- Amazon.co.jp ・本 (187ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106104909
作品紹介・あらすじ
見渡せば世の中、間抜けな奴ばかり。どいつもこいつも、間が悪いったらありゃしない。"間"というものは厄介で、その正体は見えにくいし、コントロールするのも難しい。けれど、それを制した奴だけが、それぞれの世界で成功することができるんだよ-。芸人、映画監督として、これまでずっと"間"について考え格闘してきたビートたけしが、貴重な芸談に破天荒な人生論を交えて語る、この世で一番大事な"間"の話。
感想・レビュー・書評
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やはり「映画の間」を論じた第六章が1番面白かった。
・映画も間で決まる。
・ひとつは「時間の流れ」としての間
1秒24コマのフィルムでできているが、編集で「2コマだけとる」ということをよくやる。この感覚は漫才をしているときと同じ。「あ、ここはだるいな」「オチが読まれているな」というときの0.02秒で切る感覚。
・ひとつは「空間的」な間
カメラの位置を決める。人によって個性がある。
・殺陣の間。斬られ役が主導権を握る。
・脚本の間
構成を因数分解して、説明を省く
XがABCDを殺す場合、
XA+XB+XC+XDとはやらない。Aを殺したならば、後はBCDの死体を置く。X(A+B +C +D)だ。そうなれば必然と説明も省けてシャープになる。
←確かに北野武の作品は大抵こうである。
・役者も演技で間をとる。
樹木希林なんて、「相手の芝居をつぶす演技」をする。熱演していると、それをはずす。「あんた、さっきからワーワー言っているけどさ」脚本通りでも間を変えるだけで、芝居の印象をガラッと変えることができる。デ・ニーロの二度見。アルパチーノの四度見。
・「おいらはギャング映画でも暴力映画でも、もうちょっと観ている方は考えた方がいいと思っている。考えさせるためには、余韻や映像の美しさが必要で、そうすると自然に『間』も決まってくる。観ている人を思考停止に陥らせるような映画をつくろうとは思っていない」
←やはり偶然では、世界に発信できる作品は作られないということだ。
←ただし、言っていることは正しくても、監督は作品によって評価されるのである。
内容紹介(Amazonより)
見渡せば世の中、間抜けな奴ばかり。どいつもこいつも、間が悪いったらありゃしない。〝間″というものは厄介で、その正体は見えにくいし、コントロールするのも難しい。けれど、それを制した奴だけが、それぞれの世界で成功することができるんだよ――。芸人、映画監督として、これまでずっと〝間″について考え格闘してきたビートたけしが、貴重な芸談に破天荒な人生論を交えて語る、この世で一番大事な〝間″の話。 ● すべての勝負事に必要なのは、相手の〝間″を外すこと ●成功の秘訣は、時代の〝間″をいかに読むか ●政治家はいつからこんな〝間抜け″ばかりになったのか ●〝間抜け″とは、自分を客観視できない奴のこと ●芸人にとって〝間″の良し悪しは、死活的に重要である ●漫才の〝間″をコントロールするのは? ●ディベートの上手い人は、呼吸の〝間″を読むのが上手い人 ●「言いたいこと」は、〝三つ″ではなく〝二つ″に絞る ●映画は、〝間″の芸術である ●説明ばかりで〝間″のない映画やドラマはつまらない ●〝間″とは何かを考えることは、日本人を考えることに通じる ●「〝間″がわかる」「空気が読める」には弊害もある ●あえて意図的に人生の〝間″をつくれ ●どうすれば〝運″や〝間″を味方につけることができるか ●我々の人生は、生きて死ぬまでの〝間″である詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
「間」をお題にした、著者の語り下ろし本。
冒頭の第一章では、間抜けについての具体的エピソードが目白押しで、著者の口調で再生しながら読んでいくと思わず笑ってしまいます。
が、章を追うにつれ、漫才論・落語論・スポーツ論・映画論へと発展。最後はビートたけしの人生論にまで至ります。
第二章の漫才論では、以前から著者が言っている漫才のスピード感について触れられていました。漫才に限ったことではないでしょうが、昔はもっと全体のテンポがゆったりしていました。それが時代を経るに連れて加速度的にテンポが上がり(スピードアップさせた一因が著者自身にある、と述懐されています)、今は早すぎて緩急がついていない状態が往々にして見られる、ということ。その間隙を突いたのがスリムクラブだ、というのには納得です。
そう言えば、以前松本人志との対談で、ダウンタウンの漫才についても同じようなことを言ってたように記憶しています。それまで2ビートのゆったりしたテンポだった漫才が、漫才ブームの頃から、4ビート、8ビート、16ビートとスピードを上げる方向で進んできたところに、ダウンタウンがいきなり2ビートの遅いテンポの漫才を繰り出した、というような内容でした。漫才の歴史・流れの中でダウンタウンの漫才を位置づけるとそうなるのかぁ、と思ったことがあります。
もう一つそう言えば。X-JAPANのYOSHIKIがどこかのインタビューで、「昔、どこまで速くドラムが叩けるかやってみたことがあるんですが、スピードをどんどん上げていっても、一定のところを超えちゃったら音楽的に意味が無いことに気がついた」というようなことを言っていました。確かに、ずっとドラムが鳴り続けている状態というのは、もやはブザー押してるのと変わらないわけで、老荘の「無用の用」みたいな話だな、と笑っちゃったことがあります。野球のピッチングにしてもスポーツのフェイントにしても、結局は緩急、つまり"間"なんだよなぁ、と本書を読みながらあれこれ考えてしまいました。
落語やテレビの話になると、著者の芸能論が全開になります。落語について「お辞儀のきれいな人に落語の下手な人はいない」というのは初耳(初読み?)だったんですが、説明されて納得。建築デザインの世界の言葉で「神は細部にやどる」というのがありますが、それと一緒。間の善し悪しというのはお辞儀一つにあらわれる、ということですね。
テレビについては、「ひな壇芸人」についてのコメントが秀逸。そうか、よく考えてみれば、ひな壇芸人のプロトタイプって「たけし軍団」なのかも。
昔と違って、現在の著者はあまりテレビで自論を展開したり語ったりすることがありません。どちらかというと出演番組の看板というかマスコットに近いポジションだったりします。
で、こういう本で、自論をまとまった形で言う。それによってバランスを取っているんだ、と本書を読んで気がつきました。本書の内容とは全然関係ないですが、メディアの使い分けというヤツは思ってた以上に大事なのかも知れない…ということを考えさせられました。
著者の語りを起こしたもの(のよう)なので、1時間もあれば読めるでしょう。
が、個人的にはやはり著者の口調で脳内再生しながら読むのがベターだと思います。松村邦洋のモノマネで朗読させた音源を発売したら…売れないか(笑) -
読書録「間抜けの構造」3
著者 ビートたけし
出版 新潮社
p56より引用
“でもそれは当然ながら相方が同じ場合に限
る。同じ相方とやってものになるまで十年は
最低かかる。”
目次から抜粋引用
“間抜けなやつら
"間"を制すもの、笑いを制す
司会者の"間"を盗め
いかに相手の"間"を外すか
映画は"間"の芸術である”
日本のお笑いの第一人者であり映画監督で
もある著者による、世の中のあらゆる所で重
要な間について記した一冊。
漫才の間についてから人生の間についてま
で、波乱に満ち満ちた著者の経験を元に書か
れています。
上記の引用は、漫才で笑いを取るコツにつ
いて書かれた部分での一節。
何かが上手くいかない時に、手段を変えるの
もひとつの方法なのでしょうが、いきなり大
きく土台の部分を変えてしまうというのは、
大変なことなのかもしれませんね。
ネットが普及して、今までつながることの
無かった人とでも簡単につながってしまう時
代だからこそ、相手との間をうまくとれるよ
うにしたいものだと思いました。
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「空気を読む」現代人なんてチョット前まで流行りだったキーワードはこの本を読んでいると「間」だったのだろうなぁ〜と繋がったりする
第一章では「間抜けなやつら」と間抜けを徹底的に羅列していくけれど間抜けにはどこか愛を感じる
そこが著者の言うバカと間抜けの違いなのでしょう
[漫才のリズム]では間と漫才について興味深い理論がある
『漫才がおもしろいかどうかというのは、決して速さの問題じゃない。
徒競走しているわけじゃないのだから、速ければ速いほどいい、なんてことはなくて、そもそも漫才は数値化なんてできない。
やっぱり間をいかに制するか、ということなんだよね』
最後の締めが一番伝えたいメッセージなのではと感じる
『特に今の時代は、どんどん間がなくなっちゃってギスギスしている。
本当は間があったほうが豊かになるのに。みんな履歴書に空欄をつくらないように、人生の間を必死で埋めようとしている。』
いろいろな気付きを知らせてくれる一冊です -
会話、スポーツ、芸術、人の動くところ必ず「間」が存在する。ならば、間について学ぶことが、生きる上で非常に重要である。
漫才、映画と間を非常に重視する世界で生きる、巨匠の言葉はとても胸に染みた。 -
たけしはやっぱり天才だった。
間をテーマにこれだけ語れる人はいないだろう。
漫才の間、映画の間、とても奥深い。 -
たけしさんが喋っているのをそのまんま文章にしたような
軽妙な語り口がとても読みやすい。
コミュニケーションにおける「間」について書かれているのかと思いきや、
お笑いや映画などのエンタテインメントから人生における「間」についての
考察だった。
「間」というものを今までじっくり考えたことがなかったので
この本を読みながら「ほうほう、なるほどー。」と思うことが多かった。
特に映画の因数分解についての記述は自分には全く無い発想だったので
印象的だった。
お笑いや映画を観る時に、「間」という新たな視点を得られたと思う。 -
ビートたけしのお笑い論。とにかく、タイトルにもある「間」を重点に語っていた。
情報の高スピード化が年々高まり、それによりテレビもお笑いも間延びしないようワイワイガヤガヤすることが求められると。
自身の半生記もになっていた。以下に間を埋めるかを考えていたか、生きている間とは何か。哲学も感じられた。
全体的には面白く読めるよう、口語で書かれているので読みさすさは抜群。普段、エッセイは読まない人でも一度お試しになってみてはいかがでしょうか。