- Amazon.co.jp ・本 (190ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106102196
感想・レビュー・書評
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もっと早く読めば良かった! と思わされた一冊。本書を読めば、巷間言われているいじめ議論というのが、いかに浅薄で印象論の域を出ないかが思い知らされます。
本書はタイトル通り、いじめという現象を構造的に説明しています。
第二章では、いじめという現象にについて、藤田英典さんの4分類を参考に、スクールカーストという概念を持ち込んで整理し直した「修正藤田モデル」によって、いじめという現象が整理されています。
続く第三章では、いじめが発生するメカニズムについても、内藤朝雄さんのモデルを元に説明されています。
いじめ問題の議論を聞いていて空疎に感じるのは、一因として、特定の事例だけを元に全体を語ろうとしていることが挙げられます。が、それがいじめ議論を印象論の域に留めてしまう原因となっているわけです。いじめについて語るときには、せめて本書の内容くらいは前提にして欲しいと思うところです。
第四章では、学校がいじめ問題を隠蔽する構造について説明されています。本章を読めば、いじめが発生した現場責任者である学校が、疚しさから隠蔽しているというのがいかに素朴な見方であるかを知ることができます。学校を取り巻く環境が構造的にいじめ問題を隠蔽する方向に誘導するものだとしたら、敢えてそれを超えていじめ問題を報告させるのは、現場の高いモラリティに頼るしか無くなります。
しかし、戦前日本の戦争を引くまでも無く、このように構造的に負荷をかけておいて精神性だけに頼った解決を志向することが、いかにナンセンスかは言うまでも無いでしょう。わかりやすい現場叩きで何かを批判した気になるのは、それこそ感情論の域を出ないものです。
本書で一番同意したのは、いじめ問題についてのアプローチです。
従来「いじめ問題」として括られてきたものの中には、(1)特定の人間を無視したり仲間はずれにしたりするものと、(2)暴行・強要(窃盗の教唆など)・恐喝など立派な刑法犯とがごっちゃにされてきました。私は、(2)を「いじめ」として学校内で処理し、非犯罪化することに強い疑問を抱いていたのですが、本書でもそのことが述べられていました。
そもそも、学校に刑事事件を処理する権能はありません。その点、(2)を「校内犯罪」と呼び、警察が処理すべき問題とするのを原則とする(その上で、加害者生徒に改悛の情が見られる場合などには例外的に内々で処理することを認める)という本書の主張に賛成です。
最後に、最近のいじめは昔のいじめと顕著に違うと思っている人には、映画「少年時代」を是非見て欲しいと思います。最近の子供達が理解不能なモンスターになっているわけでないことがよくわかるはずです。
いつの時代でも、子供の社会には子供の社会なりの秩序と機微があり、そこには大人社会と変わらぬ理不尽と繊細さがあるのです。大人の中には、大人になったときにそういった過去をキレイに忘れて子供社会を何か純粋な理想社会みたいに見ている人がいます。が、彼らとて、潤滑な人間関係を送れるコミュニケーション力や人の心の機微、社会的なポジショニングを把握し、場の空気を読む力、それらは自分の子供の頃の「子供社会」で身につけたのです。
いじめ問題を安っぽい道徳論や思いやり論に回収してしまわないためにも、本書の知識は前提として欲しいところです。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
教育に携わる人間を目指すなら、読むべき一冊です。
いじめに対する様々な妄言に対して、客観的に捉える視点を持つべきだと考えました。 -
自己主張力と同調力でスクールカーストは決まる。
いじめられる側に責任はないが、原因はあることの分け。
酷いいじめは犯罪として扱う。 -
是非一読すべき。冷静な分析がされている。
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2007年9月3日
語り口:説明的(やや熱)
これはいい本だ、と思った。いじめられた人の心を癒すのではなく、起こっている現象を解析している。スクールカースト、という概念はよく現状を表していると思う。 -
根本的な部分で、著者と私の間には、教育に対する哲学差みたいなものを感じます。しかし基本的な部分では大きく賛成できるものが多く、また現象を分析・検討する手法や理論的に考えていく部分などは見習いたいと思う部分でもあります。いじめに対して、これだけ明確に論を立て、すぱっと論じている本は珍しいと思います。しかも分かりやすくて値段も手ごろ。ぜひ。おすすめの一作です!