- Amazon.co.jp ・本 (255ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106104671
作品紹介・あらすじ
なぜ「彼ら」はここまで無能で無力な存在になったのか。大震災と原発事故報道においても横並びの陳腐なネタを流し続けた新聞とテレビ。緊急時に明らかになったのは彼らの「脳死」状態だった。パクリ記事、問題意識の欠如、専門記者の不在…役立たずな報道の背景にあるのは、長年放置されてきた構造的で致命的な欠陥である。新聞記者、雑誌記者、フリーをすべて経験した著者だから下せる「報道の脳死」宣言。
感想・レビュー・書評
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日本のジャーナリズムや報道のあり方については、海外の色々な国の人と交流を持つようになって、どうにかならないものかと思っていたので、書店で「報道の脳死」というタイトルを見かけて手にとり、目次にさっと目を通して面白そうだと思って購入、すぐに読んでしまった。
ジャーナリスト自らが報道の現状の問題点を分かり易く指摘・解説し、その原因についても過去から現在に至る報道の変遷も合わせ客観的に記述しているところに好感が持てた。
報道の現状と問題点については、私自身も考えていたことと同じような内容であり、これから先どうなっていくのか、どのような方向に進めばよいのか、どのようにしていこうとしているのかが一番知りたいことであった。
後半以降にそれに対する作者の考えが記されている。
現在は「旧メディア」に「新メディア」が勃興する「端境期」「移行期」にあり、新旧メディアとも色々課題を抱えているが、今後は新しいメディアや報道に対して記者だけでなく市民も一緒になって関わっていくことが重要だと、改めて考えさせられた。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
これも2012年ごろに出版されてる本、ようやく読み終わった。たぶん、このころ私はすでに烏賀陽さんをツイッターでフォローしてたけど、時々ふざけたことを言うカエルのおじさん・・という印象。真価を知ったのは、去年くらいから見始めた「一月万冊」でご本人を知ってから・・。安全保障のご本を読んでさらに「こういう方貴重だな」と思うようになった。動画でのおちゃらけにはついていけないところが多いけど・・。
前半「パクリ記事」「えくぼ記事」などの話も興味深かったけど、終盤のアメリカでの取材(インタビュー)に基づいたジャーナリストに関しての解説が良かった。今日、たまたま出先で地元の新聞社の若い記者さんをお見かけしたけど、こういう本読んで「ジャーナリズムとは何か」とかちゃんと考える方とか、おられるのだろうか?下手に読んだら、業務に差し支えると、敬遠されたりするかも・・といらぬ心配をした。 -
新聞やテレビをあまり見なくなってから久しいが、そうなってしまう理由をなるほどと思えるような形で説明してくれている。
大手新聞やテレビ局では報道することが組織として機能しなくなっているから、もう個々の記者が打開できる状態ではないようだ。
どこも同じような内容を同じように流すし、各局のスタンス・ニュアンスの違いは多少あるにしろ、それは同じ素材に関しての意見の相違程度であって、なんで話題が同じ素材になってしまうのかという理由もここに書かれている。
ここ数年の動きが自分たちの首を絞める行為で、将来を閉ざしていることくらいは判りそうなものだが、それは外圧によるものだけではないようだ。
紙の文化がネットに変わろうとしている変換地点にいるのかどうかは判らないが新聞・テレビは延命できるのだろうか? -
●:引用 →:感想
●かつて朝日新聞の記者として、いまフリーランス記者として働く私が身をもって実感したのは、会社員=組織員ではない個人記者のほうが、はるかに即断即決、意思決定のスピードが速いことだ。3.11という進行の速い事件に対応すること。インターネットという技術革新の速いマスメディアを使うこと。どちらにもいえる。
→「原発報道とメディア」と同様、”「コンテンツ」(中身)””「コンテナ」(入れ物)””「コンベア」(流通)”を一人で行えるジャーナリストをつくることが結論。 -
いつだったか、ソフトバンクのテザリングについての方針を孫社長のツイッターで呼んだ翌日、朝刊で「ソフトバンク、ついにテザリング解禁」との見出しを目にした。あるいは、小沢一郎のインターネット配信での記者会見をリアルタイムで見た数時間後に、全国紙のウェブサイトでPC画面をキャプチャした写真を見た。このような、まるで間抜けな、理解に苦しむ事態がなぜ起こるか?311以降の僕の疑問に、本書はさらりと答える。なるほど「脳死」しているのか!
テレビ、新聞といったマスメディアが持っていた権力、言い換えると「価値」は、大量情報の即時伝達手段であり、インターネットの出現により、完全にその価値を失っている。インターネットによる情報革命に夢を持つ僕は、このことを好意的にとらえていた。しかし長くジャーナリズムの世界に身を置く烏賀陽氏は、警鐘を鳴らす。「新聞テレビというヨボヨボの老人と、インターネットという、天才かもしれないがよちよち歩きの赤ん坊と。いま私たちの手には、その二つしかないのだ」。
いずれにせよ、あと10年もすれば、今のテレビや新聞はなくなるだろう。インターネット革命はマスメディアや報道にも強烈な影響を与えている。そして今はその革命の真っただ中である、漠然と感じていたこのことを、本書によりあらためて強く認識させられた。 -
ビブリオバトル in 広大図書館2012のエントリー本です。
http://ci.nii.ac.jp/ncid/BB08854689 -
報道の多様性の欠如という現状と記事の「質」の問題が書かれている。
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東日本大震災の報道をきっかけにテレビや新聞などの既存メディアの無力さは顕になってしまった。著者は彼らの脳死状態を象徴する記事を「カレンダー記事」、「えくぼ記事」などと名付け、事例を上げて説明する。結論として、ルーチンワークと横並び意識に慣れた彼らは震災や原発問題について正しい情報を迅速に伝えることができなかった。
優秀な人材を集め、記者クラブのような組織で情報を独占してきたはずの既存メディアが衰えた理由をあげ、今後の報道とはどうあるべきかを検証する。
既存メディアから離れフリージャーナリストとなった著者にとって、既存メディアは新人の教育機関としては最高の場らしい。高給を与え、記事の書き方を教えて、1人前の記者に育ててくれる。そんな彼らがその恩を受けた組織に疑問を感じ、外に出てその疑問を検証する。それは情報を発信すること、拡大させることが大手の資本を必要とせず、個人でも可能な時代となったからだ。メディアにとって、インターネットとは諸刃の剣なのだな。 -
3.11後の新聞のダメさ加減から、著者は「報道は脳死状態だ」と判断を下した。
前半はどこがダメなのかを解説し、後半は今後の報道のあり方について考察している。
新聞のダメな点
1.どの新聞でもほぼ同じ記事を掲載。
写真もほぼ同じだったり、他社のカメラマンが写り込んでいたりもする。
2.セレモニー記事。官庁、企業が設定し、広報したセレモニーを取材しただけの受動的な記事。
3.えくぼ記事。読者にポジティブな印象を与え、被取材者も喜ぶ記事。
いわゆる美談で、どこからも抗議が来ない。
4.カレンダー記事。あれから何ヶ月、何年という記事。
なぜこういった記事が増えたかというと、コスト削減で取材費のかからない記事が喜ばれるようになったから、らしい。
被取材者が報道してほしいことだけを記事にするのではジャーナリストではない、そこを起点になぜそうなのか、本当のところどうなのか、を突っ込んでいくことがジャーナリズムだ、と筆者は言う。
国民の知る権利を代行し、権力を監視するのが本質だ、と憲法の勉強のようなことも言う。
組織が巨大なため、毎日締切のある日刊紙であるため、人材が生かせずうまく機能していないのも原因だそうだ。
ネットの台頭でマスコミの巨大な資本(印刷し配布する、放送するための装置)は不要になった。
しかしネットで報道するだけではタダ働きにしかならず、担い手が続けていけるとは思えない。
今後の報道がどのような形態になるかは分からないが、10年後くらいには新聞の存在価値はほとんどゼロになると筆者は考えている。
上杉隆の「ジャーナリズム崩壊」に比べるとかなり落ち着いた筆運びなのでインパクトはないが、筆者の真面目な姿勢が伝わった。 -
著者は元朝日新聞、アエラ、フリージャーナリストの人
結構鋭い指摘多し
カレンダー記事、えくぼ記事など
楽な方向へ類型化が進む
パチカメ取材、セレモニー記事
観光記事、ぱくり記事
でもこの人の指摘する内容を排除すると
調査報道、抜きのニュース、突発物の事故あたりしか
残らないのでは
42 フォトオプ=メディア向けのイベント
78 えくぼ記事
79 3.11の記事
67 朝日だけで最大時450人現地入り
94 県境を越えて被災地取材に行かない組織の断片化
128 原隊
200 シルバー向けへバイアス
212 馬鹿な質問?
219 アエラと週刊朝日の対抗意識
201 巨大なニュース組織は洋の東西を問わず独裁的
219 首都圏で取材できる働く女性&高齢者=経費安上がり
249 朝日新聞、3人のパネラーのうち著者だけを抜いて1ページの記事を作る
マネタイズが難しいインターネット
よぼよぼのオールドメディア
正解はないけれど、難しい問題
夕刊は廃止せよ、記者クラブ問題、記者教育についても
池田小事件と秋葉原無差別殺傷はともに6月8日
カレンダー記事がだぶっちゃう。