小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)

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著者 : 阿古真理
  • 新潮社 (2015年5月16日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106106170

小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)の感想・レビュー・書評

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  • ハンドル名からもご察しの通り
    料理が好きである。

    食べるのも作るのも好きである。

    そのためきょうの料理のような番組にはよくお世話になっている。

    テレビの料理番組の音声が聞こえてくると

    その音声から利き料理研究家ができるほどである。


     この本のようなことを いつかは書いてみたいと思っていた。
    このような 女性の社会進出とかの視点ではなく
    彼ら彼女の調理から見える価値観のようなものを書いてみたいと今でも思っている。

    そんな私がこの本を読んでおもしろくないわけがない。

    名だたる料理研究家も 料理を習熟しようとする努力の末に今日があるのだが
    それは主婦や料理研究家の初期だけではなく
    実はずっと続くのである。

    不断の努力によって支えられている。

    一方 フランスやイタリアや中国の家庭料理をみると
    範とする伝統的な調理法があり、それに近づけるという手法が多い。これは様々な外国の料理研究家の料理をみてきたから確かである。

    日本は明治維新以来そして戦後さまざまな生活文化を受け入れてきて咀嚼し、自家薬籠中の物としてきた。

    それはオリジナルの調理法を日本人の口に合うように勘案されてきたからである。

    このとき ビジネスとして レストランや食材として提供する流れとこの本で取り上げられているような家庭での翻案や実践という二つの流れがある。

    馴染みのない調理法や食材を家庭に導入するにあたり、呂理研究家の果たした役割は大きい。

    このような家庭料理におえる水先案内人を数多く 排出することに日本文化の特質をみる思いがした。

  • この本は小林カツ代と栗原はるみにとどまらず、戦前からつい最近にいたるまでの料理研究家を論じながら、日本の既婚女性に求められてきたもの、そしてこれからの男性女性が直面する食を通した生活誌である。

    まず、主婦が毎日の食事に頭を悩ませる姿というのは、割と最近できたものであるという事実にを指摘する。
    冷凍・冷蔵の技術が庶民とは縁がなかった江戸以前、そして明治の頃。
    多くの庶民は、旬の野菜と旬の魚を煮たり焼いたりして食べるしかなかった。
    メニューに頭を悩ませるどころか、毎日同じものをほぼ食べていたのである。
    数少ない大店の女性、または金回りのいい武家の女性は、自分で食事に頭を悩ませることもなく、使用人の作るご馳走を食べていた。

    明治になり洋食が広まったころ、家庭で作る洋食のレシピの需要が高まった。
    洋食屋に行かなくても食べられるハンバーグ、スパゲッティ、ライスカレーなど。
    そしてほぼ日本オリジナルと言っていいコロッケやとんかつ。

    その後中華のラーメン、餃子、焼売、酢豚などが家庭でできるメニューとなり、エスニックのフォーやトムヤムクンも、家庭で作れるようになってきている。
    つまり、外食をいかに家庭料理にするかが、当初料理研究家がなしたことだった。

    外食の料理が家庭料理になると今度は、いかに時間を短縮するかがキーになる。
    どれだけ段取りをよくするか。
    セオリーにとらわれずに手際よく。
    これが小林カツ代の売りだった。

    食がバラエティを競っている現在、和食洋食中華にとらわれないハイブリッドな料理を考案したのが栗原はるみ。
    その後の世代ももちろん社会風潮を反映した調理法、メニューを次々発表する。
    料理研究家を論ずるということは、日本の食文化を論ずることなのだ。

    力強く同意したり、目からうろこが落ちたりしている間に、日本の食文化が実感できる。
    これは稀有な本なのである。

    特別料理好きではない私だけど、これを読んだらちょっとは料理を作りたくなった。
    そうね。
    里芋とエビとシメジの煮物にあんをかけたやつ。
    食べたいものが作りたいもの。

  • 昭和から平成まで、時代の顔となった料理研究家の「生き方、レシピ、信念」を追うことで、それぞれの時代の女性の立ち位置や欲したものをあらわにする面白い切り口の本だった。
    洋行帰りのセレブ女性による「外国の香りの料理を教えてくれる料理研究家」がもてはやされた時代、洋食が定番化してからは逆に「日本のおふくろの味を伝える料理研究家」が必要とされ、さらには、「時短料理を教えてくれる料理研究家」から、「カリスマ主婦という憧れを体現した料理研究家」「ライフスタイルも含めて提案をしてくれる料理研究家」へと大衆(女性)の要求が変化していく流れはわかりやすく、おもしろい。
    そして現代では人気の料理ブログから料理研究家になる「私でもなれる」アマチュアの時代がやってきた、というのが本当にその通りだなと頷きたくなる。
    フォーカスされているのは料理研究家なんだけれども、この一連の流れはあらゆる文化で起こっていることではないだろうか。
    西欧文化を一段上のものとして尊び、和から離れ過ぎてしまったために基本を喪ってしまって慌てて回帰し、手の届きそうな憧れを体現するカリスマから、さらに親しみやすく「自分でもなれそう」なアマチュアが多数現れる時代・・・。
    これから先はどこへ向かうんだろう。アマチュアの群雄割拠か、本格派への回帰か。
    面白いな。

  • ある著名な料理研究家が生み出されるには、その時代々々の特別な背景(主婦が求める料理、需要)があることが分かった。主婦論としても面白かった。

    ●料理研究家を語ることは、時代を語ることである。彼女・彼たちが象徴している家庭の世界は,社会とは一見関係がないように思われるかもしれないが、家庭の現実も理想も時代の価値観とリンクしており、食卓にのぼるものは社会を反映する。それゆえ、本書は料理研究家の歴史であると同時に、暮らしの変化を描き出す現代史でもある。
    ●有元の幼少期は、町にも農村の面影が残り、自然に寄り添う暮らしが当たり前だった最後の時代だ。そして、両親の文化的、経済的豊かさを吸収したベースがあるからこそ、時代の先を行く提案ができた。流行を牽引する人の背景には必ず豊かさがある。
    ●料理研究家のスタイルを決める原点には、必ず育った環境がある。元奉公人に「忘れられない」と言われる母のそうめんは、つゆに使う出汁の「かつお節はぎゅっとしぼって」味を出すことがコツだった。カツ代レシピでかつお節の出汁を絞ることは定番である。
    ●1994年8月26日、小林カツ代は料理研究家として初めて『料理の鉄人』に出演した。じゃがいも料理がテーマの回で、小林はじゃがいもとエビの炊込みご飯、肉じゃがなど7品をつくり、鉄人の陳健一に見事勝利、一躍時の人となった。
    ●彼女が挑んだ常識は、料理メディアが主婦の教科書になった高度成長期に定着したものだ。明治生まれの江上トミや飯田深雪が現役で、大正生まれの城戸崎愛や入江麻木が活躍したころ。先行世代は、西洋から輸入した料理を翻訳して紹介した。しかし、昭和生まれの小林は、本格的な西洋料理も和食も食べて育った。文化的な蓄積があるからこそ、新しい発想を持ち込むことができたし、それゆえに批判もされたのである。
    ●それにしても、料理研究家の離婚は多い。売れっ子になる代償として、仕方ないことなのだろうか。それとも、家族に向けられていた愛情やつくられた料理が、他人に向かう不満が夫の中で大きくなるのだろうか。家庭料理はもともと家族と日々をわかち合う中にある。より多くの家族を幸せにしようと、その技術を公開することで足元の生活が揺らぐとすれば、皮肉な仕事だ。
    ●プロの世界で修行した善晴は、物事を突き詰めて考える性格もあり、外で食べる料理と家庭料理は何が違うか、おいしくつくるためには何が必要なのかを論理立ててわかりやすく仮設する。外食・中食といったプロの味を基準にする女性がふえた平成の事情を反映し、家庭料理ならではの魅力を伝えようと腐心する。

  • そういえば、料理研究家って立場は、意外と不思議なポジションであるなと。

  • 料理研究家の人達は、豊かさに触れて育ってて、恵まれた環境だからセンスを育てられたんだと思った。それに加え、情熱という才能。

  • 面白かった。料理研究家という存在を辿りながら女性史も辿っている。同時に「自分で選んだ」と思っていることも世相のうねりに影響されていたことにも気づいた。料理研究家の土台は豊かな経験から、というくだりに納得。読み終わると、自分にとって料理とは何かを考え直したくなる。著者が料理が得意な人ではないのがよかった。ちゃんと料理しないといけないなあ。

  • 戦後の代表的な料理研究家たちを主に時系列で(「和食指導」者たちの章は別立て)、それぞれが活躍した時代背景とともに紹介し、それぞれのスタイルと彼女たち(料理研究家は、やはりというかなんというか、ほとんど女性)が世に出た必然を語る本。
    料理が一部の女性の「教養」だった時代から、冷蔵やバイオテクノロジーなどの技術や物流システムの発達で食材が豊富になり便利になった反面、多くの女性たちが毎日の献立に悩むようになった高度成長期、女性の生き方が多様化した現代まで、女性がどんなふうに毎日の料理や暮らしと向き合ってきたのかを俯瞰します。
    タイトルに名前が踊る小林カツ代さんと栗原はるみさんはそれぞれ自身のことを、かたや「家庭料理のプロ」、かたや「主婦」と自任します。その思いの違いはどこにあるのか。
    著者は栗原はるみさんを「女性のヒエラルキーのトップ」といいます。それはなぜか。
    それぞれの料理研究家のレシピの特色を、ビーフシチューや肉じゃがで比較する、という趣向もよかったです。面白くて読み始めたら止まらない一冊でした。
    著者があとがきで「料理研究家とその時代を研究」しているうちに、「女性史としての側面」が強いものになったと書いていますが、まさにその通りのイメージです。
    最終章では平成の男性料理研究家も登場します。これも時代ですね。

  • 過去の料理研究家たちの系譜が、女性の生き方の変化と共に説明されている。
    全体としてはとてもよくまとめられているのだが、所々、著者の勇み足というか、思い込みのようなものが見受けられる。

    例えば以下の様な箇所。

    1.ケンタロウのから揚げのコツについて(124ページ)
    ”「鶏肉は一件ものすごく扱いやすそうなやさしい素材に見えるけれど、実は肉の中で最もといっていいぐらい火の通りが悪いのだ。優しい外見に惑わされると、外はいい色、中は生、というイタイ目にあう」
    鶏肉をキャラクターに見立てて解説している。コンピューターゲーム世代がおとなになったこの時期、若い世代にふえた言い回しだ。”

    このケンタロウの文章をどう読めば、鶏肉がキャラクターになるのか。しかも『若い世代にふえた言い回しだ。』とは?特に若い世代にふえた言い回しとは思えないのだが。

    2.栗ごはんについて(148ページ)
    ”<前略>、日本人のソウルフードである栗を使った「栗ごはん」なのである。”

    一体いつから、栗が日本人のソウルフードになったのだ?

    それにしても、なぜか栗のレシピが多い。

  • 広く名前の知られた料理研究家たちを時代を追って紹介しながら、彼女/彼らが支持を得た時代背景を分析して見せるというコンセプトで書かれた本。この切り口を選択した時点でつまらない内容になるわけがない。とりわけいろいろな料理研究家たちが提唱するビーフシチューのレシピを比較するという着眼点が非常におもしろい。わたしなどは家庭でビーフシチューを作るなら市販のルーを使うものだろうと思い込んでいたので、ブラウンソースを作るところから解説するレシピが出てきたのにはおどろかされた。
    本書は良作ではあるのだけれど、それだけにおしい点もいろいろあった。それぞれの料理研究家の掘り下げはそれほど深くなく、また時代背景の分析としては(あとがきで著者自身も書いているように)女性史としての面が出すぎていて視野がそれほど広くない。どっちつかずの印象を受ける。

    以下、気になった点など。著者は和食の伝承がむずかしくなった理由としてWW2による断絶を挙げ、「戦中戦後に子ども時代を過ごした女性たちは、親から料理を教わることができなかった人が多い。上の世代や過去に対する不信感もある」と書く。この指摘はまあ理解できる。続けて「コメの消費量が落ち続けているのは、おかわりする必要がないほどおかずの量がふえたことも大きい」と指摘しており、これも一面では正しいだろう。ただそれを言うなら、終戦後の食糧難の中でアメリカから小麦粉が入ってきて、給食などを通してパン食が定着したことにもふれるべきだろう。海外から新しいものが一気に入ってきたときに、それが新鮮なものとして受け入れられると同時に旧来のものが古臭いとして廃れる、というのはたとえば明治期の日本で美術品が海外流出したときにも見られる現象で、コメ食や和食についても同様のメカニズムで大体説明できるのではないか。またあるいは日本でテレビ放送がはじまったばかりのころ、アメリカで作られたテレビドラマが放送されたりもしたわけだけど、その劇中には巨大な電気冷蔵庫が出てくる場面などもあり、そういう生活が憧れの対象として当時の日本人たちに少なからず認識されていたという話は有名だろう。
    また本書は「クロワッサン症候群」に言及したり、小林カツ代の政治的な立ち位置について言及したりもしているけれども、そういう射程の議論をするなら「暮しの手帖」だとか花森安治に言及しないのはさすがに手落ちではあるまいか。スローフードや食の安全の話をしたいならなおさら。そもそも本書にはスローフードという単語が何度となく現れるけれども、その単語を生みだすもとになったファストフードであるとか、ファストフードが広がった背景だとかの説明が明確に書かれていないので、記述がかなりアンバランスに感じられる。

    他方80年代の手づくりブームについての分析は鋭い。論旨はこうである。

    【19世紀後半から20世紀前半のカナダの人々にとってジャムやパッチワークは、日本人にとっての着物や漬物と同じ日常の必需品だった。一方ジャムやパッチワークは新しくおしゃれなものと日本の女性たちに認識された。】

    そして海外旅行の敷居がまだ高かったという事情にもふれつつ、この時代の女性たちにとって西洋は「フィクショナルな憧れの対象」で「本物とは違う世界観が求められていた」と手づくりブームの背景を分析してみせるのである。この「フィクショナル」というキーワードはべつの場面でも登場する。2000年以降、昔ながらの日本の食文化が再発見される動きについて紹介する下りで、本書は次のような分析を提示する。

    「地に足がついた自分たちの生活ではなく、憧れの世界である。その時代に日本の風土を伝えるには、フィクショナルな物語性を必要とする」

    「西洋」と「昔ながらの日本」が「フィクショナル」「憧れの対象」「憧れの世界」など共通したキーワードで語られていることの意味をどう考えれば良いのか。乱暴に単純化してしまえばこうだろう。

    【現代の日本から見た「昔ながらの日本」はもはや異国であり再発見されねばならないものである……】

    こういう現象はそれこそ「ディスカバー・ジャパン」と言われたような時代にも見出せるような話ではあるのだろうけど、著者はその意味を掘り下げることはしない。しかしせっかく「フィクショナル」という共通の単語を使用したのだから、そこから今一歩考察を進めてほしかったとおもう。

    本書では主婦という概念が生まれ解体されていくまでの過程について手際よくまとめられており、その点に大変特色がある。まず最初に「大正から昭和初期にかけて、都市部に中流層のサラリーマンがふえ」たことで、その妻たちが主婦となり、主婦という言葉が一般化したことが述べられる。次いで、戦後の「高度成長期には、戦前とはけた違いの規模と速さで中流層が拡大した」ことが述べられる。サラリーマンの増加に伴ってその妻である主婦も当然増加していくわけであるが、戦後にサラリーマンが大衆化していったことについては、たとえば『革新幻想の戦後史』でも解説されている。『革新幻想の戦後史』では、大正期に都市部でサラリーマンが増加する一方、全国的にはその割合は少なかったことを指摘し、サラリーマンがまだ大衆化していなかったことを確認する。その上で戦後になってサラリーマンが大衆化していき、戦前のインテリのモダニズムが戦後は大衆化したと述べる。そして生活流儀が近代化しモダニズムが大衆化する中で、「革新幻想」が戦後、草の根レベルで広まっていったとする観察を提示する。『革新幻想の戦後史』は、その様子を石坂洋次郎の小説がヒットしたことと関連づけて解釈を試みる。これは大変個性的で興味深い論立てである。一方、戦後にサラリーマンが大衆化すると同時に主婦も大衆化していっただろうことは容易に想像できる。実際、草の根レベルの「革新幻想」にはいわゆる「生活左翼」のようなムーヴメントの影響も小さくなかっただろう。このような側面は『革新幻想の戦後史』では解説されていない。
    『革新幻想の戦後史』を通して見るのとは一味ちがう視点から「革新幻想」を眺める、そのひとつのヒントを提供してくれるものとして本書を味わってみるのも、またおもしろいかもしれない。

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小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)の作品紹介

家庭料理の革命家&カリスマ! 小林カツ代と栗原はるみを中心に、百花繚乱の料理研究家を大解剖。彼女たちは時代を映す鏡であり、その歩みは日本人の暮らしの現代史である。本邦初の料理研究家論!

小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)はこんな本です

小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)のKindle版

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