なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)

  • 371人登録
  • 3.79評価
    • (19)
    • (55)
    • (31)
    • (4)
    • (1)
  • 61レビュー
著者 : 春日太一
  • 新潮社 (2014年9月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106105869

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三浦 しをん
ピエール ルメー...
アンディ・ウィア...
東山 彰良
ジャレド・ダイア...
冲方 丁
有効な右矢印 無効な右矢印

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)の感想・レビュー・書評

  • いまも細々と作られ続けられてはいますが、凋落した「時代劇」の現状に至った理由を辛過ぎる眼差しで次から次へと指摘するとともに、逆にそこから著者の「時代劇」に対する深い愛情が感じられる一冊です。
    自分もこどもの頃から時代劇は大好きでして、よく観ていた記憶があるのは大川橋蔵の『銭形平次』、東野英治郎の『水戸黄門』、中村梅之助の『遠山の金さん』『伝七捕物帳』、里見浩太朗の『大江戸捜査網』、杉良太郎の『遠山の金さん』『新五捕物帳』、高橋英樹の『桃太郎侍』などで、そのほか観ていた憶えがあるのは中村敦夫の『木枯らし紋次郎』や勝新太郎の『座頭市』、萬屋錦之介の『子連れ狼』『鬼平犯科帳』などがあります。また、NHK大河ドラマも記憶がある加藤剛の『風と雲と虹と』以来、毎年ずっと見続けていまして、こうやってみると自分もかなりの「時代劇」ファンであることを再認識しました。(笑)
    振り返ってみると、錚々たる俳優による時代劇ドラマを、昔は数多く放送していたのだなあとしみじみ思うところでありますが、著者の言う通り、いまでは演技もおぼつかない、自分の知らない若手俳優陣ばかりが主役を張っていて、明るい画面でアットホームな雰囲気のドラマをたまに見せられても、ちっとも面白さに浸ることができないです。
    著者は「時代劇」とは時代設定を過去にすることでファンタジーな世界として魅せることができる現在進行形のエンターテインメントであるとしていますが、自分も全く同意するところで、かつての多作や脚本のマンネリ化により、時代劇=ワンパターンなドラマと捉えられてしまったのは、製作の怠慢であり誠に残念なところであります。
    本書では時代劇の構造、役者、監督、製作などといった様々な切り口にて、「時代劇」の問題点を小気味よいほどに明らかにしていますが、これは日本のテレビドラマそのものの問題点であるといってもよく、ドラマ制作に携わる人々の大いなる欠陥を示したものであるともいえます。「時代劇」に限らず、このような質の劣化がところどころでみられるのも構造的であるがゆえに、今後もテレビ界では繰り返されていくのでしょうね。
    個人的には『水戸黄門』を成立させていた構造とか、京都撮影所の話とか、NHK大河ドラマの路線変更の話や、使えない俳優の名指しなどがとても興味深く面白かったですが、特にNHK大河ドラマについては、昨今のファミリー路線はまあほどほどなら許せるとしても、刹那的な楽しみのみ追求するアホな評論家の口車に乗ったのか、演出の大仰化、脚本のご都合化や不自然な物語展開、主役不在の若手大量投入など、ドラマそのものの質の低下を苦々しく感じていまして、1話完結のもはや「大河」なドラマとはいえない状況に暗澹たる気分となっています(特に『天地人』『江』あたりは酷過ぎて噴飯ものだった)・・・。いや、昔の大河も脚本のご都合化や不自然さはあるにはありましたが(山岡荘八原作の場合は特に目立った)、これは主演俳優の演技力というか魅力というか器量でカバーされていたものと思いますが、いまはそのようなこともないですね。(泣)
    気が付いてみると、いまもCSで時代劇専門チェンネルを観ていることが多く、著者の示す通りやはり昔の時代劇は面白さが満載されていたと思います。多様化の時代に「復活」ということまでは無理としても、せめて質の高いドラマの提供だけでも何とかならないものだろうか・・・。

  • 本来なら、こういう言論はあまり好きではない。
    時代や人材に恵まれていた黄金時代、そのレベルを求めるあまり、(結果はどうあれ)今頑張っている人達を無能と切り捨て、少なからず存在する「今のファン」を観る目が無いとなじっているよう思うからだ。
    しかし作者自身もその点は覚悟の上で本著を描いているわけで、時代劇の置かれている状況は本当そこまで危機的なんだろうなぁと言う気がしてくる。
    作者自身も、多くの俳優や裏方の人々に直接聞いた言葉の上に本論を挙げているのであり、単なる「いちファンの思想」と切り捨てるのも難しいだろう(少々意見は裏方より…技術を残す的な…な気はする)。
    個人的な意見としては、「時代劇」というジャンルは残ると思う。数々の創作を見ていると、やはり「時代劇」的な舞台や設定を用いた物語はいまだ老若男女惹きつけている。ただそこには"京都で培われたノウハウ"は残ってはいないかもしれないけど。(それが良いか悪いか、それを判断できるほどの思い入れは正直言えば無い)

    また、本著は「一つのジャンル、組織が先細っていく過程」を描いた本としても興味深い。どんなに苦しくても、未来への投資を怠ればこのようになっていくのだろう。

  • なんで時代劇がつまらなくなったのか、はやらなくなったのかと感じている人は多いはずで、それがああ〜、やっぱりか〜!と一章読み進めるごとに、納得&悲しみが襲ってくるという、非常に辛い一冊でした。

    82年生まれの私は時代劇オタクではないものの、時代劇は普通に観ていて普通に好きだった類いの人間です。座頭一でかつしんってすっげえかっこいいんだあああ!と思ったり、必殺仕事人の前口上にたまらねえと思ったり、名前も覚えていない(たぶん八丁堀とかだと思われ)結構な量の時代劇をミーハーに楽しんできました。

    で、女子高生時代だの女子大生時代だのにも、周りの女子にはけっこう時代劇スキーが居て(私よりはるかに詳しかったり)、時代劇って普通にいいよねってモンだと思ってたんですけど。

    どうにも元気がないじゃないですか。何でだろうって悲しんで、それにしたって役者がひでえよなんでそれで飯喰ってんのに始めて時代劇入るなら所作とか歴史的背景とか学ばねえの?イミフ!とか、きっとカネとか局とか人とかいろいろあるんだろうなあとか適当な予想を立てては嘆息したりしてるわけです、こんな素人でも。

    それがきっちり証明されてしまって、ああ辛いなって。そういう一冊でした。

    あと、なんて言うかミーハーファン的には、ファン層のめんどくささはやっぱ…。時代劇ならこれ観なきゃ嘘でしょ的な。自分の好き嫌いのフリをして「やっぱ」とか言う人は本当にそのジャンル・業界・世界において垣根を高くし駄目にしてると思う。迷惑なマニアックさいらないんですよ、ミーハーなくらいでいいんですよ、コレおもろいよーってそんなんでいいんですよ…たのしむものなんだから。自己肯定の道具にされるとほんとしらけるんですよ。

    言うても、時代劇モノに挑戦したいなあと思ってもできないくらいの不勉強は自戒しかないです。時代劇はファンタジーですよね。時代劇好き女子は軒並みロードオブザリングとかのファンタジー愛好家でもありました。

    そして、今我が家にはおかーさまの(漫画経由での)鬼平&剣客商売ブーム到来により、延々と池波正太郎アワーが録画されては上映されています。それでいいんじゃないと思ってしまうと滅びるのかしら。。。時代劇チャンネルは昔から重宝しております。はい。

    時代劇観たくなります。テレビでいっぱい流れてたころには自分で好き嫌いで観ることができていたけど、そうじゃなくなるととんと離れてしまっていたので、新たな好き時代劇を発掘したくなります。ので著者次回作の時代劇100作だっけか、これも楽しみに買います。

    なんとかならねえかなあ、時代劇。

  • 過激だと言われているのかもしれないが、時代劇ファンなら大抵の人が以前から思っていたことを書いてくれたまでの内容だと思う。全面的に同意。時代劇ファンの気持ちに、時代劇を作る側の人が気づくことはあるんだろうか。

  • かつて、時代劇は娯楽劇の王道であった。
    しかし、映画で衰退し、そしてテレビでもレギュラー枠から消えてしまったのが、偽らざる現在。
    その現状を憂い、そして原因を、様々な視点から著者は徹底的に追究する。時に厳しく、時には弾劾も。
    正鵠を射るその指摘は、とりもなおさず著者が時代劇をこよなく愛するが所以。
    そして、「おわりで」で著者はこう記す。
    「恐らく、時代劇はこのままではそう時間がかからないうちに『死ぬ』だろう。人を育てることを放棄し、若者が希望を持てない業界に未来はないからだ。」
    この文言の「時代劇」あるいは「業界」という言葉の裏に、日本あるいは社会という言葉を、連想してしまった。

  •  日経夕刊のレビューで文芸評論家の縄田一男さんが五つ星を付けて絶賛していた。「この書評コーナーの最高点は星5つだが、この一巻に限り、私は10でも20でも差しあげたい。……(中略)本書を読んでいる間、私の心は泣き濡(ぬ)れていた。いや、時に号泣していた。春日よ、死ぬ時は一緒だぞ――。」。著者のあとがきに縄田さんの批評が引用されているのを読んで、このレビューの真意が分かった。著者が2011年に出した「時代劇の作り方」の縄田さんの批評に対する返歌がこの本であり、それに対して縄田さんが再び、日経のレビューで答えたということになる。

     映画・テレビで盛んだった時代劇はなぜ衰退したのか。著者はかつて視聴率30%以上を誇った「水戸黄門」終了の理由から説き起こして、さまざまな要因を挙げていく。製作費がかかる割に時代劇は視聴率が取れなくなった。その理由は内容のマンネリ化だ。テレビのレギュラー番組は徐々になくなり、次第に時代劇が分かる役者も監督も脚本家もプロデューサーもいなくなった。レギュラーがないから時代劇のスタッフは時代劇だけでは食べていけない。人材を育てる場もなくなる。こうした負のスパイラルが進み、今や時代劇は風前の灯火なのだそうだ。

     今年2014年は映画「るろうに剣心」2部作や「柘榴坂の仇討」「蜩ノ記」という良質な時代劇が公開されたのでそんなに衰退している感じは受けないのだけれど、時代劇を巡る状況は相当に深刻らしい。時代劇の分からないプロデューサーが作ったNHK大河ドラマ「江」や時代劇の演技を拒否した岸谷五朗主演の仕事人シリーズを著者は強く批判する。時代劇を愛する著者の危機感は大きいのだ。

     ただ、時代劇衰退の理由と現状はよく分かるが、ではどうすればいいのか、という提言がこの本にはない。テレビでレギュラー枠を復活させるのがいいのだろうが、視聴率が取れない以上、いきなりは難しいだろう。単発で質の高い面白い時代劇を作り、視聴率の実績を挙げ、レギュラー化を勝ち取っていくしかないと思う。これは相当に困難な道だ。

  • ここ1年ほど昭和40年代頃までの日本映画を集中的に観ていて、当時の時代劇の面白さにびっくりしていたが、なぜそれが衰退してしまったのかはよく分からず、本書を読んで腑に落ちた。時代劇が衰退した原因はいくつも挙げられているが、これはアニメやマンガ・音楽・TVなどの他のメディアにも共通するリスクだと思う。興味深いのはマーケティングの細分化・効率化であり、たとえば1996年から視聴率調査の細分化が行われて年齢別の視聴率が明らかになり、それによって時代劇のターゲティングが大きく変わっていったなど、これはアニメや音楽にも通じるのではなかろうか。また、TV産業が肥大化するにつれて効率化から過度のリスクヘッジを行うようになり、企画がどんどん無難になっていき、結果的にコンテンツが貧しくなるという流れも興味深い。コンテンツを持続可能な形で生み出すエコシステムというものを考えてゆかねばならず、たとえばディズニーなどは(成功しているかはともかくとして)そのような視野を持って世界戦略を行っているが、日本のTV・映画産業ではそこまでグランドデザインを持つことができなかった。これは戦略的な無知による必然的な結果であり、時代劇が衰退する布石はいずれも十数年以上前に蒔かれていて、昨今になって生じたものではない。人材が豊富である時期に、その豊饒さに甘えて、焼き畑的なコンテンツ制作方法に陥ってしまうリスクを乗り越えることはできないのだろうか。

  • 時代劇がなぜ終わったのか。

    とにかく演者、スタッフともに人材不足。
    これにつきると思いました。
    ただ現代劇やバラエティも同じことなんですけどね。
    著者の岸谷"SET"五朗の評価はまことにその通りですが、火野"チャリ"正平の評価はちと高すぎませんか?

    TV時代劇はもうNHK以外は新作はムリでしょ、なんて思ってたら水戸黄門復活のニュースが⁉︎
    しかもまさかの金八っつぁんですって。
    TBSも無茶しますね〜。
    金八っつぁんには昔世話になったからですかね?
    きっと印籠出してから長いですよ、説教入りますからね

  • はじめに
    【時代劇の凋落】
    映画ブームの終焉 / 不振の始まり / 長期低迷の時代劇映画 / 主戦場はテレビへ / 一九八〇、九〇年代の攻防戦 / レギュラー枠消滅の過程 / 時代劇はテレビの「お荷物」になった / 視聴率調査法の変化 / フジのレギュラー枠消滅 / 映像京都の解散 / 『水戸黄門』の終了 / ナショナル劇場の特異性 / 『水戸黄門』はなぜ終わったのか
    【時代劇は「つまらない」?】
    「時代劇=高齢者向け」という固定観念 / 時代劇は現在進行形のエンターテイメント / 「新しい」からこその時代劇 / 戦後時代劇の発展 / 一九七〇年代の転換点 / 物語のパターン化 / 『水戸黄門』の戦略 / そして高齢者だけが残った / 京都の惨状 / 撮影所の下請け化 / 停滞する技術 / 伝統という甘え / 時代考証の問題 / 窮屈になった時代劇表現 / 「時代考証の通り」は「正解」ではない / 「イイ加減」は「ファンタジー」ではない
    【役者がいない!】
    次世代の時代劇役者がいない / 時代劇は役者が第一 / 役者事情の変化 / 芝居が下手な人気者たち / 基礎のない俳優たち / 時代劇への意識が低い俳優たち / 酷すぎた「岸谷梅安」 / 名脇役の不在 / 「なんちゃって名優」の傲慢
    【監督もいなくなった……】
    名優を育てるのは名監督 / 育成システムの崩壊 / 教養なき監督たち / テレビは没個性が求められる / 余裕のないテレビ出身者たち / 役者を育てられない監督たち / 歌舞伎役者の「癖」が抜けない / ポスト・フィルム時代の弊害
    【そして誰もいなくなった】
    余裕のないプロデューサーたち / 「火野正平がいない」 / 地味すぎる《助さん》 / 東映時代劇末期のミスキャスト / プロデューサーたちの無理解 / 饒舌な脚本たち / 悪の不在
    【大がドラマよ、お前もか!】
    失墜した「国民的番組枠」 / 『利家とまつ』の「革命」 / ほのぼのとした戦国時代 / リアリズムの喪失 / たくまし過ぎる女たち / 二人の篤姫 / 歴史的有名人との無理な邂逅 / 手を汚さない主人公 / 綺麗ごとのオンパレード / 大河の朝ドラ化 / 人気目当てのオジリナルキャラクター / 焦点なきドラマ
    おわりに

  • 帯文:”作家(『村上海賊の娘』など)和田竜氏も驚愕!この毒舌!やり玉に挙げられた人たちが気の毒になるほどである。” ”圧倒的な熱量で放つ、時代劇への鎮魂歌”

    目次:はじめに、第一章 時代劇の凋落、第二章 時代劇は「つまらない」?、第三章 役者がいない!、第四章 監督もいなくなった……、第五章 そして誰もいなくなった、第六章 大河ドラマよ、お前もか!、おわりに

  • 割と評判のよい本書。「あかんやつら」が面白かったので購入。消えようとしている時代劇への檄文である。最近のホームドラマ化した大河ドラマ批判、ジャニーズや岸谷五朗等、日常的な表現しかできない役者への批判、志の低いプロデューサーへの批判。実名をあげての批判が本書の読みどころか。お説ごもっともだが、1回読めば十分。

  •  多作は「新進気鋭が腕試しをする試験場」でもあり、「粗製濫造で視聴者離れを引き起こす要因」でもあった。

     かつて全盛を極めた時代劇の凋落はいつから、なぜ始まったのか。現状に至るまでを時代劇・映画史研究家が解説する。
     1955年の時代劇映画は174本。50年代は毎年150本以上あり、1960年にも年間168本が製作されたが、わずか2年後の1962年には77本に、1967年には15本まで減少する。50年代は他に娯楽が少なく映画館入場者数が10億人を超えていたが、60年代に入って急激に落ち込み、東京オリンピックに合わせて普及した家庭用テレビの影響がさらに重くのしかかる。そこから半世紀以上続く、時代劇映画の「不振」が始まった。

     著者は時代劇の危機を「映画での時代劇の危機」「テレビでの時代劇の危機」「京都での時代劇製作の危機」「表現手段としての時代劇の危機」に分類し、それぞれ抱える背景が異なると指摘する。確かにこの手の話ではよく混同される所であって、冒頭でそれを明確に区分けしたのはわかりやすい。
     あえて加えるなら「映画そのものの危機」「テレビそのものの危機」なんてものも時代劇を取り巻く環境に拍車をかけているのかもしれない。

     「時代劇は年寄りの娯楽」と思われがちなのは、「時代劇が面白かった時代を知っている人」の大多数が年寄りになってしまうほど最近の時代劇が面白くない、ということでもある。面白かった記憶をよすがに、なんとなく惰性や愛着で時代劇を見続けている、そんなイメージだろうか。
     新しい時代に沿った作りをすれば、若い人でも十分に楽しめるのが時代劇であるし、実際往時の時代劇は若者も含めて楽しまれていたのである。
     著者は近年の大河ドラマについても苦言を呈している。特に「江」が決定的に酷かったと名指しで指摘する。「利家とまつ」に始まる女性の活躍を無闇に押し出す製作姿勢が大河ドラマのホームドラマ化を招き、陳腐で軽薄なものに成り果てた。
     2016年の大河「真田丸」はネットでもかなりの好評を博したが、本書は2014年の発行であり、著者は果たしてどう評価したのだろうか。本書の中では寺島進を実力不足と酷評しているものの、彼は真田丸ではかなりの高評価を博している。この辺も著者の言う「喜んで謝罪したい」という誤算であればよいなと思う。

     さて、粗製濫造とも言われがちな状況から一変、本数が絞られる状況となって、しかも連続ドラマでなく一話完結のスペシャルものが主流となると、製作陣としても失敗が許されず、自然と「固い」構成になる。監督も脚本も役者も皆ベテラン(役者についてはアイドルなど人気だけで選ばれる場合も)で固め、演出も無難なものになる。新人が挑戦する機会は減り、また撮影も単発になるため「腰を据えて新人を育てる」という環境でもなくなる。
     とにかく「余裕がなくなる」のである。プロデューサーの果たす役割と責任は大きいが、このプロデューサーも雇われ根性というか、時代劇への思い入れの有無とは関係なく、予算その他のしがらみで、とにかく枠を埋めることを最優先にせざるを得ない。

     細かいことは本書を読んでいただくとして、時代劇の苦境はアニメの製作現場に通じるものも感じる。大きく違うのは「本数だけはとにかく多い」という点である。確実に視聴率を見込める人気俳優、アイドルを配役するとギャラで制作費を押し上げてしまう実写ドラマと違い、制作費を低く押さえ込めてしまうために本数だけは増やせるようではある。
     「本数が多い」というのは、先述の通り新進気鋭が挑戦できる機会も増えるということである。一方でアニメーターや声優などの待遇改善が叫ばれ、制作費が増加していけば自然と本数は減る。時代劇はこの「本数の減少」によって多様性を失い凋落した。アニメでいえばジブリとドラえもんとワンピー... 続きを読む

  • 時代劇を瀕死に至らしめた人々への訴追状。著者が自らの一生の生業として名乗っている時代劇研究家としての心の底からの叫び。この熱さは一絡げで時代劇と呼んでしまっているものを成立させてきた人とシステムを徹底的に現場で取材しているからこそ、そしてそのクリエイティブを愛してしまっているからこそ派生しています。誰もやっていないことを選んでいる男の覚悟も感じます。ただ、本書が滅びゆくものの挽歌としてではなく再生への檄文として書かれている印象からすると、今後、著者は研究者としてではなく当事者としてこの芸能に関わるのではないか?と予感するのですが…

  • 時代劇が滅びた原因の一つに、今の俳優の力不足を挙げているが、その中で特定の俳優の名前を挙げられて、「時代劇なのに自然体の演技をするとは何事か!」的な、事を書かれているが、実にごもっとも。小気味よい文体で楽しめました。

  • 水戸黄門が時代劇に果たした役割の大きさを再認知。
    もはや滅びゆくジャンルなのか…。個人的には映像の雰囲気は70年代のフィルム感が好き。

  • 普通に面白かった。
    内容は章立ての通り。

    第一章 時代劇の凋落
    第二章 時代劇は「つまらない」?
    第三章 役者がいない!
    第四章 監督もいなくなった……
    第五章 そして誰もいなくなった
    第六章 大河ドラマよ、お前もか!

  • 面白かった時代劇がいかに衰退したか?時代劇をこよなく愛する著者が鋭く分析するとともに,実名入りの批判も行っていて,時代劇好きとしては共感する部分が多々あった。2014年9月刊行なので『花燃ゆ』は対象外なのだが,ぶった斬りを読んでみたいと思ったほど,ご都合主義の作品はぶった斬っているのが良い。熱い思いが,やや空回りしていると感じるのは自分と著者との温度差かもしれない。
    この著者の本は2冊目(どちらもkindle)。新著(紙)が積読。楽しみにしよう。

  • 自分も感じていた、時代劇の劣化。しかし、その原因がいまいちわからなかったが、この本では実名を挙げて辛辣に感じる部分はあるが、キチンと論理的に解明し、なるほどと思える一冊だった。
    知れば知るほど、あの頃の時代劇はもう戻ってくることはないのかもしれないが、明日の時代劇のための道しるべにもなるのではと言う淡い期待を抱いてしまうのも事実だ。

    それにしても、大御所からの後押しもあったのだろうが、実名を挙げてのやや過激とも思える評論だったが、事実だしなあと苦笑してしまった。

  • 蝸牛角上の争い、論理が無く後半ただの好き嫌い

  • 時代劇の危機の原因は何なのか、ひとつずつ整理されている。
    「今のプロデューサー・監督・脚本家が『七人の侍』を作ったら、野武士個々の生活背景や内面・彼らの内部の細々とした人間関係まで丁寧に描きかねない」(169P)
    本当にありそうで怖い…。
    大河の迷走っぷり(6章)は今も(花燃ゆ)なので、いやはやその通りですね、という感じ…。

  • 時代劇とは「現在と異なる世界を描くファンタジー」である。そこで大切なのは「ウソを本当に見せる技術」で、時代劇の芝居にはある程度の「作り込み」が必要だ。役者が「昔の人っぽく見える」ことと同時に、「現代人が違和感なく受け止められる自然」な芝居でなければならない。今後、問題になるのはこの「現代人」の部分だろう。史実を改変しすぎてほとんど創作と化した大河ドラマの一定の支持を見ていると、著者などを筆頭に古き良きコアな時代劇ファンは、ますます眉をひそめることになりそうだし、むしろそれはそれで良いのではなかろうか?

  • 著者はかつて『時代劇は死なず!』といふ、まことに勇ましいタイトルの本を書いてゐますが、ここへ来て『なぜ時代劇は滅びるのか』とかなり弱気になつてきました。
    著者は1977年の生れと若いこともあつて、時代劇といつてもテレビ番組中心に研究してゐるやうです。

    国民的長寿番組といはれた『水戸黄門』が打ち切りとなつた時に、マスコミも俄かに「時代劇の危機だ!」などと、取つて付けたやうに騒ぎましたが、無論危機はとうの昔からやつてきてゐたのです。
    春日氏によると、テレビ視聴率の調査法が変つたことが大きな転換点であると述べます。即ち、従来は世帯ごとの視聴率しか分からなかつたものが、個人の情報まで分かるやうになり、年代性別すら判明するのださうです。
    すると、スポンサーがカネを出してゐた番組は、実は自社商品のユーザーとは異なる層が観てゐたことが分かつた。ぢやあ、そんな番組にカネを出す意味はないよね、となつてしまふのだとか。

    スポンサーの問題だけではありません。何より作る側に問題が大有りなのであります。第三章以降、役者もゐない、監督もゐない、プロデューサーもゐない、もう誰もゐないと、実名を挙げて指摘します。否、批判します。攻撃します。こんなに実名を出して、今後の時代劇研究家としての活動に差障りがあるのではないかと心配するほどです。
    「自然体」と称して時代劇の作り込みをしない俳優の怠慢、時代劇の所作を知らない監督が「新しい時代劇」と誤魔化して作る不勉強、サラリーマン化して時代劇への情熱が皆無の、数字だけ追ふプロデューサー......

    確かに人気タレントやアイドルが出てくる「時代劇」は、衣装を替へ鬘を被つただけで、動きや台詞はまるで現代劇、といふものが多いと存じます。演ずる人の所為といふより、それを教へられる人がゐないことが悲劇なのですね。
    さういへば松平健さんが「今の時代劇は殺陣ではなくてアクションです。本当の殺陣をやりたいですね」と語つてゐました。(もつとも『暴れん坊将軍』の殺陣はまつたく単調で、何のスリルもありませんが、これも演出側の問題なのでせう)

    かかる状況に、時代劇の展望に関して著者はかなり悲観的です。さもありなむ。ただ、作品を通して「お前は間違つてゐるぞ」と反論して貰ひたいとも述べてゐます。そんな作品に出会へたら、その時は謝罪すると。否著者の本心は、是非謝罪したいのだといふことです。心からの叫びですなあ。

    わたくしの感想としては、(極極一部を除けば)一から十まで「その通り!」と言ひたい内容であります。ただ、やはり時代劇の再生は無理でせうね。わたくしの実感では、時代劇はすでに(著者が生れる前の)昭和40年代に死んでゐると考へます......

    http://genjigawa.blog.fc2.com/blog-entry-545.html

  • 役者・監督・プロデューサー・脚本家、実名を出して歯に衣着せぬ評論を展開している。著者の時代劇に対する熱い思いを感じる。

  • 面白かった。目から鱗というか何というか。このまま時代劇がなくなってほしくはないが、最近の民放ドラマの惨憺たる有り様を見るとあり得る話だな。

全61件中 1 - 25件を表示

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)を本棚に「読みたい」で登録しているひと

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)を本棚に「いま読んでる」で登録しているひと

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)を本棚に「読み終わった」で登録しているひと

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)を本棚に「積読」で登録しているひと

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)の作品紹介

本書は、時代劇への“檄文”である――。なぜ時代劇は、つまらなくなってしまったのか? 華も技量もない役者、マンネリの演出、朝ドラ化する大河……凋落を招いた“真犯人”は誰だ! 撮影所取材の集大成として、悲壮な決意で綴る時代劇への鎮魂歌。

なぜ時代劇は滅びるのか (新潮新書)のKindle版

ツイートする