日本辺境論 (新潮新書)

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著者 : 内田樹
  • 新潮社 (2009年11月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106103360

日本辺境論 (新潮新書)の感想・レビュー・書評

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  • 内田樹さんの本。2009年に出た新書本です。
    ええと、大変に面白い!…と前半思いまして。後半は、そうでもなかった。というのが読後感です。

    ものすごく雑に、備忘録として要約しますと。
    (というか、僕が自分で受け止められたことだけを書きますと)。

    日本は辺境である。辺境である、と日本に住んでる人自体が、思っている。つまり、田舎者である。
    いつも海の外にあこがれの、劣等感を抱いてしまう相手がいます。大きな文明があります。
    文明は自分たちが作るものではなくて、そういう、「外部」からやってくるもの。
    それをありがたくいただいて、なんていうか、使いやすい物は、自分たちの道具にしちゃう。

    という考え方がまず、あります。
    これに膨大な例証があります。面白いです。
    「日本」「日の本」というのはつまり、日が昇る方角、という意味。つまり、「東」という意味ですね。
    これは、中国を中心と考えるから、そうなった訳です。なるほど。
    「東北地方」っていうのは、東京あるいは京都が中心と考えるからそうなんですよね。
    東京っていうのも、京都の東だからなんですけどね。
    だからその頃に、つまり古代に、アメリカが強国でそこと交流があったら、「日本」じゃなかった訳ですよね。

    で、という訳で我々は大いなる体系は自分たちで作らない。作れない。どうしてかっていうと作ってこなかったから。
    どうしてかというと、田舎者だという自覚。「中央」と違って大陸的に異民族と対立激突したり、切磋琢磨してこなかったんですね。
    なので常に、周囲を気にします。「中央」を気にします。「絶対的にコウである」ということは少ない。「あの人がアアしてるからコウなんだ」。ということですね。
    日本人は、みんな、きょろきょろうろうろしている。ということです。
    だから、「日本人論」がこれほど好きな国民はいない。

    そこから。
    目標にする、模倣すべき「中央」がはっきりと上に見えているときは、そんなに間違えない。
    明治時代であり、戦後の成長だったり。
    なんだけど、自分がトップになってしまうと、どうしていいか判らない。
    日露戦争で、世界の強国になってしまった日本はどうしたか。
    日本がその後したことは、全て「帝国ロシアがやってきたこと。やろうとしてたこと」だった。
    ここンところの例証はナルホド度、高かったです。

    それから、「場の空気を気にする」ということ。
    これも辺境性から。まあつまり、今でも都会人より田舎の人の方が、周りとの協調性を気にする。それと同じ。
    それが、第2次大戦でも、ナチスと違って、「俺が始めた。俺は正しいと思ったから」という戦争開始者が、誰ひとりいないという不思議なことになる。

    左翼でも右翼でも、多くの議論が「●●(その問題に応じた外国名)では××なんだから、日本も××すべきだ」という議論ばかり。
    「誰がどうであろうが我々はこうであるべきでは」という議論が少ない。
    このことの、なんていうか、論理的なあるいは倫理的な異常性。でもそれが異常とも思われていない。
    このくだりもマッタクもってその通りだと思います。

    と…このあたりまでは、なかなかに面白かったんですね。
    そこから、そういう日本人の特性と「学び」のお話になります。
    ところがこれは、まあ、非難することでもないですが、内田さんの他の本とかなり重複。

    そこから、「自分」という存在をどう認識するかみたいなことから、
    かなり哲学的な、かつ例証として武道などの話になります。
    このあたり、作者の方は確信犯なんでしょうが、かなり、なんていうか、素直に言うと高度になります。
    なかなか難解です。言葉も。カント、ヘーゲル、等の言葉が飛び交います。
    情熱は判りますが、なんていうか、別の宇宙に飛んでいきます。
    「ああ、ガンダムの劇場版も、初めは判りやすかったのに、”Ⅲめぐりあい宇宙”は、なんだか超能力人の心的世界の話までイッチャった」
    「”リングにかけろ”も、初めは父の復讐だったはずなのに、いつの間にか、地球の滅亡をかけて戦ってしまっている」
    という感じですね。違うかもしれませんが。
    でもきっと、それは、「あまり大勢にしっくりとは理解できないかもしれないけど、もうそこまでイカないと俺の情熱は果たせない」という、作り手語り手側の心情的な真実が、ソコにあるんだろうな、と推察されるコトそれ自体で受け止め方としてはある許容ができるのかもしれません。
    でも、まあちょっと僕としては、「ごめん、それがメインで出てくるメニューと思ってなかったです」という感じで。前菜、スープ、最高に旨かったんですが。

    で、最終章で日本語の話になります。
    ここはまた、エライコト面白かったです。僕にとっては。
    要約すると、他と比較しても日本語は、
    ●正誤よりも、どっちが階級的に優位にあるか(つまり知識や立場や経験や洞察に置いて上回っているか)、を示すことを競い合うような性質が強い。
    ●カナと漢字という2つの文字を使い分けるという、特殊性、難しさ。そしてその、有利なところ。欧米思考を置き換えるとき、日本人は漢字を使う。仮名ではなく。
     これは、漢字=中国=中央、の優位性を認めたうえで、ローカリティ―=仮名、をそこに混ぜる、というちゃんぽんさが、英語優位になった現代でも強く残っているという、その便利性。
    というようなことだと思います。
    これは面白かった。

    だから…まあ全体としては微妙というか…。
    でも内田樹さんの本を初めて読むなら、この本の「前半」はお勧めですね。「後半」は、初・内田樹さんとしては、(人によりますが)僕はお勧めしません。

    しかし、たいがいにおいて、新書っていうのは常にまあ…前半が面白い。というか、後半が要らないことが多い。
    つまりまあ、「ほらこういう見方ができるでしょ?例えばこうでサ」というのが面白いんですね。
    でも、そこの「へ~~~~」で止まるから。あとは例証を繰り返すか、あるいは、「出発点は面白かったけど、ソコからそんなに大げさな話されても、そこまで思わないな」ということになるんですね。

    新書、難しい。もっとうすーくすれば良いのに(笑)。



    ※全般的に、司馬遼太郎さん、丸山真男さん、岸田秀さん、ほか多くの人からの引用あるいはインスピレーションをはっきりと明記してお礼してます。勉強になります。
     そういう内田さんの態度は率直で僕は好きです。「引用だけど、それでも今、新たに語られる必要があると思う」というのも、大いにそうだと思います。色んなことについて。

  • 内田樹の著作。2009年に話題になった一冊

    タイトルの「日本辺境論」からネガティブなイメージを持たれる方も多いと思うが、内容的には西洋近代を人類の頂点とする進歩史観によって日本を否定するような短絡的な日本人論ではない。
    ただし、日本人的特徴に対する指摘はどれも鋭く、時には耳が痛くなるような一説も度々ある。

    内田は本書の中で日本人を「華夷秩序」の外周にある辺境人であると解説する。

    その特徴として、自分自身のアイディンティティの欠落を、絶対的価値に近づくことによって補おうとする態度。
    これこそが「辺境人」たるゆえんであるという。

    多くの日本人は、「日本は然々こういうものであらなければならない」という当為に準拠して国家像を形勢するということをしないのではないか?というのが内田の指摘である。
    例えば、「ポツダム宣言後の國體護持については、戦時中国民統合の原理として作用してきた実態が究極的に何を意味するのかについて日本帝国の最高首脳部において一致した見解がえられなかった」
    という歴史的事実を引き合いに出し、日本の國體を説明するための国民的合意がとれているものが存在しないことを説明する。

    首尾一貫したイデオロギーはなく、究極的価値たる天皇への相対的な接近の意識だけが、そのイデオロギーを補完する役目となっているのではないかというのを日本人の特徴として挙げている。

    これは非常に納得であった。というのも、日本は古代においては華夷秩序の中で国家を形成してきた。そして時代が下り、国家の臣民たる我々の先祖に社会的規範が求められたとき、その規範の支柱になったのが武士である。
    武士とは、朝廷や貴族に侍る者である。自己のアイディンティティは侍る美学である。
    つまり、日本という国家は、東アジアに於いては華夷秩序の辺境であり、国家の臣民たる我々は天皇を中心とした辺境の美学を行動規範としていたことになる。
    この二重の意味での辺境人として形成された日本人の特徴を言い当てている気がしたからだ。

    日本人が先行者として能動的に行動するよりも、むしろ外的影響により受動的に行動する方が向いているのも、二重の意味での辺境人であるということにその原因があるのかもしれない。

    この徹底的な受け身であるという日本人の資質について内田は、太平洋戦争に対する日本人の姿勢を例にあげて説明する。
    「強靭な思想性と明確な世界戦略に基づいて私たちは主体的に戦争を選択したと主張するだけの人がいない。
    戦争を肯定するだれもが「私たちは戦争以外の選択肢がないところまで追いつめられた」という受動態の構文でしか戦争について語らない。

    この傾向は現在も変わらぬようで、「日本の右翼・左翼に共通する特徴はどちらも、模範と比したときの相対的劣位だけが彼らの思念を占めている」という。
    内田はヨーロッパの思想史を例にし、日本におけるイデオロギー形成の脆弱さを指摘する。
    「ヨーロッパの思想史が教えてくれるのは、社会の根源的な変革が必要とされるとき、最初に登場するのはまだ誰も実現したことのないようなタイプの理想社会を今ここで実現しようとする強靭な意思をもった人々である」と。

    内田は華夷秩序やヨーロッパの進歩主義を受動的に受け入れてきた日本の歴史を鑑みて、「とことん辺境人で行こう」と結論づける。
    これには私も大賛成で、辺境人であるからこそ華夷秩序やヨーロッパの進歩主義を日本なりの工夫によって収容することができたのではないかと考えた。
    近代的日本を「内的自己」「外的自己」という人格分裂を否定的に指摘している論調があるようだが、これこそ日本の近代における最大の発明なのではないかと思ったりした。
    内には武士の精神性を重んじる伝統を残し、外的には近代西欧における進歩主義に歩調をあわせるという態度。
    これこそが、伝統を重んじつつ西欧を中心とした国際社会に挑もうという崇高な理念を体現したものではないだろうか?
    現在の問題は、内的自己と外的自己について整理されていないことと、双方の行動理念が薄まっているという現実である。
    辺境人としてとことんいくのであれば、この精神分裂(日本人はこの2つを自然に使い分ける能力を備えている)をとことん活用すべきではないかと思う。

    歴史好きに支持される司馬史観であるが、「日露戦争以降の日本は正統からの逸脱した国家に変貌した」という学説には同意しかねるものがある。
    時代によって素晴らしかったり、堕落したりする日本人による日本観に対しては違和感をおぼえるからである。
    日本というのは、醤油や味噌が入った大鍋のスープのようなもので、時折豆板醤やらトマトが入ったところで、全体の風味として元からあった味を損なわない。
    むしろ、一見受動的に見える変化ではあるものの、様々な味覚をミックスさせて新たな味覚をつくり出して、自分のものとするところに真骨頂があるのではないか。
    こうした日本のしたたかさを洗練させることこそが、今後の日本にとって重要なのではないかと思った。

    日本人論という、つかみどころのない対象に対して過去の学説などをきちんと整理してまとめているので、自己の日本人論イメージを考え直す契機となりました。
    日本についてもう一度考えるのに最適な一冊です。

  • ひさびさにたつるの本。

    難解でした(ω)

    日本人の辺境人っぷりをこれでもかと執拗につれづれに挙げていく1冊。

    おもしろかったのはこの辺り↓
    ---------------------------------------------------------------
    日本人はきょろきょろする
    オバマ演説を日本人ができない理由
    他国との比較でしか自国を語れない

    辺境人の「学び」は効率がいい
    虎の威を借る狐の意見
    便所掃除がなぜ修行なのか

    武道的な「天下無敵」の意味
    ---------------------------------------------------------------

    興味深かったけど、ほんとうにそれって日本人だけなの?
    と疑わずにはいられないのは、やっぱりここに書いてあることが日本人である私にとってあまりにも染み付いた感覚だからかな。
    国を問わず人ってそうじゃないの?的な。

    でもわたしには世界中に語り合える友達がいるわけでもないし、
    ネイティブ感覚で各国の本を読む力もないので反証の挙げようがない。明らかに内田先生の方があらゆる分野で識者だ。

    うーん、熟読玩味な1冊。

  • 日本人ほど日本人論が好きな民族はいないと良く言われる。
    常に外からの目を気にして、遅れていないか心配している。
    なぜそんなメンタリティが生成されたのか。
    著者は日本は古代から辺境国家であった事に着目する。

    ・他国との比較を通じてしか自国の目指す国家像を描けない。
    ・アメリカのように「我々はこういう国家である」というアイデンティティが持てない。
    ・私たちは(開戦のような)きわめて重大な決定でさえその採否を空気に委ねる。
    ・辺境である事を逆手に取り、政治的、文化的にフリーな立場を得て自分たちに都合のいいようにする〜面従腹背に辺境民としてのメンタリティがある。
    ・後発者の立場から効率よく先行の成功例を模倣するときには卓越した能力を発揮するが、先行者の立場から他国を領導する事になるとほとんど脊椎反射的に思考が停止する。
    ・辺境民の特質として「学び」の効率に優れ、「学ぶ」力こそが最大の国力である。
    ・辺境民の特質は、日本語という言語の影響が大きい。

    説得力がある民族論。著者は決してこれを悲観的に捉えている訳でなく、逆に辺境であることを受け入れて、独自の文化を世界に示していく方がいいと語る。大いに納得させられた。

  • 内田さんの本は初めて読みましたが、平易な文章で読みやすいですね。
    本人も書いている通り、大雑把な論考だとは思いましたが、その分本質を付いている日本人論だったと思います。
    日本人とは何者か?という課題について、著者の考え方が全て正しいとは思いませんが、日本人全員が一度は読んで自分で考えるべき問題なんだろうと思いますね。

  • 構造主義的知見に基づき、地政学を念頭に置いた日本人論を展開する本。

    後の著作に見られる、「師匠と弟子」論の原型が見られたことが興味深い。日本が辺境であるが故に、日本人は師匠なるものにオープンマインドになることができ、学びの効率を極限まで高めてこられた、という主張は後の著作でも一貫している。

  • 非常に読み応えのある作品であった。なんども読み返すことだろう。
    丸山真男やベネディクト、そして山本七平など日本思想を語るうえでかかせない人物から、筆者お得意のハイデガー、ラカンなど哲の色濃い目なものまで、多くを学ぶことができた。また、宗教の章に関しては圧巻である。
    序章で書かれているように、こういった日本人論はどの時代も繰り返され、似たように語り継がれてきたが、だからこそこれからも語り続ける必要があろう。ぜひ一読してもらいたい。

  • 日本人の辺境性を認め、その中で生きていくことを考えるべき。これが何に役に立つか分からないから勉強するのであり、先に学ぶことが分かっていて、それが役に立つかどうかは学ぶ人間には分からないはずだ。英語で書かないと世界的には通じない。日本語で表現できるもの、日本人が肌で分かることを外国語に完全に翻訳するのは不可能だ。人称代名詞の違いで書く内容が変わるのは日本くらい(私、僕、俺では内容が変わる)。表音文字と表意文字を同時に使う言語は特殊。それ故に漫画が発達した。

  • 自分の立ち位置を知ると、いろんなことが見えてくる。

  • 日本というのは少し特異な状況に置かれた国である。日本人は横並びをよしとし、出る杭は打たれる。他国・他人に追随はするけれど、抜き出て目立つことを避ける。にもかかわらず、否だからこそ、深層心理では、自分は特別だと思いたがる。日本には他の国を寄せ付けない独自の文化がある。日本人はそう思っている。表面的な愛国心は見せないけれど、根のところでは日本に強い愛着を持っている。これらは、一般的な日本人が示す傾向なのか、私自身の傾向なのか、私自身は一般的な日本人なのか・・・。日本人がどういう存在であるかを考えたとき、おそらく、間違いないのは以下の点だろう。それは、日本人が漢字(真名)と仮名を使い分けてきたということ。そして、漢字失語症と仮名失語症があるということ、つまり、漢字と仮名は脳の別の部分を使って認識しているということ。それが、日本人に何をもたらしているのか。しかし、どうして日本人は「日本人とは何ぞや」と考えることが好きなのか。そこが、日本人の特質でもあるのだろう。著者自らがあとがきでも言っていることだけれど、途中から私は置いてきぼりになってしまいました。難しい内容だと思うんだけど、どうしていつもいつもベストセラーになるのでしょう?

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日本辺境論 (新潮新書)の作品紹介

日本人とは辺境人である-「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。日露戦争から太平洋戦争までは、辺境人が自らの特性を忘れた特異な時期だった。丸山眞男、澤庵、武士道から水戸黄門、養老孟司、マンガまで、多様なテーマを自在に扱いつつ日本を論じる。読み出したら止らない、日本論の金字塔、ここに誕生。

日本辺境論 (新潮新書)のKindle版

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