- Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106106477
作品紹介・あらすじ
頑張れない、傷つきやすい、意志が弱い―― 。生きる力に欠けた若者は、欧米流「ほめて育てる」思想の産物である。その決定的欠陥を臨床心理学データが一刀両断! 教育と人材育成に関わるすべての日本人必読の書。
感想・レビュー・書評
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日本の子供の自己肯定感の低さは他の諸外国に比べて低い、ということは有名な話です。
では、「叱るのをやめてもっと褒めよう」というので自己肯定感が高くなるかというと全く逆だったそうです。
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私自身最近つくづく思うことですが、
子どもが大人に対してフレンドリーなのはいいことですが、
それが行きすぎて、大人を舐めていたり、奴隷や召使のように思っている子どもがすごく増えたと感じています。
彼らは悪いことをしても大人からガツンと怒られたことがないので、
問題行動がどんどんエスカレートしていく。
そしていざ大人が怒れば酷く傷ついて虐待だ、権利の侵害などという。
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「ほめて育てる」は、厳格すぎる父系社会の西欧(体罰賛成が7割)で「行き過ぎは良くない」で生まれた理論であって、それをそのまま日本に輸入したことからおかしくなったとのこと。
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・優しい課題ができた時に褒めると逆効果
・明確な根拠なしに褒めると逆効果
・過度に一般化しすぎた褒め方は逆効果
・コントロールするような褒め方は逆効果。
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1「頭がいい」と褒められる
2特に何も言われない
3「一生懸命頑張ったからだ」と褒められる
1→萎縮して、2よりも挑戦しなくなる
3→次の難しい課題にも積極的に挑戦するようになる。
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楽観主義者よりも、悲観主義者の方がうまくいく確率が高くなる。
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子どもはきつい言い方をされても、背後に深い思いやりを感じていれば、自分は守られていると感じ、自分の価値を感じる。
それが自己肯定の土台となる。
褒めるよりも大切なのは、根本的なところで、子を思う心。
自己肯定感は周囲が与えるものではない。
壁にぶつかり、頑張っても思い通りにならないことに苦しみそれでも、壁を乗り越えたり力を尽くすことで徐々に培われていくもの。
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私の話に戻りますが、昔、本気でガツンと叱って泣かせた男の子がいたのですが、なんと六年ぶりに再会することに。
向こうはもう怒られたことなど忘れてしまっていて、こちらが楽しく絵を描いてあげていたことはしっかり覚えていた 笑
私も、大人になってからも叱られたり、叱ったりしてきましたが、
筋が通っていてちゃんとその人と向き合って想いが伝わるんだったら、一時は気まずくなっても、それが幸せの法則、道徳率に向かうものであったらありがとうと思えるものなのだと思います。
幸せになって欲しいから、本気で叱る。ぶつかる。
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「褒めて育てるべきか、叱って育てるべきか」という二項対立、どちらかに絶対的な答えがあって、どちらかが正しい、思うのは問い方の落とし穴ですが、
状況や相手、目的によっても態度は変わってくると思います。
アドラーは「褒めもしない、叱りもしない。淡々と責任を取らせる」
といい、
夜の街の不良たちを見続けてきた夜回り先生水谷修さんは「私は子どもを一度も叱ったことも怒ったこともない。とにかく褒めて、ただ悲しそうにそばにいただけ」「いいんだよ」と言います。
私の場合、上記の二人の呪縛?が強く、「叱ったら負けだ」くらいまで思っていたことがあります。
ところが、確固とした軸を持ちつつも、適宜父性を発揮しないといけないと思うようになってきたこの頃です。 -
著者の「イクメンの罠」からの流れ読み。
「叱られることに抵抗感がある」これは誰でも持っている感情だろうが、叱られた時、それに対処できるレジリエンス(心の復元力)が育っていない若者が増えているという。
レジリエンスを育てるには、失敗してもそれを克服する努力をすることでいい方向に向かうことできる、という自信というか自己肯定感を持つことだという。自己肯定感を育てるには褒めるだけではダメだ、ということだ。
「注意されることは、攻撃されること」、これも大なり小なり誰もが感じることではある。自分なりにどう処理するのか、そのためのいろいろな引き出しを自分の中に持つための経験の蓄積ができるとといいのだろう。では、社会に出て、組織の中で、どのように引き出しを持つよう育成すればいいのか、悩みどころだ。
あれっ、それを考えるための流れ読みだ。 -
近頃の若者の生きづらさには「ほめて育てる」という思想が深く絡んでいるのではないか。であれば、できるだけ早く世の中の風潮に警鐘を鳴らす必要がある。そんな思いから書かれています。
欧米のやり方を表面上まねて取り入れると、文化的背景が全く違う日本ではおかしなことになってくる。
そして、日本では地域や学校で躾(社会化)が行われてきたが、もはやそれが崩壊して久しいので、親がやっていくしかない。
そんな現状で親ができることは…❗
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ほめるとダメになる。という直球な言葉に惹かれて読んでみた。読み終わったあとタイトルに共感できた。
①最近の大学では自分勝手な自己主張をする人が多くなっている。遅刻を指摘したら「家から1時間半もかかるから仕方ない」などと。義務を果たさなくても叱られない。その結果どのような人間が育つことを考えなければいけない。
自分が関わっている子どもたちにも、注意しても何かしら言い訳をしてくることがある。それに屈せずダメなことはダメと毅然な態度で接していく必要がある。
②友達のような父親は実は父ではない。父とは子どもに文化を伝える者である。伝えるとはある意味価値観を押し付けることである。自分が真に価値あると思った文化を教え込むのが父親の役割。
子どもが行動をみて、いいところを探して褒めようと気構えるのではなく、自分がいいと思っていることは積極的に伝えていく。そのためには自分も常に自己研鑽を重ねて、本当に大切なものを精査していかなければならないと思う。
③世の中にはいいお母さん=叱らないお母さんという図式が見える。その結果マナー違反している別の子どもを注意することを躊躇ってしまうことがある。注意された子は嫌な思いをするのでは?その子の親も同様に。マナー違反している事実を棚に上げてそこまで慮る必要はない。
自分もそのように考えてしまうことがある。他のクラスの子だからと見て見ぬ振りをしてしまったことご何度かあった。それではいけない。 -
いつも妻が子供を褒める時、「天才!」と言ってたことがずっと引っかかってた。
行動や努力を褒めないと、ヘタれたガキになると思っていたところ手に取った本。毒親はダメだけど、自立した子どもを目指すなら、思春期前後は突き放す勇気も必要かと。
親心子知らずとは言うけど、ウザがられる親にならねば。
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今、自分の周りを取り巻く状況から考えると、とても納得できる部分が多かった。「褒める」方法の良し悪しにより、子どもへの影響は計り知れない。今の日本の現状から考えても、良くない点もあるだろう。自分自身の子どもへの接し方を考えさせる本となった。
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・叱らない子育て3つの弊害
①ストレス耐性が非常に低い
叱られ慣れていないと「叱られる=攻撃される」といった印象に
②自分を振り返る習慣が身につかない
人為的ポジティブになることの危険性→弱点や現状を把握できず、勘違いだらけの人間に
③自己成長、達成感を味わう喜びを奪う
ほめることに付随する厳しさの欠如→「頑張ることができない心」を生み出す
・母性原理が強すぎる親の、子どもの囲い込み
・ほめるのが良いか悪いかということよりも、ほめ方が重要。モチベーション維持には、「頭の良さ」より「頑張り」をほめる方がよい
・「ほめて育てる」=×子供のため ○親自身の自己愛を満たすこと
→子どもを一人前に育て上げ社会に送り出すという親のアイデンディティの崩壊
・親が抱える心理的問題
①嫌われたくない心理
②かわいそうと思う心理
③自身の感情コントロールが苦手
・結論
子どもたちの自己肯定感が低いからと言って、「ほめて育てる」が解決にはならない。自己肯定感の本質、ほんものの自信の意味を理解しない専門家の誤りだった。その結果、いわば自己肯定感のさらなる低下を招いた。
・いま大切なのは
母性の暴走にブレーキをかけること。子どもと親密であるのは児童期まで、思春期以降は心理的に切り離すよう心がけること。親としての権威を自覚し、価値観や方針を自信をもって子どもにぶつけること。地域社会や学校によるしつけに期待せず、子どもを自立へ追いやる覚悟を持つこと。 -
「ほめると子どもはダメになる」
言い過ぎではないかと
本書を手に取った。
内容は
ほめることの良し悪しや
叱ることの必要性を心理学的観点から
研究や筆者の経験をもとに考察している。
子どもの成長を思い
愛情を持って叱ることも欠かせない
言いたいのはこれだろう。
親になったら再読必須。そんな一冊だった。
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自分に子供がいたら、甘やかすんだろうか?
と思いながら、読んだ。
たしかに、親と子供の関係から友達の関係になっている親子も珍しくなく、そういった子どもは基本的な礼儀が欠けている場合も多い。と感じる。
賛成できない部分もあったが、考えさせられる一冊であった。