文明の災禍 (新潮新書)

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著者 : 内山節
  • 新潮社 (2011年9月1日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (186ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106104374

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文明の災禍 (新潮新書)の感想・レビュー・書評

  • 原発事故を原発だけの問題としてとらえるのではなく、それは文明の災禍であり、戦後、求心力をもったあるイメージの崩壊でもある。
    また、戦後思想の見直しが必要であること、私たちが暮らしたかったのは、システムをコントロールできない恐ろしい社会ではないと言う内山氏の言葉にただ頷くばかり。


    何冊か原発に関する本を読みましたが、哲学者の方が書かれたこともあるのでしょうが、生き方と言う言葉で表現してしまっていいのか分かりませんが、そういったことをもっと深い次元で考えさせられました。

    私たちの奥底に巣くっていた、指摘されなければ気がつかない、無意識に支配されていた思想を指摘され、私には本当に目からウロコでした。

    原発事故によって文明、思想というものが大きくゆらいでいる今、これから人々はどの道を行くのか、今は本当に大切な分岐点にいるのに、それを、単に経済成長がどうのこうのという面だけで考えていては、再び同じような過ちをおかしてしまいかねない。

    この本を本当に多くの人に読んでもらいたいと思います。
    お薦めの一冊。

    http://glorytogod.blog136.fc2.com/blog-entry-1063.html

  • 今年も残すところ僅か。大震災や原発事故から自分の中で解せていない衝撃や想いと向き合って、自分たちの生きる社会を見つめ直すのに適した一冊。素直な気持ちで読めました。未来へ光を見い出すための問いかけが散りばめられた良書です。
    **********
    死者と生者が知性の次元でなく魂の次元で死を確認し合い、生者がこれからも死者と共に社会を作ると約束して生きることを決意すること。供養の真価「魂の諒解」が復興の出発点になる、というようなことが書いてあった。
    **********
    遠野物語にも津波で失った家族と再会する話しがあった。生者と死者は別の世界に住んでいるけど、同じ次元にはいるんだねぇ。
    生死の境目はどこにあるんだろう。巨木・古樹なんか、堆積した化石みたいな部分と萌芽している部分が一緒になってて、生と死が同じ時間世界に交錯しているように見える。「永遠」のイメージ。

  • 先行きの不透明感を、率直に表現しつつも、原発事故で気付かされた現代社会の脆さを、冷静に素直に真摯に反芻する。大震災の半年後という時点で著された本で、まだ、ポジションを意識した泥沼論は少なかったのだろうか、落ち着いて当時の心境を振り返ることができる

  • 市井の哲学者 内山節が、東日本大震災を通して日本社会の姿を浮かび上がらせる。深い論考であるが、平易な表現で分かりやすい。
    著者の文章は、大学入試の国語の論述文で、よく使用されるとのこと。受験生である息子からの情報。受験は追い込みの時期。よくがんばっている。

  • 科学という文明がもたらした災禍が原発事故によって明らかになった。
    自然災害に科学の力、人間の力が及ばないということの他に、そこから起こった情報の錯綜。正しい情報を得ることができない科学の専門性の深さと世の中に流れる情報の多さ。
    そうではなく、地に足の着いた生活の範囲内、情報の範囲内で生きてはどうかというもの。

  • あまり印象に残らなかった。以前読んだ「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」に比べて、内容の広がりや実証が少ない上に、著者の体験に基づいた記述が少ないからだと思う。

    「情報を受け取りすぎて、適切な判断ができなくなる」
    「専門家の暴走」
    あたりは共感した。


    ただ、どーにも著者の「ソーシャルビジネス」や「コミュニティ回帰」あたりの主張も、分かるようでわからない。

    正直、書きたくて書いたような感じがあまり感じられなかった。

    時代は著者のような考え方を持つ人を必要としているとは思うし、だからこそ手にとって読んだんだけど、やっぱり彼は哲学者であって運動家や思想家ではないんだなぁと。

    次もきっと読むだろうけど、私は内山節のもっともっと自由に書かれたものが読みたい。

  • 現代文明の限界と敗北。原発事故を目の当たりにして、それにやっと気付いた。いや、みんなうすうす気づいていたけど、見て見ぬフリをしていたんだと思う。これからどんな社会を作るのか?一つ言えるのは、このままではダメだということ。私はどんなアクションを起こしていくのだろうか、少しづつ、変えていこう。

  • それほどおもしろい内容ではなかった。
    p.68にあるような情報の価値基準についての筆者の考え方こそが、p.110で述べるような、いわゆる「専門家」を作ったのではないか。現代では、情報はブラックボックス化しがちである。それは悪意ある隠蔽であるかもしれないが、たんに市民の怠慢であることも往々にしてあるだろう。「専門家」からの「暴力」に対抗するには、「餅は餅屋」という考え方を改める必要があるのだろう。
    本書の称賛すべき点は、「放射性物質に関しては、論理的に『風評被害』は存在しないと考えた方がよいと私は思っている。」(p.55)と震災数ヵ月後に表明したことではないかと思う。

  • 震災以降、なんとなく不安に感じていたことに対する答えがここには書かれているような、ずばり言い当てられたような、そんな感じがする。
    ここにも書かれているように、原発事故は「未来の時間を破壊する」ものであることが、その不安のひとつでもある。

  • 2011年3月11日の東日本大震災。
    地震・津波による被害を自然の災禍、福島原発事故を文明の災禍とし、
    震災以降の日本の目指すべき、あるべき姿を述べた本。

    電力はじめ人間にはどうにもできない大きなシステム基盤に
    依存した日本に対して警鐘を鳴らしている。

    哲学者らしく、着眼点がとてもユニーク。
    復興には自然と死者の役割が必要のように、
    一般的な見方や切り口とは別のとらえ方をしているのも面白い。
    専門家集団の暴走が現在の日本を形成したという考えも納得。

    改めてリスク管理の重要性を感じるとともに、
    専門家集団の暴走をおさえるためにも、
    素人による管理・検証体制の必要性も感じた。

  • 東日本大震災に絡めて現代日本を見つめた哲学書。
    自分の考えをもたないと。
    視野を広めないと。
    他者との関わり方を考えないと。
    イメージだけではなく、体で世界を受け止める必要性。

  • 新着図書コーナー展示は、2週間です。
    通常の配架場所は、1階文庫本コーナー 請求記号:369.31//U25

  • 内山先生のお話を伺う機会があり、早速購入。3.11以降、腑に落ちないことが多い中、ひとつの考え方を示してくれています。多様な関係(自然との関係も含めて)を作ることが人間の本質。確かにそうですね。とても参考になりました。

  • 震災後失われたものはなんだったのか。それは「未来の時間」である。原発事故は我々に現代文明が生み出した大きな矛盾を突きつけている。どうやって新しい思想を打ち立て、生きていくのか。厳しい問いがすべての人に投げかけられている。

  •  東日本大震災における自然の災禍と、それとともに起きた福島原発の人災という文明の災禍とが起きた後に、自然と人間、そして人と人の関係をどのように編み直して生きうるのかを、文明に対する根本的な反省にもとづいて探究しようとする論考。その議論が死者の「供養」を出発点としていることは、印象的である。死者を置き去りにした空々しい「復興」の未来に血道を上げるのではなく、まず死者を弔い、その死を引き受けながら、生死が隣り合う現実に向き合うのでなければ、一歩も前に進むことはできないという。その地点から著者は、原発の人災に立ち至った文明そのものの問題へ踏み込んでいく。その議論によると、自然のなかに生きる身体を遊離した知性は、知を「専門家」に独占させたうえに、神話的なイメージとしての情報が飽和した空間を作り出し、そのなかでみずから機能不全に陥ってしまう。その果てに文明は、人が住めなくなった原発周辺の地域が象徴するような、いかなる創造ももたらさない破壊と化したのだ。未来の破壊。これまでの生の営みが根こそぎにされ、後に何も生まれない世界が、もしかすると生きもの自体の内部から産み出されつつあるのかもしれない。そのような状況を、生きることをつなぐ方向へ転換する可能性を、著者は「存在の諒解」のうちに求めようとする。それは自然の生きもののあいだに、他人たちのあいだに生きている、さらに言えばそこで生かされているという感覚を取り戻して、今一度「風土」に根を下ろすことであるという。それによって関係を再構築することが「復興」の前提というのが著者の結論のようである。それゆえ「復興」は、まず「地域の復興」でなければならないというのだ。たしかに、自然と人間、人間と人間の関係の再構築は必要だろう。しかし、それは「風土」に根づくことなのか。「風土」を語ること自体のうちに、あまりにも特殊なものの普遍化が忍び込んではいないだろうか。そして、著者の考える人間に、根を失って日本列島を漂いつつある人々は含まれていないように思えてならない。文明の災禍によって根を下ろしてきた場所を失った後、漂って生きること、漂着した人とともに生きること。その可能性を、共有するものをもたない者たちの関係のうちに探ることのほうが先だろう。さらに、漂着した場所で、身体的に生き方を変えてでも生きうる、生体の可塑性が根底から脅かされていることを、まずは問わなければならないはずだ。

  •  内山さんは哲学者という肩書き。写真とみると、農家のおじさんのような風貌。

     この本は、石原都知事の本とならんで、しつこく職場の本屋に平積みされていたので、ついに購入。

     全体の感想としては、もっともなことを言っていると思うが、その文脈がよくわからない。

     哲学者としてこれをいいたいということを、ぽつぽつ言っている感じ。哲学と論理性ってあんまり関係ないのかな。

    ①20世紀の哲学は知性中心主義を批判し、身体のもつ役割を再認識する流れをもつくりだしてきたが、東日本大震災は知性の限界をも暴露してしまったのである。(p91)

     知性の限界というより、技術の不十分さを露呈したということではないか。安全性を確保するために一層の技術の充実が必要と前向きに理解すべき。

    ②東日本大震災以降の現実の中で私が感じたものは、情報を大量に受け取ると逆に人間は適切な判断をできなくなる。(p66)

     そのとおりだが、それは、受け取る側で両論の均等に情報収集して判断することが大事ということ。受け取る側に努力が必要ということ。

    ③復興は関係の再創造としてとらえなければならない。コミュニティの再建、再創造こそが復興なのである。(p150)

     自分は、復興とは、生活と生業の再生といっているが、まさに、生活面は人間関係の再生にある。

     別に目新しいことを述べているわけではないが、哲学者のいうことに、もっともと思えることは、自分もいろいろ復興について深く考えてきているということかなと思う。

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文明の災禍 (新潮新書)の作品紹介

産業革命以来、「発展」のため進歩させてきた末の技術が、いま暴走している。その意味で、原発災害を原発だけの問題としてとらえてはいけない。これは「文明の災禍」なのである。私たちが暮らしたかったのは、システムをコントロールできない恐ろしい社会ではない。「新しい時代」は、二百年余り続いた歴史の敗北を認めるところから始めることができるのである。時代の転換点を哲学者が大きな視点でとらえた、渾身の論考。

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