日本辺境論 (新潮新書 336)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106103360

感想・レビュー・書評

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  • 日本人はキョロキョロしている。
    他の国はどうしてるかばかり気になっている。
    自分がどうしてこうなり、どうしたいのかが言えない。
    それは日本が辺境の国だからだという。納得。

  • 「論文は結論から」と言うけど、「何故か」と聞かれると理由よりも前に、欧米の論文は・・・と始まるのが当たり前でした。でも、それはとても「日本式」なんだそうです。

    欧米人は、自分の伝えたいメッセージを伝えるために一番いい形が欧米型だと理解しているから、その形を採用している。けれど、日本人は、自分たちの伝えたいメッセージ云々といったことは考えていません。確かに!!「欧米だから、いい!」みたいな感じはよくあります。

    だからといって欧米や中国は他の国との関係を日本ほど重視しないかどうかは分かりませんが、確かに、日本人が自分の国を語るとき、しょっちゅう他の国と比べるなぁ、と思います。だからといって、比べずに行くのが大切なのではなく、とことん受け身で行けばよい、ということも筆者は述べていました。

    日本人のその特徴の長所は、他の国にはない「教わり方」だそうです。先生を品定めせず、よくても悪くても言うことを聞き、その先に何か得られるものがあると思い込んで学ぶ姿勢が日本を成長させてきたのだと言います。

    今、教育現場ではその形が崩れていて、「このままでは日本人の長所がなくなってしまう」と筆者は危機感を感じています。

    これから日本人の「教わり方」をキープするためにはどうしたらいいのか、「教わり方」がどのように崩壊しているのか、そもそもその「教わり方」をキープする必要があるのか、私にはまだ分かりません・・・

  • 冒頭で著者は「大きな物語」「ビックピクチャー」「大風呂敷」を書ける知識人がいなくなったことを憂いている。多くの先人の日本文化論の拙い焼き直しではあるけれど、それも誰かがやらねばならぬどぶさらいのような仕事、と前置きをしてもいる。

    しかし、内容を読んでいくと、僕にはどうしてもそれらがジェスチャーであるように思えてしまう瞬間がある。右に左に話は飛ぶが、その向こうに作者の本当に切実な願いがあるようには見えない。むしろ、一つのテーマを元に、右に左に、自身の拓いた知的領野を披瀝することを楽しんでいるようではある。別に悪いことではないし、知識人からそのバックグラウンドとなったさまざまな教養を紹介してもらえるという意味では、ありがたいことだ。けれど、ここで紹介されていた「偉大な先人」の中で、少なくとも自分が触れたことのある人々は、皆何かしら真に迫る切実な願いを持って、魂を込めて一冊の書物をしたためていたと思うのである。皮肉だけれど、著者が言うように、原著に当たれるなら原著に当たった方がいい。

    個人的に弟子入りを試みていることから「辺境人の学び」の章の師弟関係についての部分はとても興味深く読んだ。また、「機の思想」の章は、鈴木大拙や沢庵禅師を引きながらも自身の武道での体験を絡めた部分があって新鮮に読めた。

  • ≪目次≫
    はじめに
    第1章  日本人は辺境人である
    第2章  辺境人の「学び」は効率がいい
    第3章  「機」の思想
    第4章  辺境人は日本語と共に


    ≪内容≫
    ベストセラーを遅れて読みました。
    地政学的に「辺境」に位置する日本(人)は、世界を先導する力を持てない。それは、能力と言うよりもDNAがそうなっているから。
    私も「世界に端する発明はできないが、発明したものをアレンジして、時には二つ以上のものをつなげて、より使いやすい、もしくは全く違うものを作り出す力がある」と授業で発言してきたが、それを「学び」(〇×道について)や「言語」、さらには「マンガ」まで持ち出して解釈してくれた本である。
    しっくりこない(のは、日本人である自分が日本を愛しているからか?)が、納得した本であった。

  • ほんとは⒊5にしたい。
    丸山真男が日本には全史を俯瞰するような「日本思想史」がないと言っているのを読んだとき、まさか!→あっでもほんとだ→何でだ⁈…と疑問を抱いたが、ここへきて一つの謎解きを頂いた気分。苟も一国が自らの精神史(つまり、私らはこういう考え方をする者であるという明確な自己分析)を形成してこなかったのには、それなりに構造的な理由があっていいはず。地理的条件から立論するというのは、文明の生態史観もそうだけど、絶対当たってると思う。(そういえば内田先生は気候的条件には言及してなかった。話が散漫になりすぎるからかなぁ)人間は生まれる場所を選べない。ある程度、郷に入りては郷に生きるのが幸せやろ。

  • 三章の「機」のところだけが理解しづらかったけれど、日本人を地政学と歴史、言語から考察、解説してあり、とても面白かった。
    一章と四章は特にグイグイと読めました。
    「水戸黄門のなかでリアルに造形さてているのはワルモノたちである」という話、唸ってしまいました。

    こういう本は、日本人を自虐的にか語るものが多いと思うのですが、そういう類の新書ではないところが良かったです。

  • いかにも内田樹らしい。このひとはなにか物語があれば満足なんだろうな。辺境という概念で日本の物語を語ることができればそれでよくて、その理論的実証的な妥当性には関心がない。だから根拠不明で微妙にゆるゆるな物語ばかりが語られる。そして、物語を通さない限り対象を捉えることができないから、物語ですくいとりにくい構造やシステムなんかの視点はとうぜん希薄。
    それでいて、内田樹本人は、常に物語を享受する側に立ち高みの見物を決め込む。物語を紡ぐ側には決してまわらない。それはそれで”鑑賞法”としては正当なのだろうが、鑑賞以上には成り得ない。

  • 内田樹さんはおもしろすぎるから、最近はあまり読まないようにしています。

  • 世界の中の日本の位置を改めて確認。
    まさに辺境ゆえの文化の発達。

  • 自分および周囲の人間に対して、どこか「矛盾」というか疑問のようなものを感じていた。

    それをこの本が指し示してくれたようにおもう。

    日本辺境人は
    「自分が何を欲望しているのかを、他者の欲望を模倣することでしか知ることができない」
    と、タツルは堂々と言ってのけた。

    自分たちは世界の中心ではなく端にいる。
    自分の中にもともとあるものを「資産」と思わず、「資産」は「外から来たもの」に限定される、という潜在的な思考。

    そしてそれは日本固有の考えであると。

    この構造を、わたしたち日本人たちはうっすらと感じとってはいたが、様々な哲学、宗教、地理上の問題、歴史等を全てふまえて語ることは「超複雑」なので不可能だと勝手に思っていた。
    しかしタツルは、丸山眞男から岸田秀、ハイデガーからヘーゲルといった先人たちのエッセンスを引用して解説してくれた。とても分かりやすく。

    ここには何も「新しいこと」は書かれていないのかもしれない。
    しかし、「先人たちのエッセンスを抽出する」という偉業を成し遂げた内田樹氏をすばらしいと思うし、これからも応援して行きたいと素直に思える一冊だった。

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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