間抜けの構造 (新潮新書)

  • 1823人登録
  • 3.44評価
    • (79)
    • (241)
    • (291)
    • (72)
    • (12)
  • 290レビュー
  • 新潮社 (2012年10月17日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106104909

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
ジャレド・ダイア...
ウォルター・アイ...
クリス・アンダー...
有効な右矢印 無効な右矢印

間抜けの構造 (新潮新書)の感想・レビュー・書評

  •  「間」をお題にした、著者の語り下ろし本。

     冒頭の第一章では、間抜けについての具体的エピソードが目白押しで、著者の口調で再生しながら読んでいくと思わず笑ってしまいます。
     が、章を追うにつれ、漫才論・落語論・スポーツ論・映画論へと発展。最後はビートたけしの人生論にまで至ります。

     第二章の漫才論では、以前から著者が言っている漫才のスピード感について触れられていました。漫才に限ったことではないでしょうが、昔はもっと全体のテンポがゆったりしていました。それが時代を経るに連れて加速度的にテンポが上がり(スピードアップさせた一因が著者自身にある、と述懐されています)、今は早すぎて緩急がついていない状態が往々にして見られる、ということ。その間隙を突いたのがスリムクラブだ、というのには納得です。
     そう言えば、以前松本人志との対談で、ダウンタウンの漫才についても同じようなことを言ってたように記憶しています。それまで2ビートのゆったりしたテンポだった漫才が、漫才ブームの頃から、4ビート、8ビート、16ビートとスピードを上げる方向で進んできたところに、ダウンタウンがいきなり2ビートの遅いテンポの漫才を繰り出した、というような内容でした。漫才の歴史・流れの中でダウンタウンの漫才を位置づけるとそうなるのかぁ、と思ったことがあります。
     もう一つそう言えば。X-JAPANのYOSHIKIがどこかのインタビューで、「昔、どこまで速くドラムが叩けるかやってみたことがあるんですが、スピードをどんどん上げていっても、一定のところを超えちゃったら音楽的に意味が無いことに気がついた」というようなことを言っていました。確かに、ずっとドラムが鳴り続けている状態というのは、もやはブザー押してるのと変わらないわけで、老荘の「無用の用」みたいな話だな、と笑っちゃったことがあります。野球のピッチングにしてもスポーツのフェイントにしても、結局は緩急、つまり"間"なんだよなぁ、と本書を読みながらあれこれ考えてしまいました。

     落語やテレビの話になると、著者の芸能論が全開になります。落語について「お辞儀のきれいな人に落語の下手な人はいない」というのは初耳(初読み?)だったんですが、説明されて納得。建築デザインの世界の言葉で「神は細部にやどる」というのがありますが、それと一緒。間の善し悪しというのはお辞儀一つにあらわれる、ということですね。
     テレビについては、「ひな壇芸人」についてのコメントが秀逸。そうか、よく考えてみれば、ひな壇芸人のプロトタイプって「たけし軍団」なのかも。

     昔と違って、現在の著者はあまりテレビで自論を展開したり語ったりすることがありません。どちらかというと出演番組の看板というかマスコットに近いポジションだったりします。
     で、こういう本で、自論をまとまった形で言う。それによってバランスを取っているんだ、と本書を読んで気がつきました。本書の内容とは全然関係ないですが、メディアの使い分けというヤツは思ってた以上に大事なのかも知れない…ということを考えさせられました。

     著者の語りを起こしたもの(のよう)なので、1時間もあれば読めるでしょう。
     が、個人的にはやはり著者の口調で脳内再生しながら読むのがベターだと思います。松村邦洋のモノマネで朗読させた音源を発売したら…売れないか(笑)

  • 読書録「間抜けの構造」3

    著者 ビートたけし
    出版 新潮社

    p56より引用
    “でもそれは当然ながら相方が同じ場合に限
    る。同じ相方とやってものになるまで十年は
    最低かかる。”


    目次から抜粋引用
    “間抜けなやつら
     "間"を制すもの、笑いを制す
     司会者の"間"を盗め
     いかに相手の"間"を外すか
     映画は"間"の芸術である”

     日本のお笑いの第一人者であり映画監督で
    もある著者による、世の中のあらゆる所で重
    要な間について記した一冊。
     漫才の間についてから人生の間についてま
    で、波乱に満ち満ちた著者の経験を元に書か
    れています。

     上記の引用は、漫才で笑いを取るコツにつ
    いて書かれた部分での一節。
    何かが上手くいかない時に、手段を変えるの
    もひとつの方法なのでしょうが、いきなり大
    きく土台の部分を変えてしまうというのは、
    大変なことなのかもしれませんね。
     ネットが普及して、今までつながることの
    無かった人とでも簡単につながってしまう時
    代だからこそ、相手との間をうまくとれるよ
    うにしたいものだと思いました。

    ーーーーー

  • 「空気を読む」現代人なんてチョット前まで流行りだったキーワードはこの本を読んでいると「間」だったのだろうなぁ〜と繋がったりする

    第一章では「間抜けなやつら」と間抜けを徹底的に羅列していくけれど間抜けにはどこか愛を感じる
    そこが著者の言うバカと間抜けの違いなのでしょう

    [漫才のリズム]では間と漫才について興味深い理論がある

    『漫才がおもしろいかどうかというのは、決して速さの問題じゃない。
    徒競走しているわけじゃないのだから、速ければ速いほどいい、なんてことはなくて、そもそも漫才は数値化なんてできない。
    やっぱり間をいかに制するか、ということなんだよね』

    最後の締めが一番伝えたいメッセージなのではと感じる

    『特に今の時代は、どんどん間がなくなっちゃってギスギスしている。
    本当は間があったほうが豊かになるのに。みんな履歴書に空欄をつくらないように、人生の間を必死で埋めようとしている。』

    いろいろな気付きを知らせてくれる一冊です

  • 会話、スポーツ、芸術、人の動くところ必ず「間」が存在する。ならば、間について学ぶことが、生きる上で非常に重要である。

    漫才、映画と間を非常に重視する世界で生きる、巨匠の言葉はとても胸に染みた。

  • たけしはやっぱり天才だった。
    間をテーマにこれだけ語れる人はいないだろう。
    漫才の間、映画の間、とても奥深い。

  • たけしさんが喋っているのをそのまんま文章にしたような
    軽妙な語り口がとても読みやすい。

    コミュニケーションにおける「間」について書かれているのかと思いきや、
    お笑いや映画などのエンタテインメントから人生における「間」についての
    考察だった。

    「間」というものを今までじっくり考えたことがなかったので
    この本を読みながら「ほうほう、なるほどー。」と思うことが多かった。
    特に映画の因数分解についての記述は自分には全く無い発想だったので
    印象的だった。

    お笑いや映画を観る時に、「間」という新たな視点を得られたと思う。

  • ビートたけしの「間抜けの構造」(新潮新書)を読んだ。「間」を扱っている本だけあって、テンポよく読めた。短いけれど、お勧めです。
    ツービートの名前の由来は、二人で既存のお笑いを「beat=打ち負かす」という意味でつけたらしい。確かに、若いときのツービートの漫才を見るとその革新的な雰囲気をみてとれる。
    http://www.youtube.com/watch?v=YLySR-7EuQM

    映画の間の論述も面白かったが、一番は7章の「間の功罪-日本人の間」の日本語についての考察。

    ◆間の英訳
    間にはいい英訳がないという。原義的には間隔=intervalなのだろうけれど、間がいいとか、間抜けとか、日本語には間を使った表現がとてもたくさんあるので、英訳でニュアンスがなかなか出せない。あえて英訳すると、次のような感じか。
    時間的なものでいえば、休止=pauseあたりか。time=拍子とかいう広い意味にも用いられる。間がいい=timely。
    空間的なものでいえば、空間=spaceあたりか。余地=roomも近い。
    やはり、ずいぶんと語源の違う英単語を使わざるをえない。

    ◆日本語の間
    「日本語というのは、強弱のアクセントがなくて高低のニュアンスだけ。ひとつひとつの言葉に強弱がないからリズムが生まれにくい。(中略)。じゃあどうやってリズムをつけるかというと、どこかで”間”を置いて区切るしかないわけ。それによって日本語のリズムは変わってくる。」(pp.148-149)
    これは目から鱗。以前、日本人のリーダーシップの欠如について日本語の特徴-主語の省略-から考察したことがあったが、リズムについては考えたことがなかった。
    http://kaz22.blogspot.jp/2010/06/blog-post_19.html

    次の英語喉の動画を見ると、英語との違いが分かりやすい。
    http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=74xJbULwBH0
    リズムがないというのは、(強弱=ストレスによる)音節がないということ。英語であれば一音節でほとんどの単語は識別することができる。漢字のみによって構成される中国語もピンインによって会話における単語の識別を容易にしている。しかし、日本語はそうはいかない。訓読みがキモで、文字ではなく単語レベルの高低を聞き取らないといけないし、それも同じなら前後の文脈からその単語の意味を判断する必要がある。これが文語であれば、意味をもつ漢字で補うこともできるが、弁論を求められる政治家や、落語の噺家などはそれもできない。特に落語家は象徴的で、古典落語なら話す内容が決まっているのだから、もう間が全て。

    そんなことを考えてみると、日本人が”和”を重んじると言われる理由の一つは、日本語自体が前後の文脈と切り離せないからではないかと思う。ハイコンテクスト文化ともしばしば言われるしね。なんでこんな言語になったのだろうか。自分が変化せずとも、四季があるので変化がつくからか。はたまた、島国だから、自給自足しぜるを得ず、まわりの環境の変化に敏感だからか。だから、日本人の美的な繊細さはこういうところから来ているのかもね。これは間の功。

    一方、ローコンテクスト文化のアメリカは移民を前提にした国家。だから出自が異なる人々が誤解なくコミュニケーションする必要が頻繁に起こる。英語が今の国際的な言語の地位を得たのは、20世紀の覇権国であるアメリカの創立期にイギリスが覇権国だったというのが大きい。だが、その他にも異なる人が誤解を生まないような工夫が2重にも3重にも言語体系に組み込まれているのからなのかもしれない。

    ◆間の罪
    たけし本には、間は... 続きを読む

  • ビートたけしのお笑い論。とにかく、タイトルにもある「間」を重点に語っていた。

    情報の高スピード化が年々高まり、それによりテレビもお笑いも間延びしないようワイワイガヤガヤすることが求められると。

    自身の半生記もになっていた。以下に間を埋めるかを考えていたか、生きている間とは何か。哲学も感じられた。

    全体的には面白く読めるよう、口語で書かれているので読みさすさは抜群。普段、エッセイは読まない人でも一度お試しになってみてはいかがでしょうか。

  • 昭和22年のお生まれ。学生運動のさなか明治大学を中退、死に方にこだわった結果、浅草芸人になる事を選ぶ。1950年代ウィリアム・バロウズ、アレン・ギンズバ-クに代表されるムーヴメント、ビート族に由来する名を冠したツー・ビートの名で漫才デビュー。立川談志などの後ろ盾も得ながら漫才ブームの波に乗る。

    以降は、俺たちひょうきん族や、元気が出るテレビなどヒット番組を飛ばす(私が知っている著者はこの辺から)も、1986年39歳にフライデー襲撃事件、事件後の謹慎期間を経て映画撮影に着手する。その後47歳にバイク事故。ガードレールに頭から突っ込んだため死んでもおかしくなかったと回顧している。映画撮影を続行し、キッズリターン、HANA-BIでヴェネチア映画祭グランプリを獲得。

    テレビの印象が強すぎて、美意識とそれを支える生い立ちを知らなかった。そんな感想を持ちました。

    本書そのものをしてそうですが、分かりやすい。コミュニケーションにとって如何に「間」が大事かということを表現しきった素晴らしい一冊だと思います。

    とかく説明的であれば良いと勘違いしている「間抜け」にならないよう自省することも多かったです。

  •  あらゆる物事に存在する“間”について論じた一冊。たけしさんらしいしゃべり口調で面白おかしいエピソードを交えながら、間が抜けた人間がいかに多いか、間が抜けているといかに面白くなる時と、台無しになる時があるかを論じている。さすが漫才と映画を作っている人間だけあり、間のことを知り尽くしている。
     テレビを見ていると、たけしさんのやっている馬鹿なことは正直苦笑いしかできず、何をやっているんだろうこの人は、と思ってしまうのだが、この本を読んで、そしてたけし映画を見てつくづく思う。
     この人は、自分の賢さを褒められるのが照れくさくて、ああいうことをしているんじゃないかなあ、と。

  • お笑い、テレビ、ラジオ、映画を知悉するたけしによる「間」論。「間」の定義に向かわず、膨大な「間抜け」の事例を示しながら、総体として「間」の全体像を浮かび上がらせようという試み。確かに「間」って何だと問われても、一言では言いづらい。正しいアプローチだと思う。たけし自身が「人生とは生と死の間なのだ」と書いているが、この本も一種の「間」なのだと思う。だからレビューで「何を言いたかったのかわからない」などと書いてしまうと、それこそたけしから「間抜けだねえ」といわれてしまうだろう。

  • 「間」に対する、たけしさんの見解。
    単なる、しゃべりや映画づくりにおける「間」に対する考えだけでなく、
    人生における「間」に対しての考察まで話は進んでいく。
    たけしさんの自伝のような本にも思える。

  • 新聞の書評にでていた。漫才の間、映画の間など、かれの世界の中にある間をとりあげるとともに、日本人に特有の「間」という感覚、茶の間、間合い、などを取り上げている。
    彼の「間」の感覚が漫才、テレビ番組、映画に生きているのだと感じた。

  • 口語体で読みやすい。
    面白く、サクッと読める。
    でも、結局よくわからない・・


    抜粋
    「生と死」というよくわからない始まりと終わりがあって、人生というのはその”間”でしかない。人間というのは、一生、”間”のことしかわからなくて、その”間”どうやって生じるか、というのはぜったににわからないようになっている。

  • たけしの喋りがそのまま文になっていて読みやすいです。タイトルに期待したほど深い内容ではなかったです。

  •  「間」からみた自伝ともいえる本です。漫才、落語、テレビ、スポーツ・芸術、映画の「間」についての考えを語りながら「間抜け」たちをこれだけ面白く語られているのをみると、筆者が本書の内容を語っている様子がありありと思い浮かびます。

     筆者は現代を「『間』を埋めようとしている時代」だと指摘しています。それは第一義には、時間の余白を少しでも削るという意味です。例えば人生の「間」を埋めようとすることです。

     そしてもう一つ興味深い指摘は、文脈の「間」、つまり解釈の余地もまた埋められているというのです。「(笑)」などとして笑いどころが明記されたテレビ番組のテロップ、材料からなにまでいちいち美味しさを説明した料理、解釈の余地をなくしてすべてを説明してしまう映画。この正反対を進み、「バカは分からなくていい。”間”をつくれば、あるレベルの人は考えるはずだ」という考え方には、映画監督北野武の考え方がよく表れていると思います。

     すべてを説明されないと分からない。考えようともしない。そんな「間抜け」たちを相手にもしない姿勢は、読んでいて痛快でもありました。

  •  ビートたけしが日本人特有の「間」について考察している。いつものたけし文体であっという間に読めるが、芸人としての実体験からわかるところとわからないところを明確に分けて書いているとことに好感を持った。

     ウケなかったときに「間」を修正しようとして修正できるところに才能があって、修正できないと表舞台から消えていくみたいな話がなるほどなぁって思った。
     売れる売れないは実力ではなくて、「運」と「間」だという。たしかに、その辺をマニュアル化できれば全員が全員売れてしまうわけで、この辺りはロジックでは攻め切れないんだろうなぁ。

  • ビートたけしといえば、我々の世代では比類なきお笑いのアイドル。漫談だけする芸能人はごまんといるが、お笑い番組の企画演出まで手掛ける芸人はたけしをおいて他にいない。元気が出るテレビ、スーパージョッキー、お笑いウルトラクイズ、平成教育委員会などヒット番組を量産した。天才たけしの名に恥じない活躍ぶりであった。映画の世界に進出したことについては、賛否両論あるが、自分は結構たけし映画を楽しんだ方だと思う。出演映画だけど、坂本龍一と戦場からのメリークリスマスに出たときはファンながら興奮したものだ。文中に出てくる間の悪い対応集は、たけしの昔ながらの持ちネタだよな。何べんとなく聞いてきた。ビートたけしは自分の青春時代そのものだ。読みながら昔を懐かしく思い出させてくれた。

  • ビートたけし周辺の「間抜け」な人間のエピソードから入り、漫才、スポーツ、映画などにおける「間」について語っている。
    あまり堅苦しい内容ではなく、語っているのを文字におこしたような文章なので読みやすい。
    内容も偏った物言いが少なく、バランスのいい考え方をしていると感じた。

  • さらっと。やっぱりたけし好きだって確認。

  • 北野武でなくてビートたけし名義。
    芸人論が軸としつつ、映画や芸術・アート全般のこと、
    そういったくくりをとっぱらって領域を気にしない視点が
    マルチな才能を持った人だってことを感じさせる。

    根が真面目でシャイで、魅力的で、唯一無二で強運の持ち主。

    なんかすごいなー

  • 「間に合う」「間が悪い」などというとき、通常、時間の流れが意識されていて、タイミングの良し悪しが問題とされていることが多い。
    本書でも、「間」をキーワードに、漫才にとっていかにスピード感が大切かといったテーマで、時間の流れをうまくつかむことの重要さが説かれていく。
    ところが、話題が展開するにつれて、「間」を巡る議論は、時間的な問題に留まらなくなる。相手との距離といった空間を捉える能力も、「間を制する」ためのの重要なファクターとして登場してくる。
    最終的には、人間関係一般も、あるいは人生そのものも「間」だということになって、議論は時空の枠を超えていく。まるで「色即是空」の仏教観を語っているようだ。
    やっぱり才能ある人の世界観は、一般人とは違うのだろう。

  • 前半の世間の間抜けな事柄を皮肉っているところは面白かった。
    芸人という感じがして笑えた。その辺を見て面白そうだったから買ってみたんだけど。
    中盤の芸人論や映画論はつまらなかった。芸人を目指しているわけじゃないので、興味がなかった。
    最後の間の部分は良かったね。典型的な、菊と刀でも指摘しているような日本人論だけど良かった。
    本人の過去などもあって。

  • 漫才、映画、スポーツ、人生、様々な“間”についてビートたけしの視点で書かれている。
    日本特有の空気を読むという感覚が間と深く関係する、これは正しくだと思う。変な間が空いたとき、精一杯間を埋めようとしているとき、察しろよという気持ちがあるのは間違いない。
    数秒単位から数年単位まで、間には様々ある。少し意識することで何かが変わるかもしれない。

  • ビートたけしが書く、日本人特有の感覚”間”について。
    色々なシーンに絡めて、とても読みやすい口語体の文調だが、内容はとても深い。普段なかなか意識しないものが浮き彫りになる感覚を覚えさせてくれる、名著だと思う。以下抜粋
    ------------------------------------
    ・人を笑わすということは一度でも「これだ」というものをつかむことができたやつは二回、三回とできるようになる。自転車に乗るのと同じで一度覚えたら段々上手になる。乗り方を忘れちゃったというやつはあまりいないだろ。笑いもそれと同じ。
    ・つまり、実践をやらないやつは一切ダメ。これは芸でもスポーツでもなんでも共通するところ。
    ・「私の言いたいことは2つあるんです」といっておいて、「一つ目は政府の見解には反対です」といっておいて「あ、こいつの話はすぐに終わるな」と思わせておいて「二つ目」に自分の言いたいことを長めに主張する。この人うまいな、と思う。
    ・アートというのは職人芸からの解放。それができるのが芸術家。ところが職人みたいのは、自らの職人芸でアートを封じ込めるという。その戦いというか、しのぎあいみたいのがあるんだよ。
    ・だからこそ人生というのは間だと思ったほうがいいんじゃないか。我々の人生は生まれてから死ぬまでの”間”でしかない。生まれたときの点と、死ぬときの点があって人生はその間のことに過ぎない。

全290件中 1 - 25件を表示

間抜けの構造 (新潮新書)に関連する談話室の質問

間抜けの構造 (新潮新書)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

間抜けの構造 (新潮新書)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

間抜けの構造 (新潮新書)を本棚に「積読」で登録しているひと

間抜けの構造 (新潮新書)の作品紹介

見渡せば世の中、間抜けな奴ばかり。どいつもこいつも、間が悪いったらありゃしない。"間"というものは厄介で、その正体は見えにくいし、コントロールするのも難しい。けれど、それを制した奴だけが、それぞれの世界で成功することができるんだよ-。芸人、映画監督として、これまでずっと"間"について考え格闘してきたビートたけしが、貴重な芸談に破天荒な人生論を交えて語る、この世で一番大事な"間"の話。

間抜けの構造 (新潮新書)のKindle版

ツイートする