概念を利用して「いじめ」のメカニズム・類型を説明する「いじめ」解説書。それを踏まえた上での、いじめへの対処についても述べている。子どもを神聖視していない様子が文章から感じられ、ある意味冷徹だが、地に足の着いた現実的な提案がなされている。世のいじめ言説には極めて批判的だ。

     スクールカーストの概念については、自分自身の体験もあることだし、目新しさは感じないものの、よく説明したなという印象。コミュニケーション能力が「自己主張力」「共感力」「同調力」の三要素の総合力で決定されるとし、それを主因としてスクールカーストが構成されるというのが著者の主張。なるほどの一語。

     いじめへの対処についての最たる主張は、学校における治外法権を撤廃せよというもの。警察や司法の介入を積極的に肯定している。これには僕も賛成だ。盗みに遭っても、理不尽な暴力に遭っても、それが学校の中で行われる限り、全てその学校によって処分がなされるという不可思議な光景をいくつも見てきた。馬鹿馬鹿しい限りだ。以前、評論家の宮崎哲弥が「いじめられっ子が転校しないといけないのはおかしい」という旨の主張をしていたのをどこかで見たが、著者の主張も同様。被害者の教育を受ける権利を守るため、加害者を出席停止もしくは強制転校すべきとの姿勢。こちらも賛成する内容。

     しかし、何だか共感しにくい本ではあった。述べられた事実は納得のいくものであったし、大筋の主張には同意できた。気に入らなかったのは著者の性悪説的な思考か。戦争や差別、殺人に環境破壊を例に挙げて「いじめは根絶できません」と言うのだから、理想主義者でないのは火を見るより明らかなんだが、それでもなあと思わせられた点は「非犯罪コミュニケーションいじめ」の肯定だ。僕は「りはめより100倍恐ろしい」が出たときに、そのタイトルのあまりの秀逸さに心中喝采を送った人間なので、正直その主張は首肯しがたいものがある。閉鎖された空間を生きる子どもにとって孤立の苦しみがいかほどのものか。名誉ある孤立などほぼ夢想。

     僕はウェブに、学校という閉鎖空間からの離脱を促進させる力があるのではないかと考えてはいるのだけど、これだけ携帯通信が普及しても、やってることはネットいじめ。結局学校からは逃れられないのかという落胆を感じずにはいられない。

  • 是非一読すべき。冷静な分析がされている。

  • 100%納得、というわけにはいかないけれど、今までのいじめ論に比べれば随分建設的だと思う。最も大切なのは、現場で実践していくことだけれど。

    いじめについては道徳論、精神論に行き着いてしまうことが多いけれど、もっとメカニズムというのを解明するという考え方が必要なのはそのとおりだと思う。いじめをする、という選択をするしくみみたいなものがあるだろうし。

  • オリジナリティ、語り口の粗雑さという面で、書物として読む価値があるかどうかは、微妙。

    ブログでやれば、受けると思う。
    飲み屋で親父と闘わすいじめ論、という感じ。

    久々に、自分の中で賛否が分かれる記述が多い本だと思った。

    *賛成の部分
    1.内藤モデルの限界点
    2.見て見ぬふりをするものも加害者、という妄言
    3.方便と事実の峻別の必要性

    *否定の部分
    1.スクールカースト(クラス内ステイタス)の概念の導入。これでいじめ現象を説明できない場合も多いから。
    2.いじめ必要悪論

  •  ちょっと辛口の本なんだけど、それが面白い。論理的に説明しているから、納得出来る部分も多い。しかし、「学校にいじめは必要」という著者の主張には完全に納得することは出来なかった。この本に100%共感する人はかなり少ないと思う。それだけ独特で、キツめの本なのだ。著者にはこれからも、そんな本を書き続けて欲しい。

  • こういう本も出てこないダメだよね。

  • 今、小学校高学年から中学生くらいの子供を持つ親たちに二つの命題が突きつけられている。
    「わが子がいじめられたらどうするか?」と
    「わが子がいじめをしていたらどうするか?」である。
    「学校に相談する」親もいれば、「子を殴る」親もいるだろう。
    この本は、テレビなどでいじめが討論される際にでてくる「傍観者も加害者」「いじめっ子も被害者」「いじめられっ子に原因はない」といった言葉を妄言であるとばっさりと切り落とし、いじめの分類・解析をした上で、具体的ないじめ対処法を明示している。
    その対処法は学校への警察介入を伴うものであり、学校側はかなり眉をひそめる内容だろう。しかし自殺者も多くでている現状では仕方ないことだし、逆に言えばいじめられている子を持つ親にとっては学校と対話をする中で警察の介入は武器にもなりうる。
    教師たちはこの本をぜひ読んで欲しい。そして親も読んでおくべきだと思う。
    少なくとも二つの命題のうち「わが子がいじめられたらどうするか?」には明確な答えが得られるはずだ。

  • なぜいじめが起こるのか、どのようないじめが起こるのか、いじめが「隠蔽される」のはなぜか、どのようにいじめに対処すれば良いか、といった点について、著者なりに整理し、提言している。いじめについて様々な議論が世間で飛び交っているが、それらはほとんど「妄言」として批判し、いじめの構造を「スクールカースト」という概念を中心に説明しようとしている。「いじめは撲滅できない」「校内犯罪と非犯罪いじめに区別すべき」「やたらと『人権』という言葉を使うな」など、いくつか共感できる点があるとともに、「スクールカースト」という概念も(その用語はともかく)極めて納得がいく。ただ「冷静に」と言いつつどことなく冷静さを失っているような表現も見受けられるし、やや唐突な感じで日教組や「武士道」が出て来る点は気に入らなかった。「いじめ」について知り、考える入門書としては良い1冊だと思う。(2008/01/20)

  • (2008/2/22読了)

  • 参考文献として読んでみた。さくさくっと読めて結構面白い。
    社会学の本だったみたいです。

    『規範の内面化』と『いじめ免疫』。いじめを賤しいものだという意識が広まれば、いじめは減るというもの。気持ち悪いいじめ論がマスコミに流布しているのを叩いてくれるのも心地よかった。

  • いじめに関する本はたくさんあるが、この本はきちんといじめについて分析している。学校内で生活したことがある人なら分かる学校内のカースト制度をもとにいじめを捉えている点がおもしろく納得できる。

  • 2007年9月3日
    語り口:説明的(やや熱)
    これはいい本だ、と思った。いじめられた人の心を癒すのではなく、起こっている現象を解析している。スクールカースト、という概念はよく現状を表していると思う。

  • スクールカースト。感情論に流されない、新しいいじめ理論。

  • 根本的な部分で、著者と私の間には、教育に対する哲学差みたいなものを感じます。しかし基本的な部分では大きく賛成できるものが多く、また現象を分析・検討する手法や理論的に考えていく部分などは見習いたいと思う部分でもあります。いじめに対して、これだけ明確に論を立て、すぱっと論じている本は珍しいと思います。しかも分かりやすくて値段も手ごろ。ぜひ。おすすめの一作です!

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いじめの構造 (新潮新書)の作品紹介

なぜ、いじめは起こるのか。いじめっ子といじめられっ子の境界には何があるのか。大人の目を狡猾に避けて隠蔽されるいじめは、理想論ばかりの「今時のいじめ」論からは絶対に理解できないし、解決もできない。「いじめの根絶は不可能」という現実を明確に直視した上で、いじめのメカニズムを明らかにし、具体的にどう対処すればよいのか、わかりやすく提示する。

いじめの構造 (新潮新書)のKindle版

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