人間はいろいろな問題についてどう考えていけば良いのか (新潮新書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106105104

作品紹介・あらすじ

熟考したつもりでも、私たちは思い込みや常識など具体的な事柄に囚われている。問題に直面した際、本当に必要なのは「抽象的思考」なのに―。

累計一千三百万部を超える人気作家が「考えるヒント」を大公開。明日をより楽しく、より自由にする「抽象的思考」を養うには?一生つかえる思考の秘訣が詰まった画期的提言。

感想・レビュー・書評

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  • 先般、「意識・無意識」に関する本を読んだ際に、「意識」というのは非常に「思い込み」や「決めつけ」が多く、主観的になってしまいがちな性質があるということを知った。意識が働くと、「ああではないか」「こうではないか」と勝手な想像を巡らしがちだというのである。

    多分それと関係するのかもしれないが、著者は「世間一般の人たちの考え方は、極めて主観的であり、大多数は具体的である」と言い、しかも「その考えがスタンダードであると思い込んでいる」ところを非常に憂いている。

    「主観的で具体的」というのは、「自分はコレ」という考ええであり、簡単に言えば「決めつけ」である。しかもそれを標準と考えるのだから「狭いものの見方」となり、ときには感情的になりがちだというのである。

    そこで、著者は「いろいろな問題についてどう考えていけば良いのか」という命題を立て、その答えとして「客観的で抽象的に考えよ」と提案している。もちろん決めつけているわけではなく、どうでしょうかと読者に問うている。

    例えば「原発の問題」「領土問題」などを例に出して、「主観的で具体的」な意見どうしを戦わせていても、議論が進まないのであり、それを「客観的で抽象的」に発想を変えてみれば、議論の幅が拡大していくのではないかというようなことを述べている。この議論の幅(=発想を広げること)の大切さを特に強調していると思う。

    事件のニュース報道で「バールのようなもので壊された」というような表現がされるが、これが「バールで」と表現する場合(具体的)と、「バールのようなもので」と表現する場合(抽象的)では、断然後者のほうが発想が広がるのであり、つまりは具体的より抽象的なほうが発想が広がるというこの説明は分かりやすかった。

    本書のエキスはおそらくコレである。抽象化のメリットとして、「適用範囲が広がる」とか「類似したものが連想しやすくなる」などをあげていたが、これはすなわち「考えの選択肢が広がる」とか「より適切な解決が得られる可能性が広がる」ということにつながってくる。

    現在の情報社会で、我々は一見豊富な情報に恵まれているように感じるが、それらの情報の多くは、主観的で具体的な「決めつけ」情報である場合が多い。マスコミ情報も同様である。

    昔の取材は、記者が自ら記事を取りに行っていたが、今はすべての記者が同じ場所に集められて、提供側から出される一方的な情報をメモしているだけで、その報道を受けている我々も「主観的で具体的な決めつけ」を鵜呑みにしているだけ、というような趣旨の話が書かれていたが、これにはハッとさせられた。

    社会がそういうスタイルになっているだけでなく、現代人そのものがネット情報を鵜呑みにするというような生活スタイルとなってしまっており、「客観的で抽象的」に考える力が退化しているというような指摘もあったと思う。

    著者は、作家以前は、工学系の准教授として研究者の経歴をもっており、その時代の習慣はひたすら「客観的で抽象的」に考えることであったから、自分の中にその習慣が定着しているという。それもそうだろうが、そういう経歴以前に、著者自身がすでに自由度の高い発想の人であったように思える。

    著者の話を聞いているだけで(読んでいるだけで)、非常に発想の幅が広がり、生き方の自由度が広がって、人生が楽しくなるように感じられるのは確かである。

    著者には、ガーデニングというライフワークがあるようだが、「抽象的思考の場は、まさに自分の庭のようなものだ」と述べている。「それぞれが自分の庭という思考空間を頭の中に既に持っているのである。そこは、基本的に他者に邪魔されることなく、自分が思い描くとおりに整備することできる。」だそうである。

  • じぶんがよく分からなくなったら立ち戻れる本。非常にスッと言葉が入ってくる。「知る」≠「考える」

    具体的なもの に触れ続けると疲れてしまう気がするのは、そこに、受け取る側であるこちらの想像したり思考したりする幅、余白が感じられないからなのかもなぁ。

    あとがき、にまでこの方の性格?が表れていて面白い。

  • ミステリー作家(引退?)の森博嗣の書。
    考え方のハウツー本ではなく、『もうちょっと考えてみよう』と勧めるだけの本なのだが、・・・さすが森博嗣っ!森博嗣ならではの言い回しが心地よかった。

    著者としてはタイトルに『抽象思考の庭』を考えられていたとのことが「あとがき」に書かれている。
    この本では、具体的に考えることからはなれて、抽象的な思考をすることの大切さが述べられている。
    ただし、抽象的思考は、論理的思考や具体的行動とセットにならなければ問題を解決をできないのだけれど、この三つのうち抽象的思考のみが手法が存在しないため教えること、学ぶこと、伝えることが難しいと述べておられる。

    なんでもかんでも具体的に考え、具体的な情報に触れることに価値が置かれるように思われるけども、そこから離れて抽象的に考える勇気も必要だと思った。なによりも、面白いかもしれない。

    後半、森博嗣が、趣味の庭いじりから得られた発想について述べられている点が面白かった。

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    内容(amazonより)
    熟考したつもりでも、私たちは思い込みや常識など具体的な事柄に囚われている。問題に直面した際、本当に必要なのは「抽象的思考」なのに―。「疑問を閃きに変えるには」「“知る”という危険」「決めつけない賢さ」「自分自身の育て方」等々、累計一千三百万部を超える人気作家が「考えるヒント」を大公開。明日をより楽しく、より自由にする「抽象的思考」を養うには?一生つかえる思考の秘訣が詰まった画期的提言。
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    第1章 「具体」から「抽象」へ
    アイデアはどこから来るのか / 「見えるもの」が既に偏っている

    第2章 人間関係を抽象的に捉える
    決めつけてはいけない / 奥深い人、浅はかな人 / 「友達」を抽象的に考える

    第3章 抽象的な考え方を育てるには
    なにが「発想」を邪魔しているか / 普通のことを疑う / 自分でも創作してみる

    第4章 抽象的に生きる楽しさ
    「方法」に縋らない / なにもかも虚しい? / 自由のために働く

    第5章 考える「庭」を作る
    自分で自分を育てるしかない / 「知ること」に伴う危険 / 「決めない」という賢さ

    (「目次」より抜粋)
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  • 疑う、考える。決める・決めないことを見極める。ぼんやりしていてもいい。方法にとらわれて目標を見失いがち。決めつけず、柔軟かつ冷静に。

  • タイトルが大変にかっこ悪いけれど、コンテンツは流石です。「抽象思考の庭」の方が断然鋭いのに。

    昔はもっと過激だったような、丸くなったような印象を受けます。
    もやもやっとしたところもあるけれど、もやもやっとしたまま受け取っておけば良いのだろう。

    視点、立ち位置、スタイルみたいなものを、「このへん」に持っていくともうちょっと世界は平和になるんじゃないかな、という話。

    目先の具体的なもの、特に数字の類に追われてる人をよく目にするので(ホントに多すぎ)気をつけよう。

    三年後にもう一回読む。

  • 要するに「物事を抽象する」という技術について語っているのだと思うけれど、さすがはアカデミックな世界で研究、そして教育に長年たずさわっていただけあって一般の、いわゆる市民生活とは若干乖離している象牙の塔からの物言い的なものもやや感じるわけですけれど、その思想の中に人間が幸せに生きていく上で必要な物事を示唆していると思った。

  • 【動機】森博嗣なので。タイトルがアレなので。
    【内容】抽象化おじさん。
    【感想】下品なまえがきに書かれている「客観」という言葉の使い方が自分の感覚とズレていて本の余白をハテナで埋め尽くしたくなったけれど、見下しながら我慢して読んでいるとだんだんハテナも溶けていって、らしい浮遊感を味わえた。そしてどちらかというとこっち(抽象)側である自分にとって、鋭い戒めの言葉も得られた。

  • 頭の庭いじり 好きな表現だなと思った。

    普段小説しか読まない私。
    抽象的だの客観的だのそう言ったワードに対してなんの興味もなかった。

    物事の本質とか、自己を見つめるとか、
    そんなの高校の倫理の授業で聞いたきり。

    この本を勧められたとき、なんか難しそうな本だなぁって思った。

    ところが、とても読みやすい文章。たとえもわかりやすかった。頭がまだまだ具体的思考なので、作者の問いかけに対する答えが欲しかったり、ぼんやりとした話にモヤモヤもするけど、読んで損はなかった。

  • 印象に残ったキーワード・キーフレーズ
    1. 漠然と庭をいじっていて「あっ、ここいいな」と思う瞬間が見つかった
    目的が漠然としていても思考をこねくり回すことで良いものを発見する(アイデアを思いつく、目的に対する具体的な手段が見つかる)瞬間がある。重要なのは「こねくり回す」の部分。

    2. 他者を抽象化してもいいが、自分が他者をどう抽象化しているかは他の人に言わない方が良い
    はい。

    3. 文系の人は理系の人より論理的だと思う
    学校の勉強で論理でなく「発想」が必要になることがあるのは数学だけである。発想があるとすぐ解けるような問題は「エレガントな問題」と呼ばれるが、エレガントな問題は二度と同じような問題を出せないので滅多に出題されない、という記載が面白かった。
    私も理系の人が論理的だとはあまり思わない。法則から推測しているという点では文系も理系も変わらないし、研究職をやっていると「どの法則に則った答えが正しいのかが分からないまま推測(思い込み、賭け?)で研究している」という点などは確かに理系の方が論理的の度合いが低いような気もする。

  • 抽象的に物事を捉えることの有用性と、方法論。
    最初から最後まで雲をつかむような、漠然とした概念論が続く。

    ベースにあるのは著者の「こだわらない生き方」という考え方だろうが、自分が達成したい目標の本質や核を見極めて、それを目指す必要性を論じてた。

    答えやハウツーが溢れかえっている、と言うのは全くそのとおりだと思う。
    もちろんそれは悪いことではないし、それによって助かる人も多い。
    でも時折、その答えに至る道筋を自分なりに考えてみるのも悪くないとおもった。

    終章の「頭のなかの思考の庭」を手入れしていこう、という発想は情景が想像できてクスリとさせられた。

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著者プロフィール

工学博士。1996年『すべてがFになる』で第1回メフィスト賞を受賞しデビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、エッセィ、新書も多数刊行。

「2023年 『馬鹿と嘘の弓 Fool Lie Bow』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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