極北

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制作 : 村上 春樹 
  • 中央公論新社 (2012年4月7日発売)
  • Amazon.co.jp ・本 (377ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784120043642

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極北の感想・レビュー・書評

  • シンプルなタイトルから、先の想像がつかない。
    何の先入観もなしに、何の推測もなしに読むのが、最もいいと思う。

    展開のいろんなことが意外で、今まで読んだ中で、似た感じのものはちょっと思いつかない。
    ロードノベル、と言うことは出来ると思うけれど。

    そういえば、こんなにも文明やテクノロジーが発達し、そのことになんの疑問も抱かずに多くの人々が享受している時代は、今までの人類の歴史の中でもごく短く、ここ何十年だけのことでしかない、ということを思い出させられる。
    電気も電話もインターネットもなかった時期のほうが、それがある時期より遥かに長いはずだ。

    種を蒔いて育つ、それを収穫して食べる。
    獲物を自分でしとめて、それを自分で捌いて食べる。
    妊娠して産んで、子どもを育てる。
    そういう生き物としての人類のシンプルさを、思い出す。

    悲惨とか苦労とか、そういうマイナスの言葉がどこかへすっ飛んでいく。ただ目の前の食糧、目の前の寒さ、目の前の危機。

    主人公の自己憐憫のなさが、眩しい。

  • 『貧しい人々はみな同じような見かけになってきた。彼らは同じように暮らし、同じように食べ、同じ服を(中国の同じ地域で作られた服を)着るようになったのだ。父にとってそれは、人々が土地から切り離されたというしるしだった』

    こんな一文に出会うまで、この物語は単に「田舎のねずみと都会のねずみ」のような少しばかり青臭い(ということは、少しばかり原理主義的な香りのする説教めいた)なおかつどこかしら牧歌的な古き善き時代を懐かしむ価値観を強要するお伽噺(お伽噺は往々にして説教臭いものだが)であるのかと思いながら、少し慎重に読み進めていたのだけれど、現代社会を瞬時に過去に置き去りにするようなこの一文にぶつかり、衝撃のようなものを受ける。

    物語には、否定しようもなくアーミッシュ的な価値観は漂っている。だが、これは過去の(それは時間軸を遡るという方向性に併せて、文明の中心から周辺へという空間的な方向性の意味も持ち得るだろう。だからタイトルが指し示す方向へ勝手に顔を向けていたのに急にそれが酷く間違ったことであることに気付いて衝撃を受けるのだ)価値観を強要するための物語ではない。もしそう受け止めてしまうのだとしたら、それは読み手の内にそのような思いが既に存在していたということなのだと思う。ただ、そのようにして何かを喚起する言葉が溢れている本であることは間違いない。

    進化という考え方に、どうしようもなくダーウィンの自然淘汰的なニュアンスを込めないでいることは困難だが、それは地質学的時間のスケールで起こることであるという、逆にゆったりとした感覚を我々に植え付けてしまってもいるのかも知れない。白亜紀の終わりに起きたようなことは、まさに天変地異のような稀な出来事で、人ひとりが生きている間に世の中の何もかもが根本的に変わってしまうようなことは起こりはしないと考え勝ち。しかし全ての仕組みは絶妙なバランスの上に成り立つもの。それを崩すのには案外小さな力で済む。

    だからどうしろ、と言うのではない。その難しい立ち位置を保ったまま物語はすすむ。進化の歴史は一本道。後戻りは出来ない。人類が地球の所有者のように振る舞っているのもまた束の間のこと。人はかつて何十億年も大地に君臨したもののような巨大な骨は残せない。つつましやな生き方を想う。

  • 久しぶりに、文章から景色や人物のイメージがふわ〜っと広がる楽しみを味わった。文章を読み進めていく途中で分かる事もあって、映像ではない小説ならではの楽しみ。

    お話自体は近未来の話である。明るくないけど、こんな未来もありえそうなリアルさもあり、考えさせられた。

  • 初読。

    キリツと素敵な装丁。

    「私」、メイクピースの極北の地での生活、
    少しずつ状況が判明していくしかけや意外性。

    過酷ながらどこかプリミティブな喜びが感じられるような描写、
    それに対する文明への憧れや、もたらした絶望。
    どちらにあるものも等しく公平に厳しくみている目。
    だからなのだろうか、終末にも希望も存在するような。

    「人は誰しも、自分が何かの終末に居合わせるであろうことを予期している。誰も予期していないのは、すべての終わりに居合わせることだ。」

    世界最寒の地オイミヤコンのテレビ番組で観て以来夢中のヤクート馬、
    この作品に出てくる馬もやっぱりヤクート種なんだろうか♡

  • 終末というか絶滅の寸前だろうか。とある極北の地で街の最後の生き残りとして狩りや家庭菜園での厳しい暮らしを余儀なくされている主人公の物語。

    極北という環境の厳しさ、人の心の極北、私たちの行く末の極北。本当の極北には「北」というものが失われてしまう。

    何故そのような状況になったのかは深く語られない。

    要因が一つではないことはうっすらと今の世界の状況を見渡してもわかると思う。

    この作品を村上春樹が翻訳し始めたのが2010年の夏。

    チェルノブイリを思わせる土地がひとつのキーとなっているこの物語を読んで、福島の災害を思い浮かべない人はいないだろう。

    「ものごとが今ある以外のものになる必要を私は認めない」という言葉が極北で主人公が唯一得たもののような気がする。

  • 主人公メイクピースは破滅的状況の地球で独りサバイブしている生存能力の高い人間。繰り返しこう綴ります。自分はタフで実用主義の人物だと。しかし終盤こうも書きます。人はこう思われたいと思う姿の反対だと。この小説の魅力は、タフな筆致の中にもにじみ出てしまうセンチメントの部分にあると思います。重い内容ながらみずみずしい面も持ち、面白かったです。

    全身これ生きる本能といったメイクピースと対照的なのが、整形外科医の経歴を持つ男シャムスディン。彼の智慧はこの荒廃した世界では役に立ちません。それでも彼の知性はメイクピースにとって非常に価値あるものに感じられます。メイクピースは他にもさまざまな美しいものに心を動かされる、実は感性豊かな人物なのです。

    一方、メイクピースが父に寄せる感情は複雑です。珍名は聖職者である父がつけたもの(信仰篤い清教徒の家庭ではよくみられた)。もとは村落のリーダーでありながら、地球に異変が起きてから急速に指導力を失っていく。そのありさまを見ていたメイクピースが、観念では生き残れない、タフにならなければと思いを定めたのも道理で、心に残るエピソードです。

    やがてストーリーは想像もしない方向へ枝葉を広げていきます。その展開は主人公の旅と同じく決してスムーズではありません。常に最悪か、少しましか、の中から道を選ばなくてはならない日々の圧迫感。特に気をつけなくてはならないのは、疑心暗鬼に陥っている人間の心理。そこに信頼はなく、支配と被支配の構図のみ。いつ気まぐれな処刑の犠牲になってもおかしくない。その中でも機転を利かせ生き延びるメイクピースが頼もしい。

    どんなに過酷な目に遭ってもメイクピースが生き続ける原動力。それは希望だなんて陳腐で安っぽい言葉に置き換えられません。最後になってそれはわかります。大きな謎も残すストーリーながら芯の部分はシンプルですね。

    地が汚れたら人間性も文明も絶えるのだろうか?この問いは原発事故後の今、まったく絵空事ではなく、私にとっても皮膚感覚で共感できるところです。

  • 読む前は純文学系(?)と思っていたら、SFというほうがしっくりくる感じ。『大草原の小さな家』を思わせる開拓地、近代文明を拒絶する清教徒かアーミッシュかといった暮らしをしている村、だけど舞台はロシア?といった設定から、その村に独りきりの主人公、なんで?と意表を突く展開に圧倒され、心地よく裏切られながら読了。それにしてもこの物語が突拍子もないものでなく、現実に起こってしまいかねないことがただ恐ろしい(いや現実に起こっている、と言ってもいいかもしれない)。暴力や残酷さに満ちているにもかかわらず不思議な静謐さを感じる。主人公メイクピースの語り口のせいなのか?
    主人公は無人島へ流れ着いたわけではないのだが、ロビンソンのごとくサバイヴしている。タフである。私と、私がが今しがみついている社会のなんと脆弱なことか!

  • モノトーンで近未来的な物語。
    しかし、あり得ないお話かというと、
    妙に現実感もあるし、
    そもそも話の筋立てが大変面白く、
    深く深く惹きつけられた。
    翻訳して下さった村上春樹氏に感謝。

  • いわゆる「近未来小説」。何らかの理由で人類が滅亡しかけた後に生き残った人々の悲惨な生活を描いた「ディストピア」ものである。しかし、この紹介ぶりから、よくあるSF小説を想像されると困る。たしかに、設定はSF的かもしれないが、内容はきわめてリアル。時代は現在より何年後か、その舞台は極北の地シベリア、視点は主人公に限定されている。

    科学技術が発展を遂げ、人類に不可能などないと思われていた時代はとうに過ぎ去り、核戦争か、地球の温暖化による大規模自然災害か、何らかの理由で、文明社会は崩壊し、人々は生存できる土地を求め、極北の地に逃げ延びてきていた。しかし、そこには過度の科学技術信奉を嫌い、人間本来の生活がしたいと考えた人々が先に入植を果たし、キリスト教信仰に基づいた平和な生活を営んでいた。

    主人公メイクピースの父は、入植者たちが作った街エヴァンジェリンのリーダーであった。かつての都会から流れ込んでくる難民を受け入れようとする主人公の父の一派と、拒絶もやむなしとする一派が対立し、入植地は崩壊する。家族を亡くし、ひとりぼっちになった主人公は町の警察官を自称し、無人の町をパトロールすることを日課にすることで、かろうじて日常性を維持している。

    そんなとき、逃亡奴隷をかくまった主人公は、仲間との新生活に未来を見るのだったが、その死により絶望し、入水自殺を図る。溺れかけた主人公が死に際に目にしたものが空を飛ぶ飛行機だった。文明の存在を知った主人公は再び生きることを誓う。飛行機を飛ばせる力があるということはそこに行けば未来があるということだ。

    果てしない雪原を徒歩で、あるときは馬で、無法者と化した人々との遭遇を警戒しながらもメイクピースは探索をやめない。そう、馬に乗り腰にピストルを携えた主人公を持つこの小説は、ある意味フロンティアを舞台とした西部劇小説であり、ハードボイルド小説なのだ。
    しかし、それだけではない。訳者である村上春樹があとがきで書いているように、この小説には「意外性」がある。それも、一つや二つではない。だから、むやみに面白いのだが、あらすじを紹介することがむずかしい「しかけ」に満ちた小説である。

    根幹に流れるのは、「アンプラグド」の精神。つまり、プラグをコンセントから抜いたら、何もできない文明社会に対するアンチテーゼだ。メイクピースは、銃弾も自分の手で作る。まあ、店もないのでそうするしかないのだが、食糧を得たり、自分の命を守ったり、という我々文明社会に生きるものが自明とする一つ一つのことが、あらためて切実な意味を持って立ち現れる。

    それと、もう一つは、このどうしょうもない世界で生きることの意味の問い直しであろうか。3.11以来、さまざまな論説が飛び交っている。真摯なものも多いが、時流に乗った発言も少なくない。やわな口舌の徒でしかない評者のようなものは、なかばこの世界のあり方に絶望しかけている。完膚なきまでに破壊された原発の姿を目の当たりにしながら、その検証もいまだしというのに、再稼動を言いつのる勢力と、それを政争の具としようと計る勢力のあいも変わらぬ争いに、うんざりするばかりだ。

    しかし、最悪の状況に陥った主人公が、持ち前の強靭な肉体と精神力をバネにして何度でも立ち上がる姿に、ありきたりの言い方で申し訳ないが、読者は勇気をもらう。どんな時代、どのような状況下においても、人は生きねばならぬし、生きることには意味がある。放射能や炭疽菌に冒された人類滅亡の地で生き抜く主人公に比べたら、今の世界は、まだまだ可能性が残されているじゃないか。そんな気になってくる。

    テーマは、それぞれ読者が見つければいい。一つ言えるのは、そんなものを抜きにしても、この小説は面白いということだ。一気に読み通すことを約束できる。翻訳は、... 続きを読む

  • ここに描かれているのはメイクピースという人のひとつの人生の一場面であり、死しか孕みようがないように見える銀世界の中での強靭で狡猾で怜悧な生であり、容赦のない生命のサイクルである。空気ははじめからおわりまでぴんとはりつめ、ページを繰るごとに世界は変容する。はっとするできごとが息つく間もなくさしこまれ、流れ、読者は驚き、嘆きながらもついていくしかない。抗いがたい強い流れでもって読み手を押し流しながら、それでも読み手である私の頭の中にはいつも、しんとした荒野が広がっていた。寒々しく荒涼とした、しかし生命を湛えた真っ白い雪の大地が、読んでいるあいだじゅうずっと広がりつづけていた。
    ここにはひとつの人生の一場面が描かれているがそれは極北の景色なかのほんのひとつにすぎない。「極北」、タイトルがすべてを語っている。

    あるいはチェルノブイリ、あるいはアウシュヴィッツ、このふたつの名前が、読んでいるしじゅう交互に頭の中に浮かんでいた。どちらでもありどちらでもない、でもなまの、現実世界のものとしてのフィクションがびっくりするほどの肉々しさで迫ってくる。
    何百冊、何万冊の中からこのような本に出会うために私は本を読んでいるのだ、と、読んでいる自分を俯瞰しながらずっと考えていた。

  • 淡々と語られる残酷で過酷な物語。意外な真実が次々に明らかになり、主人公や世界の様子が見えてくるにつれてぐんぐん引き込まれました。絶望に向かって進んでいくのかと思いきや、最後に光が差しこんできて、読み終わったあと何とも言えない気持ちになりました。これは寒い時期に読むのがいい。冬の世界に浸れます。

  • 翻訳小説って訳がこなれてないことが多いけれど、さすが春樹さん。言葉を自分のなかに落とし込んで訳してるんだろうな。
    なんとなく表紙の白さに涼しさを感じて読み始めたら、目の前に極寒の世界が展開。主人公の逞しさと周囲の環境の余りの救いのなさが際立った雰囲気からスタート。
    その後はまさに怒涛の展開。しばらく読んでいると、私は一冊の本を読んでるんだよね?と確認したくなるくらい。

    文中の主人公の独白が妙に突き刺さってきたりして、読み捨てることはできない本だと思った。
    たくさんあったけど、例えば。

    自分はできたての世界に生まれ落ち、それが年老いていくのを目の当たりにしたのだと私は思っていた。しかし私の家族は、世界が既に年老いた時点でここにやってきた。私はそのどこまでも年老いた世界に生を受けたのだ。

  • 高度成長期を支えた父母のもとで育った我々世代は、心のどこかにアンチテーゼのようにディストピア幻想を抱いているのかも知れない。
    私が好んで読む本は、こういう設定が多い。
    だけどご都合主義的に、人類仲良く一気に滅亡、なんてことは起こらない。
    世代をまたいで、種としての緩慢な死を、静かに受け入れていくことの覚悟。
    セカイノオワリの実際は、たぶんそういうこと。
    忘れてはいけないのが、私たちが享受する時代のすべては、過去からの、そして私につながる人々からの贈り物なのだということ。
    この作品、お若い人たちにも読んでもらいたい。

  • 朽ち果てた旧い開拓村にひとり暮らす主人公・メイクピース。異国からやって来た“絵本泥棒”の来訪とその死をきっかけに、彼女の奇妙な放浪の旅がはじまる。

    流れ着いた街で奴隷として捕らえられるも、首領の恩情で看守に取り立てられ、囚人たちを連れて放射能に侵された「ゾーン」の調査を任ぜられる。

    そこで見つけたのは不思議な青いフラスコと、書き換えられた彼女自身の本当の過去。やがて故郷に帰り着いた彼女は子を産み、やがて来る旅立ちに向けて残された命を生きていく。

    ……と、あらすじだけ拾うとなんてことはないのだが、作者が描きたかったのはおそらく文明崩壊後のモラルなき世界を生きることの悲惨さと、環境適応に伴う人間の精神の変化だろう。

    誤解をおそれずにいえば、中年女子がたくましく「北斗の拳」の世界を生き延びていく物語……そんな感じにも読める。

    実際、作者のマーセル・セローは本作の着想は、チェルノブイリ近郊の立ち入り禁止区域で暮らす「復帰居住者(サマショール)」編取材から得た、と「訳者あとがき」にある。著者の手記を少し引いておく。

    「現在社会においてガリーナ(注:サマショールの女性の名)はただの無知な女かもしれない。彼女はインターネットも、携帯電話も、スシ・レストランも知らない。しかし落ちぶれてしまった世界においては、飢饉やら疫病やら戦争やら、あるいはチェルノブイリで起こったような工業社会のもたらす災厄によって困窮の淵に追い詰められた世界においては、たとえば私の身につけている専門知識などほとんど価値を持たなくなる。どの茸が食べられるか見分けたり、キャベツを栽培したり、食物を保存したり、そういうことを知らなければ、生き残ることはほぼ不可能だ。そして男性よりは女性のほうが通常長命であるわけだから、この惑星における人類という存在の最終局面は、チェルノブイリの『居住禁止区域』での原始的な暮らしに近いものになっていくのではないか。私の頭に、はっとそういう考えが浮かんだ。人々が去ったことで、その土地では野生が再び力を盛り返していた。女たちは子孫を作ることなく、子供を産む年齢は既に過ぎ去り、汚染された土地で作物を育てていた」

    物語はガルシア・マルケスにも少し通ずる魔術的なファンタジーの色彩を帯びているが、突き付けられるメッセージは鋭利で、ひどく現実的だ。3.11以降の日本においては特にそうだろう。

    「極北」は「文明の対極」の象徴であって、不思議と人々を引きつける対象でもある。一昨年アラスカを訪れたが、そのどこか退廃的な雰囲気は煌びやかな表社会と紙一重で、それは懐かしさすら覚える体験だった。

    久々に小説らしい小説を読んだけれど、これはなかなか問題作だと思う。最近の村上春樹氏は、著者としてよりむしろ翻訳者、すぐれた英米文学の紹介者として優れた仕事をしていると思う。

    最後に以下にいくつか本文から引用しておく。

    「私はいつだって農作業が好きだった。その色や匂いや、大地の産み出す奇跡が好きだった。我々は一度死んでしまえばおしまいだが、植物はその根っこから蘇ってくる。それは私にとってある種の慰めになった。時代が苛酷になったとき、自然はごく小さくシンプルな贈り物を施してくれる」(p.174)

    「祖先たちが苦労を積み重ねて勝ち得た知識を、私たちはずいぶん派手に浪費してきたのだ。泥の中から僅かずつ積み上げられてきた、すべてのものを。植物、金属、医師、動物、鳥、そんなものたちの名前、惑星や波の動き。そんなすべてが色褪せて消えていこうとしている。必須のメッセージを、どこかの愚か者がポケットに入れたまま洗濯して、その言葉がすっかり読み取れなくなってしまったみたいに」(p.236)

    「人は誰しも、自分が何らかの終末に居合わせるであろうことを予期している。誰も予期していないのは、すべ... 続きを読む

  • 村上春樹訳の海外小説。著者はウガンダ出身のマーセルセロー氏。
    極北、far northを舞台にした破壊?壊滅?からの物語。再生への物語、というには漠然と終わるものの限りなく絶望に近かったところから生命の誕生を思わせる希望を持てるところで終わっている。
    主人公の名はメイクピース、読み進めていくうちに意外性に引き込まれていく。主人公は女性であるし、ピングとその胎児に希望を持ちたいのにあっけなく裏切られる。希望を持ちたいのにことごとく裏切られるのに、絶望的にならずに先が知りたくやめられない。
    最後は、おそらく主人公の子供へ向けた手記という結びで終わっている。
    あとがきにあるが、執筆のきっかけがチェルノブイリ訪問とのことでなるほど納得。
    読後の重量感が心地よい。

  • ずっしり読み応えのあった1冊。

    海外小説はなかなか入り込めず普段はあまり読まないものの、装画に惹かれたのと村上春樹の翻訳だったため手に取る。

    ー人は誰でも何かの週末に居合わせるであろうことを予期してる。誰も予期していないのは、全ての終わりに居合わせることだ。

    3.11以降、多くの人の中で多かれ少なかれ価値観や信じてきたものに揺らぎや変化が生じたのではないかと思う。
    想像もしなかったこと、考えもしなかったことが現実に起こりうる可能性について。

    極限状態の中で、物語は淡々と悲痛な叫びとともに進む。
    そこにはほんの一握りの希望が見いだされては消えていく。しかし、その希望はほんの少しずつ積み重なっていく。
    何を信じるのか、何に救われるのか。

    ーそして我々は、そこに描かれている事象が、ただのフィクションの装置ではなく、目の逸らしようもないひとつの現実、あるいは現実に付随するもの、現実を照射するものであることを既に知ってしまっている。我々が物語というシステムをくぐり抜ける事によって、そこに見いだすのはおそらく、痛々しいまでの共感だ。

    あくまでフィクションだが、場面はちがえど、「極限下」においては今までにも起こってきたこと。今この瞬間にも起こっていることかもしれない。

    2012年 4月10日  中央口論新社 
    装画:高山裕子  装幀:坂川栄治 坂川朱音

  • どういうこと・・・?と良い意味で裏切られる、あの眩暈がするような感覚を久々に味わえた

  • 発売された時から目にしていたけれど、どんな本かはよくわかっていなかった。表紙・そして帯の本文引用から、なんとなく寒いところを冒険する話なのかと。登山とか、そういう話なのかと思っていた。たいしたミスリードだ、と思った。
    足元が揺さぶられて、穴がぽっかりと空いてそこに落ちてしまうような、そんな感覚を植えつけられる小説が、ごくたまにある。これもそんな本だった。今、わたしが生きていて、法の秩序のもとに守られていて、食べるもの・着るものにも恵まれていて、文明的な生活をしているということ。その事実にとてつもない揺さぶりをかけてくる。私はこれと似た感覚を知っている。それは村上春樹もあとがきで言及していることではあるが。何にせよ、不安感で押しつぶされて、足元がおぼつかなくなるような、そういう小説だった。しかしドライブ感が凄まじく、途中で読むのを止めることはできなかった。はっと息をのむ言葉がいくつもあった。そういう小説を貪るように読むことができるのは幸いである。

  • この本は 書評を読むなどの事前知識なしに読んだ。


    最初のうちは 僻地の孤独な生活を描いた 小説かと思ったが、読み進むうちに その 僻地の孤独な生活は人類の
    文明のなれの果てのひとつのすがたであることが

    明らかになる。


    核保有国に 大量の核兵器があり、また大量殺人が可能な生物兵器の製作使用が可能な今日

    この終末を人類が迎えるというこを(望んではいないものの)考え、想像してみることに意味がある。

    その想像した上で、現在の世界に視線を戻し
    何が重要なのか、どのようにこれから世界はなるべきか
    考えることに意味がある。

    昔から 村上春樹の翻訳した 作品は 良質な作品が多いが
    これもその一つ。

    小説の醍醐味を堪能できる1冊。

  • 我々が物語というシステムをくぐり抜けることによって、そこに見出すのはおそらく、痛々しいまでの共感だ。具体的に言うなら、そこに浮かび上がるのは、チェルノブイリと福島との間を結ぶ、太く厚く脈打つ、悲痛な物語の動脈である。・・・優れた物語には常に予感が含まれているものだが、その予感は現実の空気と混じり合うことによって立体的な省察となり、それがまたあらたな予感を生み出していくことになる。それはおそらく物語にしか提供できない、特別なサイクルだ。
    (訳者村上春樹のあとがきより)

  • 不思議な話のようで、非常に現実感を持って迫ってくる本だった。それは、2011年の震災後だということは、間違いない。訳者・村上春樹があとがきで書いているように、「意外感」に満ちた作品。
    前半は単調なのだが、力強く静かに生きる主人公に物語へと引きこまれていく。第三部からぐっと動きだすが、あくまで静かに淡々と、だ。
    ほとんどが悲惨で過酷な運命を強く生き抜く主人公について、最後には温かいものを感じて本を閉じられたことに、ほっとした。

  • 春樹翻訳で話題になったので。思っていた以上に、いい1冊だった。最初に少女と出会って、その少女が死んでしまうあたりでググっと持って行かれた。極北という極限の地での極限の生き方。軽い読み物ではないけれド読んで損はない1冊。2013/190

  • 壮絶な小説だった。極北が舞台のディストピア小説。四部からなるが、その中で主人公の旅を予想もしない方向に移り変わっていく。
    寒々しい極北を舞台に、孤独な主人公が旅をしていく。次第にわずかな生き残りの人々と、廃棄された文明に出会う。
    人類の傲慢さへの警鐘であり、残酷さであり、希望の話。311の後により一層意味を持った小説。

  • 村上春樹さんの訳もよくて、読み応えがありました。

  • 北極に一人で住む男の物語。あまり覚えていない

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極北の作品紹介

極限の孤絶の果てに、酷寒の迷宮に足を踏み入れた私は――

予断をゆさぶり、近未来を見透かす圧倒的な小説世界。
原題は”Far North”。これまでドイツ語、フランス語、オランダ語、日本語に翻訳され、日本語の翻訳は村上春樹が担当した。

著者のMarcel Therouxは放送作家・ブロードキャスターでもあり、日本の美意識「わび・さび」を主題とする番組を数多く手がけている。父親は作家のポール・セロー(Paul Theroux)。兄は作家、TV脚本家のルイス・セロー(Louis Theroux)。

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