ピカソは本当に偉いのか? (新潮新書 491)

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  • Amazon.co.jp ・本 (191ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106104916

作品紹介・あらすじ

「なぜ『あんな絵』に高い値段がつくのか?」「これって本当に『美しい』のか?」。ピカソの絵を目にして、そんな疑問がノド元まで出かかった人も少なくないだろう。その疑問を呑み込んでしまう必要はない。ピカソをめぐる素朴な疑問に答えれば、素人を煙に巻く「現代美術」の摩訶不思議なからくりもすっきりと読み解けるのだから-。ピカソの人と作品に「常識」の側から切り込んだ、まったく新しい芸術論。

感想・レビュー・書評

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  • ピカソの絵を見て思っていた疑問が分かりやすく論理的に書かれており学ぶことが多かった。

  • 著者は、版画家で多摩美大の教授である。『絵画の読み方』など、多数の本を出している。ピカソについて知りたかったので、読んだ。
    ピータードラッガーはいう「問題が解決できないのは、正しいに問いに間違った答えを出すからではなく、問違った問いに、正しい答えを出そうとするからである」
    この題名の作り方が、明らかに失敗している。「正しい問い」を作れなかった。ピカソが偉いのかどうかを問うても、ピカソに対する正しい答えを見出すことができない。
    「偉い」とは、①普通よりもすぐれている。②人間としてりっぱですぐれている。③偉大でである。
    ということなので、この3つ項目で、4人の愛人と2人の妻がいたことを著者は問題としていて、人間的に立派と言えないと断罪している。ピカソは、芸術において大きく変化を与えたので優れていると言える。このことから、題名の問いからみると偉いと言えないが、偉大ではある。
    さらに著者は、3つの問いをする。
    ①ピカソの絵は本当に美しいのか?どこがうまいのか?②どうして偉大な芸術とされるのか?③ピカソの絵にどうしてあれほどの高値がつくのか?
    相変わらず、設問のレベルが低い。この先生の視点の「常識」さに呆れてしまう。
    著者は言う『美術という「美しさ」を追求するはずの世界において、この「わからなさ」を特色とする画家に破格の評価が与えられる理由は、あまり説明されていない』とって、結局うまく説明できていない。『美術といえば、その名の通り「美しさ」というものの結晶ないしは高度な「技術」の結実したものである』絵を美術という言葉で限定することによって、狭窄視している。
    芸術の先生ではなく、美術の先生となって、「ピカソの絵は美しいとは言えない」と主張する。
    ふーむ。1907年の『アヴィニオンの娘たち』をどう評価するのか。ピカソが『青の時代』(1901−1904)『桃の時代』(1904~1907)から、『アヴィニオンの娘たち』を描いたのか?
    この絵が生まれたのは、文脈が重要だ。ピカソは、ギリシャ生まれのエル・グレコを尊敬しており、1614年の『第5の封印の扉』の構図に似ている。また、ポールセザンヌの1906年『水浴者』の構図にも似ている。また、その当時名声を浴びていたアンリマチスの1906年『生きる喜び』にも対抗している。『アヴィニオンの娘たち』は、バルセロナのアヴィニオン通りの娼婦の5人。左にエジプト人もしくは南アジアのような顔と衣装、真ん中の二人がスペインイベリア風の風貌、右の二人がアフリカの仮面をしている。プリミティズムであり、官能性とセクチュアリティーを持っている。ピカソは、『破壊の集積』と語っている。説得力のある野蛮な力で、独創的である。
    評論家のアドレ・サルモンは『アヴィニオンの娘たち』のことを 「爆弾のような衝撃」と言った。
    ピカソは絵画の伝統や常識を破壊した。この絵には、従来の常識である美しいということを目的としていない破壊性を持っている。また、『アヴィニオンの娘たち』の習作が600枚もあったという。ピカソのこの絵にかける執念もすごかった。
    イギリスの美術史家、『キュビズムのエポック』の著者ダグラス・クーパーはいう。
    「《アヴィニョンの娘たち》は、一般的に最初のキュビスムの絵と呼ばれている。これは誇張ですが、それはキュビスムへの主要な最初のステップだったが、それはまだキュビスムではない。この作品の破壊的で表現主義的な要素は、離散的で現実的な精神で世界を見ていたキュビスムの精神にさえ反しています。それにもかかわらず、この作品は、新しい絵画的形式の誕生を記録している。ピカソは暴力的に既成の慣習を覆し、その後に続くすべてのものは、この作品から派生したため、キュビスムの出発点として語るにおいて合理的な作品でもある」という評価をしている。
    さて、著者の美術という枠組みを破壊したもの、ルールを変えたものをルールで論じても仕方がないのである。
    また、高額という視点から見れば、ピカソの絵だけが高額ではないアートの世界が生まれている。
    ピカソの生涯作品数は、油絵で、13,000点、版画、素描、陶芸で130,000点。実に膨大な数に上る。
    1973年にピカソが91歳で死んだ時に、ピカソの手元にあったものが70,000点あったという。
    その時の遺産の評価総額が約7500億円 (その当時)。現在では、10倍以上の価値がある。
    1932年の「ヌード、観葉植物と胸像」は百号(160cmx130CM)で、100億円。1号あたり1億円。
    画商が誕生することで、絵は教会の飾り物ではなく、ビジネスとして成り立つようになり、画家によって価格が決まり、1900年頃には、アメリカの振興があり、絵画バブルの中に、印象派の絵やゴッホ、そしてピカソの絵が高額で取引されるようになった。
    ピカソは、「瞬時に人を魅了する力、大きくて黒い瞳を持つ魔術的な力」があった。ピカソは衝撃的な作品で世間の耳目を集め、声高にその芸術性を主張しながら、理論面と経済面で有力な援護者を探す。作品を展示することができるアトリエを持ち、そこで実験的、先鋭的だった作品を見せる。
    ピカソの絵は投機目的で買われた。ピカソの絵は「交換価値」が高い絵とされた。多くは貧乏な画家だったが、ピカソは若い時から絵が売れた。またピカソをほめる有名人も多かった。アトリエは、画商の隣のところにあった。
    ピカソは、絵を描くアーティストと絵を売るマーケッターの両方の才能をもち、カリスマ的存在となることで、ブランド化に成功したのだ。ゴッホは、マーケッターになるほどのコミュニケーション力がなかったと言っていい。ピカソは、「執拗に相手の嫉妬を喚起するような撹乱的な人間操作の名手」とも言われ、6人の女性を間を、渡り歩くことで活力を得ていた。愛した女さえも「芸の肥やし」とした。
    ピカソは、一生、そして毎日24時間、芸術に捧げた。

  •  多摩美の教授で版画家の著者による、一般向けの芸術論。
     タイトルどおりピカソの話が多いのだが、たんなるピカソ論でもピカソの評伝でもない(ただし、ピカソの生涯と業績が概観できるように書かれてはいる)。
     ピカソは現代美術の代表格としてクローズアップされているのであって、本書のメインテーマは“現代美術とそれ以前の美術では、どこがどう違うのか?”ということである。

     美術にくわしい人にとっては、本書の内容はあたりまえのことばかりかもしれない。が、門外漢の私には非常に新鮮で面白かった。

     ピカソの代表作『アヴィニョンの娘たち』について、著者は次のように言う。

    《画面には、学者が学会で新しい学説を発表する時のような気負いと先鋭性がみなぎっています。いわば、今後の絵画はいかにあるべきかという課題に対するピカソ理論の発表のようなものですから、学会論文と同じで素人に理解できないのは、むしろ当然でさえあったのです。
     おそらく、この時のピカソにとって素人の理解などは眼中になかったでしょう。画商や批評家といった専門家に対して、絵画の未来を担う「前衛」としてピカソ自身の立場を知らしめ、ゆくゆくは美術館に入ってしかるべき芸術の担い手としての認知を確立することのほうが、はるかに大切だったからです。》

    《印象派が「タッチ」つまりは筆触を強調することで、絵画を写実から解放したのに対して、後期印象派はこのタッチを各人が独自に工夫することで、個性の表明としての「スタイル」つまりは様式というものを確立したわけです。
     二十世紀絵画の特色は、このスタイルが「イズム」つまりは芸術的な主義主張として語られ、学会における学説論争のように画壇をにぎわせた点にあります。
     ピカソの『アヴィニョンの娘たち』を出発点としたキュビズムは、そうしたイズムの代表格で、後期印象派のセザンヌが確立したスタイルをさらに先鋭化して誕生したこのイズムによって、二十世紀絵画の方向は決定されることになりました。》

     なるほどなるほど。すこぶるわかりやすい。
     ピカソをフィルターにした平明な現代絵画入門として、門外漢ほど一読に値する好著。

  • いかにしてピカソが芸術家として富と名声を獲得したか。
    説得力があって面白かった。
    しかし、この本を読んで、ピカソの作品を「あんなヘタクソな絵が・・・」と思っている人も少なからずいることを知り、逆に驚いた。
    個人的にはピカソの卓越した造形能力を疑ったことが全くなかったからだ。
    しかし・・。
    ピカソという人は自分の描いたモチーフが何であれ親密な暖かい愛情関係を持つことはなかったかもしれない。
    ピカソは果して画家として幸せだったのかな?

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「ピカソは果して画家として」
      どうなんでしょうね?好きなように描いて生きたのだから、それ以上望むのは贅沢(心の中は判りませんが)。。。
      ...
      「ピカソは果して画家として」
      どうなんでしょうね?好きなように描いて生きたのだから、それ以上望むのは贅沢(心の中は判りませんが)。。。
      面白そうなので読んでみます。
      2014/05/28
    • mow168さん
      世間的には大成功した画家なので、全く余計なお世話なんですが。(笑)
      晩年の自画像が取り上げられていて、著者はショックを受けたそうですが、私...
      世間的には大成功した画家なので、全く余計なお世話なんですが。(笑)
      晩年の自画像が取り上げられていて、著者はショックを受けたそうですが、私も同じでした。
      2014/05/28
    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「私も同じでした。」
      この本、借りて読んでみなきゃ。。。
      「私も同じでした。」
      この本、借りて読んでみなきゃ。。。
      2014/07/22
  • 芸術家、美術大学教授の筆者が、誰もが思うであろう、ピカソの絵の法外な価格や、その芸術的評価の理由について、ピカソの天才性や、芸術というものの成り立ちなどの観点から教えてくれる。

    美術になど全く興味がない自分には、ピカソを始めとした現代芸術の絵というのに、100億という値が付くというのがまず驚き。
    そして、ピカソ自身生涯で14万点という作品を制作しており、総資産は7000億を超えるとか。
    まさに王。
    ピカソがそんな圧倒的な存在だとは、ちょっと想像を絶していた。

    現代の美術というものは実用性を徹底的に排し、絵そのものに絵を語らせることに主眼をおいており、革新的な理論を乗せた学者の論文のようなものだという。
    とすると、現代の美術というのは、多分に見る者を選ぶのだ。
    本書の最後の方で、その実用性を排した、作品を通した思想の探求に共感を得られるかどうかで、ピカソや現代芸術の個々人の価値が決まるのではという部分があった。
    自分は、物の背後に機能美や人の営みが感じられないと、楽しめない方だ。
    そこらにある、芸術的なオブジェ的なものに、根源的な違和感を感じる理由が分かった気がする。

  • 近代以降に生まれた絵画市場とその発展。
    ピカソの画才だけなく巧みな人心操作術と商才。双方が偶然合わさったとき画家に莫大な富(遺産7500億円!)と名声がもたらされた。ってな内容をピカソの人柄を紹介しつつ美術史も参考にコンパクトにまとめた良書。タイトルがちとダサいが、非常に有益で面白い本だった。

  • いわゆる「前衛」芸術を前にした時、何でこれが芸術?、という疑問を感じる人は多いのではないだろうか。

    このような疑問を抱く人の多さに対して、答えを見つけられる人はごく一部に限られていた。

    誰でもピカソのキュビズム絵画のような作品を前にして、こんなのが○億円!?、だとか、こんなのだったらうちの六歳の娘の方がずっとうまいよ、というようなやり取りを目にしたり耳にした事があると思う。

    本書を読めばこの答えが(もしくは自分が前衛芸術を前にした時に抱く疑問が芸術史においてどのように論じられて来たのか)が明らかになる。

    本書では芸術家の地位向上、絵画ビジネスの隆盛、「美」の解釈の変遷という三つのテーマを論じ、それらの現代における結節点としてピカソ芸術を取り上げている。

    それから多少芸術に興味がある人ならば知っているであろう、ピカソの女性問題についてもオマケとして言及している。

    ただ見るだけの物になぜこれだけ破格の値がつくのか?

    この問いに答えるためにルネッサンスからの芸術家の地位向上や、宗教改革による美の需要の変化などを追っての解説には、値段の裏にこんな歴史があったのか、と驚いた。

    果てにはアメリカ建国とその経済的発展の裏で働いた絵画の投機的側面など、この手の問題に関心のある読者なら快刀乱麻を断つようなスッキリした気持ちで読む事ができる。

    そしてそれらを巧みに操って成功したピカソは芸術だけでなく人心操作術の天才でもあった。

    そしてそのような人間関係における駆け引きの才覚と歴史的なタイミングが合わさってピカソの空前絶後の経済的成功が生まれた事がわかる。

    どうやらピカソほどの経済的成功に恵まれた芸術家は他にいないらしい。

    それ以前の芸術家は職人としての意味合いが強かったようだ。

    現在、我々が芸術家に対して抱く、気難しくてアトリエにこもって作品を作り、よくわからない作品をありがたがって億の値段で取り引きする、というイメージはどうもピカソが発端らしい。

    だが、それにも歴史的な意味があったということが本書を読んでわかった。

    また、芸術に対して素人が感じる疑問にこれほど正面から向き合った本も珍しい。

    次に行く美術展では値段の事なども頭の隅においてもっと素直に鑑賞できるようになるだろう。

    芸術におけるトリビアも満載で楽しく、それでいて長年の疑問にスッキリとした筋道を示してくれる一冊だった。

  • ピカソの落書きみたいな絵に対する素朴な疑問を解消しようとした本。

    誰もが思う、なんでピカソのあんなバカみたいな絵が評価されている? という疑問に対して、ピカソの生い立ち、人間関係の作り方や仕事のしかた、近代以降の「美術」の捉え方の歴史まで考察にいれ、あのような絵が、当時どういう状況下で、どう作られ、どう評価されていたのかをやさしく解説してくれています。

    自分にとっては、ピカソってなんだかぼんやりとした遠い世界のことでよくわからないんだけど、美術書とかでやたら大きく扱われているのでまあ、偉いんだろうな、みたいになんとなく考えていたのですが、西洋美術のなにやら歪んだ世界をちらっと知ることができて、ほんの少しアタマが整理できました。
    画集などにありがちな、美術史や思想や生い立ちをちょこっと述べただけのものや評論家が勝手な感想を述べただけのものとは違って、美術で生きることの泥臭さを知ることができ、等身大のピカソの人物像をかいま見られた感じです。

    あとがきで少々触れられていますが、基本的に著者が西洋現代美術を批判的な目でみているふしがあり、そのことで読んでいて面白さがなお増しているようにも思えます。
    図版が少なく印刷も白黒で見づらいのが不満といえば不満ではありますが。おもしろかったです。

  • 写実主義から、前衛主義へ。 作品の風潮と、その背景として、アメリカの経済発展と同調した取り巻く絵画市場環境の増大。 この波はもはや現代に再来せず、それに最大限乗ったピカソと同調の存在もまた不出世のもの。

    「女は苦しむ機械だ」と公言し、その激しい感情の力さえも、破壊的な芸術性に変えて描き続けた、まさに怪物。

    しかし、自画像として、死期が近い中で自ら描いたその暗澹たる表情は、生涯で手にした成功と同等、それ以上の闇を感じてならない。

    まさしく、ピカソ本人、作品、評価された背景が網羅的に読み取れた一冊。

    ニューヨークに、MOMAに行く前に読んで置きたかった。

  • 「どこがすごいの?」、「なんであんなに高い値段で?」という素朴な疑問に答えてくれる一冊。
    純粋なその技術の高さ以外に、その絵を受け入れる時代背景やピカソの戦略のうまさなど、複合的な要因をひとつづつ書かれていて納得。
    しかし芸術ってムズカシイ(^^;

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著者プロフィール

多摩美術大学名誉教授・版画家

1952年生まれ。柳宗悦門下の版画家森義利に入門、徒弟制にて民芸手法の型絵染を修得、現代版画手法としての合羽刷として確立。日本版画協会展、国展で受賞(1977・78)、リュブリアナ国際版画ビエンナーレ五十周年展(2006)に招待出品。作品が雑誌「遊」(工作舎)に起用されたことを機に編集・デザインに活動の幅を拡げ、ジャパネスクというコンセプトを提唱。1992年国連地球サミット関連出版にロバート・ラウシェンバーグらと参画、2005年愛知万博企画委員。著書『絵画の読み方』(JICC)、『二時間のモナ・リザ』(河出書房新社)等で、今日の名画解読型の美術コンテンツの先鞭をつけ、「日曜美術館」等、美術番組の監修を多く手がける。著書多数、全集「名画への旅」、「アート・ジャパネスク」(共に講談社)を企画、共著にシリーズ「公共哲学」(東京大学出版会)がある。

「2024年 『柳宗悦の視線革命』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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