- Amazon.co.jp ・本 (371ページ)
- / ISBN・EAN: 9784120043901
作品紹介・あらすじ
言文一致体をひっさげ、颯爽とデビューした山田美妙。美男で才気溢れる"ベストセラー作家"が、なぜ文壇から忘れ去られたのか。没後一〇〇年、「書斎の戦場」で戦い抜いた一途の文人の一生を追う評伝小説!尾崎紅葉、二葉亭四迷、坪内逍遙、樋口一葉らが活躍した明治文壇を鮮やかに描く。
感想・レビュー・書評
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ほこぶすまつるぎ枕のふたとせはたてこもる身かうづもるゝ身か
山田美妙
文学史には、時として落とし穴がある。売れっ子作家による回想録が、そのまま後世に伝わり、定着することがあるのだ。
たとえば、明治の近代文学創成期。二葉亭四迷と並んで口語文体の先駆者と紹介される山田美妙は、文壇からはほぼ忘れられた存在でもある。その理由の一つに、尾崎紅葉による回想録が関係しているらしい。
美妙は1868年(慶応4年)、東京生まれ。父が不在で、厳格な養祖母のもと、勉学に励む少年に育った。近所に住む尾崎紅葉とは中学や東大予備門でも親しく、ともに文芸愛好者たちと「硯友社」を組織し、雑誌も発行した。才気あふれる美妙は、それまで日本になかった句読点を入れた小説を発表し、時代の先端を走った。
19歳で単行本2冊を発行、文学にのめりこんだ美妙は、大学進学の道を自ら閉ざしてしまう。養祖母らの落胆は大きかったが、「ですます体」の新文体は評判を呼び、若くして自家用人力車を乗りまわすほどの羽振りの良さも体験した。
のち、尾崎紅葉一門が流行作家となったころ、美妙は仕事を辞典の執筆等に移していた。「書斎は戦場なり」と言挙げ、日露戦争の2年を大辞典原稿のために「たてこも」っていたことも掲出歌からうかがえる。
作家仲間とは距離を置き、家族のために筆で稼ぐ生活を選んだ美妙。40代で早世したが、その仕事の全貌を、嵐山光三郎による評伝小説で知ることができた。ねばり強く古書店を探し、関係者に取材を重ねた〈嵐山文学史観〉が、再評価の道を切りひらいたのだ。文学史もまた、「戦場なり」。
(2013年3月3日掲載)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
山田美妙は全く知らない作家だが、明治の文人の生き様はかくも凄まじい。家族の生活を支えるために、そして世に認めてもらいために、書いて書いて書きまくる。知人、友人とのさまざまな葛藤の中で、ともかく書く。見下した意味ではなく、「売文」のすさまじさを感じた。