愛蔵版 グレート・ギャツビー
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この作品からのみんなの引用
みんなの感想・レビュー・書評
5月の9冊目。今年の63冊目。
グレート・ギャツビーはいくつか翻訳があるらしいが、図書館でたまたま余っていたので、この村上氏が訳したものを読んだ。うーん、実際よくわかんない。あんまり私はアメリカ文学などは合わないのかねー。あとがきで訳者はこの作品を絶賛しているが、まぁ私もその良さを理解できない1人になりました。
たぶん名作なのでしょう。ただ私の知識と文学的能力の低さによって、ぜんぜん良さが理解できない。
はじめて読んだのに、途中まで読んだことあったから、以前挫折したのかな。今回は最後まで読めて、おおまかなあらすじが分かった程度。
繰り返し繰り返し読めばあるいは好きになるかもしれない。しかしそんなエネルギーなど私には、ない。
翻訳小説の 難しさを はじめて感じました。
村上春樹さんの 読みやすい翻訳をもってしても
あとがきに有る様な 文章の美しさが 未熟な自分には
読み取る事ができませんでした。
ただ 読書素人の私に 新たな 読書の仕方を おしえてくれました。
追記:再読を始めると 驚くほどスラスラと楽しく読み進みました。
最初はきっと 難しく考えて読んでたんでしょうね。
NYウェストエッグ側に住む主人公が見つめる、隣人ギャッツビー。うわさなのか真実なのか分からない経歴と全く不透明な財源、毎週行われる寄せ集めのどんちゃん騒ぎ。そんなギャッツビーが追っていたのは、5年前に手からこぼれ落ちてしまった恋人だという。最後、ギャッツビーが見つめていたであろう、対岸の恋人の家の灯の描写がとてもきれい。あまりにも純化されてしまったギャッツビーの理想に、不倫と浮気がからみあう、というストーリーの割に情けない最後だが、とにかくこんな話だったのかとびっくりして終わった。訳者にとって最高の一冊は、私にとっては手に取れずに終わりそうだった作品、とすれば新訳を作ってくれた氏に感謝するのみである。
この本を読むのは3回目。最初は野崎訳で読み、次に春樹訳(村上春樹翻訳ライブラリ)で読み、そして今回。何度も理解したいと思ってきたのに、どうしてもこの物語の良さが分からなくて、凄く苦心してきました。今回も丁寧に、丁寧に、できるだけ理解しようと心掛けながら読んだ。
ギャツビーの哀しさ、人間の哀しさはこの本から学べたつもり。この物語はひと夏だから美しい、ということも分かったつもり。愛を手に入れるため莫大な資産を得て、夜な夜な豪華絢爛なパーティーをして、虚栄に満ちたギャツビーの豪邸。結局なにも手に入れられなかったギャツビー。華やかさに魅せられた人々はすぐに去っていき、愛も過ぎ去る。哀しいのか、さみしいのか、これが人間としての業をえがこうとしたものなのか、もう分からない。
読み終わるたびに言ってるけど、もう一度読みます。心から分かるために。
なんといっても文章が美しい!私は実は村上春樹って翻訳されてる本しか読んだことなくて、彼の作品はノータッチなんですけど、なんというか春樹訳の本を読むだけでも春樹の偉大さが分かりますよね。
中身についての感想。なんだかすごく『嵐が丘』を思い出しました。偽りのキャサリンとヒースクリフ、のような…。うむむ、この感想は正しいんですかね?感想に正しいも正しくないもありませんが。
アメリカ文学の中で、一番好きな作品。ギャツビーの切ないまでの一途さに胸をうたれる。
デイジーを手に入れるために、巨万の富を築き、念願かなって再会するも、最後には破滅していく姿がとても儚い。ギャツビーがデイジーを美化しすぎていて、彼女の本質を見失っているのも、痛々しくてすごく好きだ。
なぜこんなにもこの作品に心惹かれるのだろうか。普段ならはっぴーえんどでないとすっきりしないのに…。
とにかく原文の表現も美しくていいし(特にデイジーの比喩の表現)、村上春樹の訳も素晴らしい。彼は天才だと思う。
また読み直したい作品。
水辺の館で、友人の過去が主人公の目の前で詳らかにされていく...
印象深いのは夏の風が洋館を吹き抜ける描写や、アメリカの街を照りつける光の描写であった
グレートギャツビーは他の作家も翻訳しているようなので、読み比べもしてみたい。
出鱈目にページを開く
僕は気が向くと書棚から「グレート・ギャツビー」を取り出し、出鱈目にページを開き、その部分をひとしきり読むことを習慣にしていたが、ただの一度も失望させられることはなかった。 ワタナベ
p103 ギャッツビーは車のステップボードに立ち、せわしなく身体を動かしながら、均衡を保っていた。これはアメリカ人に特有の体癖で、若いときにものを持ち上げる作業をあまりしなかったとか、きちんと座る訓練を受けなかったとか、そういうせいかもしれない。我々の愛好する落ち着きなく散発的なスポーツ・ゲームの、形式を欠いた美質にその原因を求めることも可能かもしれない。いずれにせよこうした傾向は、そわそわする... 続きを読む »
何気なく原書を手に取ったこの作品は、アメリカでは不朽の名作として学校での必読書となっており、村上春樹にも最も影響を受けた一冊だと言わしめているほどの作品のようです。
ストーリーや背景もさることながら、フィッツジェラルドが惜しげもなく才能と情熱を注いだ言葉の表現と響きがこの作品を文学作品として比類のないものとしているようです。
村上春樹のこの訳を読んで、原書を読み切っていない自分がいうのも気がひけますが、原書の文の響きを余すことなく伝えているように感じました。
ともあれ、この作品を再び原書で読み返して見ることが楽しみでなりません。フィッツジェラルドの他の作品も読んでみたくなりました。
十数年ぶりの再読、前に読んだのは野崎訳。
村上訳は読みやすくて、それでいてこの小説への愛を感じる。
喪失感とも感傷とも違う、いいようのない読後感。
美しく痛ましい、ひと夏の物語。
ギャツビーも、デイジーも、トムも、みんな少しずつ罪。
ギャツビー死後のトムとデイジーの行動が哀しい。
最初と最後のトムの語りが素晴らしい。(妻)
村上春樹がぜひ60歳になったら訳したい!と思っていたが、待ちきれず出版した、という作品影響をうけた本を一冊選べといわれたらこの本以外はない、とまで訳者のコメントで書いているが・・・なんとなくぴんとこない、靴の上からかゆいところを掻くような、それは日本語になってしまっているからだろうか?何度も読むことでその良さがわかるのか、残念ながら今回はちょっとわからん!
華やかで軽やかで薄っぺらい人間関係。その中で愛を信じて努力してすがったギャツビーの哀しさが胸に迫ります。たった一人ギャツビーを見送ったニックの普通の優しさがせめてもの救いに感じます。
村上さんがずいぶん前からいつか翻訳したいと表明していた『グレート ギャッツビー』。ついに出版されましたね。愛蔵版と新書版が同時に出版されていますが、1920年代のニューヨークを解説した特別付録が付いている愛蔵版の方を買いました。高かったけど。 『ライ麦畑でつかまえて』の翻訳でもそう思いましたが、村上さんは翻訳家としても一流なのだなと再認識しました。昔の訳を読んだ当時、この小説の舞台のニュー... 続きを読む »
2009/10/10 図書館にて読了。
新潮文庫で以前購入して、2回ほど読んだが、さして心に残っておらず。
新たな気分で読めた。
一途さは時に身の破滅にもなるな、と。人を想うことは侠気の世界なのかもしれない。ボタンの掛け違いは簡単に起こる、それをそのままにしておくことも、直すこともできるけど、全ては自分で判断した結果なのだと思う。
09年5月4日開始 09年5月5日読了 アメリカ文学で好きな作家は?と聞かれたら、過去の作家ならスコット・F・フィッツジェラルド、現代ならポール・オースターと答えるようにしている(三十数年生きてきてこの方聞かれたことはないけど)とはいっても、オースターはともかくフィッツジェラルドは長編は『ギャツビー』のみで、いくつかの短編集を読んでるだけ。知ったきっかけは、当然のごとく村上春樹の影響。 ... 続きを読む »
既読感、、、Z会の添削で昔よんだ(一番もりあがるとこ)
1922年の話
名前がたまにややこしい
妻ゼルダの影響大
―――――――――
あとがき
村上春樹は60になってから翻訳をはじめるつもりだった
オールドスポートはそのままが一番
ヘミングウェイと同時期
最初と最後が素晴らしい
―――――――――
有色帝国の興隆 ゴッダード
1919年 ワールドシリーズ
ゴネクション
アメリカ文学の代表作のひとつ。今更僕が語るまでもない有名な小説ですが、人間の夢や想いに対する儚さ、虚しさの表現の傑出っぷり、そこから来るだろう切ない読後感、僕は好きです。
ギャツビーの「美しい破滅」的生きかた、物事に対する病的な執念を含んだ感覚や身のこなし、話しかた…等、まさに村上春樹文学の原点を見る思いです。

「どれもこれもカスみたいな奴らさ。全部あわせても君一人の値打ちもないね」というキャラウェイの叫びが印象的。「ライ麦」のあとはこれだね。





