電通とリクルート (新潮新書)

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著者 : 山本直人
  • 新潮社 (2010年12月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (223ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106103988

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電通とリクルート (新潮新書)の感想・レビュー・書評

  • タイトルだけで惹かれて読んだと言っても過言ではない。newspicksで両社の特集が組まれておりホットな企業。

    「まとめ」
    電通とリクルートという日本のメディアを支える2社の変遷を戦後日本社会の変遷とともにまとめている。広告は辞書の書き換えが役割で、情報誌は情報の整理が仕事であるという対比構造。その違いを発散型と収束型、農耕的と狩猟的、元栓と毛細管…、元博報堂ということもあり比喩など表現が豊かで両社のビジネスモデルの違いがイメージしやすかった。

    また、広告の果たす役割が日本経済の発展及びメディアやIT環境の変化により変わってきており特に近年は大多数の人は検索により表示された情報が事実であると思い込み、「情報ありがとうございます」と動き出す。これは確かに人を動かす事にはなっているものの、本質である”本当に効果のある狙った人を動かす”事にはなっていないことを痛感した。

    「感想」
    タイトルがミスリードを生みがちだが、内容は日本の消費社会とメディアやその広告との関係について広く書かれた本である。広告業界に関わらず企業が自らの顧客に対して何をどのように伝えなければならないか考える意味で広く対象がいる印象。

    世間では「電通が世の中を動かしている」などと影の役人的なイメージが付きまとっている。実際、メディアの”元栓”を握っていることによりメディアへの関与は想像でき、多少は否定できない部分もあるのだろう。一方で世の中を改めてみると現代の情報蒐集の主な手段は”ググる”ことである。ここで怖いのは、従来のメディアと違い自分で情報を選んだ”気になっている”点である。

    「学び」
    ・1消費者としては、自分で”聖書”を持ち続ける必要性を感じた。
    これほど情報量が多い世の中、何となくググって出てきた情報で知った気になっていないか、自分がなぜその情報を欲しかったのか、自分はその情報で何をしたいのか見つめ直すこと必要性のことである。

    ・逆にリクルートとしては、ただ整理するだけではなくより積極的に消費者に訴えかけ、良い消費者たりうるようにしていく必要があるのではないか。
    (いっそリクルートが学校とか開いたら面白いのに笑)

  • 持てる者の幸福論、のところがよかった。自分も、経済成長なんていらないと思っていたけど、経済成長がなければ、年金制度は成り立たなくなってしまい、自分たちが受給者になったときには、何ももらえなくなってしまうだろうし、1つの視点からだけで語るのは危険なことだなぁと思った。

  • 広告と人材育成のキャリアを持つ著者の、職業人としての独白が根底にある。広告、情報ビジネスを厳しくみるなか、前向きであるためには受け手に負担をかけず、嘘がないコミュニケーションが望ましいとのスタンスである。
    2社のスタンスの定義づけが示唆に富む。両社の関係性や、他のプレイヤーとの競争、新しいビジネスとの関わりなど、今後の動きを見るうえでもものさしになる。

  • 消費社会とマスメディア・広告との関係について書かれた本。
    発散志向広告の電通と収束志向広告のリクルートを取り上げ、その変遷と役割の変化が展開される。
    なかなか面白く読めたが、論旨が良くわからない部分があった。

  • 二社の比較論かと思ったら、ものすごく深い本だった。また読みたいと思わされた。

  • モノを買うときに、自分への納得感が必要。広告が動機付けをするなどで、買う理由を与える。ネットで比較して賢い買い物してるなあと納得してみたり、ご褒美という名で買ってみたり、ネットで比較できることで、自分に合うものだけを選択できるようになった。
    これが広告の目的。

    広告で方向付けをして、価値観を変えていくことは面白いかも。ただ、広告で特定の商品を押し付けると言うのは個人的には嫌。ま、最後に書いてあるけど、地図と聖書があって、広告は地図。利用するためのもの。悩んだ時の決め手は、聖書など、読むもの。

    とはいえ、お客様と一緒に作っていくというシステムエンジニアという仕事は、性にあっていると言えるなあとしみじみ。

    幸福論について。モノの豊かさ、ココロの豊かさ。他人から離れれば傷つかないが、幸せになれない。
    幸福の要素として、健康、家族関係、家計が挙げられる。

    また、上位業種とは、食品、化粧品、交通・レジャー、飲料、通信、流通、医療品。広告マンは営業かと言われれば、一から新規開拓しないから、営業とはいわないとな。

  •  情報産業の巨人である二つの企業の内実やビジネスモデルをわかりやすく紹介してくれると期待して本書を手にとってみたが、期待はずれだった。
     わかりにくく、読みにくく、興味をひかない内容はちょっとがっかり。

  • 戦後の日本の広告を牽引してきた電通とリクルートをあげ、それぞれの特質(共通点と違う点)に注目しつつ、戦後の人々の「消費のあり方」がどう変わっていったかを分析した本。

    主張したい点はわかりやすかったのですが、若干議論が発散する点もちらほら。
    しかし、全体としてはうまく整理されていて、広告や消費について勉強になりました。また、広告の未来を考える際のヒントにもなりました。

    著者は博報堂の方で、広告に対する熱い想いが随所に感じられて、それがよかったです。

  • 昔、博報堂にいた人が書いた本。前書きに書かれているとおり、広告のことやタイトル2社のこと、というよりは人々の欲望の作られ方、のような内容。全体的に過去の振り返りが主。これからのことについてはほとんど書かれていないが、今起こっていることも、しょせん、過去の繰り返しであることが、逆に良くわかる。
    電通については良くわからないが、リクルートは知人が入社してたことがある。そこから聞く話と比べたら、本書に書かれている内容は掘り下げ方が少ないように思った。
    広告会社でメディアについて研究していた人が書いただけあって、読み易いし、内容は新書というフォーマットにマッチしている。ターゲットは40代?同世代、同時代体験を期待するような昔話が多い。

  • 広告企業の二社にスポットライトを当てて戦後からの広告業を追った本書は、タイトルから発せられる下世話な空気とは異なり真面目に書かれた内容であった。時代によって広告が変わり、企業もそれに対応していっており、中々興味深い。しかし内容が多岐に渡り、また詳細な考察ではなく、著者の感じた感覚で語られるために消化不良を起こしてしまっている。

  • 電通とリクルート、この2者が作り出した「人々にとっての価値」の対比が面白い。今後どうなるのだろうか。

  • 電通とリクルートの事業沿革とその歴史的背景を振り返ることで、人々の広告に対する反応や情報の求め方などを明らかにしようとした一冊。
    筆者は元博報堂の社員。特徴は上記の二社よりも、消費者側の動向にスポットを当てている広告論だという点であり、企業内部や業界動向の話を期待していた自分にとっては肩透かしだった。
    電通を「発散志向広告」リクルートを「収束志向広告」とカテゴライズし、それぞれが補完的に人々の欲求に答えてきたという観点は興味深かったが、肝心なその後の展望に関する記述が解りにくかった。

  • ・発散志向広告と収束志向広告

    ・広告の役割の一つ → 辞書(意味)の書き換え

    ・情報誌を高収益ビジネスとして実現するためには寡占化が必要

    ・消費者自らが「買う理由」を欲している
    ・優秀な売り手は、多くの迷える客に対して「理由」を上手に提供している


    '広告は、夢を見せても夢への道のりを教えてこなかった。その道のりを知りたい、というニーズに応えたのが情報誌であった。'

    '人々が欲しかったのは「モノ」ではなく、「モノを買う理由」だったのだ。'

  • 2011年6月初版
    山本直人 著
    ==

    日本の戦後情報産業史を、広告という領域でそれぞれ異なるアプローチで拡大させてきた電通とリクルートに焦点を当てることで、整理した一冊。

    そうかそういう整理も出来るかーという意味では、
    ありそうでなかったアプローチなのかもなあと思い、
    いろいろと面白く読めました。

    ただ、ちょっと乱文というか、
    結構、一見すると論旨が蛇行して進むように読んでて感じるので、
    「あれ、何の話だっけ?」みたいになる本で、
    ちょっと、集中力を要しましたがw

  • 情報に期待し過ぎていた自分に気が付いた。情報が多いからといって最適な選択肢や幸せは約束されない。あくまでも決断は"これまで積み上げてきた自分の価値観"に則る。

  • ブックオフにて105円で入手。しかし値段に反して面白かったです。

    「電通が日本を動かしている」
    「結局は電通だよ(諦」
    みたいなことを臆面無く言う人がわりといる気がする一方、
    広告業界のビジネスがよくわかってませんでした。
    そのへんのことが書いてあるのかなと思い、書名に惹かれて購入。

    結果としてはそのへんのことはよくわからなかったのですが(笑、
    楽しく読めました。
    これは情報産業を通じて、戦後日本の人々の価値観の変遷を分析した本です。

    分析の視点もさることながら、さすが元広告業界の著者と言うべきか、
    比喩の面白さというか、一つ一つの言葉のインパクトが印象に残ります。
    特に美しく、かつ、本書の要旨がうまくまとまったくだりがあるので引用。

    「自由な消費が始まろうとした頃、人々はマス・メディアという大きな船に乗った。そして、豊漁の後の嵐を経た頃に、小さな船が登場した。人々は徐々に、船を乗り換えた。そして、自ら情報の海を航海しようと試みた。
    それがインターネットの時代である。
    ところが、小さな船ほど潮の影響を受けやすい。気がつくと、小さな船は同じようなところに集まって、大きな船もまた近くにいる。いろいろな大きさの船が離散を繰り返しながら、結局は大きな潮に乗っている。」

    前半は、高度成長期を背景にモノが社会に溢れる中、
    人々は「買うためのストーリー」を提供してくれる発散型広告にのっかったということ。
    しかしこうしたマス広告につきまとう誇大性(本書では「偽リアリティ」)に食傷気味となった大衆は、次第に自分の生き方を志向し始める。
    大衆はマスではとらえきれず、分衆化、セグメント化していく。

    この傾向に対応する存在としてインターネットが出現。
    インターネットにより自分が情報を取捨選択できることで、情報の主導権が企業から人々の手に移ったかと思われた。
    しかし、口コミサイトのレビューが、自分の体験を述べるというよりも「事前の期待値との答えあわせ」をしていることにも見られるように、
    まだまだ外からの情報を求める人々がいる。
    できる限り損をしないように、「情報との合一性に」による安堵を見いだしている。

    しかし時代としては、広告は大きな変化の中にある。


    という感じでした。
    ちょっと乱暴な要約ですが。。。

    広告について初心者すぎて、だいたいの記述を「なるほどなー」と素直に受け入れてしまいました。
    これを読む事で何かすぐに役立つものがあるということはわかりませんが、小説に似た読み応えはあるかなと思います。

  • 元博報堂社員による、情報(広告)と人の生き方の関わり合い方を唱えた本。私たちに情報を提供する、二大巨頭「電通」「リクルート」を対比させつつ、時代とともに、彼らが人々の欲望にどう応えてきたのか、これからどこに向かうのか?を論じた一冊。
    なるほどヘェ〜!と頷ける部分もあったが、論体自体が抽象的で、なぞらえ方もなんかわかりにくく、結局何が言いたいんだこの人?ってのが、よくわからなかった。
    彼が「おわりに」で主張しているとおりで、情報を発信したり整理する側が、「本当に人々のことを考えるならば、人々を情報への固執から解放してあげるという選択肢も考えるべき」とあるように、彼もまた、あえて読者に具体的にこうすることが大事だと伝えることの明言を避けているような気がした。そういう意味では、一貫してるんだけど、皮肉だが、逆にわかりづらいよ!という感想も半分(笑)。

    ■電通とリクルートの対比
    ・創業:戦前/戦後
    ・基盤:元栓(電波)のうまみ/毛細管(中小企業まで網羅した営業力、編集力、起業力)
    ・広告の役割:発散志向(拡声と伝達)/収束志向(整理・ガイド)
    ・メディア:マスメディア/情報誌・情報サイト
    ・スキル:変換(意味の書き換え)/編集(規格化と検索性)
    ・対象:日用品/選択性の高いもの
    ・収益力:高売上/高利益率

    →インターネットの登場で、現在は、線引きが曖昧になってきている

    ■感想
    結局、彼が言いたいのは、「おわりに」の一文だと思う。

    「(電通もリクルートも)多くの情報を与えてくれる一方で、時に情報による船酔いも起きてしまう」「(それらは地図でしかなく、決断するときには)指針となる読むもの、つまり聖書が必要」で、それは一人一人の中にあらる「それぞれの内面の聖書なのだ」。

    電通もリクルートも、それぞれの強み・特色を活かして、世の中に欲望を生み出し、うまく距離をとりながら、広告というコミュニケーションをとり続けてきた。情報を使う我々消費者のほうも、うまくそれらの情報をケースバイケースで受け止めながら、ときに補完させながら、躍らされないよう・効率的に取得してきた。
    でも、いくら受け取り方が変わってきても、これだけ情報量が増えると、意識的にも無意識的にも、誰ががつくった情報に依存してしまう。あまりにも情報が多すぎるから、つい探してしまうし、何を選べばよいか決め手が欲しい。でも、結局、情報はどう使うかでしかなく、最終的にどうしたいのか?は自分で決めること。情報に頼るだけではなく、結局自分は何がしたいのか?何のためにその情報が必要なのか?を見つめなおすことも大切ですよ。

    …と、だいたいこんなところかな。

    日本の一般的な小中高を経て、大学に入ると、必ず誰もが少なからず戸惑うだろうな、と思うのが、居場所。
    それまでは、一定の枠組み(クラス)の中でカリキュラムが決められていた。その限られた範囲内で、自ずと自分の居場所が決まり、ある程度行動も決まっていた。それは言い換えれば、誰かがつくった枠組みの中で、行動も制限されていた、ということになる。
    それが大学に入るとガラリとかわる。正確にはかわったわけじゃなくて、枠組みや制限自体は残っているんだけど、いっきに広がった感じ。
    自分でどうしたいか?どう時間を使って、何をして、誰と過ごすかを、自分で考えて決めるというカルチャーショック。居場所を自分でつくっていかなくてはいけない焦り。
    慣れれば最高、慣れるまでは大変。

    いま考えれば、あれも大人への第一歩だったんだろうけど、情報の関わり合い方と似ている。そもそも自分の置かれている状況が限られている狭い社会や時代においては、上から降ってくる情報を鵜呑みにしがちだし、大衆化しやすい。でも、自由の幅が出てくると、情報が多すぎて決められないから誰かに整理して欲しいし、後押しが欲しい... 続きを読む

  • 電通モデルを発散志向の広告、(ネット広告モデルのルーツとしての)リクルートモデルを収束志向の広告と位置付けた論述展開。
    この2社をツールとした中での戦後から今に至る日本の消費分析が「なるほど」という感じで読めました。

    電通は元栓を押さえることで収益の基盤を確立することで圧倒的なシェアを実現し、リクルートが毛細管の拡張と維持を最大の経営資産として勇躍した。

    これからの時代、日本というマーケットだけで捉えた場合、彼らがどのようなアプローチをとり続けていくのか興味深い。
    グローバル展開では、タイムマシンモデルによりこれまでのノウハウが役立つ場面も多々あるのであろうが、日本においてはどのような進化が必要なのかよく見えないので注目したい。

    「キュレーションの時代」ではビオドーブと呼ばれていた、濃くて良質なビジネスマーケットとしての無数の塊を効率よく創造していくことが生き残りのための一つの術なのだろう。
    そういう意味では、リクルートの次のチャネル展開が興味深い。

  • 電通をはじめとする大手広告代理店の収益は、マス・メディアとの長い歴史の中で育まれた関係を維持することでもたらされてきた。広告ビジネスには、外部からの印象以上に、きわめて「農耕的」な風土がある。
    それに比して、リクルートは次々とメディア自体を開発して、クライアントを開拓してきた。対比的にいえば、明らかに「狩猟的」である。p10

    「発散志向広告」と「収束志向広告」

    リクルートが毛細管の拡張と維持を最大の経営資産としていったのに対して、電通は元栓を押さえることで収益の基盤を確立した。p61

    Cf. 「金曜日はワイン」→辞書的、文脈の書き換え

    「幸福のペンタゴンモデル」
    ①時間密度
    ②手ごたえ実感
    ③自尊心
    ④承認
    ⑤裁量の自由
    Cf. 『幸福の方程式』p98

    Cf. 『「分衆」の誕生』

  • 1980年代から両社が拡散志向広告と収束志向広告で相互補完してきた歴史を通して、広告と消費社会の30年間がざっと分かった。

    2007年に両社が資本提携したという「オチ」もインターネット時代の広告ビジネスをとりまく現状を考えれば必然だったんだろう。

    なんにしても両社ともすごい会社だ。

  • 著者の言う変換と編集の違いについて検討。意味自体の編集と、メタデータの編集。新たな疑問。メタデータはコンテクストか。コンテクストはメタデータか。

    著者の対置に従えば、「電通的」とはコンテクスト編集であり、「リクルート的」とはメタデータ編集と言える。そこで先の疑問。本質的な違いは?

    リクルートは「住宅情報」で、怪しげな不動産広告市場をクリーンにする一助を担ったという。「徒歩一分=80m」に象徴されるように。いまの共同購入クーポン市場に必要なのもまさにそれだ。住宅情報創業に関する資料を掘り起こす価値はありそう。

    「電通的広告」がいかに夢を語ろうとーすでに80年代からー「リクルート的広告」には現実が並んでいた。それは価格という現実だ。そこに人々は自分自身の情報を読んでもいた。ーこれは慧眼。

    コミュニケーションとは「編集された情報の伝達・交換」ではなく、「編集構造・編集体系の伝達・交換」である、というのに似ている。情報誌に自分自身を読み、行動を決定するという行為もまた「編集」だからだ。

    「電通的」は「コンテンツ的」、「リクルート的」は「アーキテクチャ的」。

  • 『売れないのは誰のせい?』に続いて著者が新潮新書から出した一冊。隣どうしで並んでいたから手に取り、『売れない~』のほうはかなり納得して読めたんだけど、こちらはいまいち。ま、あくまでも憶測だけど、ネタに困っちゃったんじゃないかなと。前著で述べていたことが再出していたりもするし。そもそも、編集者の発案だそうだが、タイトル見たときに何となく違和感があったんだよね。コピーとしてのツカミはいいんだけどね、著者らしくはない。
    書中では、電通とリクルートの両者を広告界の雄としつつ、前者のマス広告を発散志向、後者を現在のネット広告のような個人向けの収束志向と位置づけて対比的に論じている。いや、というよりは大筋では発散志向から収束志向へと流れてきた広告の世界、人々の思考性を論じている。そのあたりは著者の真骨頂でおもしろい。
    いかにも自分で選択しているような現代人だけど、その実、大海を一人で漕いでいる小舟のようなものだとか(ま、いろんな船に乗り移れるのが実際の航海者とは違うと書いてあったけど)。そういう頼りない状況だから、一人で後悔しているようで、人の航跡をたどったり、コバンザメのようだったりするという。一人で選ぶのは酷だからネット評とか気にしてしまうという文脈なんだけど、これって医療とかにしたら顕著かも。治療法の選択とか、患者任せにされるのはそれなりに酷だよな。
    ネット評といえば、事前情報との期待値で評価をする現代というのもおもしろいなと思った。「みんなが賞賛しているほどの名店じゃなかった」みたいな評のことを指すんだけど。
    ただこの本、タイトルからすると電通とリクルートについて論じているみたいだし、実際のところタイトルで手に取った人はそれを期待するだろうから、自分もその一人でちょっと齟齬を感じたまま読んでしまったかな。そもそも、自分に広告界の知識がないこともあるかもしれないけど。

  • 題名から、広告業界の泥沼で生き馬の目を抜く世界を紹介するのかと思ったら、戦後広告史を丁寧に俯瞰する良著だった。ちなみに著者は博報堂出身で、両者にたいして妙に距離のある書き方だったのもあとがきまできて納得した。

  • 電通とリクルートという、非常に関心を引き付ける2社の歴史と共に日本人の情報との関わり、購買欲のあり方の変遷について論じる。

    目新しい点は特に見当たらず。図書館で借りてもよかったかな。

    今の時代は答えあわせをする、というようなことが書いてあり、確かにと思う一方、はじめから決めつけて結論に持っていっている感があり素直に頷けない。

  • 最近この本の存在を知ったので読んでみました。発散志向の電通と収束志向のリクルート、という対比で展開される前半。そして、この十数年で広告が日本人の消費行動にとってどのような存在になったのかで展開される後半。個人的には、後半が興味深かったです。

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電通とリクルート (新潮新書)の作品紹介

情報産業の双頭が、押し寄せる情報の海に翻弄されている。マス・メディアを通じた広告であらゆる商品を売ってきた電通と、就職や住宅購入等、「人生の節目」をビジネスにしたリクルート。モノが飽和したにもかかわらず、「憧れの生活」が絵空事になってしまったこの国で、我々の欲望はどこへ向かうのか?彼らはその欲望の創出にどうかかわろうとしているのか?消費社会の光と影を露わにする、知的興奮に満ちた一冊。

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