いじめの構造 (新潮新書 219)

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  • Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106102196

作品紹介・あらすじ

なぜ、いじめは起こるのか。いじめっ子といじめられっ子の境界には何があるのか。大人の目を狡猾に避けて隠蔽されるいじめは、理想論ばかりの「今時のいじめ」論からは絶対に理解できないし、解決もできない。「いじめの根絶は不可能」という現実を明確に直視した上で、いじめのメカニズムを明らかにし、具体的にどう対処すればよいのか、わかりやすく提示する。

感想・レビュー・書評

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  • 賛成できるところも多く、犯罪行為をいじめという言葉でぼやかしている今の現状をとても分かりやすく論理的に記してあって勉強になった。ところどころ書き方が強く言い切っているあたりに違和感を覚えたが、それは自分も[妄言]に浸かっていたからなのかもしれない。大人の社会でも醜いいじめは起きている。[責任]と[原因]を分けて考えるなど、心に留めておきたい。

  • 「誰が犯罪を「いじめ」にしてるのか?それは国家権力(警察)を憎むカビの生えた日教組思想と、教師はあらゆる困難を乗り越えていじめ被害者を守り、いじめ加害者を更生させるべきだと考えるコケの生えた教師聖職者論者、それに少しくらいヤンチャな方が立派な大人になるといった牧歌的な青春イメージです。(本文より)
    P174~数学なら頭の良し悪しが正しい答えを決めるが、社会問題は話し合いと多数決で解決するのが民主主義(デモクラシー)社会のルールです。だからこそ、具体的な利益で考えるべきなのです。
    P175~学校は「出席停止の期間において、当該児童生徒が学校や学級へ円滑に復帰できるよう、規範意識や社会性、目的意識等を培うこと、学校や学級の一員としての自覚を持たせること、学習面において、基礎・基本を補充すること、悩みや葛藤を受け止めて情緒の安定を図ることなどを旨として指導や援助に努める」ことが文科省の通知「出席停止制度の運用の在り方について」)で明確にされています。被害者が毎日学校で殴られ、安全な状態で今日いうを受ける権利をはく奪されることに対して、加害者が失う利益はクラスのみんなと一緒に授業を受ける権利だけです。暴力系のいじめをした生徒に対して出席停止をちゅうちょする理由がない。「人権」対「人権」という構図になった途端話が判らなくなる。
    P178~被害者が被害を訴えた時、精神科医やスクールカウンセラーの意見を尊重し、学校がいじめを確認できなくても転校を許可することで最も弱い被害者を守る。
    ・価値観の押し付けはいじめ防止には抱えない。何を卑怯と感じるかは価値観そのものであり、いじめ予防には価値観の押し付けは不可欠。むしろ、価値観を押し付けないから、子供は『チクリ行為は卑怯』「いじめられたからって休むなんて卑怯」という自分たち独自の価値観を肥大化させていくのです。弱い者いじめは卑怯である。人をいじめるのは卑しい行為だ。そして卑怯者や賤しいやつは他人から軽蔑されて当然である、このような規範は武士道に繋がる。
    ・学校のいじめ問題を解決する手段として「人権フィクション」だけで対応するのと「武士道フィクション」も付け加えるのとではどちらが効果的でしょうか。
    ・自分の人格や能力相応に大人がハラスメントと付き合って生きているように子供もいじめとリアルに付き合いながら生きています。どんな対策も現実を知らなければ始まらない。

  • 人の善性に信頼を寄せるあまり、物事が見えなくなることは往々にしてあると思う。
    そんな軟弱な理想じゃ、酷薄な現実をすくい取れない。
    そこでこの先生は感情論とか理想論とかを妄言と言い放ち、理論というナイフで切った貼ったの大立ち回り。
    いじめとなるとナイーブになりがちな論者とは対極的でおもしろかった。

  • いじめについての本によくあるような「きれいごと」がなく、
    冷静に分析されていて、とても良かった。
    だから、うなずけるところも多かった。

    「(スクール)カースト」とか実際に高校生の頃、友達との間で使っていましたからね。

    でも、最後の方に行くにつれて、「ん?」と思うところがあった。
    もっと勉強したらまた読んで、考えてみたいと思う。

  •  もっと早く読めば良かった! と思わされた一冊。本書を読めば、巷間言われているいじめ議論というのが、いかに浅薄で印象論の域を出ないかが思い知らされます。

     本書はタイトル通り、いじめという現象を構造的に説明しています。
     第二章では、いじめという現象にについて、藤田英典さんの4分類を参考に、スクールカーストという概念を持ち込んで整理し直した「修正藤田モデル」によって、いじめという現象が整理されています。
     続く第三章では、いじめが発生するメカニズムについても、内藤朝雄さんのモデルを元に説明されています。
     いじめ問題の議論を聞いていて空疎に感じるのは、一因として、特定の事例だけを元に全体を語ろうとしていることが挙げられます。が、それがいじめ議論を印象論の域に留めてしまう原因となっているわけです。いじめについて語るときには、せめて本書の内容くらいは前提にして欲しいと思うところです。

     第四章では、学校がいじめ問題を隠蔽する構造について説明されています。本章を読めば、いじめが発生した現場責任者である学校が、疚しさから隠蔽しているというのがいかに素朴な見方であるかを知ることができます。学校を取り巻く環境が構造的にいじめ問題を隠蔽する方向に誘導するものだとしたら、敢えてそれを超えていじめ問題を報告させるのは、現場の高いモラリティに頼るしか無くなります。
     しかし、戦前日本の戦争を引くまでも無く、このように構造的に負荷をかけておいて精神性だけに頼った解決を志向することが、いかにナンセンスかは言うまでも無いでしょう。わかりやすい現場叩きで何かを批判した気になるのは、それこそ感情論の域を出ないものです。

     本書で一番同意したのは、いじめ問題についてのアプローチです。
     従来「いじめ問題」として括られてきたものの中には、(1)特定の人間を無視したり仲間はずれにしたりするものと、(2)暴行・強要(窃盗の教唆など)・恐喝など立派な刑法犯とがごっちゃにされてきました。私は、(2)を「いじめ」として学校内で処理し、非犯罪化することに強い疑問を抱いていたのですが、本書でもそのことが述べられていました。
     そもそも、学校に刑事事件を処理する権能はありません。その点、(2)を「校内犯罪」と呼び、警察が処理すべき問題とするのを原則とする(その上で、加害者生徒に改悛の情が見られる場合などには例外的に内々で処理することを認める)という本書の主張に賛成です。

     最後に、最近のいじめは昔のいじめと顕著に違うと思っている人には、映画「少年時代」を是非見て欲しいと思います。最近の子供達が理解不能なモンスターになっているわけでないことがよくわかるはずです。
     いつの時代でも、子供の社会には子供の社会なりの秩序と機微があり、そこには大人社会と変わらぬ理不尽と繊細さがあるのです。大人の中には、大人になったときにそういった過去をキレイに忘れて子供社会を何か純粋な理想社会みたいに見ている人がいます。が、彼らとて、潤滑な人間関係を送れるコミュニケーション力や人の心の機微、社会的なポジショニングを把握し、場の空気を読む力、それらは自分の子供の頃の「子供社会」で身につけたのです。

     いじめ問題を安っぽい道徳論や思いやり論に回収してしまわないためにも、本書の知識は前提として欲しいところです。

  • 色んな人間を一か所にムギュと集めて「ハイ仲良くしてね」
    な仕組みに問題があるという点に納得感があった。

    凄惨ないじめの内容や、
    いじめる側の心理の描写を読むと
    だんだん絶望的な気分になってくるが、
    それが教育制度というシステムからの
    アプローチによって改善できる、とあるので少しほっとした。

    いじめを完全になくすことは不可能だと私は考えるが、
    「最悪の事態」を避けるための努力は惜しむべきではないと思う。

    それにしても、いわゆる上からお仕着せの「道徳教育」が
    いかに意味がないか分かった気がする。

  • 教育に携わる人間を目指すなら、読むべき一冊です。
    いじめに対する様々な妄言に対して、客観的に捉える視点を持つべきだと考えました。

  • 第一章 低レベルな「いじめ論」を排除せよ
    教育史に残る不道徳提言
    優しいだけでは何も変わらない
    第二章 スクールカーストで「いじめ」を把握する
    今のいじめと昔のいじめは違うのか
    いじめを理解するための理念型分類
    自己主張力と共感力と同調力がスクールカーストを左右する
    よりリアルなモデルによるいじめの解明
    子ども達は何故見て見ぬふりをするのか
    被害者の言い分としての「今時のいじめ」論
    いじめられることでスクールカーストは下がる
    第三章 「いじめ」の発生メカニズムとは
    はじめに加害者がいる
    「いじめの発生メカニズムモデル」の必要性
    加害者の癒しとしてのいじめ
    非合理な欲求と合理的な現実認識
    被害者原因論というタブーへの挑戦
    いじめのメリット・デメリット分析
    ゲーム理論による被害者・加害者以外の者の行動分析
    引き金を引くのは何か
    第四章 かくして「いじめ」は隠蔽される
    数値目標の落とし穴
    いじめ発生統計はでたらめ統計
    教師は何故いじめに鈍感なのか
    学校の中にあるもうひとつの「いじめ」
    危機対処能力なき学校管理職
    第五章 暴言よりひどい、「いじめ妄言」を正す
    妄言一「見て見ぬふりをする者も加害者」
    妄言二「いじめは加害者が一〇〇%悪い。被害者には何の問題もない」
    妄言三「いじめっ子も被害者です」
    妄言四「いじめなければいじめられる」
    妄言五「心やさしい子がいじめられる」
    妄言六「出席停止は最後の手段である」
    妄言七「出席停止は対症療法に過ぎず、本質的な解決にはならない」
    妄言八「管理教育・受験偏重教育がいじめを生む」
    妄言九「いじめる奴はいじめる。いじめられる側が強くなるしかない」
    妄言一〇「いじめを根絶しなければなりません」
    何故妄言がまかり通るのか
    いじめの現実に立ち向かう責務
    第六章 規範の内面化と「いじめ免疫」
    いじめが問題なのではない
    犯罪を犯罪として扱う
    「ダブルスタンダード」社会の崩壊
    統計上のいじめと対策対象としてのいじめを峻別せよ
    毅然とするとはどういうことか
    学校と警察の連携を阻むもの
    いじめ対策を考える時に「人権」という言葉を使うな
    「規範の内面化」と「いじめ免疫の獲得」
    いじめ予防には価値観の押し付けが不可欠である
    いじめ対策に有効なものはなんでも使う
    諦観と貪欲が学びの場を取り戻す

  • スクールカーストという教室内の子どもの序列を現す言葉を用いて、いじめの起こるメカニズムを解説。

    この本によればいじめのパターンは4つに分類できる。

    1 集団のモラルが混乱・低下している状況で起こる
    2 なんらかの社会的な偏見や差別に根差すもので、基本的には<異質性>排除の論理で展開する。
    3 一定の持続性をもった閉じた集団のなかで起こる
    4 特定の個人や集団がなんらかの接点をもつ個人にくりかえし暴力を加え、あるいは、恐喝の対象にする。

    一般的に理解されているいじめの形というのは過去においてのモデルである。現在のいじめの形というのは社会が変化をとげているのに伴って当然変化している。
    それをうまく理解しないと現実的な施策は打てない。

  • 自己主張力と同調力でスクールカーストは決まる。
    いじめられる側に責任はないが、原因はあることの分け。
    酷いいじめは犯罪として扱う。

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著者プロフィール

教育評論家。中央教育文化研究所代表。元東京都職員。1995~2005年まで、都内公立学校に出向経験がある。著書に、『いじめの構造』『日教組』『戦後教育で失われたもの』『誰が「道徳」を殺すのか』(以上、新潮新書)、『なぜ日本の教育は間違うのか』『自治労の正体』『左翼老人』『売国保守』『税をむさぼる人々』『左翼商売』(以上、扶桑社新書)、『校内犯罪(いじめ)からわが子を守る法』(育鵬社)など。

「2022年 『左翼の害悪』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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