「自分」の壁 (新潮新書)

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著者 : 養老孟司
  • 新潮社 (2014年6月13日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106105760

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「自分」の壁 (新潮新書)の感想・レビュー・書評

  • 「バカの壁」は面白かったけど、だんだん(どんどん?)色褪せていく壁シリーズ。これでもう壁シリーズはもう読まない。けっこう満腹かもしれないです。

    面白いところと興味ないところの濃淡の差があり過ぎて…。口述筆記やめようよ…とか思っちゃう。

    けど先日テレビで拝見した養老さんの標本フェチっぷりには舌を巻いた。壁一面の標本収納。ああ、あれが本棚だったら…と。仕事が(嫌いでも)出来て趣味にあれだけ没頭出来たら、ある意味尊敬するかも。

  • 養老先生の壁シリーズ?の4作目。
    自分、個人、自己というものの捕らえ方について、養老さんの考え方が述べられている。

    人間は一人で生きているわけではない。
    (様々な菌、ウィルスと共生している。人間のDNAの3割は外部ウィルスのものということがわかってきている。ミトコンドリアも外部ウィルスの可能性だってある。)

    自分がどの程度まで飲み込める(背負い込める)のかは、さまざまな人とつきあうことで分かってくる。
    そうやって自分で育ててきた感覚のことを「自信」という。

  • 養老孟司の本を読むと毎度偏屈ジジイだなと思いますが、やはり学ぶことが多いです。
    西洋文化の流入により、日本古来の日本文化のあり方というのが乱され始め、社会的な問題も増えてくる。
    前々から感じてはおりましたが、もはや止めようのない問題とも感じます。
    最近の若者の政治活動がしっくりこない理由も少しわかった気がします。
    「絶対的反対と絶対的賛成の闘いという構図では、本当に生産的な議論はできない」という話はなるほど!と思いました。

  • 蝶々という生物がいる。
    幼虫から成虫へと変態する生物だ。
    幼虫は地べたを這いずり、成虫は空を飛ぶ。
    昔、幼虫と成虫は別々の生物だったが、地べたを這いずる幼虫は栄養を蓄えるのに適していて、空を飛び回る成虫は後輩相手を見つけるのに適していた。
    この二つの生物はそれぞれの利点を生かすために一つの生物になったのだ……。
    そんなバカな!
    でも、意外に現実味があるんだなこれが。
    だって、人間の遺伝子の30%はウィルスなんだぜ……。
    そんな感じの自分の壁。自分って何なの? それは他者と関係から生まれるものさ。

  • 時代は変わっても綿々と受け継がれる国民性とか、人としての本能とかそういうものがあり、「個」が強い風潮はそれに抵抗しているような感じで、苦しい。自分に対する考え方では、養老さんに共感する部分があり、楽になれた。

  • ●自分よりも他人を知った方がいい
    戦後、日本人は「自分」を重要視する傾向が強くなりました。これは欧米からの影響によるところが大きいでしょう。その結果、個々人の「個性」「独創性」が大切だとさんざん言われるようになったのです。教育現場ではもちろんのこと、職場などでも「個性の発揮」を求める風潮が強くあります。そんあものがどれだけ大切なのかは疑わしい。
     もちろん、特徴や長所があるのはいいことです。誰もがロボットのようになるべきだと言いたいわけでもありません。しかし、そのような個性は、別に「発揮せよ」と言われなくても自然と身についているものなのです。周囲がお膳立てをして発揮させたり、伸ばしたりするたぐいのものではありません。むしろ周囲が押さえつけにかかっても、それでもその人に残っているものこそが個性なのです。個性は放っておいても誰にでもあります。だから、この世の中で生きていくうえで大切なのは、「人といかに違うか」ではなくて、人と同じところを探すことです。

    ●理想像を持ったことがない
    いつも周囲をみて、周りが一番納まるところに身を置くようにしていました。「もっと積極的になりなさい」と若いころはよく言われたものです。しかし、いくら自分にしたいことがあっても、ものごとは周囲との関係によって決まる。そういうものだと思っていました。

    ●「自分」は矢印に過ぎない
    生物学的な「自分」とは、「現在位置の矢印」ではないか、と私は考えています。「自分」「自己」「自我」「自意識」等々、言葉でいうと、ずいぶん大層な感じになりますが、それは結局のところ、「今自分はどこにいるのかを示す矢印」くらいのものに過ぎないのではないか。

    ●意識外を意識せよ。
    「我を消す」といっても、「一億玉砕」「特攻」を推奨するつもりは、まったくありません。意識は一つになりやすいから、みんなでおかしな方向に一致して暴走することもあります。それを唯一止める方法は、意識を疑うことです。決して今の自分の考え、意識は絶対的なものではない。その視点を常に持っておくことです。「自分の意識では処理しきれないものが、この世には山ほどある」そのことを体感しておく必要があります。常に「意識外」のものを意識しなくてはならない。とても矛盾した物言いに感じられるかもしれません。別の言い方をすれば、「意識はどの程度信用できるものなのか」という疑いを常にもっておいたほうがいい、ということです。

    ●自信を育てるのは自分
    目の前に問題が発生し、何らかの壁に当たってしまったときに、そこから逃げてしまうほうが、効率的に思えるかもしれません。実際に、そのときのことだけを考えれば、そのほうが「得」のようにも見えます。ところが、そうやって回避しても、結局はまたその手の問題にぶつかって、立ち往生してしまうものなのです。大学紛争のときのことを思い出すと、それがよくわかります。あのとき、正面から問題にぶつかった人の、その後を見ると悪くないのです。いっときは、かなりの面倒やストレスを背負いこんでしまうから、損をしているように思えても、後々それが活きています。一方で、要領よく立ち回った人は、意外とうまくいっていない。社会で起こっている問題から逃げると、同じような問題にぶつかったときに対処できないからです。「こういうときは、こうすればいい」という常識が身につかないのです。ことは社会的な問題に限りません。社会的な問題から逃げきっても、それと似たような構造の問題を家庭内に抱えてしまうこともあります。そのときに逃げる癖のついた人は、上手に対処ができない。だから結局は、逃げきれないのです。
     「自分は何も悪くないのに、厄介ごとが次々に襲ってくる」と本人は思っていても、周りを見れば、その人自身が厄介ごとを招いている、ということもあ... 続きを読む

  • 読み進むにつれ、意欲ややる気を少し削がれる。
    自分では抗えない外的内的要因には、どうしようもない。

    が、一貫しているのは『向き合う』ということ。
    逃げずに、真っ直ぐに。

    自分であるための自信。
    選択は常に難しい方を選ぶ。
    簡単な人生で楽しいのか?
    自信はつくのか?
    それで、自分は自分を見つけられるのか。

  • 「バカの壁」に続く養老さんシリーズ。
    今回は「自分」というテーマに関し、著者の考え方について書かれている。
    前回のシリーズと同じく、1つの結論に対してすべてが書かれている本ではないので色々な話が出てくるが、著者の視点が独特であるため「新たな視点」が得られるという点では面白い本だと思う。

    ・「自分」は矢印に過ぎない
    →今のところ、自分の中ではあまり理解しきれていない。今後の感じ方が変わる日が来るか?

    ★意識は自分をえこひいきする
    →脳によって「自分」、「それ以外」を区別している
    <例>
    口の中にある唾 と 外に出した唾
    体内の便 と 体外の便
    生首や切り落とされた腕

    ・「思想の自由」は日本特有のもの。内と外がという感覚が日本人特有。
    →インターネットの70%は日本語(人口比は2%)

    ・誰かが感情的な批判をするときはどこかに「嘘」が存在している

    ・自殺の要因は以下3つ

    1 本人
    2 社会的要因 (いじめ等)
    3 意識できない社会的要因(GDP高→自殺率高 貧富の差が拡大するため)

    ★「世間」は「自分」より先。自分ではどうもできない事が多いと考えた方がラク
    →「いじめ」は無くならない。基本的には逃げる方が得策。

    ・老後は子供の世話になれば良い。
    「世話にならない」という姿勢は逆に、自分の親の世話をしないの裏返し。
    「共同体」であるという感覚こそが正しい
    <所感>
    現在の感覚ではイマイチ腑に落ちない

    ・不信はコストが高く付く
    →信じていない場合、すべてを確かめる必要がある
    ※口約束 → 書類での約束

    ★昔より「共同体感覚」が薄れている社会になってきている
    <例>
    特攻隊は「自分」は「自分だけのもの」ではなく、「親、家族、村、国etc」のものという感覚があったからこその行為

    ・日本 → 全体主義
     西洋 → 個人主義

    ・夏目漱石は海外で個人主義を学んだが、晩年は「私なんかいない」という考え方に達した

    自分に入ってくる情報をどこかで制限しないと、仕事は進まない
    <例>論文作成等

    ・「何が問題なのか?」から考える仕事の方が難易度が高い

    ★他人と関わり、面倒を背負い込める状況を楽しめるなら相当なもの。
    迷い、挑戦し失敗を繰り返し、自分で育ててきた感覚を「自信」という

  • 葉月は、蛹の家に勝手に上がり込むと、居間のテーブルの上に無造作に置いてあった本を手に取った。
    「……『自分の壁』っていうか、『自分が壁』って感じですよね」
    「……それじゃあ、安部公房だよ」
    蛹は、庭先で煙草を吸っていた。どこからか拾ってきた一斗缶を、灰皿の代わりにしている。縁側のガラス戸が開いていて、メンソール煙草の匂いが部屋の中まで微かに入ってきていた。

    葉月はとりあえずキッチンに入り、旧式のコーヒーメーカーをセットした。お湯が沸くまでに時間がかかるタイプだ。コーヒーが出来るまで、居間のソファで待つことにして、先ほどの本をぱらぱらとめくり始める。
    「あまりに強固な『自分』を作り上げてしまうと、そこからうまく外に繋がれなくなる、という話でしょうか」
    「多分ね。もちろん、自分は自分だ。他者との境界がないわけじゃない。けれども、他と明確に切り離され、独立して存在するものでもない。それは生物学的に見れば当たり前だけど、それはそれとして、自分を唯一無二で、不可侵で、尊いものだと思いたがる傾向はあるのかもね」
    「個性とみせかけてみんな同じ、っていうアレかもしれないですね。でも、前から思っていましたけど、だからといってシロアリも人間も対等だという考え方の人って、意外と少数派かもしれませんよ」
    「そうかなあ。じゃあみんな、ソーセージは下等生物の死体だと思って食べてるの?」
    「いや、ソーセージはソーセージだと思って食べてますけど」
    「それ、意味が分からないよ」
    首をかしげながら、蛹はゆっくりと煙を吸い、吐き出した。
    「ところで話を戻すんだけど」
    と、蛹は言う。
    「俺は原発がどうなろうと正直どうでもいいんだけどさ、でも、この本の中の原発に言及した部分は、とてもまともだと思う」
    「政治の話なんて、珍しいですね。他人をまともだと表現することも珍しいですし」
    「政治の話じゃなくて、科学の話だよ。これにも書いてあるだろ。政治の話にすると、すぐ脱原発か、再稼働か、みたいな話になる。どうするのが安全か、という議論ができなくなるし、実際、今から原子力技術者を目指したいと思う若い人がどれだけいるのかって話。要はめんどくさい」
    「まあ、止めても動かしても、この先、原子力とは途方もなく長い付き合いになるわけですからね……って、最後に本音出ましたね?」
    「うん。政治的に言えば、全部今さらなんだよ。だから科学の話をしないといけない」
    「自分はどう思うか、どうしたいか、じゃなくて、どうするか、ってことでしょうか。結局、手の届く範囲の外にあることは、口ではどう言おうと、頭でどう考えようと、自分と関係の無い他人事ですし」
    「そういうことかもしれない。俺みたいな人間からすると、絆とか相互理解とか、正直鬱陶しいんだけどね。でも、言っていることはもっともだと思う。まあ、鬱陶しいんだけどさ、ものすごく」
    そのとき、コーヒーメーカーが小さく電子音を発して、コーヒーが出来たことを知らせた。
    「……何度も言わなくても、分かってますって」
    葉月は立ち上がり、コーヒーを淹れるためにキッチンに入っていった。

  • 養老先生の本は何冊か読んでおり、基本的に養老先生のファンなのだが、今まで読んだ本の中ではこの本がいちばんおもしろくなかった…。
    とても共感したり納得できる部分はもちろんあるのだけれど、一方で、違うんじゃないかなあと思ったり、矛盾してないかなあって思う箇所が、今まで読んだほかの本に比べて多かった。話があちこちにとんでる感じがしたし。
    まあ、何冊も読んでればこんなこともあるよね。

  • 自分の意識がいかに頼りないか。を強く感じざるを得ないのがよく分かった。
    とにかく「現実を見る」為に」「経験をする」ことにしか「真理」はないのだと思いました。

  •  世間、社会は自分よりも先にできあがっていて、世の中の約束事はすでに決まっている。そこにあとから入ってきた者は、どういう振る舞いをすべきなのか。幼い頃、若い頃は特に、そこがずっとわからないでいました。これは私にとって、ずっと考えざるをえないテーマでした。(p.80)

     気がかりだったのは、誰かを糾弾する風潮が強くなることでした。これまでにかかわってきた人を吊るし上げていくと、彼らは正直に物を言わなくなる。そのうえ、これからその世界に進もうという人材が減ってしまう。(p.87)

     親孝行は、子どもに対して「お前はお前だけのものじゃないよ」ということを実は教えていたのです。
     特攻隊の生き残りの人たちに、なぜあんなことをしようとしたのか、話を聞くとみな同じことを答えます。親、家族、故郷の人たち、村や国、つまり共同体のためだ、と。
     そうした考え方を戦後は徹底的に否定しました。その結果、自分の人生は自分のためにある、という考え方が暗黙の前提とされました。その延長線上に、個性の尊重、自分らしさや「自己実現」といった考え方があるのでしょう。(pp.167-168)

     当たり前のことで、解剖の場合でいえば、すべては目の前にある現物の体を見るところからしか始まらない。それを自分がどう見るかであって、極端にいえば、他人がどう見るかは問題ではない。ある程度、唯我独尊でいいのです。
     もちろん、最低限おさえておかなくてはいけない知識というものはあります。しかし、世界中の研究者の成果を全部おさえようとしたら、それだけで時間がなくなる。別に論文を書く必要がない人でも、なにかを調べる時にネットで検索して、出てきた情報を全部見たらたいへんなことになる、というのはすぐにわかることでしょう。つまり、自分に入ってくる情報をどこかで制限しなければ、仕事は進まないのです。(pp.206-207)

  • 養老孟司さん曰く、日本人は欧米人に比べると、世間の中で「自分」を出さずに従っているけど、その分、頭の中の自由度は相当なものなんだって。

    「頭の中が好き勝手なんて、そんなの当たり前じゃないの?」って思うかも知れないけど、案外そうでもないらしい。思想の自由に枠をはめているもの、それは宗教。実際、C.W.ニコルさんが日本にきて一番良かったことは「宗教からの自由があること」だそうです。

    ネット上で匿名の手当たり次第の放言が飛び交っているのも、そんなところにあるのかな。

  • ここ何年かの日本の社会が抱える病理や危うげな諸要素に関する冷静な分析。第9章の「あふれる情報に左右されないために」は現時点でも十分参考になると感じた。

    私は自分を基本的に個人主義者だと思っているので、養老氏の考えには賛成できないところもあったが、自分の考えを突き詰めると第2章の「本当の自分は最後に残る」で述べられている概念に近いものになるのかな、という感想を持った。

  • 脳が全てを理解できない、というのは繰り返し読んできたが、やはり共感。仏教とも繋がる思想。

    あとは自分と世間の折合をどうやってつけるか。これは最近の自分にとっても大きいテーマ。

    どんな共同体(家族・恋人・会社)であれ、100%満足ということはない。これは場所と所属も変えてきて実感。

    ではどうやって折合をつけるか。全部を分かり合える人など存在しないと理解しつつ、でも妥協点を探すこと。

    相手の利害を理解し、そこに対して貢献しようとすること。

    そうはいっても自分の限界を知り、いざとなったら逃げること。逃げられる場所を用意しておくこと。

    この辺のバランスが良く生きる知恵だと思う。

  • 脳みそが溶け、身体の境界が消え、私は一つになる。
    固い規則に縛られて、逃げる先は脳の中。
    そこは、卑猥で、暴力に満ち満ちた恍惚の彼岸。

  • この著者も理系だ。客観的で、どこか突き放したような思考を感じる。観察と理論の結果か?単なる感情論でないところがいい!しかし内容は、オタクではなくむしろ常識的で、社会との関わり重視。それが自分を育てる。簡潔で平易な中に、著者の胃袋の強さと大きさを感じる。

  • 気づきもけっこうありました

  • 「壁」についての考察。日本には「壁」の権威がいるじゃないか!と、とうとう3冊目。

    この本は「壁」というより日本人考察のようなもの?先生、なんか難しいんですけど?
    元祖(バカの壁)に比べると壁が良く見えなくなってきた・・・と読み進めたけれど、終わりに近づき大団円。次第に雲が晴れて、わかってきた(ような気がする)。

    濃いぃ性質の家族を念頭に浮かべるとわかる。
    どんなに厳しく躾しても、どんなに世間の波が冷たくて荒くても、その時々に応じて変わる人としての自分の対応の一方で変わらない、治らない性質を持つ我々。
    なるほどー!それが個性って言うんだ。

    突出した性質を自分の中に求めなくても、言葉の通じないような外国行って自分探しをしなくても世間の波に負けずに生きてさえいれば、それが個性なんだ。ちゃんと輝きだす。

    センセイのこの本のしめくくり、最後の言葉
    “そうやって自分で育ててきた感覚のことを「自信」というのです”

    感動。この気持ちを感動と言わずに何と言おう。「壁」を乗り越えられた感、満載です。
    (まだ壁はそびえてるけど)

  • 人生はゴツゴツしたもの
    自分の胃袋を知る
    他人とかかわり、状況を背負い込む

  • 自分に合う合わないでなく直感的にやるべき目の前にあることをやって失敗して改善してやっていくそれの繰り返し。
    あとはかなり先の理想を思い描いて無意識とか潜在意識の部分に染み込ませ直感を磨いて、その直感を頼ってやっていくだけ

  • 途中に政治観や時事への感想。情報過多への対処。
    自然のものに10分間でよいから触れるということ。
    C0210

  • 武田鉄也さんの今日の三枚おろしで紹介されていて読みました。養老さんひねくれてるなぁと思う反面、私もひねくれて
    いるので、ひねくれたまま年を重ねても立派にやっていける
    んだな、と安心できる本でした。どうも会社にいると、常識に縛られだして、なんだか自分がおかしな人の思えてきて、
    もうやだ!ってなってくるけど、そういう世界の外の世界に
    少し触れられたような気がします。

    世間というのは私が生まれるよりも前からものすごくたくさんの人で作られていて、私はそこにあとから入ったので、もし合わないようなことがあっても自分に非があると思うとつらくなるので、それが世間の都合なんだな、と思うように
    します。

  • 自分の立ち位置と容量を知る事、というメッセージに学んだ。全般的に現世批判のようなテイストが感じられるのは惜しい。

  • 読み終わった。途中政治のこととか難しい話になったけど大体言いたいことは分かった。情報社会の中で情報が多すぎて自分の考えが他の人やマスメディアの考えになっていってて、情報が多ければいいってものではないし影響されてもいけないと改めて思った。養老さんは頭もよくて偉い人なのに文章(代筆は違う人だけれども)から優しく人の立場になって物事を考えられる落ち着いた方なんだなとおもった。自分の壁というより、どう世間と向き合っていくか、政治、経済、養老さんの専門の解剖や医学などを交えてる話題が多かった。

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「自分」の壁 (新潮新書)の作品紹介

「自分」の壁はバカの壁の著者としても有名な養老孟司さんが書かれている著書です。医学的な専門的な知識を踏まえて現代社会の心理学などを我々に提示してくれる養老孟司さん。そんな彼がエネルギー問題や死の問題、情報過多に対する問題、政治的な問題などにも触れられています。勉強にもなり興味深く読むことができる一冊です。

「自分」の壁 (新潮新書)のKindle版

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