「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)

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著者 : 大井玄
  • 新潮社 (2008年1月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106102486

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)の感想・レビュー・書評

  • この本に救われた。

    大好きな祖父がボケ始めたのは、私のせいだ。
    14年前、私のつくったストレス状態が、脳梗塞を招いたのだ。
    退院した祖父は痴呆症状を徐々に悪化させていった。
    しばらく伯母の家にいたのだが、
    手に負えなくなり、施設に入ることになった。
    会いに行くと、祖父が帰りたいと言って涙を流すので、
    母は祖父に会いたがらない。
    私が実家に帰っても、
    祖父に会う時間は数日間のうち1時間もなかった。
    最期の10年間、一緒にいた時間は半日もない。
    そのほとんどが、祖父が死んだ病院に入院してからの時間だ。

    祖父は、私のことを覚えていなかった。
    他人というより、祖父の姿をした宇宙人のような気がした。
    私のことを思い出して欲しいなんて
    贅沢なことは思わなかったけど、
    一度でいいから通じ合いたいと思っていた。


    祖父が亡くなってから、この本を知った。
    いわゆる痴呆老人は、なぜ徘徊するのか。
    なぜおかしなことを言うのか。
    なぜ妄想にとりつかれているのか。
    たくさんの「なぜ」が丁寧に紐解かれていった。
    これまで読んだ本にはない新しい視点だった。


    祖父は宇宙人ではなく、
    最後まで祖父だったんだとわかった時、
    心がスッと楽になった。

    たくさん謝りたいことはあるけど、
    祖父なら許してくれるはずだ。
    祖父は私のことが好きだったのだし、
    最後まで祖父は祖父だったのだから。

  • ただの認知症解説の本ではありません。痴呆を入口として自己のあり方、日本文化へと広がっていきますので読み手は後半考えさせられますね。第5章あたりから。終末期医療で無力感を感じるときに。噂には聞いてたけどこの著者はスゴイ方です。

  • 人は必ず老いていく。

  • 第7章現代の社会と生存戦略
    うん、納得。
    ・現代の日本社会が求めるアトム的自己に切り替えることが難しいつながりの自己の者。
    ・「どのように判断し、行動すべきか判らない状況で生ずる不安が、すぐに「キレる」という行動に転化してしまう」
    ・ひきこもりの鍵は「自立強迫的な子育てと、その影響下に置かれた子どもの、自立することへのこだわり」
    ・自己判断、自己決定は必要だが、その判断基準も同時に教える教育的配慮が必要。

    ひきこもりだけでなく、メンタルを病む社会人が多いのもそういう面があるのではないかと考えさせられた。

  • 痴呆だけにとどまらず、様々な面で示唆にとんだ内容に新たに購入しなおしました。

  • 今は認知症だが用語を変えたところで「異質で厭わしい」という認識が変わらなければ単なるラベルの張り替えに過ぎないとSソンタグも言う。社会から見た痴呆とその本質を深くえぐっている。誰でも年取りボケるのだ。
    ブログに感想文をば→http://zazamusi.blog103.fc2.com/blog-entry-84.html

  • 「認知症とはこれこれこういう病気です」ということを記載するアプローチではなく、多重人格者や引きこもりなど、うまく社会とつながれない人との対比から記載されていたので、とても興味深く最後まで読み進めることができました。

     認知症を病気と捉えるか否か。家族の中で、老人が尊敬される歴史を持ち、その存在がしっかり根付いていれば、認知症は老化現象の一形態として自然と受け入れられるものなのだなと思いました。現代ではなかなかそこまで出来ないとしても、アメリカのように認知症を自立性が失われた状態として適切なケアが受けられないケースを考えると、日本は温かく丁寧な対応してくれる施設が多くあり、まだ救いがある状態なのかなとも。

     認知症の人が穏やかに過ごすためには快の回路をたくさん残してあげること、最重要だなとやはり感じた(家族仲がうまくいっていない?家族が面会に来たり、自宅に一時帰宅したりした後で、患者が不安定になるという事例を読んで)。ただ、5分おきに同じことを何度も問い返されたり、文句ばかり延々と言われたりという相手に快の回路を作る対応をするのは難しいとも感じる。最後の章に記載されていた「神の自由な世界に一歩近づいた存在」として対峙できればきっと良い対応ができるのだろう。ただ、ゆったりした時間の流れが許される社会でないと厳しいなと思う。

  • 純粋な医学的な本かと思いきや、心理学・精神世界から宗教・文化・教育など話が幅広く展開されて新書にしては難解に感じた。内容を完全に理解できたか?といわれると「?」がつくものの、文章自体は読みやすい。

  • ブッシュ時代の味方以外は全て敵という反応は認知症老人そのものだ、という話から、中東で欧米におけるユダヤ陰謀説まで言及していて、思わぬところで楽しめた。
    スケールでの測定で認知症の程度はあまり変わらなくとも、性格によって現れ方が違うのでは、という考えは納得。今後注目してみよう。

  • 世界とつながって生きるのは大変な作業である。

  • 哲学的な内容で非常に難解でした。

  • タイトルの付け方がうまいが、内容も高齢者だけでなく、人間万人に通じる深さを持っている。知性にもました情動の大切さ、自立の強調の偏狭さの指摘は身につまされた。一種の文明論である。痴呆老人やひきこもりだけでなく、乳幼児、知的障がい者からも同じ様な洞察が導かれるのではないかと感じた。「つながり」から「自立」へ急激に転換することの危うさ。

    ・認知症が延命努力に値しない惨めな状態…日本「迷惑をかけるから」、米「自分の独立性を失うから」
    ・認知症ならば延命措置を断る、というのは乱暴。
    ・夜中に騒ぐのは、家族との人間関係。
    ・一番良い経済環境は、老人か家族が全てを出すのではなく、双方が負担するのが発現率が低い。
    ・偽会話=情動の共有
    ・理解することではなく、やさしい声音でうなづく。
    ・一貫した態度をとる。
    ・「我々の味方でない者は敵だ」は、パニックに陥ったときの認知症の老人の反応と同一。判断能力を超えた不安を感じたから。
    ・知力低下が進むほど、その人の人格は若い時分に戻っていく。
    ・人間が人格的まとまりを保ちながら生きるために、自信、誇り、自尊心といった、現在の自我を支える心理作用あるいは自我防御機制が働いている。
    ・人類史的には人格の単一説は比較的新しい。
    ・知覚は期待(記憶も)によって操られている。
    ・「わたしは生きている」のではなく、「いのちが私をしている」。
    ・うまいつながり…1:周囲が年長者への敬意を常に示す。2:ゆったりとした時間を共有。3:彼らの認知機能を試すようなことはしない。4:好きなあるいはできる仕事をしてもらう。5:言語ではなく、情動的コミュニケーションを活用する
    ・どの経験にもなにがしかの学びと苦痛と楽しさの要素が含まれている。
    ・ひきこもりから。見落とされていたのは、現代社会において「自立」することがとても重要であり、そのこと自体に問題などあるわけはないと認識されていて、それを実現させることに疑う余地はないと思われている。

  • 認知症という抽象的な呼び名で、その実態を不明確にしてしまった高齢者の痴呆を赤裸々に描写しつつ、そこにある種の愛情さえも感じさせられる著者の眼差しに共感を覚える。

  • 終末期医療に携わる医師である筆者が「痴呆老人」を通して命や自我、人とのつながりについて論考する考えさせられる一冊。「認知症」ではなく、あえて「痴呆老人」という言葉を使っていることが凄い。

  • □認知症が延命努力に値しない理由の考え方。日本:迷惑をかけるから。英米:自分の独立性、自律性をうしなうから。
    □認知症の明確な診断はできない。
    □競争のなかでは自我を拡張し自己と他者の絆を断ちきる必要かある。
    □表面上は同じ行為でも心理的反応はそれぞれ。
    □週末期ケアでは医療・看護・介護のすべてを一緒に考える必要がある。
    □他罰的な風潮と本人、家族の意向。
    □話を通じさせるのではなく、心を通わせる。
    □会話内容ではなく情動を一致させる。
    □認知能力が衰えたひとは敵と味方を区別する(白黒付けたがる)
    □相手がどのような世界に住んでいるのか知り、共有する。
    □家庭や施設での異常行動自体と、周りの対応の仕方を把握して今後の対応を決める。
    □敬老的言語構造がある地域は認知症の周辺症状を表しにくい。
    □「世界を開くパスワード」は何か。最大限の敬意を払う。
    □環境と環境世界は違う。見たいと思っているものを見る。一水四見。ひとは最も苦痛の少ない状態を選ぶ。
    □過去の経験の記憶が行動を支える行動認識になっている。話を聞かなければ始まらない。

  • 後半、失速。蛇足安易。

  • 痴呆による現実とのズレに人は過去の世界から整合性を取ろうとするというのは、実際良く見受けられる。

  • 終末期医療全般に関わっている医者が、自分の終末期に「痴呆」などについて考察した一冊。「痴呆」以外の内容も興味深いが、とくに沖縄と東京の「痴呆」の周辺行動の比較などがおもしろかったです。一読の価値あり。

  • 差別用語に当るとされる「痴呆」をあえてタイトルに、「我々は皆、
    程度の異なる「痴呆」である」という一文を帯に据えているため、
    一見、とても挑発的な内容に思えます。しかし、実際は、極めて真
    摯な態度で書かれた好著です(勿論、何故、あえて「痴呆」という
    言葉を使うかについては、本書に説明があります)。

    「世界とつながって生きるのは大変な作業である、と思うようにな
    りました」という一文で始まる本書は、「つながり」のあり方をテ
    ーマにしています。それは、痴呆=認知症が、記憶が定かでなくな
    ることによって、世界とのつながりがほどけてゆく過程である、と
    著者が捉えているからからです。

    つながりを喪失することの不安。これは何も認知症の高齢者に限っ
    たことではないでしょう。およそ人間である限り誰もが抱える極め
    て普遍的で根源的な不安だと思います。

    だからこそ、つながりを喪失することの不安におびえ、存在のあわ
    いを生きる痴呆老人を見つめることは、私達自身のつながりのあり
    方を考えることになるのです。

    実際、「話を通じさせる、ではなく、心を通わすのが、認知症の老
    人とのコミュニケーション(意思疎通)の極意である」というよう
    な一文は、普段の私達のコミュニケーションの場面において忘れら
    れがちな大切なことを思い出させてくれます。

    もっとも、私が一番心を動かされたのは、米国帰りのエリート医学
    者であった著者が、痴呆老人に出会うことによって、自身のそれま
    で拠って立っていた価値観を根底から突き崩されるような衝撃を受
    けたことを告白している箇所でした。

    その時の衝撃を「寒くて薄暗い部屋で汚れた布団に寝ている半身不
    随の老人は、わたしのエゴイスティックで誇り高い自負心を一挙に
    萎縮させる展望であり、アメリカという競争社会で植えつけられた
    能力主義的価値意識を根底からゆさぶるものでした」と著者は述べ
    ています。

    恐らく人は、自分が理解できないものに出会い、それまで拠って立
    っていた価値観に破れが生じた時、成熟の扉を開けるのでしょう。

    その意味で、私は、本書を、若きエリート医者が辿ってきた成熟の
    物語であり、「医学」ではなく「医療」を選んできた著者の信仰告
    白であり、認知能力の衰えを自覚できるまで生きることのできた感
    謝を捧げる祈りの書として読みました。その点に本書の最大の魅力
    があったのだと思います。

    仏教哲学の解説など、一部、非常に難解な箇所もあり、新書にして
    はかなり読み応えがありますが、人と関わり合うことの意味につい
    て考えさせてくれる好著です。是非、読んでみてください。

    =====================================================

    ▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)

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    「痴呆」になったら延命措置を拒否する理由として、日本では圧倒
    的多数が「家族や周囲の人に迷惑をかけたくないから」と答える、
    と述べました。・・しかし、アメリカを中心とした英語の文献から
    うかがわれる「痴呆を怖れる理由」は、圧倒的に「自己の自立性が
    失われるから」でした。

    コミュニケーションという名詞には、コミュニケイトという英語の
    動詞が対応しており、ラテン語のコミュニカレに由来します。これ
    には情報を共有する、という現代人が理解する意味と同時に「共に
    楽しむ」という古義があり、「楽しい」という情動(感情)を共有
    するという含意があります。

    幼稚園児にお母さんと一緒の図を描かせると、大... 続きを読む

  • 痴呆老人への診療体験を通して「自我」について考察.人が「私」をつくる過程では社会•他者とのつながりが重要で,認知症の老人にも何かしらつながりを与えると自我を捉えることができ落ち着くらしい.認知症への不安についての問いかけで,欧米人は自分の自立性がなくなることが不安と答えるのに対して,日本人は他者への迷惑が不安と答えるとのこと.文化の差異が出ていておもしろい.

    最終章はちょっと話が変わってしまった感じもするが,全体的におもしろかった.

  • 和図書 493.7/O31
    資料ID 2011200228

  • [ 内容 ]
    「私」とは何か?
    「世界」とは何か?
    人生の終末期を迎え、痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる、正常と異常のあいだ。
    そこに介在する文化と倫理の根源的差異をとらえ、人間がどのように現実を仮構しているのかを、医学・哲学の両義からあざやかに解き明かす。
    「つながり」から「自立」へ―、生物として生存戦略の一大転換期におかれた現代日本人の危うさを浮き彫りにする画期的論考。

    [ 目次 ]
    第1章 わたしと認知症
    第2章 「痴呆」と文化差
    第3章 コミュニケーションという方法論
    第4章 環境と認識をめぐって
    第5章 「私」とは何か
    第6章 「私」の人格
    第7章 現代の社会と生存戦略
    最終章 日本人の「私」

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    [ 関連図書 ]


    [ 参考となる書評 ]

  • 認知症の老人の精神世界から始まり、
    宗教・文化・心理・教育的側面から考察を加え
    最後に「日本人の心」について述べている。

    小段落ごとに、テーマがはっきりしており
    最後までストレスなく読める本である。

    著者のあらゆる方面への知識の深さには
    ただただ脱帽する限りである。

    現在介護に携わる人だけでなく
    生き辛さを感じている人にもおススメの本

  • 「一水四見」
    ただの水でも見方によって、異なる意味となる。

    この言葉に象徴されるように、一人一人見ている世界は違うが、痴呆の老人への医療を通して、痴呆老人が見ている世界を考える。

    その過程で「周囲とのつながり」で自己を保っていることを指摘し、周囲とつながってることについて、価値観や文化の違いから焦点を当てていく。

    痴呆老人についても書いてあるが、主な内容は社会における周囲とのつながりからの影響だろうか。

    最後の方では、つながりから見た社会のあり方なども述べている。

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「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)の作品紹介

「私」とは何か?「世界」とは何か?人生の終末期を迎え、痴呆状態にある老人たちを通して見えてくる、正常と異常のあいだ。そこに介在する文化と倫理の根源的差異をとらえ、人間がどのように現実を仮構しているのかを、医学・哲学の両義からあざやかに解き明かす。「つながり」から「自立」へ-、生物として生存戦略の一大転換期におかれた現代日本人の危うさを浮き彫りにする画期的論考。

「痴呆老人」は何を見ているか (新潮新書)のKindle版

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