能 650年続いた仕掛けとは (新潮新書)

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  • 新潮社
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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784106107320

感想・レビュー・書評

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  • 著者は、初めての能で「松風」を鑑賞中、水面に浮かぶ月の風景を幻視してから能にハマり、能楽師にまでなられた方。私も初めての能で、著者までではないが、鑑賞中時間を忘れてトリップした経験があり、能は従来のエンタメとは何か本質的に違うのでは、と思ったことがあったので、興味深く本書を読めた。

    入門書に相応しく、能楽の歴史や、特徴や仕組み、効能などがカバーされていた。特に興味深かったのが、漱石や芭蕉、三島由紀夫や村上春樹などの現代の作家や漫画家の作品に見られる能からの影響。それら影響を受けた作品を改めて読んでみたくなった。

    最も印象的だったのが、現代の映画などを私たちはお金を払って「消費」する感覚で鑑賞しているが、能は消費の対象ではないという事。映画などは鑑賞側の能動性が求められず、あくまでも受け身であるため「消費」となるらしい。逆に能は「観る」のではなく「能と共に生きる」心構えが必要で、そのために詞章(セリフ)を声を出して読んだり、謡や仕舞を稽古したり、聖地巡礼をすると妄想力が鍛えられ、能の見え方が変化するらしい。なかなかハードルが高いが、能は限られた要素を使って鑑賞者の妄想力を刺激し、幻視を発動させる装置とも言え、今のARやVRにも通じるものらしく大変興味が湧いた。

  • 安田登(1956年~)氏は、大学卒業後、高校教員を務めていたときに偶々観た能の舞台に衝撃を受け、27歳で下掛宝生流ワキ方の鏑木岑男に入門。国内外の舞台で能を演じつつ、学生の創作能や能についてのワークショップ等、能楽の普及のための幅広い活動に参加している。能や能のメソッドを使った身体論等に関する著書多数。
    本書は、能について、歴史、様式・形式、観阿弥と世阿弥、謡(うたい)、芭蕉や漱石への影響等、幅広い視点から解説したもので、目次は次の通り。
    第一章:能はこうして生き残った、第二章:能はこんなに変わってきた、第三章:能はこんなふうに愛された、第四章:能にはこんな仕掛けが隠されていた、第五章:世阿弥はこんなにすごかった、第六章:能は漱石と芭蕉をこんなに変えた、第七章:能は妄想力をつくってきた、第八章:能を知るとこんなにいいことがある、<付録>「能を観たい、習ってみたい、知りたい」方へ。
    私はアラ還の会社員で、これまで、演劇の類はオペラやミュージカルを観たことはあるものの、日本の古典芸能に接したことはなかったのだが、コロナ禍が明け、思い立って、能楽、歌舞伎、文楽(人形浄瑠璃)を立て続けに見てみた。結果として、いずれについても、今後も継続して観たいと思うほどの面白さは感じられなかったのだが、折角の機会なので、「能」のことをもう少し知りたいと思い、本書を手に取った。
    読み終えて、舞台を一度見ただけでは到底想像のつかない、「能」という単独の芸能を超えた、様々な歴史や文化との繋がりを知ることができ、なかなか興味深かった。印象に残った点をいくつか挙げると以下である。
    ◆観阿弥・世阿弥が残した最も有名な言葉「初心忘るべからず」の真意は、「それを始めたときの初々しい気持ちを忘れてはいけない」ではなく、「折あるごとに古い自己を裁ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」ということであり、能が650年間も存続できたのは、時々に変化し、生まれ変わってきたからである。
    ◆能の典型的なパターンのひとつに、ワキ方の夢の中に死者の霊のようなシテ方が現れる「夢幻能」があるが、これは他の演劇にはない珍しいもので、敗者の無念を昇華させ、鎮魂するという意味があった。それは、勝者である江戸幕府が、能を庇護した理由のひとつでもあった。また、芭蕉も能の謡から影響を受けており、「おくのほそ道」の旅は、源義経の鎮魂と考えることもできる。
    ◆世阿弥が残した能の理想的な構造である「序破急」によれば、「破」の場面では、観客が半分目を開けながら寝るくらいにしておいて(観客の心の深いところに降りていく)、「急」の場面で目を覚まさせるくらいがよい。(これは驚き!確かに眠かった)
    ◆能は、舞台は極めて簡素であり、演者の動きも控えめで、話している内容もわからないことが多く、演劇としてリアルであるとは言い難い。しかし、それによって、観ている人は能動的にならざるを得ず、今見えていないもの(自分の脳内に蓄積されているもの)が見えてくることになる。謡も、それを媒介する効果がある。能を本気で味わうには、「能を観る」ではなく、「能と共に生きる」心構えが必要。
    ◆能のクライマックスは「舞」であるが、舞に「意味」はなので、そこから意味を汲み取ろうとしたり、ストーリーを感じようとすると、途端につまらなくなる。舞のゆっくりした時間の中に身を委ね、味わうのがよい。(これも驚き!)
    (尚、能を観たり習ったりすることの直接的・現代的な効果(健康増進、集中力アップ、ストレス解消等)についての記述もあり、それらは新書の主たる読者層であるビジネスマンを意識したものであろうが、少々違和感が残った)
    もう少し知識をつけた上で、再度鑑賞してみようという思いが湧いてきた。
    (2024年2月了)

  • 世阿弥の風姿花伝で能に触れた後、能のことをより勉強したいと思い購入。
    面白いなと思ったのは世阿弥の「初心忘るべからず」という言葉の解釈である。本来は物事を始めたときの気持ちをずっと忘れるなととらえられがちだが、本来世阿弥が意味した意味というのは「折あるごとに古い自己を断ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない」ということである。これは知らなかったため、「はぁ~」と勉強になった。実際、室町時代の能と幕府に保護され式楽となった江戸時代、明治時代以降、戦後と4つのフェーズで能は大きく変化しており、形を変えながら生き残ってきたのはまさにその「初心忘るべからず」を体現してるなと感じた。

    また、江戸の武士の中で能は教養として身につけなければならないものであり、「候文」が武士間で使われていたのは、それが標準語となっていたからというのも面白かった。能を知っていることが前提で、方言同士では話し合えないため、候文が使われていたとか。

    さらに、現代で通ずる話では、現在の2.5次元との相関性(能は妄想を映し出すスクリーンとなるとか)がある。
    人気になる芸能は妄想を喚起させる力が強く、そこでは歌の力が強い。現代に通ずるなと納得。
    また、聖地巡り(能で演じられた舞台を実際に旅するとか)も当時からあったと書いてあり、昔も今も人間の本質って変わっていないんだなと実感した。

    温故知新ではないけど、過去の歴史のことも勉強して抽象化して、現代で起こりうることを予想することにもっと役立てたい、そう実感させてくれた。

  • 著者自身がワキ方の能楽師でいらっしゃるため、「能というのはこういうものだよ」とレクチャーしてもらえる内容ですが、観劇を始めたばかりの現時点では「そうか、そういうものか」と知識として受け入れる状態です。
    しかし、観劇の回数が増え、能の謡を習ってある程度年数が経った後にこの本をもう一度読めばより腹落ちするのではないかと思える、自分の能楽の経験値を測れる本のような気がしました。

    内容として特に興味をそそられたのが、主人公の武士が修羅道や地獄に堕ちるストーリーの多い能を江戸幕府が庇護した主目的は「敗者の鎮魂」であった、そして幕府から与えられた鎮魂、それも「源義経の魂を鎮める」というミッションが芭蕉のおくのほそ道にはあった、というのは話 。
    後半のミッションの話は著者の仮説ですが、読んでいるとあながち間違っていない気がしてかなり興味深い内容です。

    芭蕉以外に能を習っていた文人は近代にも多くいたようです。特に漱石の作品には能の影響が色濃く出ているものがあり、中でも主人公が旅に出る『草枕』は「能を通して世の中を見る」という『おくのほそ道』と似通った設定(芭蕉は自身を能のシテ方と設定して旅をした)で物語が進みます。
    かねてから太宰や漱石などの近代文学作品を読んでみたいと思いつつ、どうも食指が動かなかったんですが、これを機に『おくのほそ道』と合わせて『草枕』『夢十夜』から読んでみようと思います。そしてこの本同様、年を経て能の経験値が増えた時にもう一度読み返したいと思います。

  • 世襲
    幽玄
    芸能

  • http://naokis.doorblog.jp/archives/noh.html【書評】『 能 650年続いた仕掛けとは』 : なおきのブログ

    <目次>
    はじめに
    第一章 能はこうして生き残った
    第二章 能はこんなに変わってきた
    第三章 能はこんなふうに愛された
    第四章 能にはこんな仕掛けが隠されていた
    第五章 世阿弥はこんなにすごかった
    第六章 能は漱石と芭蕉をこんなに変えた
    第七章 能は妄想力をつくってきた
    第八章 能を知るとっこんなにいいことがある
    <付録>「能を観たい、習ってみたい、知りたい」方へ

    2017.11.03 新書巡回 歌舞伎と双璧をなす日本の古典芸能。
    2017.12.04 SERENDIPより
    2018.02.18 読書開始
    2018.02.21 読了

  •  能楽師が語る能の魅力。

     能の歴史から仕組み、魅力、見方や習い方まで。
     能ってこんなにも日本の歴史、生活に関係していたのかと驚く。能の山場である舞には実は意味がないというのも驚きだった。能は演劇とは違うカテゴリーなのかもしれない。
     能はこんなに役に立つという視点も面白い。古武術をしている者としても興味深い記述が多かった。
     そこまで読んだところでしっかりと観劇や教室の仕方まで書いてある。これは一度まず能を見に行かないと。。。
     

  • 「能」の魅力をふんだんに説かれて、すっかり興味を持ってしまった。チケットも買いました。鑑賞後、感動してもっと好きになるか、意味がわからず疎遠になるか、確かめてみます。

  • 意味のない型の中に込められた何か。

  • 能の物語の構造や由来など、基本的なことから読みやすい筆致で書かれている。古典や和歌、俳諧とこんなに関係しているとは知らなかった。時間を使ってゆっくりと連想・妄想の世界へ誘う芸術であり、受け手も想像力で参加して完成する。どの辺で参加すればいいのか、おぼろげながら見えた気がする。

    能の中で「ここには意味はないですよ」(身体性重視)という話も、超入門者にはありがたかった。知らなければ意味を探してしまいそう。あとは自分で観たり聞いたりするのみ。ただ本人も「飛躍しているかもしれない」という偉人と能の関係性については話半分に聞いておこうと思う。

著者プロフィール

安田 登(やすだ・のぼる):1956年生まれ。 能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京(広尾)を中心に全国各地で開催する。関西大学特任教授。 著書に、『身体能力を高める「和の所作」』(ちくま文庫、2010年)『異界を旅する能』(ちくま文庫、2011年)、『日本人の身体』(ちくま新書、2014)、『身体感覚で『論語』を読みなおす――古代中国の文字から (新潮文庫、2018年)、『見えないものを探す旅――旅と能と古典』(亜紀書房、2021年)『古典を読んだら、悩みが消えた。――世の中になじめない人に贈るあたらしい古典案内』(大和書房、2022年)、『魔法のほね』(亜紀書房、2022年)など多数。

「2023年 『『おくのほそ道』謎解きの旅』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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