アイロンと朝の詩人―回送電車〈3〉

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著者 : 堀江敏幸
  • 中央公論新社 (2007年9月発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (287ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120038662

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アイロンと朝の詩人―回送電車〈3〉の感想・レビュー・書評

  • 正式には何と呼ぶのかは知らないが、勝手に「落ち穂拾い」と名づけたジャンルの刊行物がある。長短、硬軟を取り混ぜ、雑多な媒体に書き散らした短文、解説、随想、エッセイその他の文章を集め、よく似た主題を持つものをひとまとめにし、五つくらいに分けたものを、適当な題を付けて単行本として出版したもののことである。

    小説家と呼ぶには、小説以外の文章を書くことが多い物書きには結構この手の本を出している人が多い。通俗小説を書きとばすタイプではなく、一つのスタイルを持ち、自分の書く文章にこだわる作家は、連載のかけもちなど、どだい無理な相談である。作家一本で食っていこうと思うなら、およそ見当違いな雑誌や新聞から舞いこんできた依頼原稿であっても、可能でさえあれば依頼を受けるにちがいない。

    そんなわけで、目的も想定される読者も様々な文章が、まとめられることもなく、発表当時の媒体に印刷されたままで、日を送ることになる。重要な文学賞を何度も受賞している堀江氏くらいにもなれば、出版社も放っておかない。まとめて一冊に編めるくらいの原稿がたまれば、単行本として出版したくなるのも道理である。かくして「回送電車」も三巻目となった。

    しかし、内容はⅠ、Ⅱに比べると残念ながら、集められた文章にばらつきが感じられるようだ。ある種の軽みがほしくて文章に軽重をつけるということもあろうが、それにしても現代日本語の文章を書く作家の中で、信頼を置ける何人かの一人と目される堀江敏幸にしては、軽すぎるのではないかと思う文章が散見されるのが惜しい。

    そんな中で、ようやく小説家としての自覚が高まってきたのか、小説を論じた文章に、この人ならではという視線を感じる。芥川の『文芸的な、あまりに文芸的な』を論じた〈「最も純粋な小説」をめぐって〉も、その一つ。以下に引用する。

    些細なことに注目するリアリズムの処理に、強固な詩的精神を加味すること。叙情、ではなくて、叙そのものが情をにじみ出させるような書き方を探ること。「最も純粋な小説」は、殺伐さと紙一重であるから、それを単に叙情的なものと見なすと、かすかに点っていた焚火の火が消えてなくなってしまうのだ。もしかすると、現在の私の仕事のいくつかは、芥川がそればかりを称揚しているわけではないと限定つきで揚げた《「話」らしい話のない小説》の「詩的精神」の実践ではなく、そのあり方に対する遠い憧憬の上に立っているのかもしれない。

    堀江敏幸の小説が、《「話」らしい話のない小説》かどうかはひとまず置くとしても、氏の小説が、どのあたりを目指して書き続けられているのかがよく分かる真摯な分析ではないだろうか。

    もう一つ書評について論じた文章もいい。「キーパーの指先をかすめたい」から引用する。

    どのような分野であれ、自らの非力を棚に上げて他者の才能を云々するのは大胆不敵な振る舞いだし、私的な空間にとどめおくべき言葉を外に投げる以上、棚に上げた部分の脆さをつつかれても文句は言わない覚悟あってのことなのだから、問われるのは、自分の発した言葉が、最低でもありうべき「すれちがいのポイント」にきちんと届いているかどうかだろう。「すれちがい」は、「交錯」、もしくは「出会い」であり、ひとりよがりの感想を、その是非の判定は繰り延べたまま、言葉として相対化する鏡でもあるからだ。

    こんな文章を読まされると、著者というキーパーの指先をかすめながら、ゴールネットを揺らす、そんな書評を一度でいいから書いてみたいものだと、及ぶべくもない非才の身も顧みず思ってみたりするのである。

  • 堀江敏幸「回送電車III アイロンと朝の詩人」読んだ。http://tinyurl.com/3t2hdol 回送電車3冊目は今までで一番書評や書物周辺の話が多くて、扱っている作品や作家はどれも大層魅力的だ。小島信夫はずっと気になりつつも未読なんだけど俄然読みたくなった。(つづく

    IV部が楽しい。人称「私」、視覚と認識、小島信夫、山越えバス。「不明瞭なものを不明瞭なまま見つづける力こそが大切なのだ」という一文を読めただけで、わたしにとってこの本は充分な価値を持つ。大好きなオースターがここにも登場してうれしい。名探偵ポアロはベルギー人だったのか…

  • 堀江氏のエッセーを読むと、なぜか読み終わると都バスに乗りたくなる。

  • 回送電車Ⅰに続いて一気に読めた。残念ながらフランス文学関係や古書関係については分からないところが多いけれど、自分もいつかは・・・という夢を見られる。また、小川洋子さんの本に出てきた武田百合子の名前が堀江さんのエッセーにも出てくる、というだけで、自分は読んだこともないのに、何か仲間になれた気になる。

  • 8/25 読了。
    愚痴っぽい。固有名詞の明言を避ける、よくわからない基準も気になる。Ⅰ、Ⅱまでは著者特有の生成りの布のような軽やかさで好きなものを語る文章が好もしい。

  • 待機のためだけにフィールドから隔離されたネクストバッターズサークル。
    聞くたびに暗い気持ちになる横断歩道のとおりゃんせ。
    ヨーロッパで暮らして以来どうしても好きになれない家庭の蛍光灯。
    新しく買った携帯電話に多くの男からかかってくるドーラ宛ての電話。
    卵と卵のセット、そしてスポーツマンの猫。
    子どもの頃に見つけた秘密基地の岩棚。
    スラックスの上を行ったり来たりする彼女。
    不揃いな鉛筆削りのかすを出すために手に入れた宗近肥後ナイフ。
    カバー:北園克衛「プラスティック・ポエム」より
    装丁:堀江敏幸+中央公論新社デザイン室

    静かなエッセイ集です。
    文学作品について言及されているところは
    勉強不足のため読み下せていないですが
    少し古い小物についての語り口が凄く好きです。
    鉛筆用のナイフとか郵便用のスタンプとかタイプライターとか。
    スポーツマンの猫について知りたいです。
    でもこの話フィクションぽいからなぁ…

  • p29
    「ほとんど理解できない不思議な経験に最も富んでいるのは、やはり誕生日であった。区別をしないのが人生の常であることは、僕もすでに知ってはいたが、誕生日の朝はやはり楽しい一日を予期しきって起きた」と書いたのは『マルテの手記』のリルケだが、たしかにその朝は、お祭りやクリスマスなどともまるでちがう気圧のなかにひろがっていたのである。

    p34
    一九三三年、昭和八年に書かれた「町の踊り場」は、秋声六三歳の作品で、それに先立つ数年間、あまり筆を執らなかった作家が一種の回生をなしとげるきっかけとなった短篇である。

    p39
    もうひとり、おなじ短篇からまったくちがう空気を汲み取ってみせるのが「荒涼の風に吹かれて」の古井由吉である。

    p43
    梗概にはこうした書き手の視点と読みの深さがすべて刻まれるのだ。自身の足場が不安定な者は永遠に手控えるべき、恐ろしく繊細な感性のリトマス試験紙なのである。

    p51
    判読しがたい文字で綴られていたのは、次のような文章だ。「書かれたものの力とその力を測る方法について私たちに確たる理論がなにひとつないのは、これぞ先験的な理論だといいたげな、内実の伴わない考えを持ち出してごまかそうとするのでないかぎり、さほど嘆く必要のない事実である」・括弧も引用符もない生の文章で、出展や作者名などはいっさい残されていない。

    p52

    p55
    かつて画家を目指したこともあるノラにとって、詩人崩れのジョゼフは不思議な魅力のある男だった。人付き合いがいいわけでもなく、飛び抜けた才能があるわけでもないけれど、「存在しないものを観る能力」に長けていて、お金にも出世にも縁のない彼女の心を慰めてくれる。
    (中略)
    言葉をうまく操れば操るだけ人は言葉に閉じ込められる、人生とは、ちょうどテラスを支えている壁の割れ目からのびた木の根のように、言葉の違反のうちにしか現われない、と彼は言うのだ。作家なんて上手に話すことしか考えていない人間だから孤独なのだ、なぜならうまく語ることは統治の方法でしかないからで、意思の疎通が可能になるのは、共通の《不器用さ》によってのみである、と。ここには法的に結ばれた夫婦の問題というより、ひと組の男女におけるコミュニケーションの、言語的な困難が横たわっているのだった。-p59まで

    p64
    矮鶏抱けば猫よりかろく淡泊にて鳥はさびしき生きものらしき

    そんなふううに斉藤史は詠んでいるけれど、これは改良品種という複製の命を背負った矮鶏がさびしいのではなくて、それを抱いている自分のさびしさを伝えているにちがいない。

    p88
    甘すぎると非難されるだろうか。なるほど野口冨士男や和田芳恵の小説に登場する幸薄い女性たちのこころばえは、いまや歴史のなかに閉じこめられた男性優位の社会の、共同幻想に属しているものであるにはちがいない。

    p89
    雪国の育ちではないから、深く重く降り積もる白い六方晶に囲まれた暮らしは想像の埒外にある。小説や詩から採取した既成のイメージを組み合わせ、風も雲も気温も捨象してひとつの幻をこしらえるのみの哀れな人間にとって、山口哲夫の『妖雪譜』は、雪を愛し、雪と闘い、雪に戯れる言葉のつぶてのいっさいを内包した屈指の名篇である。

    p93
    昭和九年に芝書店から刊行された神西清訳『チェーホフの手帖』は・・なフランス装で、けっして華美ではないのにどこか贅を尽くした風情のみごとな造本である。アンカット版だからペーパーナイフを入れながら少しずつ読むのもいいし、最後までまとめて頁を切ってからひと息に読むのもいい。

    p100
    山川方夫が三十四歳で不慮の交通事故をとげてから三十年が経過した。今年もまた私は、石原慎太郎の夏ではなく、山方方夫の夏を読み返すだろう。そし... 続きを読む

  • 相変わらず慎重に既成のポジションの間隙を縫った立ち位置に踏みとどまりつつ、独自のテンポ感で世間を眺めやる堀江氏のしなやかでぶれのないまなざしが感じられる。早稲田生だった頃のエピソードには10年を隔てた淡い共感を抱いた。

  • この本に出てくるさまざまな妄想(と一言で表すことは大いにはばかられる気がするが)、それらはいかにして言葉に変えられてきたのか、その過程がどれほど慎重であるか、考え、妄想する。

  • 文学に関する専門的なエッセイが多く、知識や興味がないよ読みづらい。

  • 〜〜たとえ善意で発せられた言葉が結果として相手を傷つけたとしても、発せられた言葉の是非ではなく、是非を探ろうと新たに言葉を尽くす倫理そのものが難じられることはないはずだ。〜〜〜

  • まず一番最初の『ネクストバッターズサークル』の詠う物語から、惹きつけられる。それからフランス文学についての散文詩、日常における散文詩など続いていく。文学の海の中をたゆたう航海を、美しい言葉の唄と一緒に、だた一人の航夫になって旅をしていく錯覚に陥る。陽の当たる部屋で読んでいると、自分の頭の影がページに映りこんで、澱みを残す。それが能動的に舵を操る本当の読者の姿かもしれない。

  • エッセイ集「回送電車」の第3弾。毎回の如く表紙には北園克衛の「プラスティック・ポエム」から。いい装幀。相変わらず面白い。特に印象的だったのが「大学の送迎バスに乗り遅れた小島信夫さんをめぐる随想」。小島文学の一端を覗いた堀江さんの視点から、読んでる僕自身も小島さんのあの不思議な歪さを持った小説世界の一端を覗いたような気がした。考え抜かれてる。。。視点が読んでるこっち側と近いというか、フラットというか、それがこの人のエッセイを読んでいて惹き込まれる原因な気がする。(07/11/17)

  • −言葉には裏と表がある。裏が表になり、表が裏になるという動きのなかで、文脈が生まれる。それは少しずつ変化していくものだから、時に調整が必要となりはするけれど、言葉を使って生きているかぎり、伝えたかった意味と、伝えられた意味のずれは、避けることができない。−

    そして堀江敏幸は続けて云う。「是非を探ろうとあらたに言葉を尽くす倫理」と。ああやはりそうであったのかとの思いを強くする。

    堀江敏幸の文章の巧みさは、必ずといっていい程に指摘されることだけれども、自分にはむしろ堀江敏幸の重ねる言葉の多様さ、自分の印象に対する極めて真面目な理屈、そしてその理屈の架け橋の妙の方が際立つ。

    彼が何かを語ろうとする時、堀江敏幸はじっくりと自分の心の動きを観察するかのようである。そして何か自分の中に存在している似たような感情の切れ端をつまみ出す。その感情の基になっている言葉をたぐり寄せる。言葉と、その背景を支える文脈を呼び起こしつつ、自分がなぜその印象を持つに至ったのかを別の側面から説明付けようとする。堀江敏幸のすごさは、その過去の出来事への言及が記憶の再起にとどまらず、再解釈にまで至ることだろう。そして、いま現在の印象に対しても別の解釈が与えられ、一つの事象が思いの他に立体的で多面的であることを読者にも気付かせてくれることだ。

    但し気を付けていないと読み手は堀江敏幸に翻弄されて思考停止状態に陥り易い。そこへまた彼の警句が響く。「はじかれたくない、何とか枠に収まって欲しいと祈りながら書評というボールに詰めてゴールに蹴り込む。ほとんどのボールは、半透明によどむ無理解の靄にかき消されて行方知れずになってしまうのだが」。ああ自分は、幾つ堀江敏幸の放つボールを受け止められているのだろう。

    ところで、自分にとっても、ティガーはトラーなのだが、ピグレットはコブタじゃなくて、コプタなんじゃないかと、ある文章を読んで気になった。あるいはこれは記憶違いだろうか?P音を残した石井さんの名訳だと思っているのだけれど。

  • 氏の小説より最近はエッセイの方が好みになっています。

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