「自分」の壁 (新潮新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106105760

感想・レビュー・書評

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  • 時代は変わっても綿々と受け継がれる国民性とか、人としての本能とかそういうものがあり、「個」が強い風潮はそれに抵抗しているような感じで、苦しい。自分に対する考え方では、養老さんに共感する部分があり、楽になれた。

  • ●自分よりも他人を知った方がいい
    戦後、日本人は「自分」を重要視する傾向が強くなりました。これは欧米からの影響によるところが大きいでしょう。その結果、個々人の「個性」「独創性」が大切だとさんざん言われるようになったのです。教育現場ではもちろんのこと、職場などでも「個性の発揮」を求める風潮が強くあります。そんあものがどれだけ大切なのかは疑わしい。
     もちろん、特徴や長所があるのはいいことです。誰もがロボットのようになるべきだと言いたいわけでもありません。しかし、そのような個性は、別に「発揮せよ」と言われなくても自然と身についているものなのです。周囲がお膳立てをして発揮させたり、伸ばしたりするたぐいのものではありません。むしろ周囲が押さえつけにかかっても、それでもその人に残っているものこそが個性なのです。個性は放っておいても誰にでもあります。だから、この世の中で生きていくうえで大切なのは、「人といかに違うか」ではなくて、人と同じところを探すことです。

    ●理想像を持ったことがない
    いつも周囲をみて、周りが一番納まるところに身を置くようにしていました。「もっと積極的になりなさい」と若いころはよく言われたものです。しかし、いくら自分にしたいことがあっても、ものごとは周囲との関係によって決まる。そういうものだと思っていました。

    ●「自分」は矢印に過ぎない
    生物学的な「自分」とは、「現在位置の矢印」ではないか、と私は考えています。「自分」「自己」「自我」「自意識」等々、言葉でいうと、ずいぶん大層な感じになりますが、それは結局のところ、「今自分はどこにいるのかを示す矢印」くらいのものに過ぎないのではないか。

    ●意識外を意識せよ。
    「我を消す」といっても、「一億玉砕」「特攻」を推奨するつもりは、まったくありません。意識は一つになりやすいから、みんなでおかしな方向に一致して暴走することもあります。それを唯一止める方法は、意識を疑うことです。決して今の自分の考え、意識は絶対的なものではない。その視点を常に持っておくことです。「自分の意識では処理しきれないものが、この世には山ほどある」そのことを体感しておく必要があります。常に「意識外」のものを意識しなくてはならない。とても矛盾した物言いに感じられるかもしれません。別の言い方をすれば、「意識はどの程度信用できるものなのか」という疑いを常にもっておいたほうがいい、ということです。

    ●自信を育てるのは自分
    目の前に問題が発生し、何らかの壁に当たってしまったときに、そこから逃げてしまうほうが、効率的に思えるかもしれません。実際に、そのときのことだけを考えれば、そのほうが「得」のようにも見えます。ところが、そうやって回避しても、結局はまたその手の問題にぶつかって、立ち往生してしまうものなのです。大学紛争のときのことを思い出すと、それがよくわかります。あのとき、正面から問題にぶつかった人の、その後を見ると悪くないのです。いっときは、かなりの面倒やストレスを背負いこんでしまうから、損をしているように思えても、後々それが活きています。一方で、要領よく立ち回った人は、意外とうまくいっていない。社会で起こっている問題から逃げると、同じような問題にぶつかったときに対処できないからです。「こういうときは、こうすればいい」という常識が身につかないのです。ことは社会的な問題に限りません。社会的な問題から逃げきっても、それと似たような構造の問題を家庭内に抱えてしまうこともあります。そのときに逃げる癖のついた人は、上手に対処ができない。だから結局は、逃げきれないのです。
     「自分は何も悪くないのに、厄介ごとが次々に襲ってくる」と本人は思っていても、周りを見れば、その人自身が厄介ごとを招いている、ということもあります。どこかで他人や社会との距離の取り方、かかわり方を間違えているのかもしれない。しかし、逃げてきた人には、そのことは見えない。自分がどの程度のものまで飲み込むことができるのか。さまざまな人とつきあうことは、それを知るために役立ちます。他人とかかわり、ときには面倒を背負い込む。そういう状況を客観的に見て、楽しめるような心境になれば相当なものでしょう。なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返し、自分で育ててきた感覚のことを「自信」というのです。

  • 効率よく答えを見つけるのではなく、自分で問いを設定するという負荷があったほうが生きていることを実感できる
    なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返しながら、自分で育ててきた感覚を自信という

  • 間違ったことが書いてあるわけじゃないけど、おもしろくない。
    たぶん、本人が書いてないからだろう。
    著者なら、若者に、こんなじじいの本を読まないで野に出でよ、と言うはず。

  • 「自分探し」なんてムダなこと。「本当の自分」を探すよりも、「本物の自信」を育てたほうがいい。

    著者の主張する「参勤交代」はかなり無理がある提案だと思いますが、「自分探し」なんてムダなこと、というのは読んでいて気分が楽になります。

    日本文化は欧米に比べると、世間で「自分」を主張していないけど、その分「思想は自由」だという考えは、とても納得できたし面白かった。
    また、「政治は生活と関係ない」というのも、面白い考え方だと思った。

  • 自分について。
    共生。
    楽に逃げない。
    1日10分自然を見る。

  •  大阪出張の往復で養老先生の「自分の壁」を読んでみた。「自分」とはどんなものか、自己実現て何?養老先生の自分を見る視点がおもしろかった。脳は楽な選択をしてしまう、勝手にメタメッセージを作ってしまう。だから、ひとつの例で一般化するのは極めて危険だと指摘している。そこで、「地に足をつけなさい」、「現実をちゃんと見なさい」となる。ところが、現代はその現実が危なっかしい、ならば、人間の意識が作ったものではない自然に向き合うことから始めるのがいいと言う。これは物事を考えるヒントだ。
    また、養老先生は何かを選択しなければいけないときの、基準として「常に楽をしないようにしよう」と考えたらしい。つまり、「厄介な方に行く」。そして、最後にこのように書かれた「なにかにぶつかり、迷い、挑戦し、失敗し、ということを繰り返すことになります。しかし、そうやって自分で育ててきた意識のことを、『自信』というのです。」(p221)「『自分』の壁」養老孟司



     その数日後、



    今日は朝5時に起きて、仙台のある高校の旅行説明会に参加した。その道中、再びこの本をパラパラとめくっていたら、しっかり再読してしまった。
    今回は第2章の「本当の自分は最後に残る」というやつが気になって仕方なかった。実は仙台でプレゼンしながらも、このことを考えていた。
    養老先生は自分などというものは、地図の中の矢印に過ぎないということを何度も繰り返している。つまり、個性なんて簡単につくれるものでもないし、果たして、若い人たちが伸ばす必要があるのか?もしかしたら、それよりは世間との折り合うことを学ぶべきではないかと説く。
    そして、「弟子は師匠になれない」という例えを提示して、それでは「世間や他人の顔色をうかがうだけの人間ばかりにならないか?」という問題提起をした。しかし、世間に押しつぶされずにつぶれないのが「個性」と言い切る。
    さらに、養老先生(2014)は、「折り合えないところについては、ケンカすればいいのです。(中略)それでも残った自分が『本当の自分』のはずです。」(p33-34「『自分』の壁」養老孟司)と述べている。そして、こう続ける。「『本当の自分』は、徹底的に争ったあとに残る。」(p34)
    矛盾しているようだが、かなり大切なことを指摘していると思う。社会と折り合いをつけようと、努力しても絶対に譲れないものがあるはずだ。自分に正直に対峙したときに、自分を騙すことのできない信念。
    さらに、こんな例を紹介している。日本の伝統芸能で、弟子は徹底的に師匠の真似をさせられ、「とにかく同じようにやれ」といわる。その過程は長いが、決して師匠と同じにはならない。長年師匠を真似ていても、結果まったく同じにはならないのだ。その違い、差異が個性だという。要するに、ギリギリまで食らいつき真似て真似て、自分が絞り出された演技はどうしても師匠とは同じにならない。そこに差異があり、それは結果的に個性なのである。しかし、そこに至るまでには想像を絶する時間とエネルギーを要する。
    学問も芸能も運動にしても、個性は驚くべき基礎の習得の向こうにある。簡単に個性を伸ばせなんて言えないのだ。
    ( 「『自分』の壁」を再読して、東北新幹線やまびこの車中にて。)

  • エッセーという感じでさくさく読めます。
    ちょっと前にアウトデラックスに出演されていて、
    その時にも「制御できないもの」の話をなさっていた。

    毎日Yahoo!知恵袋を見ると、「高校生です、私には
    夢がありません」なんて悩みをよく見る。
    そういう人にこそ読んで欲しい。
    「就職活動で何十社も落ちてうまくいきません」という学生さんにも読んで欲しい。

  • 20150720

    ベストセラー、バカの壁で有名な養老氏の最新作。初めて養老氏の本を読んでみた。

    頭の中であれこれと考えている事をしゃべった内容をライターが書いているとのこと。学者だけあって、なんだか小難しいというか、世間離れというか、ひとりよがりな感じもしたが、中にはなんとなくだが共感できるものもあった。

    世の中にはいろんな人が居て、いろんな考え方があって、いろんな解釈の仕方があるんだなぁと感じた。

    全体的には、読んではいるものの、理解しながらというよりも、活字を追っているだけで、早く読了してしまいたいと感じながら読み進めたというのが事実かな。

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著者プロフィール

養老 孟司(ようろう・たけし):1937年神奈川県鎌倉市生まれ。東京大学名誉教授。医学博士(解剖学)。『からだの見方』でサントリー学芸賞受賞。『バカの壁』(新潮社)で毎日出版文化賞特別賞受賞。同書は450万部を超えるベストセラー。対談、共著、講演録を含め、著書は200冊近い。近著に『養老先生、病院へ行く』『養老先生、再び病院へ行く』(中川恵一共著、エクスナレッジ)『〈自分〉を知りたい君たちへ 読書の壁』(毎日新聞出版)、『ものがわかるということ』(祥伝社)など。

「2023年 『ヒトの幸福とはなにか』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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